『プロミス』サンプル
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ごうごうと音を鳴らして蠢く炎が、ビルのオフィスで暴れている。天井だったそれは瓦礫となり、私の体を押し潰した。手近に転がっていたパイプを握り床を叩き続けるが、どこまで音は届いているのだろう。口から吸う空気は喉を焦がすように熱い。朦朧とする意識の中で、今は遠いあの人が私を呼んでいる気がした。
「――聞こえてるよ! 諦めるな!」
……違う。この声は、あの人じゃない。誰の。数度瞬きを繰り返すと、煙でぼやけた視界の先で、赤と青の光が明滅していた。
「要救護者、発見。瓦礫に挟まれて動けないみたいだ」
「上に行って瓦礫をどかすか?」
「いや、それだとギアの重さで崩れちまう」
逃げ遅れた女性が、階上の崩れた床の端にかろうじて留まっているのが見える。上昇する煙と熱気にあてられて、このままでは酸欠の危険性が高い。
「……バリス、ここから瓦礫の隙間を広げてくれ! あの子が落ちてきたところをオレが受け止める」
「それじゃあ、オマエまで瓦礫に押しつぶされるぞ?」
「けど、やらなきゃあの子は救えねぇ」
迷っている時間は無い。ガロと視線を交わし、レミーとバリスが頷いた。隙間にギアのスプレッダーをねじ込むと、決壊した床と共に彼女が落ちてくる。
(何だ?)
一瞬、何かが煌めいた。しかし、今はそんなことに意識を向けている場合ではない。瓦礫の雨を搔い潜り、その人を受け止める。
「もう大丈夫だ! しっかり掴まってろよ」
レミーが凍結弾で炎を閉じ込め、確保された道を一気に駆け抜ける。腕の中の彼女は、首元が火傷で赤く爛れていた。たった一人で、迫りくる炎から逃げることも出来ず耐える時間は、どれほど永く恐ろしかっただろう。掠れた声が、小さく一言だけ呟いた。
目が覚めると、見慣れないベッドに横たわっていた。白い天井をぼうっと見つめるうちに、少しずつ状況を把握する。病室に訪れた医者からは、左腕の肘から手首の間の骨にヒビが入っているから、固定して安静にすること。首には火傷の痕が残るかもしれない、と説明を受けた。自分でも不思議なほど冷静に、その事実を淡々と受け入れていた。命が助かっただけ、ありがたいと思わなければ。
ある日、病室に一人の男性が見舞いに来た。彼の声を聞いた瞬間、あの現場で私を救助してくれたレスキュー隊の人だとすぐにわかった。お礼を伝える私に、彼は確認したいことがあると問いかけた。
「アンタを助ける時、“兄さん”って呼んでた。でもあの会社の人たちに聞いても、誰も兄弟のことは知らなかった。あの時、あそこにいたのか?」
意志の強い目の奥に浮かぶ、火のように赤い瞳が不安気に小さく揺らいでいる。無意識に私が呼んだその人の安否を、この人はずっと気にかけていたのか。
「兄さんは……二年前に亡くなってるわ。だから、心配する必要はないの。気にかけてくれて、ありがとう」
「そう、なのか。……わりぃ、嫌なこと聞いちまったな。……あ! 何かあれば手伝うぜ! その体じゃ、いろいろ困るだろ?」
申し訳なさそうな表情で、ガシガシと後頭部をかきながら彼が言う。気にする必要はないと伝えたかった筈なのに、逆に気を遣わせてしまったようだ。何も無いと突っぱねることも出来るが、それではきっと彼の気持ちが晴れないだろう。
「……なら、引越し」
「え?」
「私、ちょうどあの会社を辞めて、引っ越す予定だったの。社員寮だから、早く空けないと……」
「オイオイ、骨折れてんだろ? 流石にやめとけって」
「もう荷物はまとめてあるし、あとは運ぶだけだから。会社に迷惑かけたくないの。勿論、無理にとは言わないけど……」
「あ~……わかった! でも、ちゃんと医者には許可貰えよ?」
改めて、と目の前に手を差し出される。
「オレはガロ・ティモス。世界一の火消しになる男だ! よろしくな」
突き抜けた青空のような髪と瞳を携えて、屈託のない笑顔で宣言する彼の手は大きかった。
約束した引っ越し作業の日。既に段ボールへまとめた荷物をガロに車へ運んでもらいながら、私はあの火事の日に使ったままの小物や着替えを片付けていた。
「そっちの荷物もまとめるの手伝うぜ」
「こっちは大丈夫」
「遠慮すんなって!」
「……下着もあるの」
