懐古談

 side 伊達
 所轄を経て警視庁捜査一課強行犯係に配属された俺は、徹夜の張り込み明けで、住宅街の一画の道路を歩いていた。
 徹夜明けだったからか、警察手帳を道路に落としちまってな。それを拾おうと屈みこんだとき、居眠り運転の車が猛スピードで走ってきたんだよ。
 気付いたときには、頑強な車体が目前にまで迫っていた。
 ぶつかる! と衝撃に備えることしかできなかったはずなのに、俺の身体は空中に浮いていた。……否、誰かに抱きかかえられていた。


「よっと!」
「は……? こりゃ一体どうなって……」


 自分で言うのもアレなんだが……俺もそれなりに鍛えている方だし、成人男性でも身長が高いと自負しているつもりだ。ほら、この中でも一番背が高いだろ?
 俺の身体を横抱きにする男は、さぞかし屈強な大男なのだろう。そう思って男の身体を眺めると、その男は華奢な骨格で、痩躯の部類だった。とてもじゃないが俺を運びながら高く跳ぶなんてできそうな体躯だったんだ。
 男の藍色の下駄が着地したのは、車のサンルーフ。そして再び軽々しく跳躍すると、道路へ華麗に着地した。その間俺はずっと華奢な男に横抱きにされていたままだった……。


「伊達さん! 大丈夫ですかー⁉」
「あ、あぁ……。俺は、何とも……。助けていただき、本当にありがとうございました」


 一部始終を近くで見ていた後輩刑事の高木が、慌ててこちらへ駆け寄ってくる。俺も恩人も怪我ひとつないのだが、あわや交通事故ということもあり、念のため救急車を呼んだようだ。


「気にするな、偶然通りがかった船みたいなもんだ。目の前で溺れている人がいるなら、できる限り手を貸す。そんなものだろう?」


 今まで黙っていた男が口を開くと、割と剽軽(ひょうきん)で人懐っこい。
 俺が勝手に抱いた幻想でしかないんだが、華奢な体躯に真っ白の肌、そして極め付きに、端正な顔立ち。凄く儚げな印象を抱いていただけあって……正直、かなり驚いた。


「そんなことより……あれは良いのか? あの運転手、気絶してたか寝てるかしてたぜ。少なくとも意識は覚醒してないな。あのまま突っ込んだら———」
「高木! 通報しろ!」
「は、はい!」


 高木が指示通りに一一〇番する。あわや大事故だったというのに、命の恩人の男は、緊迫する雰囲気に似つかわしくないほど、あまりにも平然としていた。
 話を遮られるとは思わなかったのか、剽軽な男はやや不満げな表情を見せたが、緊急事態だと理解しているため、すぐに元々の人懐っこい笑顔を見せた。


「……あの、本当に助けていただいてありがとうございました。貴方の助けがなければ、俺はきっと死んでいた」
「だから気にするなーって言うのもなあ……。そうだ! これから主への詫びの品を買いに行くんだが、何か良い店を知っていないか⁉」
「店……ですか?」


 そういえば、この不思議な流れを、萩原から訊いたことがある。
 少し前に仲の良い警察学校の同期で飲みに行ったとき、ほろ酔い状態の萩原から訊いた。
 爆弾の解体処理をしていると、不思議な子に助けられた。その子を下の階へ連れた途端に爆発したため、もしもその子と出会わなければ萩原はきっと死んだだろう……とのことだ。
 その子は何事もなかったかのように、萩原に“主さん”へのプレゼントはどんなものがいいとか、それが買える店を訊き出すと、まるで霧のように消えてしまった……らしい。雲散霧消、ってこういうことを言うんだろうな。
 言っとくが景(ヒロ)、お前の兄貴みたいに故事成語や三国志に詳しいわけじゃないからな?

