Squalo novel
日本に冬があるように、イタリアにも冬がある。
ヒヤリとする空気に足早に往来する人たちの中、ファー付きのコートとマフラーを装備して外を歩く。息を吐けば、白いモヤとなって視界に映った。
「はー…………、寒い…」
「なんで手袋してねぇんだぁ」
隣には、ハイネックセーターにコートとイヤーマフを装備する上司。三十二歳でイヤーマフね、これはなんと可愛らしいことで。……なんていうと何処が可愛いんだと煩いので口にはしない。
手のひらに息を当てて、僅かな熱を染み込ませるように擦り合わせる。
「すぐ戻るつもりだったのよ、まさかいつものお店にないとは思わないじゃない」
「日本のお茶は体に良いって話だからなぁ。そこしか売ってねぇなら、無くなるのも無理はねぇだろ」
「それはそうだけど。この前の任務の帰りに買っていけばよかったわ」
「買えたからいいじゃあねぇか」
「これは単なる繋ぎよ、次行ったときにはちゃんとストック買ってこなきゃ」
専門店で買っているものがお気に入りで、いつもはブレンドして買うのだが、今日はどうしてかブレンドしてる茶葉を切らしているというのだ。こんなことってあるのか…、お茶を飲んでひと息つくのが楽しみなのにそりゃないよ。仕方ないと、スーパーで市販品を買ってきた訳だ。
「(本当は有るものでブレンドする手もあったけど……、拘り始めると三時間は吟味しているのはざらだし、前にそれで本部に戻るのを忘れてボスにカッ消されかけたことがあるしで、なかなか仕事の合間にっていうのは出来ないのよね…。新しい味も探したいものだわ)」
手を温めようと腕を動かせば、からんと手持ちバッグの中でお茶缶が物寂しげに音を鳴らす。寒気に当てられる素手を温める私に、彼は訝しげな視線を送る。
「手袋ぐれぇ買えば良いだろ。そこまで薄給じゃねぇはずだぁ」
「既にあるのに買うなんて勿体ないじゃない」
「手ぇガサガサになんだろぉ、お前の白い手が寒さにやられる方が勿体ねぇ」
「褒めてくれてありがと。でもいいの、私にはあの手袋があるから」
「あれだって随分前じゃねぇか、何なら新しいモン買ってやるぜぇ?」
「あら、判ってないのね。いつでもくれるものに執着なんてしないのよ?」
「……そうかよ」
暗にあなたが最初にくれたあの手袋がいいのだと伝えれば照れくさげに目をそらした。
彼はもともと買い物についてくる予定ではなかったのだが、時間が空いてせっかくだから気分転換にと一緒に来たのだ。今思うと、二人で買い物というのは久しぶりな気がする。このところ別任務が続いて、廊下ですれ違ったり仕事の話をしたりすることはあっても、二人きりでどこかへ行く、というのは少なかった。というか、日々の疲れを癒すので精いっぱいでどこかへ出掛ける気力まで残ってなかった、というのが正解かもしれない。
「(ハグとかキスとか、スキンシップはまぁそれなりにはしているけど…、)」
ちらりと、隣を歩く彼を見る。空いている右手は手袋に覆われて、振り子のように小さく振られている。その距離、約二十センチ弱。
きっと一言いえば、彼は手を出してくれるだろう。いやそれ以前に、少し手を伸ばせば触れる事も出来る距離だ。ただそれを、口にするのも自分から触れるのもちょっと出来ないと、ブレーキを掛ける自分がいる。
「(付き合いも長いし、ある意味何でも言い合える間柄ではあるけど…こればっかりはね……)」
それでも言えないのかというのは、単純に恥ずかしいのと見栄のせいなんだろう。分かってはいるけど、最早変えられない領域に来ているのでどうしようもない。我ながら、面倒な性格だとは思う。
あー…ほんと寒い。早く戻ってお茶で温まろうと思っていると、上からため息と共に声が降ってきた。
「…寒いならポケットに手ぇ入れとけぇ」
ああそれもそうね、と自分のポケットに入れようとしたが不意に軌道を変えて別ポケットに納まった。
「……あら?」
目線を変えると彼のコートに自分の手が入れられている。ポケットの中は些か冷えてはいるものの、彼の手も一緒に入っていて少しずつ熱を持っていった。
思わぬ状況に驚くと同時に熱が体に広がっていく。
「……つめてぇ」
「だって寒いもの。……ふふ、温かい」
思いが通じたなんて非合理的なことはなく、きっと看破していたんだろう。そういうのにはすぐ勘づくんだから。ホント、狡くて優しい人。
人知れずふわふわとした感覚に浸っていると、聞きなれた着信音が聞こえてきた。私の?と思ったが振動はしていない。
「あ"?……なんだぁ」
仕事用の端末を目にして、嫌な顔をした。きっと社長からね。顔に出るから聞かなくてもすぐ分からる。