何かとアレコレ手伝おうとする彼に、それらしい理由を付けて断る。助けてくれるのはありがたいけれど、全て任せてしまっては申し訳がない。
「ぅお、わりぃ……。にしても、荷物少ねぇな? 本当にこれで全部か?」
焦った様子でワタワタと手を迷わせた後、すっかり生活感の減った部屋を見渡して、「女の人はもっと物が多いと思ってたぜ」とガロが呟く。
「これで運び出しは終わりね」
「よし! んじゃ、行くか。そういや、どこに運ぶんだ?」
「病院」
「……え?」
「次の住むところ決まってないの。元々荷物少ないし、特別に置かせてもらえることになったから」
玄関のカギを締めて、顔を上げるとガロは目を丸くして聞き返した。
「ってことは、退院した後に住むトコは、これから探すのか?」
「そういうことになるわね」
「……そうか」
傾いて強まった日差しが車内に差し込む。静かな夕暮れ時、遠ざかっていく寮の建物を助手席からミラー越しに黙って見つめる。考え事でもしているのか、運転中のガロはやけに静かだった。
その日以来、ガロは度々私の元へ見舞いに来ては、他に困っていることは無いか? あれから良い引っ越し先は見つかったか? などと聞いてくる。元々知り合いですらない、たまたま居合わせた火災現場で救助された一人とレスキュー隊員。たったそれだけの関係で、彼が私の元へ通い詰める理由がわからない。レスキューの人は、救護した人をこう何度も気に掛けるものなのだろうか。話題に困って、どうして何度も見舞いに来てくれるのか問いかけた。
「理由? う~ん……何でだろうな」
ガロ自身も本当にわからないといった面持ちで不思議そうに首を傾げたので、思わず笑ってしまった。
「なんつーか、オマエがちゃんとここにいるのか気になるんだよな……。それでつい来ちまう」
「何よそれ? 私、勝手に病院から抜け出す非常識な大人に見える?」
「そういう訳じゃ、ないんだけどよ~……」
彼が見舞いに持ってきた、黄色とオレンジ色のガーベラの花を指先で撫でる。無機質だった空間が、彼のおかげで随分と和らいだものだ。
「引っ越すつもりだって前に言ってたよな。***は、どこか行きたいところでもあるのか?」
「わからない。ただ、遠くへ行きたいかな」
「……この街は嫌いか?」
そう聞かれて、上手く答えられなかった。ガロはよく、どこの店の人は面白いとか、ここの料理が美味しいという話を聞かせてくれた。そして、彼が所属するバーニングレスキューの仲間たちと共にこの街を守っていることに、誇りを持っているのだろうと、これまで重ねた会話から容易に想像出来た。
「心配しなくても、退院したら挨拶くらい行くわ。あなたの同僚にも、ちゃんとお礼したいし」
彼が所属する隊と、消防局本部の場所を確認して会いに行くことを約束した。退院の日は少しずつ近付いている。きっと、それを最後にもう会うことも無いのだろう。
退院の手続きもひと段落して、私は約束通り消防局本部へ足を運んだ。大きな道路に面した建物の開いたシャッターから、きょろきょろと中の様子を伺っていると、レスキューギアの整備をしていた男性が気づいて声をかけてくれた。
「何かお困りですか?」
「すみません、バーニングレスキューの三番隊の皆さんに用があって来ました」
「ああ、それならここで合ってますよ」
知的な印象の、メガネをかけた男性に案内されて奥の部屋へ続く。
「今日はどういったご用事で?」
「私、この前火事の中から助けていただいたんです。本当にありがとうございました。良かったらコレ、皆さんでどうぞ」
お礼に持ってきたドーナツ入りの箱を差し出すと、奥から聞き馴染んだ声が聞こえた。
「おー? ***じゃねぇか! もう大丈夫なのか?」
「ええ。まだ腕は激しく動かさないように言われてるけど、普通に過ごす程度なら支障ないって」
「そりゃ良かった! ……思ってたより、早かったな」
「そう? ……いろいろとありがとう、ガロ。短い間だったけど、おかげで退屈しなかったわ」
握手をしようと手を差し出す。が、ガロは私の手を見つめてしばし固まった。
「……オレ、は」
「?」
小さな声で、何か言おうとしている。首を傾げて言葉の続きを待つと、今度は大きな声が室内に反響した。
「オレが! アンタのダンナになってみせる‼︎」
「……ん?」
「えぇ〜っ⁉︎」
