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時折、雪がしんしんと降っては地面を湿らせるくらいに寒かった頃。自宅のソファで、ガロは雑誌を読んでいた。
「何を読んでいるの?」
「ああ、これなぁ」
二人分のコーヒーをローテーブルに並べて声をかけると、彼は顔を上げて誌面を見せた。それはとある国の旅行雑誌で、淡い色の花が木々の枝先を埋め尽くす写真が見開きで載っている。彼曰く、日本――彼がよく熱弁する、纏発祥である極東の島国だ。春が訪れると、この国の各地で咲く桜の花が大層美しいそうだ。確かに、写真越しに見ても目を惹かれるこの花が一面に咲き誇る様を、直接見られたらそれはそれは素敵だろう。
「いつか、見に行けたら良いわね」
そんな会話をした記憶は、確かにある。……あるけれど。
「明日には日本へ行くってどういうこと!?」
「わりぃわりぃ……!すっかり***に言ったつもりだったんだけどよ~」
「聞いてない!」
せっせと片っ端から荷物をキャリーケースに詰め込みながら、他に必要なものを頭の中で整理する。私が慌てて荷造りする羽目になったのは、バーニングレスキューの仲間から告げられた一言がきっかけだった。
「あぁ、そういえば明日からか」
「え?」
「ガロと二人で、海外旅行!お土産楽しみにしてるよ~」
レスキューギアのメンテナンス中にレミー副隊長とルチアから言われて初めて、私は今回の旅行を知ったのだ。ガロに確認して、プロメポリスを出発する時刻から残り時間を脳内でカウントダウンした瞬間、血の気が引く思いをした。
「ホンット、ありえない!言い忘れるなんて!」
「パスポート、たまたま申請してたのが間に合って良かったよな」
「それがダメだったらどうするつもりだったのよ、バカ!」
飛行機やホテルの手配は全て済ませているのに、肝心なところで抜けているガロに悪態を付く。パスポートは、元バーニッシュの人々の現状を、海外まで視察に行く仕事のために申請していたものだ。妙に運良く、法的に入国可能な状況が出来上がってしまった以上、数々の予約をキャンセルする訳にもいかない。無造作に投げた服を、へらへらと笑うガロの顔面が受け止めた。
どうにか準備を間に合わせ、無事に予定通り日本行きの便に乗ることが出来た。まだ旅は始まったばかりだと言うのに、既に満身創痍だ。先が思いやられる。
「……そういえば、私は日本語全くわからないわ。大丈夫かしら?」
「大丈夫だ!何とかなる」
「はいはい、ガロが何とかしてちょうだいね……」
心の準備さえろくに出来なかった私とは対照的に能天気なガロに呆れ、ぐったりとシートに全体重を預ける。移動距離に伴ってフライト時間は長い。身体を休めるため、目を瞑って深く息を吐き、意識を手放した。
日本に到着して、飛行機を降りるとバケツをひっくり返したように激しい雨が降り注いでいた。初めて日本の大地を踏むという感慨深さなど全く無い。
「……こりゃ、今日は諦めるか」
顔を見合わせて頷く。流石にこの気候では、とても桜の観光をする気にはならない。冷えた身体を摩りながらホテルへ行き、その日はゆっくりと荷解きを済ませて早めの夕食をいただくことにした。食事の席には深い器の底に敷き詰められたライス、その上にはてらてらとした生魚の切り身が数種類、丁寧に並べられている。サーモンとイクラやマグロ、カニまである。ガロの器に細かく刻んだマグロと鶏の生卵が乗っているのを見て、慌てて声をかけた。
「え!それ火通ってないわよね!?」
「おー、こっちの卵は生で食っても腹壊さないらしいぜ!魚も美味いんだってな!」
ビクビクしている私とは正反対に、楽しみにしていたガロは待ちきれない様子で箸を握る。日本は生食の文化があると聞いてはいたものの、まさか自分も食べる日がくるとは。楽しんでいるガロに水を差す気にはなれない。意を決して、自分も料理を口に入れる。
