夜明け
「お招きありがとうございます、アスハ代表」
「こちらこそ、よく来てくれたな。ザラ議員」
二人は、軽く握手をして微笑みあった。
それは一見プラントの議員とオーブの代表としての美しい微笑みだったけれど、シンはその二人の目の奥に何か隠れた感情のやり取りがあるように思えて気分が悪かった。
「カガリ様、スカンジナビアの・・」
アスランと向かい合うカガリに秘書官が小さく囁くと、カガリは頷いた。
「すまない。ザラ議員からプラントのことを詳しく聞きたがったが、また今度だな」
「いえ、代表はお忙しい身ですからお気になさらず。わたくしで宜しければプラントの話はいくらでも。」
アスランに微笑んで、式典の人混みのなかに入っていくカガリをシンは安堵の気持ちで見送っていた。
少しでも、二人が一緒にいる時間がなくなればいいと思っていたから。
<この二人はやっぱり何でもない>
今までイライラした気持ちが急速に薄れ、アスランと話す余裕がでてきてシンはアスランの方に顔を向けた。
自分でも分かっていないがアスランのことを尊敬していたので、シンも久しぶりに再会したアスランと話がしたかった。
けれど目に映ったアスランの表情に、シンはまるで雷が落ちたように身体が動かなくなった。
狂おしいほどに切なくカガリを見つめる翡翠色の目。
憂いを含んだ炎が激しく燃え盛っているような。
アスランのそんな目をシンは見たことがなかった。
アスランがカガリを見つめていたのは、ほんの短い間だったが、シンには長い間、時がとまっているように感じられた。
「シンも、久しぶりだな。」
シンに話しかけてきたアスランの瞳の奥は穏やかでいつもの、シンの知っている彼だった。
だけど、シンははっきりと分かってしまった。
<アスランは、アスハのことを今でも―――>
考え込むような顔をしてイヤリングをはずすカガリを、シンはじっと見つめていた。
式典後のパーティー会場になったホテルはアスハ邸から遠いので、ホテルのスイートルームを今日一日カガリの部屋として借りていた。
イヤリングをドレッサーの上に置き、ネックレスを外そうとカガリの腕が後ろに延ばされる。
白く艶めかしい二の腕の裏側が露わになって、シンは目線を床に落とす。
二人でオーブの市街地に行った帰り、シンはカガリを抱きしめたがその後も二人の関係は変わらなかった。
今では成りを潜めたがカガリには抱きつき癖があり、それはカガリの感情表現の一つでスキンシップのようなものだった。
それ故シンに抱き寄せられたことはカガリのなかでは大したことでもなく、シンとカガリの日常の普通の一コマにまぎれていた。
一方シンは自分の感情に戸惑っていた。
カガリを抱きしめたこともそうだが、あれから彼女に対してシン自身もよく解らない想いが溢れ出てくるからだ。
それはカガリと笑い合ってると幸せな気分だったり、仕事で疲れたカガリを労わるときに感じる愛おしさであったりしたが、シンが一番戸惑っていたのは自分のなかの黒い感情だった。
カガリを待つ間の控え室でのアスランとカガリの話を聞いたときや、仕事だと分かっていてもカガリが他の男と親密にしているのを見たときにそれはシンの胸で生まれて、あっという間にシンの全てをどす黒く浸食していき、自分でコントロールができない。
そんな自分のなかで生まれる制御不能な感情がなんなのかシンには分からず、戸惑うことしかできなかった。
けれど、シンが今確かに分かることが一つあった。
それは、その底なし沼のような黒い感情が今、過去最高に湧き出てきているということだ。
パーティーのあとは「疲れた」だの「ドレスが窮屈」だの愚痴を言うカガリが今日は静かだった。
外したペンダントをして小さくため息をつく。
若草色のドレスを身にまとったカガリは妖精のように可愛らしくて、パーティーでいつものようにひっきりなしに人が集まってくる光景を、護衛として会場にいたシンは普段だったらイライラしながら見ているのだが、今日はある一人の人物を紅玉の瞳でずっと捉えていた。
アスラン、シンのかつての上司も議員としての有能さと、何より美しい容貌のせいだろう、若い女性たちに囲まれていた。
プラントの代表として女性たちに最低限失礼のないよう相手をするアスランにカガリを気にしている様子は全くない。
でも、それは演技だということをシンは知っている。
あの切なく激しい翡翠の瞳を見てしまったのだから。
〈本当はアスハが欲しくて、たまらないくせに〉
ふつふつとシンの胸が沸騰してくる。
〈そうやってアンタはいつもすました顔して・・〉
結局アスランとカガリはパーティー会場を出るときに二言三言、言葉を交わしただけだった。
〈アンタがどんなに想っても、この人はアンタのことなんて何とも想っていないんだ〉
シンはそう自分に言い聞かせながらカガリの宿泊する最上階のスイートに付き添ってきたのだ。
「じゃあ、今日はもう寝るだけだよな。俺は下の階にいるから」
カガリの様子がいつもと少し違うのに何となく嫌な予感がしたが、シンはあえてそれには触れず部屋から退出しようとした。何となく、余計な詮索はしたくなかったのだ。
余計なことをしないで眠って、そうして早く朝になればいい。
夜があけたらアスランはプラントに帰るんだから。
「待って・・!」
ドアノブに手を掛けようとシンの手がとまった。
そのまま無言でカガリに背をむけたままま、彼女の次の言葉を待つ。
「貴賓館に連れて行ってくれないか・・」
シンは何秒間が息を止めて、自分のなかの凶暴な化け物を押さえつける。
そうしてゆっくりカガリの方に身体を向ける。
雰囲気がどこかおかしいシンに、フォローをするようにカガリは言葉を続けた。
「会いに行くのはアスランだから、シンは何も心配する必要ない。さっき会場でるときにもう少し話をしようってアスラ・・」
カガリの口からアスランの名前が出た瞬間、シンの胸に巣食う黒く凶暴な獣が牙を向いた。
カガリの視界が真っ黒に染まり、それがシンの服であると理解すると同時に彼の腕のなかに閉じ込められていた。