突拍子もない言葉に、私の聞き間違いだろうかともう一度聞き返すより早く、周りの隊員たちから動揺の声が上がった。モニターの前にいた少女は装着していたモノクルを外してものすごい勢いでこちらへ駆け寄り、主を失った椅子は反動でくるくると回転した。サイドテールの髪型が特徴的な少女は、仮眠用と思われるベッドから飛び起きて、私の背中をぐいぐいと押しガロから距離を取る。あっという間に部屋の隅へと追いやられてしまった。
「何、なに? いったいどーいうこと⁉︎」
「や、あの、私が聞きたいんですけど……」
「あの火消しバカにそんな感情あったんだ⁉︎ 道理で最近よく病院に行ってると思ったー! 花なんて買うタイプじゃないもん」
「お見舞いに花は一般的では? きっと、何かの言い間違いですよ」
興奮する二人に落ち着くよう宥める傍らで、私と同様に周りの男性から詰め寄られているガロの姿が見えた。
「いきなり何を言ってるんだ?」
「ハァ?」
「オマエ、いくらなんでも順序ってものがあるだろ!」
「順序も何も、あのまま放っておけねぇよ。オレは、ダンナに救われてここまでこれた。どうすんのが一番いいのかわからねぇが、あの子にもそういう人が一人くらいいたっていいだろ!」
「ダンナになるってそういう意味か……」
「このバカ……! もっと言葉を選べ!」
距離を置いた意味が無い程の声量が、部屋の隅まで届く。それを聞いた目の前の少女が、納得した様子で眉を下げながら説明してくれた。
「ああ~そういうことか。ごめんね〜……ガロって子供の頃にクレイ司政官に救われてから、尊敬してダンナって呼んでて。そういう男になってみせるって言うつもりだったみたいね」
「バカだわァ……」
「は、はぁ……そうですか」
まっすぐで親切な人柄だと薄々感じてはいたが、お人好し過ぎはしないだろうか。誤解が解けて、やれやれといった様子でガロがこちらへ歩いてきた。誰のせいで、こんな騒ぎになったと思ってるのか。
「わりぃ! わりぃ! なぁ、まだ行くアテ決まってないんだろ? だったらオレのとこに来いよ。ルームシェアってヤツだ!」
「流石に、そこまでお世話になる訳には……」
「……そう言うと思ってな、実はアンタの荷物を一箱だけオレの家に運んであるんだよ」
「ああ〜……? 道理で」
「道理で?」
「下着の入った箱だけ見当たらないと思ったら、貴方が持ってたのね」
とびきり大きな拳が、ガロの頭に落ちてきた。仮にも恩人なのに、余計なことを言ってしまったかもしれないと、目を回す彼に申し訳なく思った。
病室より幾分か生活感のある、けれど慣れないベッドで目を覚ます。結局あの後、流されるままに次の仕事が決まるまでの間、ガロのアパートに住むことになった。万が一腕が悪化してはいけないからと、ベッドで眠るように勧められて1LDKの一室を使わせてもらい、ガロはリビングのソファベッドで眠っていた。そこに続く戸を開くと、彼はちょうど家を出るところだった。
「おっ! 早いな。よく眠れたか?」
「うん、おはよう。今から仕事?」
「ああ。オレはもう行くけど、テーブルにスペアキー置いてあるから、出かける時はソレ使ってくれ」
「わかった。……ガロ」
「ん?」
「行ってらっしゃい」
「……おう!」
笑顔で出ていくガロに手を振る。誰かを見送る朝は、いつぶりだろう。そんなことを考えながら朝食を食べていると、部屋に赤い上着が吊るされていることに気づく。袖に黄色いラインが入ったそれには見覚えがある。バーニングレスキューの隊員が身に着けているジャケットだ。
「……これ、必要よね?」
昨日訪れたばかりの本部へ再び足を運び、忘れ物を届けに来た旨を伝えるとガロの元へ案内された。彼はブランケットを畳んで作った枕に頭を置き、レスキューモービルの床で鼻提灯を膨らましながら眠っていた。……やっぱり、ソファではよく眠れなかったのではないだろうか。起こさないようにジャケットを体にかけて帰ろうとした矢先、けたたましいサイレン音と出動のアナウンスが鳴り響いた。あっという間に隊員の人たちが乗り込んできて、降りる暇も無くそのまま現場へと走り出してしまった。
「あ~、その辺適当に座っててェ。機械には触らないでちょうだいね」
「悪いね、戻るまではここで大人しくしててくれ」
「いえ……お気をつけて!」
現場の状況が映し出されたモニターから目は離さずに、ルチアが言う。レミーとバリスがルチアと拳を突き合わせると、私にもその拳が向けられたので同じようにする。彼らの乗ったレスキューギアが、外へ送り出された。
