ウィークポイント





私の人生のなかで幸せな期間は、たった三年しかなかった。
その三年間も、あまりに幼すぎて自分自身全く覚えていない。
けれどきっと、その間は皆に愛されて大切にされ、温かな光のなかを生きていたのだろうと思う。
今とは全く逆の、負の感情など一切ない、自分が世界の中心だという無邪気な自信。
しかしそれらは、たった数年で奪われてしまった。
私に弟ができたのだ。
















もうすぐ深夜だというのに、いまだ多くの人で賑わう繁華街のなか、カガリは目立たぬように人混みに紛れていた。
その視線の先には、ゲームセンターのなかで一人、シューティングゲームに興じる少年がいた。

―――あれが、キラ・ヤマト。

カガリはごくりと唾を飲み込み、きゅっと身体を縮こめた。
こんなことをしようと思ったのは、生まれて始めてだった。
しかし、未知への恐怖よりも積年の恨みの方が勝っていて、ここで逃げ出すつもりはなかった。
どうやって機会を伺おうかと少年を観察していると、ゲームに満足したのか、少年が足元に置いた鞄を持ち上げ、ゲームセンターの外に出てきた。
まだ幼さの残る顔立ちは柔らかい栗色の髪と相まってまるで女の子のようだった。

―――アイツもあんな風に可愛げのある顔立ちだったら、まだ良かったのかもしれない。

そんな風に思いながら、カガリは慌てて少年の後を追った。
見失うわけにはいかない。

「なあっ、お前」

数十メートル先に進んだところで、意を決してカガリは少年に声をかけた。
振り向いた少年の紫色の瞳が持つ蠱惑的な妖しさに一瞬ぞわりと肌が泡立った。

「何ですか」

多少の警戒心を持ちながらも、少年は不思議そうに首をかしげる。
そのあどけない仕草に、失いかけたカガリの強気が蘇った。
この勢いのまま、少年を引きこむのだ。

「あの・・・っ、お前、私と遊ばないか?」










「それで、何の用ですか?」

ゆったりとしたソファに腰かけ、ルームサービスのコーヒーを飲みながら、落ち着いたところで少年は冷静に訪ねた。
その紫色の瞳に心の中を見透かされそうで、カガリは慌てながらも気色ばんで言った。

「ここでやることなんて、決まっているだろうっ!何だよ今更っ」

今二人がいるのはプラントで一、二を争う超高級ホテルのスイートルームの一室だった。
最上階ということもあり、ガラス張りになったリビングの大きな窓からはプラントの景色が見渡せる。
一泊の値段は一般的なプラント市民の月収とほぼ変わらず、それゆえ有名人がお忍びで利用することも多い。
少年はうっすらと薄い笑みを浮かべた。
カガリより三つも年下なのに、彼のほうがずっと余裕があるように見える。

「僕はいいですけど、お姉さん本当に大丈夫?」

「当たり前だろう、私から誘ったんだ!」

意気込むカガリの肩が小刻みに震えていることに、少年は気づかぬふりをした。

「ならいいですけど、目的を教えてもらえませんか」

「目的?」

「見も知らぬ男をいきなりこんなところに誘うなんて、きっとわけがあるんでしょう?」

「ちょっと遊びたくなって、たまたま目についたお前に声をかけただけだ。別に何か理由があったわけではない」

むきになったカガリが可笑しくて、キラはくすくす笑った。

「遊びでこんな高級ホテルにこれないですよ。お姉さん、一体何者なんですか?」

「わっ・・・、わたしはそんなっ・・・」

「言いたくないなら無理強いはしませんよ。お姉さんみたいな美人に遊んでもらえるなんて、滅多にないしね」

キラはゆっくりと立ち上がると、テーブルを回って向い合って座っていたカガリの隣に腰を下ろした。
もう一人分の重さが加わって、質のいい長ソファが僅かに沈む。

「あっ・・・」

「お姉さん、本当に綺麗。朝までいいんでしょ?色んなことしましょうね」

思わず後ろに引いたカガリの身体を、少年が引き寄せた。
ぐっと背中を押さえつけられ、逃げられない。
すぐそこにあるアメジストがゆっくりと近づいてくる。
覚悟を決めるように、カガリが思わず目をつぶったときだった。

「残念だが、朝までは無理だな」

思わぬ来訪者に、二人が声のした方へ顔を向けると、藍色の髪をした少年がリビングルームのドアの前に立っていた。




















「一体何をやってるんですか。本当に困った人ですね、姉上は」

「どっ、どうしてここが分かった?部屋の鍵は・・・っ」

「造作もないことです」

投げ捨てられた鋭い釘が有名ブランドの机の上に音をたてて落ち、表面に傷をつけた。
各国の要人も宿泊する高級ホテル、それもスイートルーのセキュリティーが、こんな原始的な方法で崩されるなど。
改めてカガリは彼の常識から逸脱した能力に寒気がした。

「やあアスラン、こんなところで会うなんて奇遇だね」

「白々しい嘘はつくな。最初からその人が俺の姉だと分かっていたんじゃないのか」

固まったカガリの隣で軽く片手を挙げたキラを、アスランは冷たく見下ろした。

「もしかして、とは思っていたけど、確証はなかったかな」

にへらと不敵に笑うキラを一瞥し、アスランはカガリへ視線を移した。

「キラなんて連れ込んで、今度は一体何を企んでいたんですか。こんな無駄遣いまでして」

「企みなどない!だがキラはもう私のものだ!これから朝までここにいるんぞ!お前はとっとと帰るんだな!」

ほとんどが虚勢だったが、見せつけるようにカガリはぎゅうっとキラを抱きしめた。
隙間なくくっついた二人の姿を見降ろすアスランの口の端が上がり、薄い唇が完璧な弧を描いた。
口は笑っているのに、その目は恐ろしく冷たい。

「今まで色々いたずらしてくれたみたいだけど、今度ばかりは許せませんね」

「ふん、お前がなんと言おうと、キラは私の・・・」

「僕は帰ったほうがよさそうだね」

「え・・・っ」

驚愕するカガリをよそに、キラはカガリの腕を解くと、すっくと立ち上がった。
ドアに向かうキラとすれ違いざま、アスランは低い声で言った。

「キラ、お前のことも殺してやりたいくらいだ」

「怖いな、アスランは。手を出してないのに、そこまで言う?」

「お前が何かしてたら、本当に殺してた」

「大変だね、お転婆なお姉ちゃんを持つと」

ふっと軽く笑い再び歩き出したキラだったが、ドアノブを掴むとくるりと振り返った。

「明日のホームルームで、物理の宿題見せてよね。それが貸しだから」
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