結婚前夜【CE105】
深く礼をしたまま涙声で続けるカガリを、アスランは息を止めて括目していた。
「三十年間の眠りから覚めた私を助けて支えてくれて、一番見守ってくれたのはアスランだった。アスランは、私にとってこの時代のお父様でありお兄様でもあった」
突然のことに胸を掴まれて、アスランは声も出せない。
「男で一人暮らしなのに私を引き取って面倒をみてくれて、とても大変だっただろうに、いつも優しく私を見守ってくれて、どんなに感謝しても足りません」
やめてくれと声にならない叫びが頭のなかで響き渡る。
「私、幸せになります。それがアスランへの一番の恩返しだと思うから」
「カガリ・・・」
押しつぶされた胸からやっと声が出た。
再び迎えた結婚前夜。
深く礼をするカガリに、どうして、どうしてと頭のなかに疑問符が湧き上がる。
三十年前はカガリを娶る側だったはずなのに。
それなのに何故自分が今、カガリに礼を言われる立場になっているのか。
―――アスラン、好き
自分は一体何を間違えてしまったのだろう。
全身から湧き上がる切なさが混じった憤りを抑え込むため、アスランは腹の底に力を入れた。
ここで決壊させたら、全てが無駄になる。
ここまできたら最後まで嘘は突きとおす。
決着は自分でつける。
アスランは一歩カガリに近づき、その金糸を優しく撫でた。
その動きにつられて顔を上げたカガリの顔は泣き濡れていて。
「有難うカガリ」
姿勢を戻したカガリをアスランは優しく見つめた。
「これからはシンに大切にしてもらうんだ。俺はいつも君の幸せを願っているから・・・」
「アスランはどうなんだよ。船でちゃんとやっていけるのか。いつも無理をするくせに。もう私はお前のご飯作ってやれないんだぞ」
「うん・・・カガリに心配をかけないように艦の中ではちゃんとするよ」
アスランの返事に僅かに笑みを浮かべようとしたカガリだったが、その顔はみるみる歪み、カガリはアスランの身体に飛び込んだ。
「アスラン・・・嫌だ、いかないでくれ」
頬を胸に押し当て、シャツをしわになるほど掴む。
「カガリ・・・」
泣いているせいで、カガリの身体はひどく熱かった。
―――私はアスランと一緒に行きたいんだ
三十数年前に花嫁になっていたはずの愛しい人。
シャツ越しに伝わってくる嗚咽と身体の震え。
もう二度と会うことの無い今生の別れを前に、自らの全身が泣き叫んでいるのが分かる。
もし、もしここでカガリを自分のものにして、二人で逃げて、誰も知らない場所で暮らす。
そんな激しい衝動が理性を破壊しようとするが、アスランはカガリを強く抱きしめてそれを抑え込む。
「カガリ、泣くな」
行きたくなどない。
カガリの傍から離れるなど、考えることすらできない。
それでも、ここにはもう居られない。
カガリの元から去るしか選択肢は残っていなかった。
「たとえどんなに離れても、俺はカガリのことをずっと思っているから」
三十光年先への片道だけの航路
プラントを出たら、もう二度と会うことは無い。
これは最後の抱擁。
自分はこれから死ににいくのだ。
さよならカガリ。
―――愛してる
「アスラン・・・?」
声にならない囁きが聞こえたわけもないのに、カガリはそっと顔を上げた。
「カガリ、さよなら。幸せになって・・・」
濡れた琥珀の瞳に、窓から差し込む星の光がきらめいた。
その美しさを、アスランは生涯覚えていようといようと思った。
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