「ガロも、気をつけて」
「おうよ! 残らず鎮火してくらぁ!」
二人に続いて、ガロにも同じように拳を向けようとしたら、彼は自分の手に口付けをして、こちらへ投げつけた。その行動に面食らっているうちに、彼もまた外へ送り出される。外に集まった野次馬へ同様に投げつけているのが、モニター越しに見えた。
「まーた、やってるよ~」
「そ、そうなのね、ビックリしたわ!」
きっと、これはいつものことなのだ、と落ち着かない心に言い聞かせる。ふと、モニターに映し出されたマップと現場の様子を見て、あることに気がつく。
「このビル、裏に古い家があった筈……確か、」
言いかけた瞬間、火事で燃え上がっているビルから消火用のポンプが吹き飛ばされ、大きな音を立てて裏手へ落下した。ルチアが遠隔操作した小型カメラのサーモグラフィ映像には、ビル街に似つかわしくない小さな家の中に、人間のシルエットが映っていた。あの人は。考える間もなく、外へ飛び出す。テラスに続くドアから家へ入ると、一人の老婆がいた。おぼつかない体を支えて連れ出そうとするが、私の力では抱えきれない。腕に痛みが走って歯を食いしばる。暴れ狂う炎が、窓のガラスを叩き割った。
「無事か⁉︎」
破片から庇うように伏せた顔を上げると、そこにはガロがいた。彼が老婆を抱え上げて、三人で命からがら逃げ出した。
「すみませんでした」
現場の消火が完了して消防局本部に戻った後、私はある一室でバーニングレスキューの隊長であるイグニス・エクスの前で縮こまっていた。隊の人間ですらない素人が、個人の判断で現場へ飛び出したのだから、大問題だろう。サングラス越しに刺さる視線が痛い。自分に非があると理解していながら、今に怒鳴り声が飛んでくるのかと思うと恐ろしい。彼はしばらく黙った後、ふうと息を吐いて言葉を発した。
「まあ、とにかく無事で良かった」
第一声はそれだった。優しい人だ、と思った。勝手な真似をした私を責めるよりも先に出たその言葉が、震える体をほぐす。
「オレたちの仕事は、人命救助と消火だ。助かったから良かったが、間に合わなければ貴方の命を失っていた。……だが、貴方のおかげで助かった命があるのも事実だ」
私が駆けつけたあの家は古く、三十年前の大炎上より前に建てられたものだった。運良く残っていたものの、現在の建物よりも耐火性能は遥かに劣っていた。実際、今回の火災で住み続けることは叶わないほど燃えてしまったようだ。
「どうして、あの家があるとすぐにわかった?」
「……以前、仕事で古い建物の調査をしていました。あの人は、主人が残してくれた家だからと住み続けていたのが印象的で、覚えていたんです」
プロメポリスは、バーニッシュ対策に優れた耐火構造と消火設備を採用した建物で作られた街だ。けれど、元々残っていた建物はそうはいかない。その所有者に同意を得て、古い建物は取り壊すのが一般的だった。あの老婆は、新しい居住地の提案をしても、万が一の危険性を示しても、家族との最後の繋がりであるそこに住み続けることを選択したのだ。そうして、今日の火災に巻き込まれた。イグニスは、ふむ、と顎を撫でて納得した後、私に提案した。
「その経験を、うちで活かしてみる気はないか?」
「……え?」
「バーニングレスキューは人手不足でな。火の手が上がる前に対策出来るのが理想だが、消火活動で手が回らないのが現状だ」
過去の火災記録を整理して、バーニッシュが放火する傾向と今後の警戒すべき地区の調査をしたいと思っていた……と説明される。勿論、無断で現場へ踏み込むことは禁止。出動する時はモービルの中で待機。必要に応じて、隊員のサポートをこなしてほしいと。
つまりは、バーニングレスキューへのスカウトをされたのだった。
隊長が***をバーニングレスキューに誘ったという話は聞いていた。それから約一週間。返事を保留にしている***は、オレが非番の日に家を空けることが多かった。いったいどこに行ってるのか気になり、コッソリと跡を付ける。今日は図書館に行くと言っていたが、現在彼女は近くの公園でベンチに腰を掛けてぼーっと空を見上げている。時折、通りがかった散歩中の犬が構ってほしいと言わんばかりに彼女に戯れる。それに応えて毛並みを撫でる瞬間だけは、穏やかに微笑みを浮かべていた。
(本当に何してんだ……?)
