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Squalo novel

自分は戦いの中で死ぬのだと決めていた。それ以外の死は、俺にとって不名誉なことで、誇りを汚されるのと同意だ。ましてや、情けを掛けられて生き残るなどあってはならないし自害した方がまだマシだ。
強い奴と剣を交え、死ねるは本望。
それまで研鑽し、生き残るは使命。
それが、俺が自分に課したルールであり掟だ。

「スクアーロ、この前の任務の報告書出来たわよ」
「お"う、そこ置いといてくれぇ」

ガリガリと紙の上で黒文字を躍らせながら、彼女に言葉を返す。
だが、この女は違う。
この女は、俺が最悪の烙印を押す『死にたくない』という生き方をしてきた奴だ。偶然でも、他人を犠牲にしてでも、情けを掛けられてでも、彼女は『死にたくなくて』生きようとした(実際犠牲にしたかは定かではないが)。クソみたいな理由に、反吐が出ると罵ったこともあった。
それでも彼女は、

「少し休憩したら?珈琲でも淹れてこようか」
「…ああそうだなぁ…、悪ぃな」

血反吐を吐いて泣き喚きながらも、凛とそこに立っている。
理由がどうであれ、彼女は、柴野真守という女はここまで生き延びてきた。だがそれは戦いに怯え逃げたり敵に媚び諂い難を逃れたわけではなく、戦場で剣を、拳を揮って、だ。
そのために如何なる努力も惜しまず力と技術を磨いていた姿を、誰よりも傍で見ていた。
誰よりも、彼女に惹かれていた。
自分とは正反対の、胸糞悪い信念を貫く誇り高い姿に、どうしようもなく。
ペンを走らせる手を止めて、ぐっと伸びをする。
デスクに珈琲を置かれ、いい香りが鼻を擽った。視線を移せば、カップを持った真守が居る。

「あんまり根詰め過ぎると身体が持たないわよ」
「こんなので持たなくなってたんじゃ、とっくに死んでるぜぇ」
「それもそうね、失礼」

こいつとの仕事は、今日で最後だ。
数日後に、挙式を上げるためだ。
確か、相手は一般人だったか。仕事をしていた際に出会ったのだとか。実物を見たことがあるが、誠実そうな男だったのを覚えている。些かヒョロいところが気に入らないが、俺が脅しをかけても震えながらも怯まずに彼女の前に立ったのだ、本当に彼女を愛していることは伝わってきた。
珈琲に口をつけながら、雑談の様に彼女に言葉をかける。

「五日後、だったか」
「ええ。十代目や守護者の方々も出席してくださるみたいで、何だか落ち着かないわ。みんなも来てくれるんでしょう?」
「ああ、お前のくしゃくしゃになった顔を拝みになぁ」
「うわあ嫌な言い方。素直に晴れ姿と言いなさいよ」

むす、と彼女は唇を尖らせながらデスクに店を広げる書類の一枚を拾い上げ、文章に目を通す。
ちらりと視線を指に移せば、薬指に光るリングがあった。こんなにも微笑ましくも憎らしく思ったことはない。
ああ、俺の前でそんなものをつけないでくれ。お前が誰かのものになってしまった証なんて見たくない。
内側で必死にそう叫んでも、彼女にそれを悟られたり気付かれてはいけないと抑え込む。

「(俺とこいつは、最初から最後まで上司と部下だったんだ。それ以上の関係をここで望んでも、もう手遅れだろうが)」

諦めるんだと理性が、諦め切れないと本音が激しくぶつかり合う。堂々巡りで、酷く辛い。世の中の恋人はこんなものを繰り返してるのか、感服するぜぇ。
真守はふと集中力を切らして書類から目を離し、部屋をぐるりと見渡す。何かを思い出すように数秒後黙り込んで、やがて名残惜しそうにぽつりと溢す。

「こんな血生臭い世界でも今日で最後って思うと、酷く寂しいわ」

それは俺も同じだ、という言葉を飲み込んで天邪鬼に薄ら笑いをする。

「まだ心残りでもあんのかぁ?」
「……、覚悟は決めたけど、やっぱり惜しくは思うわよ。ずっと、過ごしてきたんだから。気持ちまではすぐに離れられないわね」
「お前はもうこの世界から足を洗うんだ、いつまでもぐじぐじ悩んでんじゃねぇ」
「…そうね」