電話口で話を聞く限り、次の仕事の内容だろう。デスクワークも兼ねているが彼は『特攻隊長』、任務に出る事の方が多い。彼自身もデスクワークよりもそっちを好んでいる。
紙と戦うより生身の人間。インクの匂いより血の匂い。それは昔から変わらない。
憎まれ口の一つや二つ溢して通話終了。私は分かっている上で内容を聞く。
「次の任務?」
「あ"あ"、どうやら俺たちのところにはゴミ掃除まで回ってくるようになったみてえだなぁ。ったく人使いの荒ぇ」
「そんなの今更じゃない」
戦えればいいというわけではなく、より彼が欲しているのは強い敵との戦い、緊迫した空気。強くもない敵と戦うのはRPGでレベル1の敵を倒してレベルアップしようとしてるようなものだ。つまらないのも頷ける。
「でも油断は禁物だからね、気を付けてよ」
「そりゃ誰に向けての警告だぁ?」
余計なお世話だ、と言いたげな横顔に思わずため息を吐く。
戦場で全力を出して死ねるならそれもやむ無しとする彼は、後先を考えて動くようなまどろっこしいことはしない。共に生きたいと望む人が側に居ても。
まあ、今更その生き方を正そうなんて思わないし、その方が彼らしいので仮に戦って死んだならそれこそ『やむ無し』というものだ。
「……ねぇ、スクアーロ」
「なんだぁ」
「ずっとじゃなくていいの」
は?と間の抜けた声を聞いた。
それでもやっぱり、欲を言えば。
「ずっとじゃなくていいから。あなたが生きてる間は、」
ポケットの中でぎゅっと手を握る。
「こうして、私の側に居てね」
ありもしないものを望んで、ないものを欲しがる。
私も彼に負けないぐらいに傲慢なのかもしれない。
聞いた彼は驚いたように目を丸めたが、軈てスッと細めて私から視線を外した。
「………何言ってやがる」
代わりにと言うように、ポケットの中でもぞりと手が動く。
「手放すわけねぇだろぉが」
「……そっか」
握り返してくれた手が、返してくれた言葉が頬を緩くさせる。
冬は体が固まるし寒いから苦手だけど、より温かさを感じさせてくれると知って、ちょっと好きになった日だった。
「耳、赤いよ?」
「あ"あ"?寒ぃからだろぉ」
まあ、そういうことにしておこうかしら。
ヒヤリとする空気に足早に往来する人たちの中、ファー付きのコートとマフラーを装備して外を歩く。息を吐けば、白いモヤとなって視界に映った。
「はー…………、寒い…」
「なんで手袋してねぇんだぁ」
隣には、ハイネックセーターにコートとイヤーマフを装備する上司。三十二歳でイヤーマフね、これはなんと可愛らしいことで。……なんていうと何処が可愛いんだと煩いので口にはしない。
手のひらに息を当てて、僅かな熱を染み込ませるように擦り合わせる。
「すぐ戻るつもりだったのよ、まさかいつものお店にないとは思わないじゃない」
「日本のお茶は体に良いって話だからなぁ。そこしか売ってねぇなら、無くなるのも無理はねぇだろ」
「それはそうだけど。この前の任務の帰りに買っていけばよかったわ」
「買えたからいいじゃあねぇか」
「これは単なる繋ぎよ、次行ったときにはちゃんとストック買ってこなきゃ」
専門店で買っているものがお気に入りで、いつもはブレンドして買うのだが、今日はどうしてかブレンドしてる茶葉を切らしているというのだ。こんなことってあるのか…、お茶を飲んでひと息つくのが楽しみなのにそりゃないよ。仕方ないと、スーパーで市販品を買ってきた訳だ。
「(本当は有るものでブレンドする手もあったけど……、拘り始めると三時間は吟味しているのはざらだし、前にそれで本部に戻るのを忘れてボスにカッ消されかけたことがあるしで、なかなか仕事の合間にっていうのは出来ないのよね…。新しい味も探したいものだわ)」
手を温めようと腕を動かせば、からんと手持ちバッグの中でお茶缶が物寂しげに音を鳴らす。寒気に当てられる素手を温める私に、彼は訝しげな視線を送る。
「手袋ぐれぇ買えば良いだろ。そこまで薄給じゃねぇはずだぁ」
「既にあるのに買うなんて勿体ないじゃない」
「手ぇガサガサになんだろぉ、お前の白い手が寒さにやられる方が勿体ねぇ」
「褒めてくれてありがと。でもいいの、私にはあの手袋があるから」
「あれだって随分前じゃねぇか、何なら新しいモン買ってやるぜぇ?」
「あら、判ってないのね。いつでもくれるものに執着なんてしないのよ?」
「……そうかよ」
暗にあなたが最初にくれたあの手袋がいいのだと伝えれば照れくさげに目をそらした。
