第二夜
それは、深海数千メートルを再現した水中トンネルだった。
照明の無いトンネルの中は真っ暗で、明かりは僅かなライトとライトに照らされ水中でぼんやりと光るマリンスノーのみだった。
「凄い・・・」
人間が辿りつくことの出来ない圧倒的な闇の前に、カガリは小さく息をついたようだった。
転ばぬように足取りはおのずとゆっくりになる。
閉館間近なためか、トンネル内にアスラン以外の客はいなかった。
「こんな世界があるんだな・・・」
足を止めたカガリが、ガラスの水槽を指でなぞった。
その指の先、水槽の向こうでは鈍く光るスノウツリーが舞っている。
「綺麗だけど、光の届かない悲しい世界だ・・・」
光の届かない深海は宇宙に似ていた。
両方とも闇の世界、暗い海の底で輝くマリンスノーは、宇宙の中できらめく遠い星々をアスランに連想させたが、二つの世界の共通点はもっと感覚的なもののほうが強かった。
宇宙も深海も、この果てしない空間のなかで、自分はたった一人なのだと、抗うことのできない孤独感を抱かせる。
その果てに人間は決して到達できないし、宇宙にはそもそも果てという概念が無いのかもしれない。
人間の概念など宇宙では無力そのものなのだと打ちのめされる。
そんな絶対的な真理が両世界にはあり、その心理の前で人は敗北にも似た孤独を感じるのだ。
「一人じゃとても耐えられない」
同じようなことを思ったのか、カガリの声には悲哀が滲んでいた。
しばらく無言で孤独の世界に身を浸しながら、カガリがふと口を開いた。
「アスランは、どうして結婚しないんだ?」
「え?」
唐突に投げかけられた質問は、しかしアスランの思考を停止させるだけの力は十分にあった。
気が遠くなる程の孤独な世界に触れ、人恋しくなったからこそ、この年でも一人でいるアスランが不思議に思えたのだろうか。
「だってアスラン、こんなに優しくてしっかりしてるのに。ザフトでも凄く人気があるってシンも言ってた」
アスランの心臓が早鐘のように鳴り、思考がまとまらない。
何て、何と答えればいいのだろう。
「それなのに、どうして?アスランだったら、いい人たくさんいただろう?」
純粋な目でこちらを伺うカガリに、アスランは泣きたくなった。
分かっている、カガリは記憶が無いのだ、それはよく分かっている。
しかしよりによって、カガリからこんな質問を受けるなんて、何てやるせない状況なのだろう。
―――君と一緒になれると思ったから、真っ暗な闇の中、途方もない孤独に耐えながら生きてきた。
そう言えばカガリは自分と一緒になってくれるだろうか。
駄目だと思いながらも、アスランはそんな凶暴な思いに囚われる。
でも、そう言ったらカガリはどんな顔をするのだろう。
カガリと自分が婚約者だと告げたら、どんな反応をするのだろうか。
耐えるだけの日々は苦しくて、もう限界だった。
いっそのこと、パンドラの箱を開けてしまおうか。
「結婚したいと・・・思わなかったから」
今までの忍耐で作ったこの状況をぐちゃぐちゃに壊す勇気はやはりなかった。
少しの間の後、アスランが絞り出したのは無難な答えだった。
「どうして?」
「分からない。でもきっと、そう思える人が現れるのを、待っていたんだろうな」