Squalo novel
仕事の合間、またはプライベートで使っているカフェ・バールがある。
人通りの多い道に構えているというより、隅っこでひっそりと経営しているようなこじんまりとしたバールだ。寂れているわけではないが、立地的にも人の目につきにくい場所にあり席数もそう多くはない。知る人のみぞ知る隠れ家、といったところか。店内も落ち着いた木造の内装、温かみのある照明にクラッシックが流れる空間……、リラックスできるとあって世辞抜きで重宝している。
それに、店のオーナーや従業員も雑談程こそはするが仕事や義手のことなんかを下手につついてこない。その辺の線引きができるこの店は矢張アタリだった。
今日も今日とて、仕事の休憩にと足を運んだ。
扉を開ければカラン、と質素なベルの音が鳴る。いつもと変わらない落ち着いたBGMと珈琲の香り、馴染みの店員が
「あ、ciao.いらっしゃいませ」
「………あ"?」
全く知らない女が、居た。
何時もの席で、何時ものメニューを頼む。その間、見知らぬ店員を目で追った。
「よぉ、いらっしゃい。何か気になるかい?」
「……あの店員、新人かぁ?」
「ああシバノのことか?最近入った子でね、今やうちの看板娘さ」
「そりゃ正解だな、熟練された美人もいいが新しく客を入れてぇなら新鮮な娘の方が効果的だ」
「うちの嫁はまだまだ現役だぞ?」
そいつは失礼、とオーナーと談笑してると件の新人がトレーに注文したものを乗せて近付いてきた。黒髪のボブヘアーに、茶色の目、凹凸の少ない顔立ち、アジア圏の人間か。アジアの人間はみんな同じような顔して見分けがつかねぇが……、シバノ…つったか、言葉の感じからして日本人か?
「お待たせしました、コーヒーとブルスケッタになります」
「シバノ、紹介しよう。こっちはうちの大事な収入げ……いや、大事な常連だ」
「う"ぉ"お"い、人を金に見立てるたぁ良いセンスしてるじゃねぇか」
「常連さん、ですか。えっと……、お初お目にかかります、シバノです」
「…スペルビ・スクアーロだ」
宜しくお願いします以後お見知りおきを、とクソ丁寧に自己紹介をして頭を下げる。大人しめな声だが、おどおどとした雰囲気はなく凛とした空気を感じる。しっかり者、というのが第一印象だ。
そういえば、とシバノがオーナーに顔を向ける。
「オーナー、注文幾つか入ってます。カウンターに戻った方がいいですよ」
「げ、そうなのかい?そういうことは早く言ってくれよ!」
それじゃあ仲良く頼むよと言葉を残してオーナーは仕事に戻る。トレーを持ってやれやれと一息つくシバノに声を掛ける。
「あんた、日本人か?」
「え?え、ええ…そうですが」
「日本から遙々イタリアによく来たなぁ、遠かっただろ」
「そうですね…、片道十二時間かかりましたね。流石に座り疲れてしまいました」
「あんたとここで出会えるたぁ俺も随分運が良いようだ。顔を見たら仕事の疲れもすっかり癒えたぜぇ」
「そ、うですか。お疲れがとれたなら幸いです」
誉められ慣れていないであろう彼女は、照れ臭そうに視線を泳がせながらも微笑んだ。ああこれは確かに構いたくなるのは分かるなぁ。
「バイト、だったか。ここに知り合いでもいたのか?」
「いえ、オーナーと父が知り合いなんです。なのでお願いして仕事させてもらってて」
へぇ、そりゃ初耳だな。日本人の知り合いがいるとは。
「おーいお姉さん、注文いいかい」
「あ、はーい!……それでは、ごゆっくり」
「お"う」
他の客に呼ばれ、シバノは一礼して去っていった。
日本人は大人しくて思慮深い、そして謙虚だと聞いている。そして何より、イタリアのお国柄に慣れず息するように出てくる口説き文句に慌てたり照れたりする姿が新鮮で可愛いと、イタリア男には好評だったりする。目で追ってみると矢張り色々質問攻めにあったり口説かれている。手を取られ、どうしようと困り顔でいるのがまた良いようで相手は微笑ましげだ。
決して容姿も目立つ様ではない。しかし、目を惹かれるのは日本人の娘、という真新しい刺激があるせいだろうか。
何にせよ、日本人らしい丁寧な対応と口説かれ慣れていない新鮮な反応に好感が持てるのは確かだ。
「気になるかい?スクアーロ」