――美味しい。先ほどまでの抵抗感が拭えるほどに。生臭さは全く無く、一瞬で魚がとろけてしまった。ビネガーが染み込んだライスはさっぱりとしていて、いくらでも食べられそうだ。感動が顔に出ていたようで、「こっちも食ってみるか」とガロが差し出した料理も一口。生卵がこんなに美味しいなんて!なめらかな味わいとコクに舌鼓を打つ。遅れて並べられたカニのスープも、塩味があるのに甘味も感じられる。冷えた身体が温まり、気持ちがほっとした。
「……正直、これが食べられただけでもう日本に満足だわ」
「ぷっ、流石に早すぎんだろ!」
噴き出して笑うガロを見たら、飛行機で眠った筈なのに満腹感と安心感で再び眠気に襲われた。
翌日の天気は曇りだった。雨が降るほどではないけれど、白く厚い雲が空を覆っている。今日は予約しているお店があるのだと言うガロの後に続く。プロメポリスよりもずっと細い道幅に反して、人の数が多い。はぐれないように気を付けなければ……と、足を動かしていると、ガロが私の手を握った。
「スゲーだろ?日本人はどんだけ人が歩いてようと、ぶつからねぇんだ。昔ニンジャだった名残らしいぜ!」
「えぇ?ウソでしょ、何ソレ!」
周りにいる人々が、みんなニンジャの装束を着ている姿を思わず想像して、くすくすと笑い声が零れる。いろんな話し声が飛び交う中でも、ガロの声は一際よく通った。
到着した木造の建物の中には、厚手の服が沢山並んでいた。着物という、日本の伝統衣服を体験するサービスを予約していたらしい。しっかりとした生地一つひとつに、様々な色柄が織り込まれている。好きなものを選び、お店の人に着付けてもらって外出できるそうだ。
……ただ、あまりにも沢山の物から、一つだけを選ぶのは難しい。しかも、着物の他にも簪という髪飾りや腰に巻く帯など、女性は男性の袴と比べて選ぶものが多い。既にどれを見て、何をまだ見ていないのかわからなくなってしまい、眩暈のする思いだった。別部屋で着付け終えたらしいガロが、どうだ?と両手を広げて濃紺色の袴姿を見せる。奥ゆかしい雰囲気を纏う彼の笑顔を見て、やはり日本の文化を体験出来て嬉しいのだろうなと微笑ましくなる。
「いいね、似合ってるわ」
「おう!サンキュー。***はまだ悩んでるトコか。いっぱいあるもんな〜」
「あんまり沢山あるから、どれがいいのかわからなくなっちゃって……」
ガロはどれが良いと思う?と苦笑して聞くと、彼は片手を顎に当てて、目の前に並ぶ簪を覗き込んだ。
「ん〜……気に入ったヤツを一つだけ選んで、他はそれと合う物にするのがいいんじゃねぇか?ソレはどうなんだ?」
ガロがちょうど私が手に取っている簪を指差す。素材はガラスだろうか、透明な桜の花の装飾がややうねった軸の先に付いており、本物の枝先に咲いているようだった。そこから小さな鈴が二つ吊り下がっており、動かす度に音を鳴らす。精巧な作りや音が美しい。おそらく、無意識に惹かれて手に持っていたのだろう。
「それじゃあ、これにしようかしら」
彼が言う通り、一つ決まれば後は早いものだった。お店の人に見繕ってもらった中から、他の物を揃える。淡い水色の生地に、小さく白い桜が散りばめられるように織り込まれた着物を、ガロの袴と同じ色の帯で締めた。実際に着てわかったが、着物の内側にも何枚か重着しており、動きがかなり制限されて窮屈だ。オシャレは我慢、とはよく言うものの、日本人はこんな物を着て生活していたのかと驚かされる。ぎこちなく動く私の手をガロが引き、案内された部屋で記念撮影をした。……私は、上手に笑えていただろうか。
レンタルした着物姿で、街を散策する。観光者向けのショップで、ガロのテンションはマックスになった。日本の漢字がプリントされたTシャツや、白い顔に赤い線が描かれた狐の面、日本の寺に設置されている鐘のシール……。
「うおぉ!どれにすっかなぁ」
「ふふ、持ち帰れる程度にね」
事あるごとに「***!コレ見ろよ!」と商品を手に取っては、それらの魅力を力説される。私にはわからない物ばかりだけれど、子供のようにキラキラと目を輝かせて夢中で語るガロを見るのは面白い。私も何か買おうと陳列された棚を覗き込む。……ああ、これなんて便利そうで良いな。目に留まった商品を手に取り、ガロが時間をかけて悩んでいる間に私は会計を済ませた。