その後、公園から歩き出した彼女を見失わないように、一定の距離を保ちながら再び着いていく。
「おー! ガロ、今日は休みか? 何してんだ?」
「シーッ! わりぃ、用事あるからまた今度な……!」
知り合いから声をかけられ、気づかれないかヒヤヒヤしながら通りの角を曲がる。すると、目の前に***が待ち構えていた。
「ガロ?」
「うぉッ⁉︎ お、お~……偶然だな!」
「……そうね、何してるの?」
「え……あ〜、アレだ! 気になってた映画が始まったから、観にきたトコ!」
「へぇ」
「……せっかくだから、一緒に観るか?」
咄嗟に近くの映画館を指差す。勿論こんなのはたった今考えた言い訳で、観たい映画なんて決まっていない。空しく持ち上げた指をゆっくりと下ろしながら流れで誘ってみると、彼女は静かに頷いた。
★続きは頒布本にてお読みいただけます。→★夢小説本 通頒のご案内
「――聞こえてるよ! 諦めるな!」
……違う。この声は、あの人じゃない。誰の。数度瞬きを繰り返すと、煙でぼやけた視界の先で、赤と青の光が明滅していた。
「要救護者、発見。瓦礫に挟まれて動けないみたいだ」
「上に行って瓦礫をどかすか?」
「いや、それだとギアの重さで崩れちまう」
逃げ遅れた女性が、階上の崩れた床の端にかろうじて留まっているのが見える。上昇する煙と熱気にあてられて、このままでは酸欠の危険性が高い。
「……バリス、ここから瓦礫の隙間を広げてくれ! あの子が落ちてきたところをオレが受け止める」
「それじゃあ、オマエまで瓦礫に押しつぶされるぞ?」
「けど、やらなきゃあの子は救えねぇ」
迷っている時間は無い。ガロと視線を交わし、レミーとバリスが頷いた。隙間にギアのスプレッダーをねじ込むと、決壊した床と共に彼女が落ちてくる。
(何だ?)
一瞬、何かが煌めいた。しかし、今はそんなことに意識を向けている場合ではない。瓦礫の雨を搔い潜り、その人を受け止める。
「もう大丈夫だ! しっかり掴まってろよ」
レミーが凍結弾で炎を閉じ込め、確保された道を一気に駆け抜ける。腕の中の彼女は、首元が火傷で赤く爛れていた。たった一人で、迫りくる炎から逃げることも出来ず耐える時間は、どれほど永く恐ろしかっただろう。掠れた声が、小さく一言だけ呟いた。
目が覚めると、見慣れないベッドに横たわっていた。白い天井をぼうっと見つめるうちに、少しずつ状況を把握する。病室に訪れた医者からは、左腕の肘から手首の間の骨にヒビが入っているから、固定して安静にすること。首には火傷の痕が残るかもしれない、と説明を受けた。自分でも不思議なほど冷静に、その事実を淡々と受け入れていた。命が助かっただけ、ありがたいと思わなければ。
ある日、病室に一人の男性が見舞いに来た。彼の声を聞いた瞬間、あの現場で私を救助してくれたレスキュー隊の人だとすぐにわかった。お礼を伝える私に、彼は確認したいことがあると問いかけた。
「アンタを助ける時、“兄さん”って呼んでた。でもあの会社の人たちに聞いても、誰も兄弟のことは知らなかった。あの時、あそこにいたのか?」
意志の強い目の奥に浮かぶ、火のように赤い瞳が不安気に小さく揺らいでいる。無意識に私が呼んだその人の安否を、この人はずっと気にかけていたのか。
「兄さんは……二年前に亡くなってるわ。だから、心配する必要はないの。気にかけてくれて、ありがとう」
「そう、なのか。……わりぃ、嫌なこと聞いちまったな。……あ! 何かあれば手伝うぜ! その体じゃ、いろいろ困るだろ?」
申し訳なさそうな表情で、ガシガシと後頭部をかきながら彼が言う。気にする必要はないと伝えたかった筈なのに、逆に気を遣わせてしまったようだ。何も無いと突っぱねることも出来るが、それではきっと彼の気持ちが晴れないだろう。
「……なら、引越し」
「え?」
「私、ちょうどあの会社を辞めて、引っ越す予定だったの。社員寮だから、早く空けないと……」
「オイオイ、骨折れてんだろ? 流石にやめとけって」
「もう荷物はまとめてあるし、あとは運ぶだけだから。会社に迷惑かけたくないの。勿論、無理にとは言わないけど……」
「あ~……わかった! でも、ちゃんと医者には許可貰えよ?」
改めて、と目の前に手を差し出される。
「オレはガロ・ティモス。世界一の火消しになる男だ! よろしくな」
突き抜けた青空のような髪と瞳を携えて、屈託のない笑顔で宣言する彼の手は大きかった。
約束した引っ越し作業の日。既に段ボールへまとめた荷物をガロに車へ運んでもらいながら、私はあの火事の日に使ったままの小物や着替えを片付けていた。
「そっちの荷物もまとめるの手伝うぜ」
「こっちは大丈夫」
「遠慮すんなって!」
「……下着もあるの」
