第三夜



「シン、いくらザラ教官と親しいからって、調子に乗るのは辞めなさい」

表情を正し咎めようとした副官を、アスランは苦笑しながら片手で制した。

「仕方のない奴だな。疲れてないのか?」

「全く疲れてません!」

「誰か訓練用のナイフを貸してくれないか」

シンの周りを囲む兵達をアスランが見回せと、一気に周囲はざわついた。

「教官、良いのですか?」

「たまにはいいだろう」

予想外の展開に面食らう教官にアスランは頷いたが、このなかで一番驚いているのは当事者であるシンだった。
ルビーのような赤い目を丸くしてアスランを凝視している。

「えっ・・・アスラ、じゃなくて教官、本当にいいのでありますか?」

「何だよ、いいのでありますかって。お前が自分で言ったんだろう。嫌ならやめるが?」

「あっ、いえ!」

アスランは軽い足取りで訓練場の中央に向かい、シンは慌ててその後を追った。
指定の位置につき、向いあった二人の周りを観客となった兵達がぐるりと囲む。
かつてザフトのトップエリートと言われ、いまだその名声が衰えることのないアスランの白兵戦。
教官であるアスランは、訓練中も指示をすることがほとんどで、実技を行うことはほぼ稀なのだ。
驚きと期待で賑やかだった訓練場も、いつのまにかしんと静まりかえっている。

―――不思議だな

正面で構えの体勢を取るシンを、アスランは目を細めて見つめた。
自分でもこんな運びになっていることが意外だった。
シンの要望を聞いてやったのは、彼が愛弟子だからでも、優秀な教育者からの観点からでもない。
ただただ彼を負かしてやりたい、その思ったからだった。
訓練後のちょっとした余興でシンを負かしたところで、カガリをシンから引き離せるわけでもない。
しかしシンに持て余す程の若さを見せつけられたアスランは、カガリに釣り合うのは、こういう少年なのだとまざまざと突きつけられた気がした。
先ほどだけではない、カガリが目覚めてからずっと、シンの真っ直ぐな伸びやかさを目の当たりにするたび、アスランは惨めな気持ちでいっぱいになる。

―――打ちのめしてやる。

シンを思い切り下して、力の差をはっきりと見せつけてやりたかった。
胸の奥に溜まるどす黒い鬱憤をたとえ一時的にでも良いから解消したかった。
分別のついた大人が、それもれっきとした教官が、私怨をもって部下と刃を交えることがどんなにみっともないことか理解しながらも、アスランはその欲望に勝てなかった。

審判役の兵士が頭上に掲げた手を振り下ろし、それと同時にシンの足が床を蹴る。
振りかざされるナイフを躱し、攻撃に転じようとしたアスランにすぐに体勢を立て直したシンのナイフが迫る。
高い金属音が訓練場に響いた。

―――早い

ギリギリと突き進もうとする刃を自身のナイフで受け止めながら、アスランは予想以上のシンの実力に驚いていた。
持って生まれた抜群の身体能力が更に向上しているのはもちろん、適所で瞬発力や柔らかい身のこなしが活かされており、白兵戦のセンスも格段に磨かれている。
以前は幼さから注意力散漫なところもあったが、今睨みあっている赤い瞳は集中力で研ぎ澄まされていた。
いつのまにこんなに成長したのか。
本気を出さないとこっちがやられる。
状況を立て直そうと後ろに跳び退さったアスランを、すかさずシンが追う。
今度は立て続けに鳴り響く金属音。
一太刀があまりに早く、視界で捉えられるのは残像のみだが、太刀筋を予想してアスランは剣を受け止める。
アスランでなければ、既に急所を捉えられていただろう。
それでもその一撃一撃が重い。
長くはもたない。
攻めに転じなければ。

刀をかわしたアスランが僅かな隙をつきシンの喉元めがけて、最短距離でナイフを突きつけようとした。
その右手に衝撃が走る。
それは、一瞬の出来事だった。
闘志に沸き、それでも冷静な表情でシンがアスランを見つめていた。
カランと乾いた音が遠くで響き、アスランは自分の右手が空虚なことに気が付いた。
白刃が喉元に突き付けられ、鈍い感触がアスランを支配する。
まるで時が止まったかのように、シンもアスランもそのままの姿勢で何も発しなかった。

「しょ、勝負あり」

水を打ったような静けさの中、信じられないという風に呆然としていた審判が自分の役目を思い出したかのように慌てて判定を下した。
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