鎖
一流のオーケストラが奏でるワルツに乗って優雅に舞う美しい少年。
その翡翠色の瞳は、自らの腕のなかにいる少女しか映していなかった。
デビュタントボールの当日は本番になるまで、パートナー同士が顔を合わせることはない。
だからその日アスランが最初にカガリの姿を見たのは、ホールの中央でカガリの手を取ったときだった。
若草色のドレスを身に纏い、銀色のティアラをきらめく金髪にのせたカガリは驚くほど美しくて。
その瞬間、自分たちを見守る観客たちも、他の参加者たちも見えなくなった。
分かるのは、腕の中の少女と優美な調べだけ。
夢心地とは、今みたいなことを言うのだろうか。
腕の中の少女は美しすぎて、本当に現実に存在しているのだろうか。
こんな幸せなこと、あってもいいのだろうか。
でも、醒めないのなら、夢でもいい。
ずっとこの白い蝶の姫を腕に抱いて踊っていられるのなら、夢でも構わない。
アスランはただただ目の前の少女に酔った。
それでも、この夢が終わる時間は決まっている。
華やかで繊細な旋律はやがてホールの高い天井へと消えていく。
デビュタントボールの曲が終わったのだ。
盛大な拍手が社交界デビューを果たした参加者たちに送られる。
それをどこか遠くで聞きながら、ほっと安心したようにカガリが若干身体の力を抜くのを感じて、アスランはようやく夢から醒めた。
それでも、愛しい少女は腕のなかにいた。
「カガリ、緊張した?」
「いや・・必死でそれどころじゃなかった」
疲れたような表情をしたカガリだが、その顔には安堵の色が出ていて、アスランは柔らかく微笑む。
「ずっとカガリの心配の種だったもんな」
ダンスが踊れないと悩んでいたカガリ。
一生懸命、練習するカガリはひたむきでとても可愛かった。
けど、そんなのはずっと前のことのように思える。
「今日は完璧だったよ。練習した甲斐があったな」
カガリは少し照れたように困った顔をして俯いた。
そんな顔も可愛くて。
それに止まった状態で改めて見ると、今日のカガリは薄く化粧もしていて、息が止まるくらいに綺麗だった。
本当に、どうしたらいいのだろう。
二人がそのまま無言でいると二曲目の演奏が始まり、観客たちがざわざわとホールに入ってくる。
デビュタントボールは二曲目からは全員参加だ。
「さ、カガリもう一曲」
アスランがもう一度カガリをホールドしたときだった。
「あ、兄上・・」
「シン?」
自分たちの横に、弟のように可愛がっている従弟がいつのまにか立っていた。
何か用なのだろうか?
カガリとのダンスを邪魔され、アスランは少し不機嫌になる。
ふと視線の端にシンのデビュタントボールのパートナーだったルナマリアが楽しそうにハイネと踊っているのが映った。
「あの・・あのさあ・・」
いつもやんちゃな従弟だが、何故だかいつもと様子が違う。
物事をはっきり言うシンには珍しく、モゴモゴと口を動かし顔を紅くして、気まずそうに恥ずかしそうに視線を泳がしている。
「どうしたんだ?シン」
「いや・・あの・・あの・・ダンス・・」
「え?」
シンの口から出る音は言葉になっていない。
「悪いけど、話があるなら今度にしてくれるか」
自分になついてくれる従弟の相手もしてやりたいが、今は駄目だ。
「えっ」
慌てるシンをそのままにして、アスランはカガリを再度腕に抱き、音楽に合わせホールを軽やかに渡り始めた。