そう、この世界に足を踏み入れる事は二度とない。それは彼女のしてきたこと、繋がり、思い出もすべてここに置いていくことになる。彼女はそれを天秤にかけられ随分と苦しんだ。
会えなくなるのは嫌だと。離れたくないと散々思い悩んでいた。それでも俺は、ここから出るべきだと背を押した。それが、彼女の為だと思ったからだ。
それから覚悟を決めたのか、ここに残りたいというようなことは言わなくなった。前向きに、平和な日常生活を送る道を歩いている。

「(後ろを振り向くことはねぇ。お前はそのまま、進んでくれりゃいいんだ)」

話が切れ、どこか重く切ない空気が流れる。その時、空気を断つようにいいタイミングでノック音が聞こえた。当然のように真守が返事をすると、奇抜な髪型の幹部が顔を覗かせた。

「ああ此処に居たのね。シバちゃん、あなたに電話が来てるわよ、式についてって」
「ああ分かった。今行く」

何時もの癖なのか、彼女はコップをデスクに置いていく。
俺の顔を見て、小さく笑った。何時もの彼女らしく、でもどこか、寂しそうに。

「それじゃ、また当日に」

お"う、と短く答え今日で最後となる彼女の姿を見送る。彼女の足音はすぐに遠退き、やがて聞こえなくなった。
扉前で足を止めていたルッスーリアは、心配そうな声色で言う。

「…スクちゃん、本当に良かったの?」
「…何がだぁ」
「だってあなた、あの子の事」
「だから何だってんだぁ」

苛立って、思わず言葉が尖る。

「ここで俺が全部ぶちまけたところで何になる、何にもならねぇだろぉ。あいつが死ぬほど悩んで、悩み抜いて決めたことだ。口出しなんて出来るかよ」

どんなに想っても、後悔しても。
全ては決まってしまったのだ。
彼女には幸せになってほしいというのは、確かな本音だ。こんな世界で一生を終えるのではなく、ただの一人の女として平凡で平穏な日常の中で、家族に囲まれて日々を送ってほしいと確かに望んだ。
だがそれは、俺が隣に居ては成り立たない。
主人に仕え剣となり、戦いの中で生きて死ぬ。その生き方は変えられない。一般的な生活の中より遥かに死と近い場所で生きてる人間が、これから日の当たる場所で生きようとする奴の手を取るような真似をしてどうするというのか。もし仮に一緒になったとしても、先に死ぬのはどう考えても俺の方だ。そしたら残された彼女はどうする?後を追って死ぬような奴ではないにしても、いつ死別してもおかしくない奴が夫では迷惑なだけだ。
そんな奴よりかは、命の危険のリスクが少ない一般人と一緒になった方が彼女の為なのだ。
そう思う他に、想いを抑えつけれる合理的な理由はない。

「……、何だか優しくなっちゃったわね。らしくないじゃない」
「俺の何がわかって上でんな口利いてやがる」
「傲慢で、大雑把で真っ直ぐなのがあなたの良いところでしょ?あの子の事だって、他の人に取られるぐらいなら奪いそうなものなのに」
「何度も言わすんじゃねぇ。あいつは自分で道を決めたんだ、他人が横槍を入れるのは筋違いだろぉが」 

ましてや、結婚なんて余計にだ。あいつの今後の人生を大きく左右する決断に、俺の個人的な要求を通そうとするのはおかしな話だ。
頑なな俺に、ルッスーリアはひとつ溜め息をついた。

「……、それがあなたの決断なのね。それならもう何も言わないわ」
「何だそりゃあ、お前は俺のママンか」
「あら、わたしはヴァリアーのママンよ?頑固なお兄ちゃん」
「誰がお兄ちゃんだぁ!」
「でもね、」

声のトーンが、落ちる。サングラスの奥で隠れた視線が俺を刺す。

「そう思うなら、ちゃんと送り出してあげなさい。当日までそんな顔しないで頂戴ね」

そう忠告して、ルッスーリアは部屋から出ていった。
そんな顔、か。どんな顔してるって言うんだかなぁ。概ね、予想はつくが。
ふいと視線を珈琲に落とすと、ああ、と自嘲した。