買い物もそこそこに、通りがかった茶屋でゆっくりと休憩する。抹茶という飲み物の深い苦みが、三つの色が連なる団子の優しい甘味を引き立てる。昨日も思ったが、日本の食べ物は美味しい。
「ガロ、この団子の色ね。桜の変化を表してるそうよ」
「んえ?」
もごもごと団子を頬張るガロに、観光客向けの張り紙に書いてあった内容を説明する。
「ピンクが桜の木につぼみが付いた状態。満開を迎えた状態が白。散った後の葉桜が、緑なんですって。食べ物で季節の変化を表現するなんて、面白いわね。……どうしたの?」
「え、いや。何でもねぇ。すげぇよなぁ」
もちもちとした、柔らかく淡い色の団子をキレイだなぁ……と眺める私に向けたガロの表情が、一瞬いつもと違って見えたのは、気のせいだろうか。楽しい時間はあっという間で、着物を返却するためにもう一度お店へ戻った。
「どうせなら、コレも買いたかったけどなぁ……」
「確かに素敵だけど、自分では着られないもの」
着物からいつもの服装に戻って、出来上がった写真を受け取る。見慣れない着物姿で椅子に腰かけた私と、その隣に立つ袴姿のガロが映っている。すまし顔で、いつもの私たちじゃないみたいで何だか少しおかしくなってしまう。たまにはこういうのも珍しくて良い。お店の人と話し終えたガロが戻って来て、写真を覗き込みながら言う。
「やっぱりプロに撮ってもらうとキレイだな!」
「ね、私たちはぎこちないけど」
「ハハッ!……なぁ、また撮ろうぜ」
「……うん」
肩を抱き寄せたガロに頭を預けて返事をする。次に撮る時の私たちは、どんな風に成長しているだろう。少し先の未来を想像して、ほのかに期待した。
「***!起きてくれ」
肩を揺すられ、ガロの声で少しずつ意識がはっきりしていく。今日は、旅行の最終日だ。夕方には飛行機に乗るから、帰り支度もしなければ。名残惜しい気持ちで重たい瞼を開く。
「晴れたぞ!桜、見に行こうぜ」
カーテンを全開にして、窓ガラス一枚を隔てた先に広がる澄み渡った青空を背に、ガロがとびきり元気な声で言った。
「この間の雨で散ってるところも多いっぽいけど、散る瞬間もキレイなんだと」
街路樹の桜は、所々葉桜になり始めている。確かに、木に咲く花はもちろんのこと、散ったばかりの明るい花びらが道を埋め尽くしている様は美しかった。時折、それらが風に吹かれてアスファルトの上を滑るようにくるくると舞い上がっていく。暖かな風が心地い。晴れやかな気分で歩いていると、向かう先に沢山の桜が咲いているのが遠くからでも見えた。
「ここ?」
「そうだ、特にこの橋からの景色が見どころだって載ってた」
川にかかった橋の中腹まで歩き、柵に手をかけて見上げれば、川沿いに咲き乱れる桜が花のアーチを形作っていた。
「……すごい」
花弁が川の水面に浮かび、淡いピンクの絨毯を作り上げている。上から下まで、桜が視界を埋め尽くす。風に揺れた花達が擦れ、さらさらと柔らかな音を奏でる。
「良かったな、ここはまだ散ってなくて」
「ええ。本当にキレイ……」
周りの観光客が写真を撮っているのが目に留まり、自分の携帯端末を取り出す。
「写真撮ろう!帰ったらみんなにも見せたいわ」
「そうだな!」
目の前の景色を何枚か収め、ちゃんと撮れているか確認する。写真も勿論キレイだけど、やはり直接見る景色が一番だ。ほんの短い期間にしか見られないのが惜しい。橋を渡り切った先、緩やかな丘にも桜が沢山ある。ガロが近くを通りがかった人に声をかけて、写真を撮ってくれるようお願いした。
その人と少し距離を離して、一本の桜の下へ並ぶ。すると、突然ガロが私を縦に抱き上げた。
「えっ?」
「この方が近くで良く見えんだろ!」
「だからって、子供じゃないんだから……」
普通に並んで撮ると思っていたから驚いていると、どうだ?と聞かれるまま一度頭上を見上げる。枝先に咲く花を、指先でそっと触れる。
「……うん。とっても良く見える。遠くから見てもキレイだったけど、近くで見ても素敵」
「そうか」
遠くから合図の声が聞こえる。そのままの姿勢で撮影してもらい、ふとガロを見下ろせば穏やかで優しい眼差しをしていた。
……ああ、もしかして。ガロは私にこの景色を見せようと、今日までずっと一人で準備してくれたの?