「そうだなぁ、この店には勿体ねぇ看板娘だとは思うぐらいにはな。それよりもあんたは口より手を動かしたらどうだぁ?」
「あの子は競争率高いよ~?ああでもガードは堅いってさ。日本の女の子は色恋に慎重だって聞いたからね、いやあ奥ゆかしいったらないねえ」
「勝手に進めんな。ったく、人の話を聞かねえのはどこのトップも同じかぁ?」
「おや、気にならないのかい?」
「この店のいいところは、客が少なくて静かなこと、落ち着いた空間、そして何より人の時間に干渉してこないところだ。その線引きが出来るところを俺は評価してるんだが?」
「そう言いなさんな。で?どうなんだい」
「あのなぁ…」
このオーナー、確かに人の事情には首を突っ込まないのだが身内に関しては熱を入れてくる。もしかしたら単純に他に興味がないだけなのかもしれない。
確かに、気になるか否かと言われれば気になる。昨今企業産業が入り乱れる中、異国の地で仕事をしてるなんて今更珍しいものではない。が、矢張多少なりとも好奇の目を集める的にはなる。ましてやここは新規で入る様な客は少ない、常連客の憩いの場。店員の入れ替わりも殆どない。そんな中での『彼女』という新要素はどうしたって目を引かれる。
それが、単なる目新しさだけで惹かれているのかは、正直定かではないが。
来る時の楽しみが増えたなと思いながら時計を目にすれば、針は休憩を終える時間に近づいていた。やれやれ、仕事の時間は遅いくせにこういう時には進むのが早ぇことだ。
「……会計だ。また来る」
「おーいシバノ、お会計」
はーい、と声を飛ばしたあとぱたぱたと近寄ってくる。基本頼むものは一緒なためきっちり用意してテーブルに置いておく。
いつもなら、そうするが。今回はコインを追加して置いておいた。会計が合わないこと首をかしげ、彼女は問い掛ける。
「あの、お金少し多いようですが…」
「気にするな。折角こんな魅力的な女性が来たんだ、潰れたら会えなくなっちまうんでなぁ」
「お、ならその財布ごと置いてってもらえると助かるんだがなぁ」
「お前が美人の女だったら考えたかもなぁ、残念だ」
これも日本人には馴染みのない事で、もらっていいのか分からずオーナーの顔を見る。もらっていいんだと言われるも心配そうな顔をしている彼女の頭に、ぽんと手のひらを乗せた。
「その可愛い顔に影が落ちるのは勿体ねぇ。あんたには笑顔が似合う、どんな宝石や花だって敵わねぇぐらいになぁ」
「……っ!え、と……あ、ありがとうございます」
ぽぽぽ、と頬を染める姿の何と初々しいことか。恥ずかしそうに指先がもじもじと動いて視線の泳ぐ様が、本当に新鮮でずっと見ていたくなる。
しかし名残惜しいが行かなければ。このいい気分をクソボスの酒瓶で壊されてはたまったものではない。
それじゃあなと声を掛けると、あの!と声が飛んで来た。振り向けば、先程の不安そうな様子は何処かへ消えて、
眩しいぐらい純真に、
はにかむ彼女が居た。
「またのお越しを、心よりお待ちしてます。常連さん」
「……ッ、……お"う」
店を出てから、賑やかなイタリアの待ちを歩く。本部に戻れば、面倒な仕事と上司に振り回される。考えると今からでもボイコットしたくなるが、そうしたらそうしたで後が面倒なので心の中にしまっておく。
だが今は、仕事の予定や上司がどうというのは置いておいて。
『またのお越しを、心よりお待ちしてます。常連さん』
あの店の、彼女の顔が浮かぶと同時に緩む口許を片手で覆い隠す。
「(まさかカウンターを食らうとはな……)」
これまで女性との付き合いは無論している。だがそれはあくまで仕事上のもので私情を挟んでやるようなことはない。まあ、マフィアでの色恋なんてまともに取り合っていたら身が持たないし、必要な情報を抜かれて捨てる程の付き合いだ、必要以上に肩入れすれば身を滅ぼしかねない。仮に仕事を抜きにしても、そこまで心惹かれる様な相手も居なかったのも事実だ。
だが彼女は別だ。
一般人、というところもそうだが、明らかに今まで会った女性とは違う感情が渦巻いている。彼女がマフィアの人間であってもきっと同じ結果だっただろう。
真っ直ぐに感情を、目を、何よりあの屈託のない笑顔を向けられては、鷲掴みにされるのは不可避だ。何を?それは皆まで言わずとも分かるよなぁ?
