アンタレスの懸想
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風邪をひいたのだろうか。授業の真っ最中、やけに体が暑くて机に伏せる。
(この授業が終わったら、保健室に行こう)
どうにか熱を逃したくて、腕を机に張り付ける。ひんやりと心地よく感じられたのは、初めの数十秒くらいだった。そのままボーッとしていると、クラスのみんなが驚く声をあげてガタガタと席を立ち上がり廊下側へ駆けていく。顔をあげると、周りに炎が広がっていた。火事だ!と思って、慌てて立ち上がってやっと気がついた。燃え広がる炎の中心にいるのは、私自身なのだと。
『お嬢さんは、突然変異でバーニッシュになったと見て間違いないでしょう』
初めて入った学校の応接室、消防関係者に淡々と説明されると、両親は深刻な表情をした。バーニッシュ。ニュースや授業で聞いたことがある、発火する人間のこと。
『残念ながら日本では、バーニッシュが非バーニッシュと共に安全に生活を送れるほどの環境が整っていません。お嬢さんが自分で発火をコントロールできるようになるまで当面の間は、緊急火災やバーニッシュ対策に最も優れたプロメポリスで過ごしていただくことになります』
炎が周囲に燃え広がらないように頭から手足の先まで全身を覆う耐火服越しに聞こえる情報は、どこか現実味がなく、他人事のようだった。
『遠くへ離れてしまうけれど、手紙を送るわ。必ずまた一緒に、お家に帰りましょうね』
私の手を握る母の手も、肩を抱きしめる父の腕も、厚い耐火服越しでは体温も感触すらもわからなかった。
何の実感も湧かないまま、一人で日本を発った。
施設員がボードに書いた言葉を、日本から唯一持参した電子辞書で調べながら会話をする。炎で壊れてしまわないように、耐火素材で包まれている。外部と連絡を取る携帯電話などの通信端末は、耐火素材との両立が難しくて実現できないのだと聞いた。両親からの手紙は、まだ届いていない。こんなことになるとわかっていたら、英語をもっと真面目に学んでおけばよかった。
「手のひらから炎を出して」
現地の慣れない英語を理解し、意思疎通するのも一苦労だ。ジェスチャーや合図を頼りにして、指示された通りに少しずつ炎を出す。私はこの炎をどれだけ出すことが出来るのだろう。
もっと、もっと燃やして──
「ストップ!」
大きな声を出され、ハッと慌てて炎をおさめる。自由自在に炎を抑えられるようになくちゃ、日本には帰れない。ガラスで仕切られた部屋の外で、何人かの施設員が記録を取っている。与えられた部屋から移動して、炎を出しては消したり、体の検査を繰り返す日々が続いた。
ある日、検査を終えて部屋に戻ると、私と同じくらいの年齢に見えるバーニッシュの女性がいた。
「これからは、二人でこの部屋を使うこと」
そう伝えられ扉が閉められた後、私はその女性に簡単な挨拶をした。
「はじめまして」
「……」
俯いたまま返事がない。人見知りなのかな……?もしかしたら、彼女も私と同じように突然故郷を離れて不安なのかもしれない。
「私は、日本から来たの。ここからずっと東にある国。不安だと思うけど、早く帰れるように一緒に治療頑張ろう?」
辞書を使って英訳した言葉を口に出して伝えると、反応があった。顔をあげた彼女の見開かれた目と私の目が合う。何かを言おうとして一度唇が開かれたが、結局彼女は何も言わなかった。何か発音がおかしかったのかな……。もっと英語を話せるようになろうと考えながら、その日は眠りについた。何もない部屋の無機質な床は硬くて冷たい。お家のベッドが恋しくなった。
同室の彼女が来てから、どのくらい経っただろう。少しでも話せるようになりたくて、私は辞書で言葉を調べながら彼女に話しかける日々を送った。相変わらず彼女は話してくれなかったけれど、無視している様子はなく、私が一方的に話しかけるのを聞いてはほんの少しだけ微笑んでくれた。だけどその顔はどこか悲しくて、寂しいものに感じられた。
ある日、部屋に戻ってきた彼女は体のあちこちに包帯を巻いた姿をして、フラフラとした足取りで部屋に入り倒れた。それなのに、連れて来た施設員はそのまま帰ろうとする。
「ま、待って……!この子、具合が悪そう!助けて!」
私が声をかけても立ち止まる様子がない。引き止めようと腕を掴むと、引き剥がすようにして突き飛ばされた。
「──!」
今まで聞いたことが無い怒鳴り声に体が竦む。その男の人は蔑んだ目をこちらに向けており、そのまま勢いよく扉が閉じられた。
“触るな、バーニッシュが!”