「……ガロ」
「ん?」
「ありがとう」
彼の青い髪へ、唇を寄せる。きょとんとした表情のガロを笑顔で見つめていると、不意に彼の端末からアラーム音が鳴った。
「あ!ヤベェ」
「何?」
「そろそろ行かねぇと!フライト時間に遅れる!」
「……え!?」
そこからは全力で走り、死に物狂いで荷物をまとめ、空港へ向かった。先ほどまでの穏やかな時間が嘘のようにあっという間で、日本行きの便に乗った時よりも二人の息は酷く上がっていた。機内のシートで額に汗を流しながらぜえぜえと呼吸するガロに、バッグからある物を取り出して握らせた。
「ガロ、これ使って」
「……お、おぉ~!?」
「私からガロにプレゼント。タオルみたいに使えるんですって」
観光ショップで購入したお土産品の手拭いを、ガロが両手で広げる。そこには、“め組”やら“は組”という文字(バーニングレスキューで言う、隊の番号のようなものらしい)と、ガロの好きな纏が描かれていた。
「マジかよ!」
「ふふ、マジです」
「うぉー!最高だ……ありがとな!……あ、そうそうオレも」
「え?」
喜ぶ彼の反応に満足していると、今度はガロから一つの小箱を渡された。桐で作られた、軽くも品のある箱の上蓋を外すと、そこには見覚えのある簪が入っていた。
「これ……いつの間に買ってたの?」
「おう、また着けてるところが見たくてな」
ガロがにっと白い歯を見せて笑う。簪を手に取りもう一度見つめると、鈴が揺れてチリンと小さく音が鳴る。まるで、ガロの腕の中で見た桜がそのまま形になったようだ。この桜は季節が巡っても散ることなく、ずっと咲き続けるのだと思うと嬉しくてたまらない。
「嬉しい……ありがと、ガロ」
「……ああ、また行こうぜ」
サプライズのつもりだったのに考えることはお互い同じだなぁと、笑い合って指を絡める。あの桜の木の下で過ごす時間に似た、春の陽光が柔らかく美しく照らすようなあたたかな気持ちに包まれて、二人揃って眠りに落ちた。
「何を読んでいるの?」
「ああ、これなぁ」
二人分のコーヒーをローテーブルに並べて声をかけると、彼は顔を上げて誌面を見せた。それはとある国の旅行雑誌で、淡い色の花が木々の枝先を埋め尽くす写真が見開きで載っている。彼曰く、日本――彼がよく熱弁する、纏発祥である極東の島国だ。春が訪れると、この国の各地で咲く桜の花が大層美しいそうだ。確かに、写真越しに見ても目を惹かれるこの花が一面に咲き誇る様を、直接見られたらそれはそれは素敵だろう。
「いつか、見に行けたら良いわね」
そんな会話をした記憶は、確かにある。……あるけれど。
「明日には日本へ行くってどういうこと!?」
「わりぃわりぃ……!すっかり***に言ったつもりだったんだけどよ~」
「聞いてない!」
せっせと片っ端から荷物をキャリーケースに詰め込みながら、他に必要なものを頭の中で整理する。私が慌てて荷造りする羽目になったのは、バーニングレスキューの仲間から告げられた一言がきっかけだった。
「あぁ、そういえば明日からか」
「え?」
「ガロと二人で、海外旅行!お土産楽しみにしてるよ~」
レスキューギアのメンテナンス中にレミー副隊長とルチアから言われて初めて、私は今回の旅行を知ったのだ。ガロに確認して、プロメポリスを出発する時刻から残り時間を脳内でカウントダウンした瞬間、血の気が引く思いをした。
「ホンット、ありえない!言い忘れるなんて!」
「パスポート、たまたま申請してたのが間に合って良かったよな」
「それがダメだったらどうするつもりだったのよ、バカ!」
飛行機やホテルの手配は全て済ませているのに、肝心なところで抜けているガロに悪態を付く。パスポートは、元バーニッシュの人々の現状を、海外まで視察に行く仕事のために申請していたものだ。妙に運良く、法的に入国可能な状況が出来上がってしまった以上、数々の予約をキャンセルする訳にもいかない。無造作に投げた服を、へらへらと笑うガロの顔面が受け止めた。
どうにか準備を間に合わせ、無事に予定通り日本行きの便に乗ることが出来た。まだ旅は始まったばかりだと言うのに、既に満身創痍だ。先が思いやられる。