「情けねぇことだけは、確かだなぁ」



式場

五日後。
式場は、それなりに豪華なものだった。白一色の壁とヴァージンロードを挟んで並ぶ深い緋色の席。吹き抜けのような高い天井に日が差し込んで室内に色を付ける巨大なステンドグラス。一般人が、ここまで立派な式を押さえることが出来るだろうか。いや、金銭的に一生かかっても出来ないだろう。
これはボンゴレが、というよりは沢田のガキが餞別として用意したチャペルだ。ボンゴレが所有し一般に開放している中で、最もランクの高い式場らしい。これからマフィアから足を洗うという奴に、マフィアが式を仕切ってるんじゃ何のために一般人とくっついたのか些か意味が迷子になるとこだが、まあ人生の門出だ、盛大にやるのもいいだろう。
しかし、

「(餞別、ねぇ…)」

きっとこれは、お祝いでありお別れ会だ。この式が終われば、その瞬間から彼女はマフィアではなくなる。柴野真守という人間は組織から除外され、彼女への繋がりもすべて消える。

「(もうこの時間しかない。覚悟を決めねぇとなぁ)」

ぐるりとチャペルを見渡した後、花嫁のいる控え室に足を運ぶ。
出席者はボンゴレのボスやその守護者、ヴァリアー幹部にそのボス、彼女と親しかった人物諸々と跳ね馬とその部下に限られた。この祝いの席に邪魔が入ってはならないと、式自体極秘に扱われているが、マフィア最大組織であるボンゴレファミリーの主要人物が集まってるとあっては一網打尽を狙ってくる輩もいるだろう。それを考慮して、何人か建物の回りと室内をスタッフの姿に扮して護衛はしている。スーツ姿の厳つい男たちがわらわらと居られては、式どころじゃないだろうからなあ。
控え室に足を運べば、山本や跳ね馬たちの声が外まで聞こえてくる。

「いやー、あのシバノが結婚とはな。ボンゴレも寂しくなるな」
「なんか発言が親戚のおじさんみたいですよ、Sig.ディーノ」
「そう言うなよボォス、好い人が出来たことは喜ぶべきことだろ」
「お、おじさんって言うなよ!俺はまだ三十二歳だ!」
「三十二歳はおじさん枠ですよ……、十五の俺からしたら」
「そうですねー、おじさん枠ですー」
「つーか、お前がボンゴレから離れるって意外だな。てっきり残るもんだと思ってたが」
「ちょっと!よしなさいなここでそんなこと」
「し、仕方ないでしょ、それが向こうからの条件だったんだから…。私だって、離れるの……ッつら、い………ッぅ…」
「んな?!お、おい何も泣くこと……」
「おい獄寺、この祝いの席で花嫁を泣かすんじゃない!」
「うーわ最低かよ、うししッ」
「最低だな」
「………ドカスが」
「デリカシーねーのなあ、獄寺は」
「うるせぇ!あ"ー、な、泣くんじゃねーよ!その、盛大に祝ってやっから泣き止めよ!」
「獄寺くん、ダメだよここでダイナマイトとか花火使うの」
「じゃあ挙式が終わったあとのパーティーで隠し芸よろしくね」
「お前!泣いてねぇじゃねぇか!」
「泣いたら化粧崩れちゃうでしょ。ダメね、騙されちゃうなんて。青い青い」

楽しげな声が、聞こえてくる。ノックをして中へ入れば、もう既に殆どが集まっていた。あの腰の重いザンザスもだ。こういう場には出たがらないと思ったが、ヴァリアーのトップとして顔は出してくれたようだ。大人になったなぁ。
俺の姿を見た跳ね馬が、お、と声をあげる。

「遅いぞ、スクアーロ。シバノがお待ちかねだ」

その集団の中、跳ね馬の言葉に反応して振り向く花嫁の姿があった。
その姿を見て、思わず固まる。

「スクアーロ」

とても、綺麗だった。
オフショルダーのAラインウェディングドレスに身を包み、普段よりも時間をかけた化粧が彼女の美しさをより際立たせていた。身体の傷もうまく隠されて目立たなくなっている。これ以上の美人は恐らくそうはいないだろう。断言できる。
多少フィルターが掛かってるかもしれないが、それでも目が奪われる。だがそれをここで素直に口に出すのは、(周りが居るからかもしれないが)躊躇われた。

