鎖
アスランは眠るカガリを静かに見つめていた。
その翡翠色の瞳は穏やかだったけれど、切なさと諦めのようなものが入り混じった寂しそうな目だった。
カガリの診察は終わり、病室にいるのは二人だけだ。
黄昏時のオレンジ色の陽光がアスランとカガリを照らしている。
カガリの熱はまだ下がらないけれど、数日前に比べたら大分良くなったようで、寝息も寝顔も規則正しく穏やかだった。
医師の言うとおり、あと三日もすれば目覚めるだろう。
「カガリ・・」
カガリが意識を失ったのは、ほんの一週間前なのに、もう随分カガリの琥珀色の瞳も見ていない気がする。
今まではずっと隣で見てきた大好きな色。
早くその瞳が見たかった。
「カガリ・・」
そして低めのアルトの声が聞きたい。
どんな歌姫よりも、何よりも自分にとって心地いい声だから。
だけど・・
アスランはぎゅっと膝に置いた拳を握りしめた。
「さよならだ・・カガリ・・」
カガリの縫合の手術が上手くいったときいて、号泣した自分はしばらく動けなかったけれど、そのあとすぐにカガリの元へ向かった。
白いベッドに寝かされたカガリは高熱で苦しそうに呼吸をしていたが、裂けた羽が無事に縫合されていることにアスランは心の底から安堵した。
ハウメア信仰のあるオーブとは違って、プラントで宗教を信仰するものは少なく、アスランも無神論者だが、このときばかりは神に感謝した。
よかった・・よかった・・
カガリの白い羽が失われないことが嬉しくて、カガリの病室でもアスランは涙した。
だけど・・
喜びのあとに襲ってきたものは、激しい自己嫌悪だった。
カガリの羽をこんな風にしたのは紛れもない自分なのだ。
羽を裂いたときのことは自分でもよく覚えていない。
何かに憑かれたように、無心でその羽を裂いた。
いくら激情に支配されていたとはいえ・・・
アスランは次第に自らを恐怖に感じるようになった。
俺は、カガリを愛している。
自らの臆病さのせいで歪んでしまった二人の関係だったが、誰よりも、何よりもカガリを愛していると声を出して言える。
だけど、その想いは時に形を変える。
嫉妬に狂い、激情にかられて…
自分で自分がコントロールできなくなる。
そうなったら…
俺は・・カガリを殺してしまうかもしれない・・
その恐ろしさは高熱で苦しむカガリを見ていると、尚更膨れ上がった。
今はこんなにカガリの無事に安堵している自分だけど、再び激情にかられることがあったら、自分はまた今回のようなことを繰り返すのではないか。
そしてその時は、カガリを・・
近いのか遠いのか分からない未来を想像して、アスランの身体がぞわりと震えた。
「カガリ・・」
換気の為に少し開けた窓から、わずかに冷気を含んだ風が入ってきて、オレンジ色に染まったカガリの髪を撫でた。
カガリは夕方の少し冷たいプラントの風が好きだった。
風邪をひいてしまうからとアスランが言っても、なかなか城のなかに入ろうとせずに気持ちよさそうに風に当たっていた。
最初の頃アスランは何とかして彼女を部屋のなかにいれようとしたけれど、途中からあまりうるさく注意するのをやめた。
風にあたる彼女があまりにも気持ちよさそうで、そして綺麗だったから。
北に位置するプラントの気候や天候の為に、黒い蝶はあまり外にでることを好まない。
それなのに、カガリはごく当たり前に自然に溶け込んで。
オレンジ色に染まった金髪を風になびかせて笑うカガリはとても美しかった。
「カガリ・・」
そう、俺は君に笑っていて欲しいんだ・・・
毎日病室で少しずつ回復していくカガリの、その吐息に、体温に愛しさが溢れる。
これを壊してしまうなんて、考えるだけで立ってさえいられなくなる。
だから…
君が目を醒ます前に、さよならだ。
アスランは手を伸ばし、風でわずかに乱れた金髪を優しく梳いた。
そして、愛しい少女の顔を覗き込む。
記憶に、心、に刻みつけようとするかのように。
「帰してあげるよ・・カガリ」
白い蝶を見つめる愛しさの籠った翡翠色の瞳から、すうっと透明の雫が流れて、夕日に反射しカガリの頬に落ちた。
さよならなのだ。
大切で愛おしいカガリと過ごした子供時代とは。
もう二度とあんな穏やかで幸せな日々は訪れないのだ。
カガリは自分を憎み、自分はカガリを殺してしまうかもしれない。
いや、既にもう殺しかけたのだ。
自分たちの関係は歪んで、恐らくその歪みはこれからますます大きくなる。
そしてそうなったら、自分は・・きっと。
だから・・そうなってしまう前に…
「オーブに、帰してあげるよ・・」
窓から差し込む斜陽で出来た濃く長いアスランの影が揺れた。