何かとアレコレ手伝おうとする彼に、それらしい理由を付けて断る。助けてくれるのはありがたいけれど、全て任せてしまっては申し訳がない。
「ぅお、わりぃ……。にしても、荷物少ねぇな? 本当にこれで全部か?」
焦った様子でワタワタと手を迷わせた後、すっかり生活感の減った部屋を見渡して、「女の人はもっと物が多いと思ってたぜ」とガロが呟く。
「これで運び出しは終わりね」
「よし! んじゃ、行くか。そういや、どこに運ぶんだ?」
「病院」
「……え?」
「次の住むところ決まってないの。元々荷物少ないし、特別に置かせてもらえることになったから」
玄関のカギを締めて、顔を上げるとガロは目を丸くして聞き返した。
「ってことは、退院した後に住むトコは、これから探すのか?」
「そういうことになるわね」
「……そうか」
傾いて強まった日差しが車内に差し込む。静かな夕暮れ時、遠ざかっていく寮の建物を助手席からミラー越しに黙って見つめる。考え事でもしているのか、運転中のガロはやけに静かだった。
その日以来、ガロは度々私の元へ見舞いに来ては、他に困っていることは無いか? あれから良い引っ越し先は見つかったか? などと聞いてくる。元々知り合いですらない、たまたま居合わせた火災現場で救助された一人とレスキュー隊員。たったそれだけの関係で、彼が私の元へ通い詰める理由がわからない。レスキューの人は、救護した人をこう何度も気に掛けるものなのだろうか。話題に困って、どうして何度も見舞いに来てくれるのか問いかけた。
「理由? う~ん……何でだろうな」
ガロ自身も本当にわからないといった面持ちで不思議そうに首を傾げたので、思わず笑ってしまった。
「なんつーか、オマエがちゃんとここにいるのか気になるんだよな……。それでつい来ちまう」
「何よそれ? 私、勝手に病院から抜け出す非常識な大人に見える?」
「そういう訳じゃ、ないんだけどよ~……」
彼が見舞いに持ってきた、黄色とオレンジ色のガーベラの花を指先で撫でる。無機質だった空間が、彼のおかげで随分と和らいだものだ。
「引っ越すつもりだって前に言ってたよな。***は、どこか行きたいところでもあるのか?」
「わからない。ただ、遠くへ行きたいかな」
「……この街は嫌いか?」
そう聞かれて、上手く答えられなかった。ガロはよく、どこの店の人は面白いとか、ここの料理が美味しいという話を聞かせてくれた。そして、彼が所属するバーニングレスキューの仲間たちと共にこの街を守っていることに、誇りを持っているのだろうと、これまで重ねた会話から容易に想像出来た。
「心配しなくても、退院したら挨拶くらい行くわ。あなたの同僚にも、ちゃんとお礼したいし」
彼が所属する隊と、消防局本部の場所を確認して会いに行くことを約束した。退院の日は少しずつ近付いている。きっと、それを最後にもう会うことも無いのだろう。
退院の手続きもひと段落して、私は約束通り消防局本部へ足を運んだ。大きな道路に面した建物の開いたシャッターから、きょろきょろと中の様子を伺っていると、レスキューギアの整備をしていた男性が気づいて声をかけてくれた。
「何かお困りですか?」
「すみません、バーニングレスキューの三番隊の皆さんに用があって来ました」
「ああ、それならここで合ってますよ」
知的な印象の、メガネをかけた男性に案内されて奥の部屋へ続く。
「今日はどういったご用事で?」
「私、この前火事の中から助けていただいたんです。本当にありがとうございました。良かったらコレ、皆さんでどうぞ」
お礼に持ってきたドーナツ入りの箱を差し出すと、奥から聞き馴染んだ声が聞こえた。
「おー? ***じゃねぇか! もう大丈夫なのか?」
「ええ。まだ腕は激しく動かさないように言われてるけど、普通に過ごす程度なら支障ないって」
「そりゃ良かった! ……思ってたより、早かったな」
「そう? ……いろいろとありがとう、ガロ。短い間だったけど、おかげで退屈しなかったわ」
握手をしようと手を差し出す。が、ガロは私の手を見つめてしばし固まった。
「……オレ、は」
「?」
小さな声で、何か言おうとしている。首を傾げて言葉の続きを待つと、今度は大きな声が室内に反響した。
「オレが! アンタのダンナになってみせる‼︎」
「……ん?」
「えぇ〜っ⁉︎」
突拍子もない言葉に、私の聞き間違いだろうかともう一度聞き返すより早く、周りの隊員たちから動揺の声が上がった。モニターの前にいた少女は装着していたモノクルを外してものすごい勢いでこちらへ駆け寄り、主を失った椅子は反動でくるくると回転した。サイドテールの髪型が特徴的な少女は、仮眠用と思われるベッドから飛び起きて、私の背中をぐいぐいと押しガロから距離を取る。あっという間に部屋の隅へと追いやられてしまった。