「…はッ、馬子にも衣装ってかぁ?」
「刺されたいの?」

不機嫌になる彼女に冗談だと返す。

「手厳しいやつだなぁ、まあ上司だから当然か?」
「んもう、素直じゃないのね」
「うるせぇぞぉ!」

そんな調子で暫く雑談をしていると、披露宴の打ち合わせがあると連絡が入り、俺以外が控室からはけていく。控室には、俺と真守だけになった。賑やかだった空気が一変して、お互いに話題を探してどことなく気まずい空気になる。
改めて、彼女の姿を見る。
普段着とも隊服姿とも違う、純白の衣装を身につけた姿は無垢そのもののようだ。これが今まで任務で剣を振るい拳を振るって戦地を潜り抜けてきた人だと誰が思うのか。サテン生地のシンプルなロンググローブに覆われた指先が、落ち着かないというようにもぞもぞと動く。話題に困って、顔を傾けると髪と一緒にミディアムベールが彼女の顔を隠してしまう。
普段見慣れていたはずの一挙一動が何時になく新鮮で、ちくりと胸を痛める。
凝視しすぎたか、真守と視線が合うと訝しげに表情を固めた。

「な、なに?どこか変?」
「いや…」

誰も居ない控室で、異様に声が響く。
不安な顔をする彼女に見たままを、

「綺麗だぜぇ、真守」

素直に、本音を伝える。
そう言われ、少し驚いたように口を噤んでは、そう、と短く答えた。褒めるとすぐに言葉が出ずに返事が短くなるというのはやはり変わらない。
気恥ずかしいのか、目線を斜め下に落として言葉を返す。

「さっきは、馬子にも衣装だって言ってたのに」
「仕方ねぇだろぉ。何時もの調子で出ただけだ、本心じゃねぇ」
「……、それならいいけど」

ふ、と表情を和らげる。安心したのか、その後は会話が弾んだ。
ヴァリアーに入った頃の事、初めて俺たちにあった事、修行の事、リング戦のこと、慰安旅行の事。苦労も戦いも、今となってはいい思い出だと、笑って話す。さながら、同窓会で久し振りに言葉を交わしたように。本当に、話が尽きなかった。
そして話は当日の、この後の挙式の話になる。

「そういえばヴァージンロード、あなたが一緒に歩いてくれるのよね」
「ああ、柄でもねぇがなぁ。本来はボスのザンザスがやるんだが、やるわけねぇからな」
「確かに。逆にボスとヴァージンロードなんて緊張して歩けないかも」

すでに親のいない真守とヴァージンロードを歩くのは、長年付き合いのあった俺が務める事になった。正直、というか九割ぐらいはやりたくない役割だったが、ボスから『ぐずぐず言うな。やれ』と言われ渋々引き受けたのだ。部下の面倒は最後まで見ろってか。
足長いんだからちゃんと合わせてよ、ゆっくり歩いてねと色々注文をつけてくる彼女に、はいはいと適当に返すとちゃんと聞けと怒られた。 歩くぐらい確りやるから心配すんなと言えば、確りしてよと眉を寄せつつも納得する。こう言う場なんだ、緊張やら何やらで少しは大人しくなると思っていたが、何ら変わりはない。それが良いところでもあるんだがな。
やれやれと思っていると、彼女から言葉が飛んでこない。不思議に思っていると、不意と名前を呼ばれた。

「ねぇ、スクアーロ」

何だ、と聞き返す。
真守は言い淀むように伏せていた顔を上げて、
真っ直ぐ俺を見て、
こう問いかけた。

「…私、良い部下だった?」

一瞬、言葉を失った。
彼女は、無意味な質問はしない。多くは、その言葉のまま投げ掛けている。だがたまに、その質問の裏に別の意図を隠していることがある。それは堅物から情報を引き出すための話術、『仲裁役』として必要な技術なんだろう。
相手の大事なものを、引き出すための。
それに、例外はない。

「(ただ、)」

ただ、その問いは。
とても悲しいものだと思った。

「…ああ、良い部下だったぜぇ」

彼女の目が、少し寂しそうに揺らいだような気がした。だが瞬きのあとは揺らぎが消え、良かった、と柔らかく笑う。 
直後、丁寧なノック音がした。扉が開けば、スーツ姿のスタッフが立っている。
ああ、

