鎖
その日は朝から雨が降っていた。
闇空から留まることなく大粒の雫がプラントの大地に降り注ぐ。
その様子をアスランは私室の窓からぼんやりと眺めていた。
「すごい雨だな・・」
デビュタントボールから一週間。
アスランは社交界デビューを果たすのと同時に、本格的に政治にかかわることになっていた。
既に今までも片隅で政治にかかわってはいたし、帝王学も完璧なアスランだったのだが、やはり半人前の身では国の重要機密などは教えてはもらえていなかったのだ。
しかし来週の議会からは副議長として父の隣に座ることが決まっている。
その為に最近の国益に関する書類に目を通していたのだが、こう雨の音が煩いと集中できない。
(カガリのところに行こうか)
嫌な天気でどんよりした心も、カガリに会うとすぐに晴れる。
きっと彼女は今頃家庭教師に出された宿題と格闘しているだろう。
その姿が簡単に想像できて自然とアスランの口が緩んだ。
あの日、舞踏会を抜け出した二人がそっと会場に戻ると、自分たちが抜け出したことに気付いた友人たちにしつこく絡まれた。
秘密のデートだのなんだの言われ、カガリは顔を真っ赤にして怒ったが、アスランが否定もせず「さあな」と言うとますます顔を赤くした。
次の日まだ怒っていた彼女をなだめすかして、プラントには珍しいカガリの大好きなハイビスカスをプレゼントしてやっと機嫌を直してもらった。
赤い華やかな花を持って嬉しそうに笑う彼女に、本当は怒った顔も可愛いかったと、つい口に出そうになった言葉を飲み込んで・・。
「カガリ・・」
甘いお菓子をお土産に、彼女の部屋に行こうとしたときだった。
「王子、失礼いたします。レイです。」
「レイ?」
今日の午後は特にレイが自分に会いに来る予定や用事はないはずなのだが。
アスランは疑問に思いながらドアを開けた。
「王子、陛下がお呼びです。」
いつも冷静で無表情なレイには珍しく、声には余裕がなく、その顔には焦燥が浮かんでいた。
「父上が・・」
いつもと違うレイの様子、滅多にない父からの呼び出し。
以前父から呼び出されたときの、その話の内容は。
アスランは自らの心臓がどくどくと激しく打つのを感じた。
「ウズミ王が暗殺された」
パトリックは開口一番、そう言った。
その言葉の衝撃にアスランは何も反応することができなかった。
ただ、耳障りな雨音が意識の端で聞こえるだけだった。
「ついさっきオーブのプラント大使館から連絡が入った」
(父上は、一体何を・・言っているのだろう
ウズミ様が・・カガリの父上が・・暗殺だなんて・・)
固まったまま動かないアスランにパトリックは言葉を重ねる。
「心配していた通り、クーデターが起こったのだ」
――――オーブでクーデターを起こそうという計画が
デビュタントボールの前日、パトリックから聞かされた言葉が蘇る。
「そんな・・」
やっと喉から出た言葉は掠れて震えていた。
「首謀者はオーブ5代首長家のひとつ、セイラン家だ」
セイラン家。
アスハ家に次ぐ首長家として、ウズミ王のすぐ傍でオーブの政務を行っている一族。
固有名詞は頭で咀嚼できる。
けれど未だに事実を受け入れることを、頭が意識が心が拒絶する。
「そんな・・嘘です・・オーブでクーデターなど・・ウズミ様が・・」
「事実だ。今日の夜にはプラント中に知れ渡るだろう」
パトリックの低く重い声がアスランに残酷な事実を突きつける。
「カガリには・・まだ・・」
ようやくパトリックの言葉を飲み込み、思考が少し回るようになって、最初に浮かんできたのは愛しい白い蝶の姫のこと。
カガリに、話すわけにはいかない。
だってカガリがこのことを知ったら・・・
(どうなる・・・?どうなるんだ?)
「それは不可能だ」
しかしアスランの縋るような願いは、パトリックにあっさり切り捨てられた。
「オーブは我が国に戦線布告をしてきた」
「なっ・・」
閃光が走った。
部屋が白く染まり、次いで地を割るような轟音が響いた。
天候はどんどん悪くなり、雷雨になったようだ。
「クーデターを起こすような連中に話し合いなどできん。そして責め入れられる以上、プラントも防戦しなければならない。オーブとプラントは戦争になる」
デスクに座り肘を立て、パトリックは淡々と言葉を紡ぐ。
「それなのに、カガリ姫に黙っているわけにはいくまい」
「父・・上」
父上の言っていることは正しい。
その通りだと思う。
(だけど、だけど、カガリには…)
知らせてはダメだ。
「アスラン、プラントの王子として、お前がオーブの姫にこのことを告げるのだ」
アスランは自分が死刑を宣告された罪人のような気がした。