鎖
「本当に良かったのか」
ガタガタと小道を走る馬車のなか、カガリは困惑の滲んだ視線を隣の少年に投げかけた。
黒い髪の少年は憮然とした表情をで、金色の瞳を受け止める。
結局フレイの反対を押し切り、カガリの戸惑いを無視し、本当にシンはカガリについてきてしまった。
シンの身体能力はアスランに次ぐものだとザフトでは言われているし、女の一人旅は危険なので、同行してくれることは助かるのだが。
シンとカガリがそろって城からいなくなったことが発覚するのは時間の問題だった。
カガリ逃亡に関わっていることがばれれば、シンはカガリ逃亡に手引きをした罪人になってしまう。
「俺の両親は事故で死んだし、俺が罪人になって困る人はいないんだよ。まあ、捕まってやるつもりもないけどね」
「シン・・」
「それに、プラントで生活できないなら、オーブで暮らしてもいいんだし」
戦前はオーブもプラントも、互いに羽の色の違うもの同士を受け入れていたから、それは別に不可能なことではない。
シンは何回が訪問したことのあるオーブの温暖な気候や鮮やかな色彩が好きだったから、オーブに移住することにそう抵抗はなかった。
プラントでお尋ね者として生きるよりは、オーブで生きていく方がずっといい。
本当にそう思ってはいる。
けれど、シンの真意は別のところにあった。
ずっとついててやりたいのだ。この白い蝶に。
この逃亡劇の間だけではなく、これからもずっと。
だって、あんな表情、初めて見たから。
馬車の上から「ありがとう」と言われたとき、心が震えた。
カガリがあまりにも美しくて、こんな表情を、自分に向けてくれるのだと。
シンが知っているカガリの表情は、今まで怯えと戸惑いだけだった。
攻撃的な自分に怯える金の瞳は、アスランの前ではきらきらと楽しそうに輝いて、それに苛き、また傷つける。
その繰り返しだった。
本当は、もっと違う顔を見せてほしいのに。
無意識ではあるけれど、ずっとそう思ってきたシンは、先ほどのカガリの表情に胸を掴まれてしまったのだ。
一度そんな顔を見てしまったら、もっと知りたいと思ってしまう。
色んなカガリを見せて欲しいと思ってしまう。
それは恋する者なら誰でも持つ、当たり前の欲求だった。
たとえ当人にその自覚がないにしても。
「だけど・・」
シンの思惑を掴みきれず、カガリの蜜色の瞳が揺れる。
それを見て、シンが大げさにため息をついた。
「てか、アンタ一人でオーブまでって・・無理だろう。絶対捕まりそうだもんな。そんなことになったら俺たちの努力も苦労も水の泡だし」
「何だと?!」
「アンタ一人じゃ何にもできないだろ。いつだってアスランに甘えて・・あっ!」
シンがしまったという風に言葉を切った。
いきり立つカガリに、つい口を滑らせてしまった。
アスラン。
それは二人が北の塔から出てきたときから、口にしていない名前だったのに。
カガリを閉じ込めた張本人であるアスランのことは、二人とも何度も頭のなかで思いを巡らせてはいたが、何となく言葉にするのは避けていたのだ。
それは二人にとって、複雑すぎる話題だったから。
しかし、シンは敢えてそこに触れることにした。
逃げることはできない、必ず向い合わなければならない話なのだから。
「今のアスランは、もうアンタの知ってるアスランじゃない」
「知ってるさ。アイツは変わってしまった」
本当に心の底からそう思っているというような、低い声だった。
カガリの俯いた顔からは影になって、その表情はよく見えない。
二人の間にしばらく沈黙が流れた。
「アスランは俺の従弟で…本当の兄上じゃないけど、俺はずっとアスランの背中を見て育ってきたんだ」
不意にシンがポツリと言った。
「何でもできる完璧な人間だって思われがちだけど、天然だし心配性だし口うるさいし・・そんなとこ、憎めなくて」
年下の俺が言うのもなんだけど、と軽く笑うシンをカガリはじっと金の瞳でじっと見据える。
「だからか分からないけど、俺はアスランに変なコンプレックスとかなかったんだ。嫉妬とか無しに純粋に尊敬してて、アスランをサポートできるいい部下になりたいって思ってた」
反抗的で生意気だと思われていたシンが、そんな風に考えていることがカガリには意外だった。
「そんな顔するなよ」
「すまない」
シンは苦笑いしながらカガリを見ていた。
どうやら顔に出ていたらしい。
まあいいけど、とシンはふっと軽く息を吐き出す。
そうして視線を正面に戻すと、表情が鋭いものに変化した。
「だけど今は、アスランを超えたいって・・負かしたいって思う」
はっきりとした、意思のこもった声だった。
「今のアスランは・・俺が兄上って呼んで尊敬してたアスランじゃない。アイツは政治に関わるようになって変わった。悪いほうに」
思い出されるのは、閣議場前でのやり取り。
カガリのことを問い詰める自分に、冷たい態度をとったアスラン。
あの時点でアスランは、自分とカガリをどうでもいいことだと見捨てていたのだ。
「だから俺はもう、アイツには従わない。許せないよ、アンタにあんなことして!!」
そう言ってシンは、ぎゅっと拳を握りしめた。
全身から怒りが湧き上がっていく。
「シン・・」
決意を胸に怒りに燃えるシンを、カガリはどこか冷静に見つめていた。
やはりアスランは変わってしまったのだと、改めて思いながら。
純粋でまっすぐな少年に、こんな決意をさせてしまうくらいに。
悪夢のようだった、この何か月間。
オーブに戻りたいという自分を、無理やり抱いて閉じ込めたアスラン。
オーブを、オノゴロを焼くと平然と言ったアスラン。
自分を愛人扱いして辱めたアスラン。
許せるはずがなかった。
「そうだな・・」
音量は小さいのに、憎しみが籠ったような声。
「カガリ・・」
感情の深さと声量が比例しがちなカガリの、そんな感情表現は珍しく、シンは驚いたように振り向いた。
だがカガリがシンの様子に気を留めることはなかった。
実際には気づかなかったのだ。
目の前の憎しみが深すぎて。
「昔のアスランはもういないんだ」
優しかったアスランは、大切な思い出とともに死んだのだ。
「アスランは・・」
今はもう、憎い敵だ。