そう言われたのだと、わかってしまった。小さな呻き声が聞こえて、呆然としていた思考が動き出す。倒れた彼女に近づき、手を握り必死に声をかける。
「大丈夫?どうしたの……どこが苦しいの?」
苦しそうな表情で、口から弱々しい呼吸が漏れている。絞り出すようなか細い声が告げる。
「……逃げて。貴方も実験される…………」
その一言を最後に、目が閉じられる。どういうこと?だめ、だめ、しっかりして!
再び助けを呼ぼうと思った瞬間、私は自分の目を疑った。彼女の全身が白く染まり、パラパラと灰になって崩れては私の手のひらから零れ落ちた。そこには初めから誰もいなかったかのように、骨さえ残らず彼女は消えた。
先ほどの施設員の態度。目の前で灰となって消えた彼女。実験という言葉。考えたくない仮説が次々と脳内に現れる。
隔離された部屋にベッドの一つすらないのは、誤って燃やさないためだと思っていた。
プロメポリスへ連れられた時、荷物のように扱われたのも。
両親から手紙が届かないのも。
食事が質素であることも。
外へ出ることができないのも。
全て周囲の安全確保と、治療のためだと信じて疑わなかった。
「私が、バーニッシュだから……?」
クラスメイトと両親は、私をどんな目で見ていた?ああ、そうか。今になって気づくなんて。自分の馬鹿さ加減に反吐が出る。あの日。教室で炎に包まれた瞬間から、私は人間ではなくなった。周囲を燃やし、恐れを与える危険な存在。
そんなもの、誰が対等に扱ってくれるというの?
(この授業が終わったら、保健室に行こう)
どうにか熱を逃したくて、腕を机に張り付ける。ひんやりと心地よく感じられたのは、初めの数十秒くらいだった。そのままボーッとしていると、クラスのみんなが驚く声をあげてガタガタと席を立ち上がり廊下側へ駆けていく。顔をあげると、周りに炎が広がっていた。火事だ!と思って、慌てて立ち上がってやっと気がついた。燃え広がる炎の中心にいるのは、私自身なのだと。
『お嬢さんは、突然変異でバーニッシュになったと見て間違いないでしょう』
初めて入った学校の応接室、消防関係者に淡々と説明されると、両親は深刻な表情をした。バーニッシュ。ニュースや授業で聞いたことがある、発火する人間のこと。
『残念ながら日本では、バーニッシュが非バーニッシュと共に安全に生活を送れるほどの環境が整っていません。お嬢さんが自分で発火をコントロールできるようになるまで当面の間は、緊急火災やバーニッシュ対策に最も優れたプロメポリスで過ごしていただくことになります』
炎が周囲に燃え広がらないように頭から手足の先まで全身を覆う耐火服越しに聞こえる情報は、どこか現実味がなく、他人事のようだった。
『遠くへ離れてしまうけれど、手紙を送るわ。必ずまた一緒に、お家に帰りましょうね』
私の手を握る母の手も、肩を抱きしめる父の腕も、厚い耐火服越しでは体温も感触すらもわからなかった。
何の実感も湧かないまま、一人で日本を発った。
施設員がボードに書いた言葉を、日本から唯一持参した電子辞書で調べながら会話をする。炎で壊れてしまわないように、耐火素材で包まれている。外部と連絡を取る携帯電話などの通信端末は、耐火素材との両立が難しくて実現できないのだと聞いた。両親からの手紙は、まだ届いていない。こんなことになるとわかっていたら、英語をもっと真面目に学んでおけばよかった。
「手のひらから炎を出して」
現地の慣れない英語を理解し、意思疎通するのも一苦労だ。ジェスチャーや合図を頼りにして、指示された通りに少しずつ炎を出す。私はこの炎をどれだけ出すことが出来るのだろう。
もっと、もっと燃やして──
「ストップ!」