「何、なに? いったいどーいうこと⁉︎」
「や、あの、私が聞きたいんですけど……」
「あの火消しバカにそんな感情あったんだ⁉︎ 道理で最近よく病院に行ってると思ったー! 花なんて買うタイプじゃないもん」
「お見舞いに花は一般的では? きっと、何かの言い間違いですよ」
興奮する二人に落ち着くよう宥める傍らで、私と同様に周りの男性から詰め寄られているガロの姿が見えた。
「いきなり何を言ってるんだ?」
「ハァ?」
「オマエ、いくらなんでも順序ってものがあるだろ!」
「順序も何も、あのまま放っておけねぇよ。オレは、ダンナに救われてここまでこれた。どうすんのが一番いいのかわからねぇが、あの子にもそういう人が一人くらいいたっていいだろ!」
「ダンナになるってそういう意味か……」
「このバカ……! もっと言葉を選べ!」
距離を置いた意味が無い程の声量が、部屋の隅まで届く。それを聞いた目の前の少女が、納得した様子で眉を下げながら説明してくれた。
「ああ~そういうことか。ごめんね〜……ガロって子供の頃にクレイ司政官に救われてから、尊敬してダンナって呼んでて。そういう男になってみせるって言うつもりだったみたいね」
「バカだわァ……」
「は、はぁ……そうですか」
まっすぐで親切な人柄だと薄々感じてはいたが、お人好し過ぎはしないだろうか。誤解が解けて、やれやれといった様子でガロがこちらへ歩いてきた。誰のせいで、こんな騒ぎになったと思ってるのか。
「わりぃ! わりぃ! なぁ、まだ行くアテ決まってないんだろ? だったらオレのとこに来いよ。ルームシェアってヤツだ!」
「流石に、そこまでお世話になる訳には……」
「……そう言うと思ってな、実はアンタの荷物を一箱だけオレの家に運んであるんだよ」
「ああ〜……? 道理で」
「道理で?」
「下着の入った箱だけ見当たらないと思ったら、貴方が持ってたのね」
とびきり大きな拳が、ガロの頭に落ちてきた。仮にも恩人なのに、余計なことを言ってしまったかもしれないと、目を回す彼に申し訳なく思った。
病室より幾分か生活感のある、けれど慣れないベッドで目を覚ます。結局あの後、流されるままに次の仕事が決まるまでの間、ガロのアパートに住むことになった。万が一腕が悪化してはいけないからと、ベッドで眠るように勧められて1LDKの一室を使わせてもらい、ガロはリビングのソファベッドで眠っていた。そこに続く戸を開くと、彼はちょうど家を出るところだった。
「おっ! 早いな。よく眠れたか?」
「うん、おはよう。今から仕事?」
「ああ。オレはもう行くけど、テーブルにスペアキー置いてあるから、出かける時はソレ使ってくれ」
「わかった。……ガロ」
「ん?」
「行ってらっしゃい」
「……おう!」
笑顔で出ていくガロに手を振る。誰かを見送る朝は、いつぶりだろう。そんなことを考えながら朝食を食べていると、部屋に赤い上着が吊るされていることに気づく。袖に黄色いラインが入ったそれには見覚えがある。バーニングレスキューの隊員が身に着けているジャケットだ。
「……これ、必要よね?」
昨日訪れたばかりの本部へ再び足を運び、忘れ物を届けに来た旨を伝えるとガロの元へ案内された。彼はブランケットを畳んで作った枕に頭を置き、レスキューモービルの床で鼻提灯を膨らましながら眠っていた。……やっぱり、ソファではよく眠れなかったのではないだろうか。起こさないようにジャケットを体にかけて帰ろうとした矢先、けたたましいサイレン音と出動のアナウンスが鳴り響いた。あっという間に隊員の人たちが乗り込んできて、降りる暇も無くそのまま現場へと走り出してしまった。
「あ~、その辺適当に座っててェ。機械には触らないでちょうだいね」
「悪いね、戻るまではここで大人しくしててくれ」
「いえ……お気をつけて!」
現場の状況が映し出されたモニターから目は離さずに、ルチアが言う。レミーとバリスがルチアと拳を突き合わせると、私にもその拳が向けられたので同じようにする。彼らの乗ったレスキューギアが、外へ送り出された。
「ガロも、気をつけて」
「おうよ! 残らず鎮火してくらぁ!」
二人に続いて、ガロにも同じように拳を向けようとしたら、彼は自分の手に口付けをして、こちらへ投げつけた。その行動に面食らっているうちに、彼もまた外へ送り出される。外に集まった野次馬へ同様に投げつけているのが、モニター越しに見えた。
「まーた、やってるよ~」
「そ、そうなのね、ビックリしたわ!」
きっと、これはいつものことなのだ、と落ち着かない心に言い聞かせる。ふと、モニターに映し出されたマップと現場の様子を見て、あることに気がつく。
