「怒らないで聞いてほしいんだけど、ジャンは強い人ではないから。弱い人の気持ちがよく理解できる。それでいて現状を正しく認識する事に長けているから、今何をすべきか明確に分かるだろう」

マルコからこの言葉を聞いた時には驚いた。アリスにこの前言われた事とほとんど内容が同じだなんて。
そんな偶然あるか？しかもこんな窮地の時に…。
きっとこの話を聞いていた最中の俺は嘸かし面白い表情をしていただろう。

"自分が強くはないって自覚しているからこそ弱い人達の気持ちが分かるだろうし、的確な判断もできると思うんだよね。"

立体機動装置からアンカーを噴出し風を切って移動している最中、アリスの言葉とマルコの言葉が頭の中で何度も反響していた。
そう言えばマルコとアリスは仲が良かったなと思い返し、思考まで似てきちまったのかとマルコに返せば驚いた様に何度か瞬きをした後照れ臭そうに笑っていた。
…そんなマルコの言葉と顔が忘れられなくて、だからアリスにマルコの最期を伝えようと、忘れないでくれと思ったのかもしれない。

今日の新兵達の食事の担当はあいつだったと思い出し、それならばきっと訓練生の食堂に居るだろうと夜の闇も深まった頃足を運んだ。此処に居なければきっと調査兵団の食堂か、それかもう自室に戻っているかもしれないと思ったがどちらにせよ今すぐにでも伝えたくて探して回ろうとは思っていた。

扉に手を掛けゆっくりと押せば開いた隙間から蝋燭の淡い光が漏れてきた。
やはり此処に居たかと安堵したのも束の間、此方を振り向いたアリスの顔は普段の朗らかな笑顔とは全く違った疲れ切った顔をしており、初めて見るその表情に俺は面食らった。
いつも笑顔を絶やさず疲れた素振りなど見せた事が無いアリスもそんな表情をするのだと初めて知った瞬間だった。

そんなアリスの顔を見た瞬間、頭の中にマルコの言葉とアリスの言葉が同時に響き、これから告げようとする残酷な事実と何故だか今は亡きマルコと重なって見えるアリスの姿に胸が苦しくなり、顔を顰めた。

「…あ、ジャンだ。いらっしゃい」

「あ、…あぁ」

俺の顔を見たアリスはすぐにいつもの様にふわりと笑顔を見せた。
返事をした俺の声は思いの外暗いトーンで出たものだからその所為かアリスは小首を傾げた。
俺が来るまでは疲れ切った顔をしていたというのにほんのりと笑顔を見せるものだから、そんなアリスに酷な事を告げなければならない後ろめたさに俺は俯きながら隣へと並び立った。
すぐにはアリスの顔を見れそうになくて、俺は闇の広がる暗い窓の外へと視線を向けた。
話そうと口を開くも上手く声が出なくて何度も口を薄く開いては閉じてを繰り返している様はとても挙動不審だろう。
そんな俺の様子をアリスは横目で見ているがどうやら俺が話し出すまで待ってくれているようで、またあの解散式の後の様にカッコ悪い所を見せているなと情けない気持ちになった。

するとアリスは何か思い付いた様に顔を上げると厨房へと向かう素振りを見せたのでやっとの事で絞り出した声は苦労したにも関わらず思いの外スムーズに出たのだった。

「…マルコが死んだ」

「…、そっか」

アリスは、上げた顔を少し俯かせ小さく呟いた後胸元をギュッと強く握っていた。
その半ば諦めの入った様な、既に薄々気が付いていた様な声色のアリスは俺の言葉を聞いて漸くしっかりと受け入れたのか胸元を握った小さな手は小さく震えていた。

「…お前、マルコと仲良かっただろ。知らねぇよりは…良い、だろうと思って探して此処まで来た」

きっとこうやって報せるというのも兵士の役目なのだろうとアリスに向かって呟きながらぼんやりと思っていた。
死んだという事を知らずに、まだ生きているかもしれないと希望を持って過ごすというのもある意味幸せかもしれないが真実を伝えるというのが兵士として、共に戦った仲間として大事な事だろう。

そんな悲痛な事実を告げたにも関わらず

「ジャンもマルコと仲良かったよね。マルコはよくジャンの話をしていたよ」

言いたくなかっただろうけどわざわざありがとう、と震えて掠れた声で、今まで見た彼女の笑顔の中で一番ぐらいであろう下手糞な、今にも泣き出しそうな歪んだ笑顔を無理矢理作って俺の事を気遣う弱々しく儚いその姿に俺は思わず彼女の後頭部へと手を回し、自らの元へと引き寄せていた。

「こんな時に無理矢理笑顔作ってんじゃねぇよ…」

あまりにも痛々しかったその姿にこうせずにはいられなかった。
いや、してやらなければと半ば義務感の様なものが働いたのだ。泣いている赤子を母親が泣き止ませようとするのと同じ様に、弱い者を守ってやらなくてはと何とかしてやらなければと勝手に身体が動いたのには自分でも驚きだった。

流石に下手糞だったかな、と震えた声で尚も笑おうとするアリスが痛々しく、胸が締め付けられ何も言えなくなってしまった俺はそのまま無言で数回髪の毛を撫でてやった。
もう無理に喋らなくても良い、無理に笑顔を作らなくても良いと宥める様に数回撫でていれば次第にアリスも沈黙した。

「…トロスト区で戦っていた時マルコにな、解散式の後食堂でお前に言われたそのままの事を言われたんだよ。強くないからこそ弱い者の気持ちが分かるって。今すべき事が明確に分かるだろうって」

一番伝えたかった、伝えなければならないと思い行動に移すまでに至った最期のマルコとアリスの大事な繋がりにもなる言葉を一言一言噛み締める様に伝えると

「…そっか、そっかぁ…」

とアリスは消え入りそうな声で呟いた。
俺の胸に額を当てているその小さな身体は酷く痛々しく儚げでーｰｰｰ…。


暗い静かなその場に残ったのは、お互いの生きているという証である微かな温もりだけだった。