「兄上遅いぞ!」

舞踏会の練習に使われるホールに、アスランとカガリが入ってくるやいなや、紅い瞳の少年が噛みついた。

「ああ、すまない。ちょっと用が長引いて」

「シン、アスランは大臣のところにいたんだ。そんなに怒るな」

シンと呼ばれた少年は、アスランの従妹でカガリ達よりも2歳年下の15歳だ。
従弟ではあるが産まれたときから同じ城で育ち、優秀で不器用だが優しいアスランを兄のように慕っている。
国王の甥である彼も、今回のデビュタントボールに参加する一人だ。

「何を偉そうに。カガリがもっとまともに舞踏会の練習ができてたら、兄上も忙しいなか時間も割かずにすんだのに」

「何だと?!」




いきり立つカガリだったが、シンの言うとおり、本来ならばアスランは今日の集まりには来なくてもよかった。
基本的に、一大公式イベントであるデビュタントボールの練習と打ち合わせには、参加者は全て出席しなければならない。
けれど王子であるアスランは、最近政治にも関わりだした忙しい身であるので、舞踏会での一連の流れを覚えたら集まりへの参加は特別に免除される。
そしてアスランは舞踏会での一連の流れも一度で全て覚えてしまい、さらにはダンスも完璧であるので、本来ならば舞踏会の練習や打ち合わせにくる必要はもうないのだ。



そう、本来ならば。



「はいはい、おしゃべりはそこまでだ」

空気が悪くなりかけたところに、ハイネがパンパンと手を叩いた。
23歳の彼はデビュダントボールの経験者なので、今日の集まりに講師として呼ばれていた。

「時間も押してるところだし、それぞれ最初のポジションについて」

ハイネの号令に参加者がそれぞれの場所に散っていく。

「カガリ、行こう」

「ほらシン!行くわよ!」

睨みあい火花を散らしていたシンとカガリだが、それぞれパートナーに促されて持ち場に向かった。






「アスラン、ごめんな・・」

美しく穏やかなワルツの音楽に身を乗せながら、カガリがすまなそうに俯いた。

「何が?」

流れるようにステップを踏みながら、アスランは腰に抱いたカガリを優しく見やるが、カガリは俯いたままだ。

気にしているのか・・

アスランはカガリの耳元に唇を近づけて、優しく囁いた。

「さっきのこと・・?」

「シンの言うとおりだ。本当ならお前、もう練習来る必要ないのに・・」

もう練習に来る必要のないアスランが、今ここにいる理由。
それはひとえに、彼のパートナーが原因だった。

「私が、なかなか上手くできないから・・」

「そんなことない。カガリはよく頑張ってるじゃないか」

「でも、さっきだって・・」

踊りに入る前に、カガリはアスランに差し出された手を取るタイミングを間違えてしまったのだ。
女性が男性の手を取るこの場面は舞踏会のハイライトなので、当然他の参加者を巻き込んでやり直しになってしまった。
ちなみにここでカガリが間違えたのは3回目である。

「みんなに迷惑かけてしまって・・きっとみんなだってウンザリしてる」

3回目のやり直しで申し訳なさそうに縮みこむカガリに、これ見よがしにおおげさなため息をついて「勘弁してよ」と言ったのはシンだけだったが、きっと皆そう思っているはずだ。
口には出さないだけで。
そう思うと情けなくて、カガリの琥珀の瞳がうるんだ。

「大丈夫だ、カガリ。今度は絶対間違えないようにすればいいんだ」

「いつもそう思ってやっている・・」

「あんまり気にしすぎるな。次からは俺が目で合図するから。そうしたら俺の手を取るんだ」

「アスラン・・」

カガリがようやく顔を上げると、穏やかな翡翠が自らを包んでいた。
それと同時にワルツの曲調が変わって、ステップの向きが左に変わる。
咄嗟に対応できなかったカガリをアスランはさりなげなく、流れるようにリードした。
その優しさが嬉しくもあり、同時にカガリを居たたまれない気持ちにさせる。
自分の不甲斐なさを見せつけられているような気がするのだ。

「アスランだって、本当は迷惑してるんだろう」

「俺が?」

気まずそうに視線を逸らすカガリに、アスランは軽く目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。

「そんなこと、あるはずないだろう」

全く、カガリは分かっていないな。

いつも泣かされるその鈍感さが、何故だか今は愛おしい。
翡翠色の瞳が細められて、腕のなかの少女を絡め取った。

「逆に感謝してる。俺はカガリとずっとこうしていたいんだから」

「お前・・」

何言ってるんだよという少女の声は、軽やかなワルツの音とともに天井に流れて行った。
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