「このビル、裏に古い家があった筈……確か、」
言いかけた瞬間、火事で燃え上がっているビルから消火用のポンプが吹き飛ばされ、大きな音を立てて裏手へ落下した。ルチアが遠隔操作した小型カメラのサーモグラフィ映像には、ビル街に似つかわしくない小さな家の中に、人間のシルエットが映っていた。あの人は。考える間もなく、外へ飛び出す。テラスに続くドアから家へ入ると、一人の老婆がいた。おぼつかない体を支えて連れ出そうとするが、私の力では抱えきれない。腕に痛みが走って歯を食いしばる。暴れ狂う炎が、窓のガラスを叩き割った。
「無事か⁉︎」
破片から庇うように伏せた顔を上げると、そこにはガロがいた。彼が老婆を抱え上げて、三人で命からがら逃げ出した。
「すみませんでした」
現場の消火が完了して消防局本部に戻った後、私はある一室でバーニングレスキューの隊長であるイグニス・エクスの前で縮こまっていた。隊の人間ですらない素人が、個人の判断で現場へ飛び出したのだから、大問題だろう。サングラス越しに刺さる視線が痛い。自分に非があると理解していながら、今に怒鳴り声が飛んでくるのかと思うと恐ろしい。彼はしばらく黙った後、ふうと息を吐いて言葉を発した。
「まあ、とにかく無事で良かった」
第一声はそれだった。優しい人だ、と思った。勝手な真似をした私を責めるよりも先に出たその言葉が、震える体をほぐす。
「オレたちの仕事は、人命救助と消火だ。助かったから良かったが、間に合わなければ貴方の命を失っていた。……だが、貴方のおかげで助かった命があるのも事実だ」
私が駆けつけたあの家は古く、三十年前の大炎上より前に建てられたものだった。運良く残っていたものの、現在の建物よりも耐火性能は遥かに劣っていた。実際、今回の火災で住み続けることは叶わないほど燃えてしまったようだ。
「どうして、あの家があるとすぐにわかった?」
「……以前、仕事で古い建物の調査をしていました。あの人は、主人が残してくれた家だからと住み続けていたのが印象的で、覚えていたんです」
プロメポリスは、バーニッシュ対策に優れた耐火構造と消火設備を採用した建物で作られた街だ。けれど、元々残っていた建物はそうはいかない。その所有者に同意を得て、古い建物は取り壊すのが一般的だった。あの老婆は、新しい居住地の提案をしても、万が一の危険性を示しても、家族との最後の繋がりであるそこに住み続けることを選択したのだ。そうして、今日の火災に巻き込まれた。イグニスは、ふむ、と顎を撫でて納得した後、私に提案した。
「その経験を、うちで活かしてみる気はないか?」
「……え?」
「バーニングレスキューは人手不足でな。火の手が上がる前に対策出来るのが理想だが、消火活動で手が回らないのが現状だ」
過去の火災記録を整理して、バーニッシュが放火する傾向と今後の警戒すべき地区の調査をしたいと思っていた……と説明される。勿論、無断で現場へ踏み込むことは禁止。出動する時はモービルの中で待機。必要に応じて、隊員のサポートをこなしてほしいと。
つまりは、バーニングレスキューへのスカウトをされたのだった。
隊長が***をバーニングレスキューに誘ったという話は聞いていた。それから約一週間。返事を保留にしている***は、オレが非番の日に家を空けることが多かった。いったいどこに行ってるのか気になり、コッソリと跡を付ける。今日は図書館に行くと言っていたが、現在彼女は近くの公園でベンチに腰を掛けてぼーっと空を見上げている。時折、通りがかった散歩中の犬が構ってほしいと言わんばかりに彼女に戯れる。それに応えて毛並みを撫でる瞬間だけは、穏やかに微笑みを浮かべていた。
(本当に何してんだ……?)
その後、公園から歩き出した彼女を見失わないように、一定の距離を保ちながら再び着いていく。
「おー! ガロ、今日は休みか? 何してんだ?」
「シーッ! わりぃ、用事あるからまた今度な……!」
知り合いから声をかけられ、気づかれないかヒヤヒヤしながら通りの角を曲がる。すると、目の前に***が待ち構えていた。
「ガロ?」
「うぉッ⁉︎ お、お~……偶然だな!」
「……そうね、何してるの?」
「え……あ〜、アレだ! 気になってた映画が始まったから、観にきたトコ!」
「へぇ」
「……せっかくだから、一緒に観るか?」
咄嗟に近くの映画館を指差す。勿論こんなのはたった今考えた言い訳で、観たい映画なんて決まっていない。空しく持ち上げた指をゆっくりと下ろしながら流れで誘ってみると、彼女は静かに頷いた。
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