幽明異境

 松田が白雪を引き取ってから早一週間。
 彼は警視庁の喫煙ルームで一息吐いていると、ひょっこりと萩原と伊達が顔を見せた。その後ろには非喫煙者の高木の姿もある。偶然伊達と顔を合わせたので、そのまま合流したようだ。
 伊達が気になるのは突然転がり込んだ少女———白雪———の存在だ。いきなり生活環境が変化したとなれば、松田も彼女もかなりのストレスだろう。


「どうだ? 白雪ちゃんとは仲良くやってるか?」
「いきなり年頃の女の子を引き取って、そのうえ同居とは……災難でしたね」
「いや、そうでもねえぞ? アイツ、気遣いが凄えんだよなァ。疲労困憊でヘロヘロな状態で家帰ったら、にこにこーって笑顔で出迎えられて、暖かい飯と風呂が準備できててよ。その飯がめちゃくちゃ美味かった」
「え〜⁉ 超・良妻賢母じゃん! ヒュー! じんぺーちゃん愛されてるゥ〜♪」
「う、羨ましい……!」
「高木、お前彼女いんだろ……」
「確かに気立ても器量も良い女だぜ? 俺も高校生だったら惚れてた。胃袋はとっくに捕まれてるしなァ……」
「そりゃもう惚れてるヤツの言い分だぞ……」


 二人の同居生活は衝突することもなく、意外と順調に進んでいた。白雪が松田を立てるように接しているのも大きいのかもしれない。
 例えば調味料の瓶の蓋が空かないときは、素直に松田を頼って「さすが男の人ですね! すぐ空いちゃった〜!」と持て囃し、考え事で行き詰まったときは「凄いです……! やっぱり経験の差って客観視できるようになるのかな」と松田の意見を受け入れる。

 以前の同僚である佐藤(さとう)美和子(みわこ)は美人で勝ち気で男勝りな性格。恋愛方面に疎いが、それも可愛らしいと捜査一課のマドンナとして男性陣から持て囃されている。
 そんな彼女とは正反対の白雪は、穏やかで優しく、それでいて他人の心情に機敏だ。
 白雪は未来の時代でずっと審神者という職務に就いていたせいか、この時代の常識に疎いところがある。しかし迷惑をかけたと思ったのなら、素直に頭を下げて謝罪でき、相手の価値観を受け止められる素敵な子だ。

 帰宅する頃には風呂も沸かした状態で、料理も湯気が立ち昇る食べごろの状態でセッティング済み。職場で着るカッターシャツもきっちり丁寧にアイロンがかけられており、あまりにも至れり尽くせりで。
 これ別れ際に玉手箱とか渡されたりしねーよな……? と若干疑心暗鬼になるほどだった。

 さすがに女子高生(の年頃の娘)に家事ばかり押し付けて申し訳ない。とはいえ年頃の娘が好きそうなものや必需品の相場が全く分からないからと、壱万円札を数枚押し付けたことがあったのだが、その金で高い牛ヘレ肉を購入して嬉しそうに報告してきたときは、さすがに松田は呆れ返りながらも、白雪の真っ白な頭を撫でた。


「今日もお疲れ様です! お陰様で良いお肉が買えました! 今夜はステーキですよ〜‼ ワサビ醤油もソースも岩塩もご用意しています!」
「……お前なァ……そういうことじゃねーんだよ……。本当……馬鹿野郎……。……でもサンキューな」
「……お喜び頂けたようで何よりです?」


 一応褒められたと受け取った白雪は嬉しそうに目を細め、まるで猫のように擦り寄って、彼の労りを快く受け入れる。
 さらさらの艶髪に男性特有の骨張った手を通しながら、松田は白髪の危機感のなさに内心頭を抱えた。

 ちなみにこの件を、保護された宮野(みやの)志保(しほ)からの通信を偶然通りがかったので報告したら、彼女も頭を抱えていた。宮野志保曰く、白雪のあざとい言動は天性のものらしい。


「アレは天性というか、本来の性格のようなものね……。今まで食べられずに生きていられたのが、本当に不思議なくらいだわ」
「……アイツ、今十六歳なんだよな」
「ええ、そうね。痩せぎすな体型だし矮躯だし童顔だから、余計幼く見えちゃうんでしょうけど」
「……あと数年待てば」
「そのときは刀剣男士が祟り殺すんじゃないかしら」


 松田の脳裏を過ったのは、ぶっすりと刀が突き刺さった痕跡が残されたように、切り裂くように破かれたシーツ。もし数ミリ離れていたら、松田の首と胴体はお別れしていたことだろう。

 ポケットに入っていたタバコを一本点火すれば、彼の天然パーマの髪をすり抜け、煙が天へ向かって上昇する。溜め息と共に真っ白な煙も吐き出した。
 タバコは百害あって一利なしというが、松田にとっては重要な精神安定剤である。
 ポケットに入ったスマホが震えて着信を告げる。それを取り出し画面を確認すると、相手は白雪だった。噂をすれば影。


「おっ、噂をすれば……アイツからだ」
「白雪ちゃんは何て?」
「『単独での出陣指示が出ました。大変恐縮ですが今晩は夕飯が作れそうにありません。ごめんなさい』だとよ」
「こりゃまた……。随分と律儀じゃねェか。責任感強いんだな」
「本当に良い娘だよなぁ。昼飯はともかく朝夕きちんと準備してくれるし、部屋の掃除してくれるし、洗濯物も洗って干してアイロンもかけてくれるし? 超カワイイ女の子にお世話されるとか男の夢じゃん! あーあ、ジェラッちまうねぇ……」
「本当に羨ましい話です……」
「だからソレはもう彼女がいるヤツのセリフじゃねーんだって!」


 学生のようにケタケタと笑い声に包まれる喫煙室。楽しそうに和気靄々と談話する男性陣の姿が煙に霞む。ゆらゆらと立ち昇った紫煙は、そよ風によって何処かへ運ばれていった。
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