鎖
「カガリ!」
室内に入ると、奥の寝室へと一直線に進んだ。
普段は深夜に部屋を訪れる自分が、陽が沈んだばかりのこの時間に現れたことに、きっとカガリは驚いているだろう。
それに自分は今オノゴロ遠征に出立したことになっているのだ。
自分の撒いた種とはいえ、一週間もカガリに会いにいけなくて、もう心が身体が狂おしいまでにカガリを求めている。
アスランの来訪に動揺しながらも、きっと拒絶するように背を向けているカガリを、そのまま抱きしめて「愛している」と伝えたい。
こじれてしまった関係を一つずつ解きほぐしていきたい。
「カガリっ・・!」
溢れ出る熱情のまま、カガリを一心に求めて、アスランは寝室の扉を開けた。
扉が隔てているのは物理的な距離や、空間だけでなく、間違ってしまった自分たちの心また、扉によって固く閉ざされていたように思えた。
だから、この扉を開いてカガリと向き合うことができれば、二人の間の亀裂も溝も、これから少しずつ埋めていけるかもしれない。
そんな考えは都合がいいと自覚しながらも、アスランは未来へと続く扉を開いたのだが。
「え・・」
そこに求めてやまない白い蝶の姿はなかった。
「カガリ・・?」
アスランは一瞬呆然として、次いでゆっくりと寝室内を見回すが、装飾された寝室は無機質な空気で満たされていた。
「バスルームか・・?」
カガリを閉じ込めた部屋は更になかで二部屋に分かれている。
一つは入り口の扉を開けてすぐの居間と、もう一つはこの寝室だから、この二部屋にいないのなら残りはバスルームしかない。
アスランはすぐに寝室に隣接された大理石でできたバスルームのドアを開け中を確かめるが、そこにもカガリの姿はなかった。
「どういう・・・こと・・だ・・?」
頭の中が混乱していた。
どうして・・?
どうしてカガリがいないんだ・・?
「まさか・・」
可能性は一つしかない。
最悪のシナリオが浮かんだ。
(ここから逃げた?)
メイドやアスランの隙をついて、カガリは何度もここから逃げようとした。
でもすぐにアスランや衛兵に捕まって、その試みは全て失敗した。
完全に閉ざされたこの部屋から逃げることなど、不可能なはずなのに。
「カガリはっ・・カガリはどうした?!」
「カ・・カガリ様に何か?」
アスランはすぐに部屋の外に飛び出し、扉の前の衛兵に掴みかかるような勢いで問うた。
その恐ろしい剣幕に衛兵たちはたじろぎつつも、問われている内容がよく把握できないようだった。
「部屋はもぬけの殻だぞ?!お前たちは何をしていた?!」
「えっ・・!カガリ様が?!そんな筈はありませんっ。私たちはずっとここで見張りをしておりましたっ!」
カガリが部屋にいないという事実に衛兵たちも激しく動揺し、焦ったように答える。
「じゃあ何故カガリがここにいないんだ?!」
「そんな・・!怪しい者は誰も・・部屋に通したのだってメイドと呉服屋だけでっ・・」
「呉服屋?!」
「あ・・はい・・皇子のご命令でカガリ様の採寸にと」
呉服屋に反応したアスランを、衛兵たちは訝しんだいるようだった。
彼らからしてみれば、呉服屋を呼び出したのはアスラン本人なのだから、アスランが今どんなに計りきれない衝撃を受けているかなんて、分かるはずもなかった。
アスランは翡翠色の瞳を見開いてしばらく動きを止めていたが、やがて握りしめた拳が震えだす。
「俺はそんな命令・・していない・・」
喉から絞り出すような低い声。
アスランのただならぬ様子に衛兵たちの顔に怯えが浮かぶ。
「ですがちゃんと王家直属の呉服屋の紋章を持って・・」
「そんなものは・・いくらでも偽造できる」
衛兵たちは自分たちの犯した失態と、目の前の青年への恐怖に固まるが、アスランはそんなものには全く目もくれなかった。
腹の底から激しい怒りが這いずりあがり、つい先ほどまで胸を満たしていた淡い希望を真っ黒に塗りつぶしていく。
カガリに、裏切られた。
体中に蠢く怒りのなかで、最初に思ったのはそれだった。
やっと勇気を出して自分に正直になろうとしたのに、カガリをそんな自分の想いを踏みにじったのだ。
「よくも・・・」
よくもよくも、俺を・・・!
開けた未来を少しでも期待してしまったからこそ、その反動は凄まじかった。
「許さない・・」
怒りと憎しみが黒い焔となって、アスランの心と体を焼いていく。
「カガリ・・絶対に・・許さない・・」
先ほどの淡く暖かいカガリへの想いはすでになく、緑色の瞳に映るのは、どす黒い憎悪の焔だった。
*