「……そういえば、私は日本語全くわからないわ。大丈夫かしら?」
「大丈夫だ!何とかなる」
「はいはい、ガロが何とかしてちょうだいね……」
心の準備さえろくに出来なかった私とは対照的に能天気なガロに呆れ、ぐったりとシートに全体重を預ける。移動距離に伴ってフライト時間は長い。身体を休めるため、目を瞑って深く息を吐き、意識を手放した。
日本に到着して、飛行機を降りるとバケツをひっくり返したように激しい雨が降り注いでいた。初めて日本の大地を踏むという感慨深さなど全く無い。
「……こりゃ、今日は諦めるか」
顔を見合わせて頷く。流石にこの気候では、とても桜の観光をする気にはならない。冷えた身体を摩りながらホテルへ行き、その日はゆっくりと荷解きを済ませて早めの夕食をいただくことにした。食事の席には深い器の底に敷き詰められたライス、その上にはてらてらとした生魚の切り身が数種類、丁寧に並べられている。サーモンとイクラやマグロ、カニまである。ガロの器に細かく刻んだマグロと鶏の生卵が乗っているのを見て、慌てて声をかけた。
「え!それ火通ってないわよね!?」
「おー、こっちの卵は生で食っても腹壊さないらしいぜ!魚も美味いんだってな!」
ビクビクしている私とは正反対に、楽しみにしていたガロは待ちきれない様子で箸を握る。日本は生食の文化があると聞いてはいたものの、まさか自分も食べる日がくるとは。楽しんでいるガロに水を差す気にはなれない。意を決して、自分も料理を口に入れる。
――美味しい。先ほどまでの抵抗感が拭えるほどに。生臭さは全く無く、一瞬で魚がとろけてしまった。ビネガーが染み込んだライスはさっぱりとしていて、いくらでも食べられそうだ。感動が顔に出ていたようで、「こっちも食ってみるか」とガロが差し出した料理も一口。生卵がこんなに美味しいなんて!なめらかな味わいとコクに舌鼓を打つ。遅れて並べられたカニのスープも、塩味があるのに甘味も感じられる。冷えた身体が温まり、気持ちがほっとした。
「……正直、これが食べられただけでもう日本に満足だわ」
「ぷっ、流石に早すぎんだろ!」
噴き出して笑うガロを見たら、飛行機で眠った筈なのに満腹感と安心感で再び眠気に襲われた。
翌日の天気は曇りだった。雨が降るほどではないけれど、白く厚い雲が空を覆っている。今日は予約しているお店があるのだと言うガロの後に続く。プロメポリスよりもずっと細い道幅に反して、人の数が多い。はぐれないように気を付けなければ……と、足を動かしていると、ガロが私の手を握った。
「スゲーだろ?日本人はどんだけ人が歩いてようと、ぶつからねぇんだ。昔ニンジャだった名残らしいぜ!」
「えぇ?ウソでしょ、何ソレ!」
周りにいる人々が、みんなニンジャの装束を着ている姿を思わず想像して、くすくすと笑い声が零れる。いろんな話し声が飛び交う中でも、ガロの声は一際よく通った。
到着した木造の建物の中には、厚手の服が沢山並んでいた。着物という、日本の伝統衣服を体験するサービスを予約していたらしい。しっかりとした生地一つひとつに、様々な色柄が織り込まれている。好きなものを選び、お店の人に着付けてもらって外出できるそうだ。
……ただ、あまりにも沢山の物から、一つだけを選ぶのは難しい。しかも、着物の他にも簪という髪飾りや腰に巻く帯など、女性は男性の袴と比べて選ぶものが多い。既にどれを見て、何をまだ見ていないのかわからなくなってしまい、眩暈のする思いだった。別部屋で着付け終えたらしいガロが、どうだ?と両手を広げて濃紺色の袴姿を見せる。奥ゆかしい雰囲気を纏う彼の笑顔を見て、やはり日本の文化を体験出来て嬉しいのだろうなと微笑ましくなる。
「いいね、似合ってるわ」
「おう!サンキュー。***はまだ悩んでるトコか。いっぱいあるもんな〜」
「あんまり沢山あるから、どれがいいのかわからなくなっちゃって……」
ガロはどれが良いと思う?と苦笑して聞くと、彼は片手を顎に当てて、目の前に並ぶ簪を覗き込んだ。