「(これは、のんびりしてられねぇなぁ)」
彼女は競争率が高い、というオーナーの台詞がよぎる。
ここまで胸躍ることは戦い以外になかったことだ。
不覚にも、先に此方が落とされた。
ならやることは一つだ。
「……マモル・シバノか。次に会うのが楽しみだ」
人通りの多い道に構えているというより、隅っこでひっそりと経営しているようなこじんまりとしたバールだ。寂れているわけではないが、立地的にも人の目につきにくい場所にあり席数もそう多くはない。知る人のみぞ知る隠れ家、といったところか。店内も落ち着いた木造の内装、温かみのある照明にクラッシックが流れる空間……、リラックスできるとあって世辞抜きで重宝している。
それに、店のオーナーや従業員も雑談程こそはするが仕事や義手のことなんかを下手につついてこない。その辺の線引きができるこの店は矢張アタリだった。
今日も今日とて、仕事の休憩にと足を運んだ。
扉を開ければカラン、と質素なベルの音が鳴る。いつもと変わらない落ち着いたBGMと珈琲の香り、馴染みの店員が
「あ、ciao.いらっしゃいませ」
「………あ"?」
全く知らない女が、居た。
何時もの席で、何時ものメニューを頼む。その間、見知らぬ店員を目で追った。
「よぉ、いらっしゃい。何か気になるかい?」
「……あの店員、新人かぁ?」
「ああシバノのことか?最近入った子でね、今やうちの看板娘さ」
「そりゃ正解だな、熟練された美人もいいが新しく客を入れてぇなら新鮮な娘の方が効果的だ」
「うちの嫁はまだまだ現役だぞ?」
そいつは失礼、とオーナーと談笑してると件の新人がトレーに注文したものを乗せて近付いてきた。黒髪のボブヘアーに、茶色の目、凹凸の少ない顔立ち、アジア圏の人間か。アジアの人間はみんな同じような顔して見分けがつかねぇが……、シバノ…つったか、言葉の感じからして日本人か?
「お待たせしました、コーヒーとブルスケッタになります」
「シバノ、紹介しよう。こっちはうちの大事な収入げ……いや、大事な常連だ」
「う"ぉ"お"い、人を金に見立てるたぁ良いセンスしてるじゃねぇか」
「常連さん、ですか。えっと……、お初お目にかかります、シバノです」
「…スペルビ・スクアーロだ」
宜しくお願いします以後お見知りおきを、とクソ丁寧に自己紹介をして頭を下げる。大人しめな声だが、おどおどとした雰囲気はなく凛とした空気を感じる。しっかり者、というのが第一印象だ。
そういえば、とシバノがオーナーに顔を向ける。
「オーナー、注文幾つか入ってます。カウンターに戻った方がいいですよ」
「げ、そうなのかい?そういうことは早く言ってくれよ!」
それじゃあ仲良く頼むよと言葉を残してオーナーは仕事に戻る。トレーを持ってやれやれと一息つくシバノに声を掛ける。
「あんた、日本人か?」
「え?え、ええ…そうですが」
「日本から遙々イタリアによく来たなぁ、遠かっただろ」
「そうですね…、片道十二時間かかりましたね。流石に座り疲れてしまいました」
「あんたとここで出会えるたぁ俺も随分運が良いようだ。顔を見たら仕事の疲れもすっかり癒えたぜぇ」
「そ、うですか。お疲れがとれたなら幸いです」
誉められ慣れていないであろう彼女は、照れ臭そうに視線を泳がせながらも微笑んだ。ああこれは確かに構いたくなるのは分かるなぁ。
「バイト、だったか。ここに知り合いでもいたのか?」
「いえ、オーナーと父が知り合いなんです。なのでお願いして仕事させてもらってて」
へぇ、そりゃ初耳だな。日本人の知り合いがいるとは。
「おーいお姉さん、注文いいかい」
「あ、はーい!……それでは、ごゆっくり」
「お"う」
他の客に呼ばれ、シバノは一礼して去っていった。
日本人は大人しくて思慮深い、そして謙虚だと聞いている。そして何より、イタリアのお国柄に慣れず息するように出てくる口説き文句に慌てたり照れたりする姿が新鮮で可愛いと、イタリア男には好評だったりする。目で追ってみると矢張り色々質問攻めにあったり口説かれている。手を取られ、どうしようと困り顔でいるのがまた良いようで相手は微笑ましげだ。
決して容姿も目立つ様ではない。しかし、目を惹かれるのは日本人の娘、という真新しい刺激があるせいだろうか。
何にせよ、日本人らしい丁寧な対応と口説かれ慣れていない新鮮な反応に好感が持てるのは確かだ。
「気になるかい?スクアーロ」
「そうだなぁ、この店には勿体ねぇ看板娘だとは思うぐらいにはな。それよりもあんたは口より手を動かしたらどうだぁ?」
