「カガリ・・?」

カガリの言葉の意味が掴めなくて、アスランは戸惑うような視線をカガリに送った。
しかしカガリはそのまま言葉を続ける。

「オノゴロ、攻撃してなかったんだってな」

それでアスランにはカガリの言わんとしていることが分かった。
自分がオノゴロを攻撃していなかったことを、カガリは知ったのだ。
情報源がアスランしかなかった北の塔から外の世界に出てしまえば、それは当たり前のことだった。
きっとカガリは自分がオノゴロを守ったことに感謝しているのだろう。

だけど、アスランはそんなことで感謝して欲しくはなかった。
確かにアスランはオノゴロを頑なに守ってきたけれど、その代償はとても大きかった。
ザフト軍で部下や戦友達の信頼を裏切り孤立して、無駄な賭けをしてカガリを泣かせて酷い抱き方をした。
アスランにとってそれらは思い出すだけで息苦しくなる出来事だった。

やめてくれ、感謝されるようなことなんか何もしていない。
それがアスランの本音だった。

それに結局、夜が明ければザフト軍はオノゴロに侵攻するのだ。
あれだけ周りに迷惑を掛け、カガリに憎まれて、自分も散々苦しんだくせに、その代償は何も意味がなかったのだ。
ただ周りを傷つけただけで…

しかしアスランの心中はどうあれ、カガリは琥珀の瞳を潤ませたまま話を続ける。

「イザークたちを敵に回して、ザフトで孤立してまで・・オノゴロを守ってくれたんだな」

「カガリの・・」

為じゃないと続けようとした言葉はしかし、カガリによって遮られる。

「それなのに、私は・・ごめんアスラン。オノゴロのことだけじゃない。ずっとずっとアスランと一緒にいたのに、お前の心の痛みに気づいてやれなかった」

「え・・?」

涙のたまったカガリの瞳から、つうっと雫が流れ落ちるのを、アスランはぼんやりと眺めていた。

カガリは何故、泣いているのだろう。
もうカガリの涙なんて見たくない、笑ってほしいのに。
そんなことを思いながらも、何故か身体が動かなかった。

「ずっと一人で苦しんでいたんだろう・・?お前は何でもすぐ一人で抱え込むから。そういうところ、よく知ってるんだからな、私は・・」

不意にカガリが目を細めた。
それは少し呆れたような、でもとても暖かく、年少者に向けるような笑みだった。
アスランはその笑みをよく知っている。
今でもそうだが、幼少のころのアスランは今よりももっと寡黙で内向的な少年だった。
イザークやディアッカに一方的に言いがかりをつけられても言い返さずいつも黙っていた。
相手にするのも面倒くさいし、面倒な争いごとには関わりたくなかったからだ。
そんなアスランにカガリは何で何も言い返さないんだ、代わりに私があいつらを殴ってやると怒ったものだが、最後にはアスランは仕方ないなと彼女なりに納得して慰めてくれた。
今アスランに向けられている笑みは、涙に濡れているけれど、その当時の笑みと同じだった。
全てを包み込んでくれるような、そんな微笑み。

「あ・・」

「だけどもう大丈夫だ。私も一緒に受け止めてやるから。だからもう苦しまなくていいんだ、アスラン」

「カガ・・リ・・」

「もう大丈夫だぞ・・」

カガリの腕がそっと伸ばされ、そのままアスランの柔らかい濃紺の髪に差し入れられる。

そして、その細い指先がその奥にある耳に触れた。

その瞬間、アスランの身体に旋律が駆け抜けて、翡翠色の瞳から透明な雫が音もなく滑り落ちた。

その涙は顎を伝って、心臓のあたりにポタリと垂れて、衣服を濡らす。
その筋を追いかけるように、透き通った瞳からはあとからあとから涙が溢れ出た。
静かだけれど止まらない涙は温かく、アスランの頑なに閉ざされた心を溶かしていく。

アスランは涙を拭うこともせず、それとも泣いてることにすら気が付いていないのか、呆然としたままだったが、やがてポツリと言った。

「嫌だったんだ・・カガリが遠くに行ってしまうのが・・」

まるで独り言のようなつぶやきだった。

「放したくなかった。それなのに、全く躊躇せずに君がオーブに帰るというから・・だから・・」

「アスラン・・」

カガリが己の幼さを後悔するように顔を歪めた。

「思いつかなかったんだ・・他に方法が・・」

人形のようにただただ静かに涙を流して、淡々と語っていたアスランだったが、段々と感情が戻ってきたようだった。
その身体は小刻みに震え、整った顔は切なげに歪み始める。

「君をどんなに傷つけても、憎まれても、傍にいてくれさえすればいいと思ったんだ・・」

「どうしてオノゴロを攻撃するなんて・・嘘を・・」

アスランを覗き込むカガリの声も震えていた。

「カガリに俺を見て欲しくて・・憎まれても・・拒絶されるよりはって・・」

自分にしがみ付きながら見上げてくるカガリの涙に濡れた琥珀に、同じく涙で洗われた翡翠で視線を合わせた。

「カガリ・・君が好きなんだ。ずっとずっと・・初めて会ったときからずっと」

「アスラン・・」

カガリが少し目を見開いた。
その様子に、アスランは何で自分はもっと早く勇気を出さなかったのだと思う。

「最初からそう言えていれば、こんなことにはならなかったのに・・俺は馬鹿だから・・」

打算も計算もいらない。
想いを口にするだけの、簡単なことだったのに。
一体どうして自分はあんなにも怯えていたのだろうか。


「私がお前の痛みに気が付いていれば・・」

やや間があいてから、カガリが後悔するように顔を伏せてから、ポツリと言った。

「どうしてお前が変わってしまったなんて思ったんだろう。お前は何も変わってなかったのに・・」

私が気が付いてあげれなかっただけで・・・

確かに、そんな自分が情けなくて悔しかった。
だけど今、カガリの心に灯る感情はそれだけではなかった。
アスランが変わっていなかったこと。
彼がカガリのよく知る昔のアスランのままだということが嬉しくて、同時にそれがとても愛おしい。


カガリがゆっくりと顏をあげて、もう一度二人の視線が絡み合う。

「相変わらず不器用なハツカネズミだ・・お前は」

そう言って、カガリは笑った。

それはアスランが見たくて堪らなかった、カガリの可愛らしい笑顔だった。
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