「ん〜……気に入ったヤツを一つだけ選んで、他はそれと合う物にするのがいいんじゃねぇか?ソレはどうなんだ?」
ガロがちょうど私が手に取っている簪を指差す。素材はガラスだろうか、透明な桜の花の装飾がややうねった軸の先に付いており、本物の枝先に咲いているようだった。そこから小さな鈴が二つ吊り下がっており、動かす度に音を鳴らす。精巧な作りや音が美しい。おそらく、無意識に惹かれて手に持っていたのだろう。
「それじゃあ、これにしようかしら」
彼が言う通り、一つ決まれば後は早いものだった。お店の人に見繕ってもらった中から、他の物を揃える。淡い水色の生地に、小さく白い桜が散りばめられるように織り込まれた着物を、ガロの袴と同じ色の帯で締めた。実際に着てわかったが、着物の内側にも何枚か重着しており、動きがかなり制限されて窮屈だ。オシャレは我慢、とはよく言うものの、日本人はこんな物を着て生活していたのかと驚かされる。ぎこちなく動く私の手をガロが引き、案内された部屋で記念撮影をした。……私は、上手に笑えていただろうか。
レンタルした着物姿で、街を散策する。観光者向けのショップで、ガロのテンションはマックスになった。日本の漢字がプリントされたTシャツや、白い顔に赤い線が描かれた狐の面、日本の寺に設置されている鐘のシール……。
「うおぉ!どれにすっかなぁ」
「ふふ、持ち帰れる程度にね」
事あるごとに「***!コレ見ろよ!」と商品を手に取っては、それらの魅力を力説される。私にはわからない物ばかりだけれど、子供のようにキラキラと目を輝かせて夢中で語るガロを見るのは面白い。私も何か買おうと陳列された棚を覗き込む。……ああ、これなんて便利そうで良いな。目に留まった商品を手に取り、ガロが時間をかけて悩んでいる間に私は会計を済ませた。
買い物もそこそこに、通りがかった茶屋でゆっくりと休憩する。抹茶という飲み物の深い苦みが、三つの色が連なる団子の優しい甘味を引き立てる。昨日も思ったが、日本の食べ物は美味しい。
「ガロ、この団子の色ね。桜の変化を表してるそうよ」
「んえ?」
もごもごと団子を頬張るガロに、観光客向けの張り紙に書いてあった内容を説明する。
「ピンクが桜の木につぼみが付いた状態。満開を迎えた状態が白。散った後の葉桜が、緑なんですって。食べ物で季節の変化を表現するなんて、面白いわね。……どうしたの?」
「え、いや。何でもねぇ。すげぇよなぁ」
もちもちとした、柔らかく淡い色の団子をキレイだなぁ……と眺める私に向けたガロの表情が、一瞬いつもと違って見えたのは、気のせいだろうか。楽しい時間はあっという間で、着物を返却するためにもう一度お店へ戻った。
「どうせなら、コレも買いたかったけどなぁ……」
「確かに素敵だけど、自分では着られないもの」
着物からいつもの服装に戻って、出来上がった写真を受け取る。見慣れない着物姿で椅子に腰かけた私と、その隣に立つ袴姿のガロが映っている。すまし顔で、いつもの私たちじゃないみたいで何だか少しおかしくなってしまう。たまにはこういうのも珍しくて良い。お店の人と話し終えたガロが戻って来て、写真を覗き込みながら言う。
「やっぱりプロに撮ってもらうとキレイだな!」
「ね、私たちはぎこちないけど」
「ハハッ!……なぁ、また撮ろうぜ」
「……うん」
肩を抱き寄せたガロに頭を預けて返事をする。次に撮る時の私たちは、どんな風に成長しているだろう。少し先の未来を想像して、ほのかに期待した。
「***!起きてくれ」
肩を揺すられ、ガロの声で少しずつ意識がはっきりしていく。今日は、旅行の最終日だ。夕方には飛行機に乗るから、帰り支度もしなければ。名残惜しい気持ちで重たい瞼を開く。
「晴れたぞ!桜、見に行こうぜ」
カーテンを全開にして、窓ガラス一枚を隔てた先に広がる澄み渡った青空を背に、ガロがとびきり元気な声で言った。
「この間の雨で散ってるところも多いっぽいけど、散る瞬間もキレイなんだと」
