ザ・・ザ・・と潮騒の音が聞こえる。
夜なのに暖かく湿気の多い気候はプラントとはえらく異なり、潮の香りと相まって、訪れた者にここが南国なのだと五感で感じさせる。
満天の南の星空の下、オノゴロにほど近い島で、ザフトは野営をしていた。

「いよいよ・・明日ですね」

陣営から離れ一人真っ暗な海を見ていたアスランだったが、不意に背後から優しい声を掛けられた。

「夜の海っていうのもまた味があって素敵ですね」

「二コル・・」

「夜の散歩ですか、アスラン」

緑色の髪をした少年はアスランの隣まで歩いてくると、気持ちよさそうに目を細めた。
潮を含んだ海風がさあっと二人の少年の髪を撫でる。

「こんな綺麗な場所、できるだけ壊したくはないけど・・やるしかないんですよね」

しばらく無言で夜の海を眺めていた二人だったが、二コルがポツリと言った。

「・・・」

二コルの言葉にアスランは何も答えなかったが、二コルは視線を海からアスランへ向けた。

「アスラン、よく決断しましたね」



アスランがザフト軍のオノゴロ攻撃を決めたのは、ちょうど一週間前だった。
またそれはカガリの目覚める二日前でもあった。

オーブに防戦のみしか許されない状況に苛立ちを募らせていたザフト軍は、その命に湧き上がりすぐにオノゴロ攻撃の隊を編成し出立した。
もちろん総司令官はプラントの皇子であるアスランだ。
ザフト軍は順調にオノゴロに向かい、今日の夕方オノゴロに程近い海辺にたどり着き、そこで野営をすることになった。
ここで一晩を明かし、明朝、ついにオノゴロに進撃する。


アスランは二コルに気付かれないように、ぎゅっと拳を握った。


自分の激情から守るために、アスランはカガリを手放すことに決めた。
愛しているのに、大切にしたいと思っているのに、感情を暴発させカガリの羽を裂いてしまった自分が恐ろしかった。
このままでは、きっといつかカガリを壊してしまう。
カガリのいない世界。
アスランにとって、それは死と同じだった。

だから心臓がえぐり出されるくらい辛くても、カガリをオーブに返すことに決めた。


カガリには笑っていて欲しい。
たとえそれが自分の傍ではなくともと。


それに実際、もう潮時だったのだ。
二人の嘘と憎しみにまみれた北の塔での生活は。
アスランもカガリも精神的にボロボロだったし、アスランは軍に私情を持ち込むという指導者としてあるまじきことを行ってしまった。
自分のカガリを放したくないという我儘のせいで。
カガリを傷つけて、周りを巻き込んで、それなのに何も得られない。


アスランはオノゴロ攻撃を発表したときの、ザフトの湧き立ち様を思い出す。
赤服や緑服に関わらず皆、やる気に満ち溢れた顔をして喜んでいた。
皆ずっとオノゴロ攻撃をして戦争を終わらせることを望んでいたのだ。
自分に従ってくれる兵たちの想いを、私情の為に裏切っていたのだと思うと、胸が押しつぶされたように痛くなる。


俺が・・俺がカガリを諦めれば、全てが上手くいくんだ。


オノゴロを攻撃すれば、カガリはアスランを憎むだろう。
けれどアスランはオノゴロの軍本部意外を攻撃する気はなかった。
カガリが戻るであろう行政府やアスハ邸には手を出さない。
軍本部が焼かれれば、オーブは降伏するだろし、無理やりにでも圧力をかけてそうさせてやる。


どんなにカガリに憎まれても、カガリが生きていてくれれば、それでいい。
この南の空の下で・・。








二コルと別れ、アスランは自分の天幕に戻った。
夜も大分更けていたがそのまま眠る気にもなれず、松明のそばで武器を磨いていた。
明日になればオノゴロを焼くのだと思うと、心がざわめいて銀の刃を磨く手も鈍ってしまう。

心を決めたはずなのに。

オノゴロを攻撃することも、カガリを手放すことも、アスランは受け入れたはずだった。
それなのに、頭に浮かんでくるのはカガリのことばかりで。
カガリはもうオーブに無事に着いたのだろうか。
カガリをオーブに返したことで、カガリは少しでも俺に感謝してくれるだろうか。
そんな情けないことまで考えてしまう自分はなんて女々しいんだろうと自嘲して、ふと顔を上げると寝具の傍にハイビスカスの花が活けてあった。
ぼんやりしていて天幕のなかをあまり見ていなかったし、潮の香りのせいで花が放つ甘い香りに気が付かなかった。
おそらく二コルあたりが飾ってくれたのだろう。



<アスランにプレゼントがあるんだ!>

二人が初めて会ったとき、カガリはこの花をアスランにプレゼントしてくれた。
始めて見るハイビスカスは綺麗だったけれど、それよりも花を差し出すカガリの笑顔に視線を奪われた。

あのときから・・俺は・・

「カガリ・・」

幸せだった子供時代。
不安なことも、怖いこともなくて、ただずっと一緒にいられた。
いや、子供のときだけじゃない、オーブでクーデターが起こるまでは、ずっとそうだった。

それなのに・・

「カガリ・・」

何でこんなことになってしまったのだろう。
壊さずに、傷つけずに、もっと上手い立ち回り方があったのだろうか。
それも今となっては分からない。
分かるのは、もう何もかもが遅いということだ。
もうここまで来てしまった。後には引けない。時間は戻らないのだから。
アスランは剣を磨く手に力を込めた。



いつもより時間がかかったものの、アスランは剣を磨き上げ、それを鞘に納めようとしたときだった。

松明の炎がゆらりと揺れた。
外から風が入ってきたのだ。
アスランは素早く目線を天幕の入り口に向けた。

こんな時間に、誰だ?
二コルか・・イザークか?



しかし、アスランの目線の先にいたのは予想もしない人物だった。


天幕を持ちあげ、外からこちらを見つめているのは、金髪の白い羽の少女だった。
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