鎖
シンの心中とは裏腹に、カガリはシンと同室ということを全く気にしてはいなかった。
以前は自分につっかかってくるシンに苦手意識があったが、これまでの道中ずっと一緒にいたのですっかり打ち解け、今では生意弟で可愛い弟のように思える。
「明日も早いから、もう寝よう」
二人とも入浴を終えると、シンがそう言って椅子に寝っころがった。
「お前、そこで寝るのか?」
「だって、同じベッドはやっぱりまずいだろ・・色々と。俺は椅子でも寝れるから、あんたはベッドで寝なよ。じゃあ、おやすみ」
狭い椅子に身を縮こませ、寝の大勢に入ったシンに思わず声をあげた。
「駄目だ!そんなの!!」
「カガリ?!」
「ただでさえお前の世話になりっぱなしなのに、私一人ベッドで寝れるかよ!!私が椅子で寝るから、お前こっちで寝ろよ!!」
「あんたを椅子で寝かせられるかよ!俺は軍人だし雑魚寝は慣れてるから椅子でいいんだよ!」
「駄目だ!!昨日からお前ほとんど寝てないの、私は知ってるんだからな!お前が椅子で寝るんなら、私は床で寝るからな!」
シンは慌てて身体を起こし、ベッドから飛び降りて本当に床で寝っころがろうとするカガリの腕を掴んだ。
「あんた馬鹿じゃないの?!いいから大人しくベッドで寝とけよ」
「嫌だ!!お前が寝ろよ!」
「分かったよ・・」
頑ななカガリの態度に、シンは諦めたようにため息をついた。
カガリはいつも真っ直ぐで、一度言い出したら聞かない性格だというのを、この短い道中でもよく分かっていた。
ここは自分が折れるしかないのだろう。
だけど・・
シンの了承に満足そうに微笑むカガリの瞳を覗き込んだ。
「だからといってアンタを床とか椅子で寝かせる訳にはいかないからな。」
月の光だけが差し込む狭い部屋で、二人は互いに背を向けた姿勢で、同じベッドのなかにいた。
カガリはもちろん、シンもしなやかな少年の身体をしていたから、一つのベッドでも充分二人で入ることができた。
それでも身じろぎをすると、互いの身体に触れてしまうし、そうでなくとも同じベッドにいるから互いの熱も何となく伝わってくる。
シンのことは弟のように思っていて、異性としては全く意識していなかった。
それはきっとシンも同じ事。
だから同じベッドでも何ら問題はないはずだった。
それなのにカガリはなかなか寝付くことができないでいた。
夜の闇のなか、シンの息遣いや僅かに触れる彼の身体の感触。
それは明らかに女性である自分とは違うもので、カガリの身体の奥にある記憶を呼び起こすものだったからだ。
『カガリ・・』
掠れた声で囁かれる自分の名前。
耳元で囁かれるその声を思い出したとき、ぞくりと全身が総毛だった。
アスラン・・
その声の持ち主を頭のなかで呟くと、カガリはきゅっとシーツを握った。
それは自分の自由と尊厳を奪った人。
そして彼に抱かれた数えきれない夜のこと。
駄目だ・・思い出したくない!
カガリがそう思えば思うほど、それらの記憶は鮮明に蘇ってくる。
熱のこもった翡翠色の瞳。
熱い吐息。
首筋を這うぬめった舌。
自分をきつく抱きしめる逞しい腕。
覆いかぶさってくるときの、身体の重み。
彼に抱かれた数多の夜の記憶は、それらの感覚を伴ってカガリを捕らえて離さない。
まるで彼の荒い息遣いが耳元で聞こえてくるようだった。
『は・・あっ・・カガリ・・!』
「だ・・め・・」
どうして…こんなはずじゃなかった。
カガリは身体を強張らせて、それらの記憶から逃げようとする。
だけどどんなにカガリが忘れたいと、思い出したくないと望んでも、アスランに抱かれ続けたその身体はしっかりと彼を覚えていて、その熱い呪縛から逃れることはできない。
そう、いつだって逃れることなんてできないのだ。
熱い塊に貫かれて、揺さぶられて、自分にはどうすることもできなくて・・最後は。
『受け止めるんだ・・俺をっ・・!』
「い・・やあっ・・!」
「カガリっ?!」
カガリの悲鳴に、背中を向けて寝ていたシンが飛び起きた。
「どうしたんだ?カガリ!!」
「あ・・ああ・・」
「カガリ・・一体・・」
背を向けて自分を抱きしめ震えているカガリの肩を掴み、ゆっくりとこっちに向かせたシンだったが、その顔を見た瞬間身体が震えた。
見たことのない、切なげな表情をしたカガリだった。
頬は紅く火照り、金色の瞳は涙でうるみ、濡れたつややかな唇から出る息は熱かった。
「カガ・・リ」
「何で・・いやだ・・どうして・・」
切なげに眉を寄せるカガリに、どくんどくんと自分の身体が脈打ち熱を持つのをシンは感じた。
もう何も考えずに理性なんて捨てて、この白い蝶をどんな方法でもいいから自分のものにしてしまいたい。
苦しそうに身悶えするカガリの放つ色香は、男の性を揺さぶるには充分すぎた。
今なら、今なら簡単に俺のものにできる・・!
目に涙を溜めて小刻みに震える白い蝶に、シンはゆっくりと手を伸ばした。
すぐ傍にいる少女が欲しくて欲しくてどうしようもなかった。
そんな欲望に突き動かされた手が、カガリの頬に触れようとした瞬間、シンはハッとその手を引っ込めた。
俺はいったい、何を・・
自分のなかに渦巻く欲望が信じられなかった。
カガリを無理やり自分のものにしようとするなんて・・
シンは自分のしようとしたことに呆然としたまま、目線をカガリに戻した。
カガリは今しがた自分の身に危険が迫ったことなど気がつきもせずに、まだカタカタと震えている。
その姿に再び煽られて、思わずまた手を伸ばしそうになるが、寸でのところで踏みとどまった。
俺は・・俺は兄上とは違う・・!!
カガリの気持ちを無視して、無理やり手にいれるなんて、絶対にしない。
自らにそう言い聞かせ、ぐっと身体に力を込めて、衝動の波をやり過ごす。
「カガリ・・大丈夫か?具合悪いのか」
しばらく奥歯を噛み締め身を固くしていると、体内の熱も大分収まり、シンはやっと平常通りカガリに声を掛けることができた。
「大丈夫だ・・すまなかった」
そのころにはカガリも幾分落ち着いたようだった。
「どうしたっていうんだよ、一体・・」
「いや・・」
二人の間に何ともいえない空気が流れる。
そんな空間を打ち破ったのは、ドアを叩く乾いた音だった。