 ……脱線したから、話を元に戻そう。
 助けたお礼として、“主”への詫びの品が欲しいと言っていた。恩人曰く、本丸(?)の至る所に落とし穴を掘るのが趣味らしい。何でも人生に驚きは必要だとか……全く理解ができんかったし、今も理解できねえよ。
 だが身体が貧弱で小柄な“主”が穴に落下しては大変だからと、一定の重量を超えると落ちるように工夫していた。ところが、主が重いものを運んでいたから、落とし穴に落ちちまったんだと。しかも書類や資料を庇うように落ちたから、手首や足首を軽く捻挫しちまったらしい。その“主”ってやつ、かなり鈍くさいな。
 もちろん“主”には既にちゃんと謝罪したし、その“主”も「いいよ〜」と二つ返事で許したようだ。
 ———悪ふざけで怪我させられたのに、あっさり受け止める“主”、お前は危機感が足りていない。何よりもう仲直りはできたんだし、詫びの品を送る必要性なくないか? そもそも落とし穴を掘らなきゃ良いんじゃねえの? 俺はそう思ったが、口に出すことはしなかった。


「だから現世に詫びの品を買いに行こうと思ってな。そう思って現世へ降りたら、からくり仕掛けの猪が、今にも轢き殺そうと突っ込んでくるときた。驚かせてもらったぜ!」
「か、からくり仕掛けの、猪……?」
「今の時代だと自動車っていうんだったか? いやあここ最近、時間の流れが速く感じることがあってな……」
(……コイツ、もしかして相当歳くってるってことか……⁉)
「きみは見たところ、この辺りに住んでるだろう? だからお勧めの店を教えてくれ。それを礼としよう」


 気を利かせてくれているのか、俺を助けてくれた男は、詫びの品が買える店を教えてくれればそれで構わないと言ってくれた。
 詫びの品、か。……無難なのは、とらやの羊羹や文明堂のカステラ辺りだろうか。
 提案を命の恩人の男へ伝えると、なぜか顰め面だった。


「俺と主は上司と部下の関係ではあるんだが、主の性格上、そう堅苦しいものを渡されると萎縮しそうなんだ。もう終わったことだから、と受け取ってもらえそうにないな」
「そ、そう、ですか……」
「もちろん場合によっちゃ、そういう在り来りなものが無難だとは思うぜ。だが……今回は俺の自己満足みたいなものだからなあ。年頃の娘が喜ぶものがいい」
「その、“主”さんはお幾つくらいの年齢ですか? 年頃の娘と言っても、十と二十じゃ大分好みが分かれますし」
「今年で十二だったか、十三だったか……まあそれくらいだ。元服はまだのはずだぜ」


 主さんめちゃくちゃ若いな⁉ そもそもこのお兄さん幾つだ⁉ そもそも人間か⁉
 背筋がぞくっと寒気がするのと同時に、物凄く「真相を明らかにしたい」という願望が湧き上がった。問い詰めたいが、事件の関係者でもない一般市民を問い質すのは職務規程に違反する。
 謎を解き明かしたい意欲を必死に横に退かし、ひとつ提案すれば、男はぱあっと表情を明るくさせた。


「それじゃ……スマホのアクセサリとか、どうですかね。商品によっちゃお手頃価格だから、プレゼントで受け取ってもらえやすいし」
「なるほどな! これは主に喜んでもらえそうだ! 恩に着るぜ、小童‼」
「ですが、今は早朝です。大抵の店は営業時間外ですよ」
「なに。ほんの少しの間、その辺で時間を潰せば良いだけの話さ! 俺は気にしちゃいないぜ。本当に助かった、ありがとうな!」


 男はそう言うだけ言うと、他に思うことはないのか、繁華街の方へ向かって駆け去っていく。
 改めて礼を告げようと声を上げた途端、猛烈な旋風(つむじかぜ)が俺を襲う。ぎゅっと腕で顔を守り、両目を瞑った。
 旋風が晴れた頃には、その男は既に立ち去ったあとで、後ろから後輩刑事の高木が俺を呼んでいた。

 結局あのあと、命を救ってくれた恩人と出会うこともできず、名前すら辿り着けなかった。
 もしも“主”と会うことができたなら。俺は、彼女にできる最大の感謝を伝えたい。
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