彼はもともと買い物についてくる予定ではなかったのだが、時間が空いてせっかくだから気分転換にと一緒に来たのだ。今思うと、二人で買い物というのは久しぶりな気がする。このところ別任務が続いて、廊下ですれ違ったり仕事の話をしたりすることはあっても、二人きりでどこかへ行く、というのは少なかった。というか、日々の疲れを癒すので精いっぱいでどこかへ出掛ける気力まで残ってなかった、というのが正解かもしれない。
「(ハグとかキスとか、スキンシップはまぁそれなりにはしているけど…、)」
ちらりと、隣を歩く彼を見る。空いている右手は手袋に覆われて、振り子のように小さく振られている。その距離、約二十センチ弱。
きっと一言いえば、彼は手を出してくれるだろう。いやそれ以前に、少し手を伸ばせば触れる事も出来る距離だ。ただそれを、口にするのも自分から触れるのもちょっと出来ないと、ブレーキを掛ける自分がいる。
「(付き合いも長いし、ある意味何でも言い合える間柄ではあるけど…こればっかりはね……)」
それでも言えないのかというのは、単純に恥ずかしいのと見栄のせいなんだろう。分かってはいるけど、最早変えられない領域に来ているのでどうしようもない。我ながら、面倒な性格だとは思う。
あー…ほんと寒い。早く戻ってお茶で温まろうと思っていると、上からため息と共に声が降ってきた。
「…寒いならポケットに手ぇ入れとけぇ」
ああそれもそうね、と自分のポケットに入れようとしたが不意に軌道を変えて別ポケットに納まった。
「……あら?」
目線を変えると彼のコートに自分の手が入れられている。ポケットの中は些か冷えてはいるものの、彼の手も一緒に入っていて少しずつ熱を持っていった。
思わぬ状況に驚くと同時に熱が体に広がっていく。
「……つめてぇ」
「だって寒いもの。……ふふ、温かい」
思いが通じたなんて非合理的なことはなく、きっと看破していたんだろう。そういうのにはすぐ勘づくんだから。ホント、狡くて優しい人。
人知れずふわふわとした感覚に浸っていると、聞きなれた着信音が聞こえてきた。私の?と思ったが振動はしていない。
「あ"?……なんだぁ」
仕事用の端末を目にして、嫌な顔をした。きっと社長からね。顔に出るから聞かなくてもすぐ分からる。
電話口で話を聞く限り、次の仕事の内容だろう。デスクワークも兼ねているが彼は『特攻隊長』、任務に出る事の方が多い。彼自身もデスクワークよりもそっちを好んでいる。
紙と戦うより生身の人間。インクの匂いより血の匂い。それは昔から変わらない。
憎まれ口の一つや二つ溢して通話終了。私は分かっている上で内容を聞く。
「次の任務?」
「あ"あ"、どうやら俺たちのところにはゴミ掃除まで回ってくるようになったみてえだなぁ。ったく人使いの荒ぇ」
「そんなの今更じゃない」
戦えればいいというわけではなく、より彼が欲しているのは強い敵との戦い、緊迫した空気。強くもない敵と戦うのはRPGでレベル1の敵を倒してレベルアップしようとしてるようなものだ。つまらないのも頷ける。
「でも油断は禁物だからね、気を付けてよ」
「そりゃ誰に向けての警告だぁ?」
余計なお世話だ、と言いたげな横顔に思わずため息を吐く。
戦場で全力を出して死ねるならそれもやむ無しとする彼は、後先を考えて動くようなまどろっこしいことはしない。共に生きたいと望む人が側に居ても。
まあ、今更その生き方を正そうなんて思わないし、その方が彼らしいので仮に戦って死んだならそれこそ『やむ無し』というものだ。
「……ねぇ、スクアーロ」
「なんだぁ」
「ずっとじゃなくていいの」
は?と間の抜けた声を聞いた。
それでもやっぱり、欲を言えば。
「ずっとじゃなくていいから。あなたが生きてる間は、」
ポケットの中でぎゅっと手を握る。
「こうして、私の側に居てね」
ありもしないものを望んで、ないものを欲しがる。
私も彼に負けないぐらいに傲慢なのかもしれない。
聞いた彼は驚いたように目を丸めたが、軈てスッと細めて私から視線を外した。
「………何言ってやがる」
代わりにと言うように、ポケットの中でもぞりと手が動く。
「手放すわけねぇだろぉが」
「……そっか」
握り返してくれた手が、返してくれた言葉が頬を緩くさせる。
冬は体が固まるし寒いから苦手だけど、より温かさを感じさせてくれると知って、ちょっと好きになった日だった。
「耳、赤いよ?」
「あ"あ"?寒ぃからだろぉ」
まあ、そういうことにしておこうかしら。
(2017.12.16)
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