大きな声を出され、ハッと慌てて炎をおさめる。自由自在に炎を抑えられるようになくちゃ、日本には帰れない。ガラスで仕切られた部屋の外で、何人かの施設員が記録を取っている。与えられた部屋から移動して、炎を出しては消したり、体の検査を繰り返す日々が続いた。
ある日、検査を終えて部屋に戻ると、私と同じくらいの年齢に見えるバーニッシュの女性がいた。
「これからは、二人でこの部屋を使うこと」
そう伝えられ扉が閉められた後、私はその女性に簡単な挨拶をした。
「はじめまして」
「……」
俯いたまま返事がない。人見知りなのかな……?もしかしたら、彼女も私と同じように突然故郷を離れて不安なのかもしれない。
「私は、日本から来たの。ここからずっと東にある国。不安だと思うけど、早く帰れるように一緒に治療頑張ろう?」
辞書を使って英訳した言葉を口に出して伝えると、反応があった。顔をあげた彼女の見開かれた目と私の目が合う。何かを言おうとして一度唇が開かれたが、結局彼女は何も言わなかった。何か発音がおかしかったのかな……。もっと英語を話せるようになろうと考えながら、その日は眠りについた。何もない部屋の無機質な床は硬くて冷たい。お家のベッドが恋しくなった。
同室の彼女が来てから、どのくらい経っただろう。少しでも話せるようになりたくて、私は辞書で言葉を調べながら彼女に話しかける日々を送った。相変わらず彼女は話してくれなかったけれど、無視している様子はなく、私が一方的に話しかけるのを聞いてはほんの少しだけ微笑んでくれた。だけどその顔はどこか悲しくて、寂しいものに感じられた。
ある日、部屋に戻ってきた彼女は体のあちこちに包帯を巻いた姿をして、フラフラとした足取りで部屋に入り倒れた。それなのに、連れて来た施設員はそのまま帰ろうとする。
「ま、待って……!この子、具合が悪そう!助けて!」
私が声をかけても立ち止まる様子がない。引き止めようと腕を掴むと、引き剥がすようにして突き飛ばされた。
「──!」
今まで聞いたことが無い怒鳴り声に体が竦む。その男の人は蔑んだ目をこちらに向けており、そのまま勢いよく扉が閉じられた。
“触るな、バーニッシュが!”
そう言われたのだと、わかってしまった。小さな呻き声が聞こえて、呆然としていた思考が動き出す。倒れた彼女に近づき、手を握り必死に声をかける。
「大丈夫?どうしたの……どこが苦しいの?」
苦しそうな表情で、口から弱々しい呼吸が漏れている。絞り出すようなか細い声が告げる。
「……逃げて。貴方も実験される…………」
その一言を最後に、目が閉じられる。どういうこと?だめ、だめ、しっかりして!
再び助けを呼ぼうと思った瞬間、私は自分の目を疑った。彼女の全身が白く染まり、パラパラと灰になって崩れては私の手のひらから零れ落ちた。そこには初めから誰もいなかったかのように、骨さえ残らず彼女は消えた。
先ほどの施設員の態度。目の前で灰となって消えた彼女。実験という言葉。考えたくない仮説が次々と脳内に現れる。
隔離された部屋にベッドの一つすらないのは、誤って燃やさないためだと思っていた。
プロメポリスへ連れられた時、荷物のように扱われたのも。
両親から手紙が届かないのも。
食事が質素であることも。
外へ出ることができないのも。
全て周囲の安全確保と、治療のためだと信じて疑わなかった。
「私が、バーニッシュだから……?」
クラスメイトと両親は、私をどんな目で見ていた?ああ、そうか。今になって気づくなんて。自分の馬鹿さ加減に反吐が出る。あの日。教室で炎に包まれた瞬間から、私は人間ではなくなった。周囲を燃やし、恐れを与える危険な存在。
そんなもの、誰が対等に扱ってくれるというの?
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