「柴野様、そろそろお時間です」

式が、始まる。
彼女との時間が、もうすぐ終わる。



チャペル前

チャペルの扉前まで、歩いてきた。その間、会話はない。
ちらりと隣を見ると、ウェディングベールの下で、少し緊張した面持ちの彼女が居る。

「(腹を、決めるんだ)」

扉が開いて数十歩も歩けば、彼女はこの手から離れてしまう。そうなれば、もう二度と掴むことも触れることも出来ない。顔を見ることさえ、叶わなくなる。
ここまでくれば、もう諦めもつくと思っていた。これはそういう儀式なのだ、俺がこの道を歩くと言うことは俺が俺自身にケジメをつけるということだ。彼女に対しての思いと、その家族へ託すことに。
それなのに、未練がましいと思う。女々しいと思う。今の今でも、悪魔と天使が歪みあって思いを断ち切れないなんて。

ギギギ、とチャペルの扉が開いた。柄にもなく、心臓が大きく跳ねる。
中央の真っ赤な通路の両サイドには、ボンゴレのゲストたちと相手側の親族。
そして、その先には、タキシードに身を固めた夫の姿があった。柔和な笑みを浮かべているが、彼も緊張の色は隠せていない。
一歩、一歩。まるでカウントダウンのように真守と一緒に足を進める。もう、時間はない。
通路の中盤まで来て、足が、止まる。

「……スクアーロ」

ここで、新郎にバトンタッチすれば、俺の役目は終わる。そうすれば晴れて真守は一般市民として、望んでいた『平和』な日々を手に入れる。女として、幸せな人生を始められる。

「(だが、)」

ベールに包まれた、真守を見る。彼女も視線をあげて俺を見上げた。腕を解かない二人を見て、新郎が僅かに不思議そうな顔色になる。
ここしかない。ここで手を引いて立ち去れば、彼女は新郎の元へ行かなくても済む。十年以上一緒に居たんだ、こんな一年や二年ぐらいしか居なかったやつよりずっと良い筈だ。だから、
早く、彼女の腕を引け。
引け、
引け!!

「…おめでとう」

腕が、緩む。
目を細めて出した言葉は、恐らく彼女が期待していた言葉とは全く逆の言葉だ。
駄目だ。それだけは出来ない。
ここから先は、進んではならない。たとえどんなに彼女を想っていても、これから歩む未来に俺が居てはいけないんだ。
居られないのならせめて。
せめて、最後ぐらいちゃんと送り出してやらないとな。

「…おめでとう、真守。幸せになぁ」

そう伝えた瞬間、彼女の目がぐらりと揺らいで、
本当に、ほんの一瞬、
泣き出しそうな、顔をした。
固く口を結んで、開くときには、

「…ありがとう、スクアーロ」

柔らかな笑みを浮かべていた。
真守の手が、するりと離れる。新郎に手を取られ、神父の居る祭壇まで歩いていく。
彼女は、此方を見ない。
ああ、手が、もう。

「(もう、届かないんだな)」

神父が誓いの言葉を紡ぎ出した。それに新郎が答え、新婦が答える頃には。
俺は、



そっと、壁に寄りかかって賑やかな鐘の音と祝福の声を聞きながら、一人風に髪を遊ばせる。憎らしいほど清々しい青空で、雲一つない。出掛けるにしても挙式にしても最高の天気だ。

「やっと、終わったんだな」

ポツリと溢す言葉に、答える人は居ない。
荷が下りたようだった。酷く緊張する仕事を与えられたが、こなしてみればなんてことはなかったというような、そんな気さえする。
ただひとつ問題なのは、

「(お前に渡す筈だったこの想いを、どこに向ければいいんだろう)」

もう行き先はない。それを別の誰かに向ける他は。
その時、ひらりとドライフラワーが足元に落ちてきた。どうやら風に乗ってここまできたらしい。腰を屈め、ひとつ摘まむ。
真っ白なドライフラワーを見て、はっ、と笑った。

「宛てなんて、あるわけねぇよなあ」

この想いは、俺のものなんだ。
渡す相手がもう居なくても。
ずっと。

一群の風が吹いた。手のひらの花びらは軽々と舞い上げられ、

「…さよならだ、真守」


溢した言葉と一緒に、空に吸い込まれて見えなくなった。






(2017.11.27)
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