「あの子は競争率高いよ~?ああでもガードは堅いってさ。日本の女の子は色恋に慎重だって聞いたからね、いやあ奥ゆかしいったらないねえ」
「勝手に進めんな。ったく、人の話を聞かねえのはどこのトップも同じかぁ?」
「おや、気にならないのかい?」
「この店のいいところは、客が少なくて静かなこと、落ち着いた空間、そして何より人の時間に干渉してこないところだ。その線引きが出来るところを俺は評価してるんだが?」
「そう言いなさんな。で?どうなんだい」
「あのなぁ…」
このオーナー、確かに人の事情には首を突っ込まないのだが身内に関しては熱を入れてくる。もしかしたら単純に他に興味がないだけなのかもしれない。
確かに、気になるか否かと言われれば気になる。昨今企業産業が入り乱れる中、異国の地で仕事をしてるなんて今更珍しいものではない。が、矢張多少なりとも好奇の目を集める的にはなる。ましてやここは新規で入る様な客は少ない、常連客の憩いの場。店員の入れ替わりも殆どない。そんな中での『彼女』という新要素はどうしたって目を引かれる。
それが、単なる目新しさだけで惹かれているのかは、正直定かではないが。
来る時の楽しみが増えたなと思いながら時計を目にすれば、針は休憩を終える時間に近づいていた。やれやれ、仕事の時間は遅いくせにこういう時には進むのが早ぇことだ。
「……会計だ。また来る」
「おーいシバノ、お会計」
はーい、と声を飛ばしたあとぱたぱたと近寄ってくる。基本頼むものは一緒なためきっちり用意してテーブルに置いておく。
いつもなら、そうするが。今回はコインを追加して置いておいた。会計が合わないこと首をかしげ、彼女は問い掛ける。
「あの、お金少し多いようですが…」
「気にするな。折角こんな魅力的な女性が来たんだ、潰れたら会えなくなっちまうんでなぁ」
「お、ならその財布ごと置いてってもらえると助かるんだがなぁ」
「お前が美人の女だったら考えたかもなぁ、残念だ」
これも日本人には馴染みのない事で、もらっていいのか分からずオーナーの顔を見る。もらっていいんだと言われるも心配そうな顔をしている彼女の頭に、ぽんと手のひらを乗せた。
「その可愛い顔に影が落ちるのは勿体ねぇ。あんたには笑顔が似合う、どんな宝石や花だって敵わねぇぐらいになぁ」
「……っ!え、と……あ、ありがとうございます」
ぽぽぽ、と頬を染める姿の何と初々しいことか。恥ずかしそうに指先がもじもじと動いて視線の泳ぐ様が、本当に新鮮でずっと見ていたくなる。
しかし名残惜しいが行かなければ。このいい気分をクソボスの酒瓶で壊されてはたまったものではない。
それじゃあなと声を掛けると、あの!と声が飛んで来た。振り向けば、先程の不安そうな様子は何処かへ消えて、
眩しいぐらい純真に、
はにかむ彼女が居た。
「またのお越しを、心よりお待ちしてます。常連さん」
「……ッ、……お"う」
店を出てから、賑やかなイタリアの待ちを歩く。本部に戻れば、面倒な仕事と上司に振り回される。考えると今からでもボイコットしたくなるが、そうしたらそうしたで後が面倒なので心の中にしまっておく。
だが今は、仕事の予定や上司がどうというのは置いておいて。
『またのお越しを、心よりお待ちしてます。常連さん』
あの店の、彼女の顔が浮かぶと同時に緩む口許を片手で覆い隠す。
「(まさかカウンターを食らうとはな……)」
これまで女性との付き合いは無論している。だがそれはあくまで仕事上のもので私情を挟んでやるようなことはない。まあ、マフィアでの色恋なんてまともに取り合っていたら身が持たないし、必要な情報を抜かれて捨てる程の付き合いだ、必要以上に肩入れすれば身を滅ぼしかねない。仮に仕事を抜きにしても、そこまで心惹かれる様な相手も居なかったのも事実だ。
だが彼女は別だ。
一般人、というところもそうだが、明らかに今まで会った女性とは違う感情が渦巻いている。彼女がマフィアの人間であってもきっと同じ結果だっただろう。
真っ直ぐに感情を、目を、何よりあの屈託のない笑顔を向けられては、鷲掴みにされるのは不可避だ。何を?それは皆まで言わずとも分かるよなぁ?
「(これは、のんびりしてられねぇなぁ)」
彼女は競争率が高い、というオーナーの台詞がよぎる。
ここまで胸躍ることは戦い以外になかったことだ。
不覚にも、先に此方が落とされた。
ならやることは一つだ。
「……マモル・シバノか。次に会うのが楽しみだ」
(2017.12.8)