街路樹の桜は、所々葉桜になり始めている。確かに、木に咲く花はもちろんのこと、散ったばかりの明るい花びらが道を埋め尽くしている様は美しかった。時折、それらが風に吹かれてアスファルトの上を滑るようにくるくると舞い上がっていく。暖かな風が心地い。晴れやかな気分で歩いていると、向かう先に沢山の桜が咲いているのが遠くからでも見えた。
「ここ?」
「そうだ、特にこの橋からの景色が見どころだって載ってた」
川にかかった橋の中腹まで歩き、柵に手をかけて見上げれば、川沿いに咲き乱れる桜が花のアーチを形作っていた。
「……すごい」
花弁が川の水面に浮かび、淡いピンクの絨毯を作り上げている。上から下まで、桜が視界を埋め尽くす。風に揺れた花達が擦れ、さらさらと柔らかな音を奏でる。
「良かったな、ここはまだ散ってなくて」
「ええ。本当にキレイ……」
周りの観光客が写真を撮っているのが目に留まり、自分の携帯端末を取り出す。
「写真撮ろう!帰ったらみんなにも見せたいわ」
「そうだな!」
目の前の景色を何枚か収め、ちゃんと撮れているか確認する。写真も勿論キレイだけど、やはり直接見る景色が一番だ。ほんの短い期間にしか見られないのが惜しい。橋を渡り切った先、緩やかな丘にも桜が沢山ある。ガロが近くを通りがかった人に声をかけて、写真を撮ってくれるようお願いした。
その人と少し距離を離して、一本の桜の下へ並ぶ。すると、突然ガロが私を縦に抱き上げた。
「えっ?」
「この方が近くで良く見えんだろ!」
「だからって、子供じゃないんだから……」
普通に並んで撮ると思っていたから驚いていると、どうだ?と聞かれるまま一度頭上を見上げる。枝先に咲く花を、指先でそっと触れる。
「……うん。とっても良く見える。遠くから見てもキレイだったけど、近くで見ても素敵」
「そうか」
遠くから合図の声が聞こえる。そのままの姿勢で撮影してもらい、ふとガロを見下ろせば穏やかで優しい眼差しをしていた。
……ああ、もしかして。ガロは私にこの景色を見せようと、今日までずっと一人で準備してくれたの?
「……ガロ」
「ん?」
「ありがとう」
彼の青い髪へ、唇を寄せる。きょとんとした表情のガロを笑顔で見つめていると、不意に彼の端末からアラーム音が鳴った。
「あ!ヤベェ」
「何?」
「そろそろ行かねぇと!フライト時間に遅れる!」
「……え!?」
そこからは全力で走り、死に物狂いで荷物をまとめ、空港へ向かった。先ほどまでの穏やかな時間が嘘のようにあっという間で、日本行きの便に乗った時よりも二人の息は酷く上がっていた。機内のシートで額に汗を流しながらぜえぜえと呼吸するガロに、バッグからある物を取り出して握らせた。
「ガロ、これ使って」
「……お、おぉ~!?」
「私からガロにプレゼント。タオルみたいに使えるんですって」
観光ショップで購入したお土産品の手拭いを、ガロが両手で広げる。そこには、“め組”やら“は組”という文字(バーニングレスキューで言う、隊の番号のようなものらしい)と、ガロの好きな纏が描かれていた。
「マジかよ!」
「ふふ、マジです」
「うぉー!最高だ……ありがとな!……あ、そうそうオレも」
「え?」
喜ぶ彼の反応に満足していると、今度はガロから一つの小箱を渡された。桐で作られた、軽くも品のある箱の上蓋を外すと、そこには見覚えのある簪が入っていた。
「これ……いつの間に買ってたの?」
「おう、また着けてるところが見たくてな」
ガロがにっと白い歯を見せて笑う。簪を手に取りもう一度見つめると、鈴が揺れてチリンと小さく音が鳴る。まるで、ガロの腕の中で見た桜がそのまま形になったようだ。この桜は季節が巡っても散ることなく、ずっと咲き続けるのだと思うと嬉しくてたまらない。
「嬉しい……ありがと、ガロ」
「……ああ、また行こうぜ」
サプライズのつもりだったのに考えることはお互い同じだなぁと、笑い合って指を絡める。あの桜の木の下で過ごす時間に似た、春の陽光が柔らかく美しく照らすようなあたたかな気持ちに包まれて、二人揃って眠りに落ちた。
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