調虎離山
やっと身体に力が入るようになった白雪は、傍にいた治金丸の力を借りて立ち上がり、地上から顔を出す。
空は黒煙でどす黒く汚れ、焦げ爛れた建築物や炭化した瓦礫が散乱し、灼けた動物の死体、炭化した花壇や畑、庭園の残骸から、焼け焦げた匂いが漂っていた。
煤で真っ黒になった更地が、そこにあった。
何もかも、燃えてしまった。畑も、馬小屋も、本丸も、想い出も、何もかも。唯一残ったのが自分の体と、刀剣男士と、資料だけ。
こちら側に死者はおらず、完全勝利した。それだけ聞けば聞こえは良いものの、その他の損害はかなりのものだ。
こんのすけを通じて時の政府と連絡を取る。歴史修正主義者を迎撃し勝利した事、折れた刀は一振も居ない事、それ以外の損傷がかなり激しい事。
時の政府も対応に追われているようで、担当の役人は白雪の無事に安堵しながらも、望んだ答えは返ってこない。
「ご覧の通り、全てが焔に包まれました。この状態でノルマをこなせというのは、僭越ながら申し上げますと、無理難題です。最低でも復旧までの仮住まいを提供していただきたい」
「申し訳ございません……! 白雪様の本丸クラスとなると、仮住まいの空間を提供するのも難しく、何より本丸の情報が内部から告発された可能性も否定できません。仮住まいの空間を提供するのは、リスクが高いかと……。ですので、刀剣男士の皆さまは復興に尽力していただく間、白雪様はこんのすけを連れ現世でお過ごし頂くのがベストかと……」
「へえ、随分と冗談がお上手ですね」
「し、しかし……白雪様は本丸を燃やす決断をされた際、自らの死体を偽装工作なさったのでしょう? 本丸の情報が外部に漏れ出た可能性が否定できない以上、白雪様だけでも現世へ亡命した方が———」
「巫山戯るな」
白雪の怒りが頂点に達した。霊圧でこんのすけによる通信は乱れ、遠くから雷鳴の音が轟く。地の利を生かし、じりじりと包囲の輪を縮め、完全包囲して一人残らず殲滅し尽くすのが白雪の戦い方だ。
冷や汗が止まらない役人は、山猫のように、暗い穴の奥の方に次第に追いつめられるような錯覚を覚えた。逃げ道だと思った手も、先んじて潰される。
彼女はその身一つで数多くの修羅場を潜り抜けてきた猛者だ。舌戦でも実戦でも、到底勝てるわけがない。
絶体絶命のどんづまりかと思ったその時、役人に救いの手が差し伸べられる。神かと思ったその人たちは、本当に刀の付喪神だった。
「主、やけになってはいけない。俺はこの役人の意見に賛成する」
「俺もだ。護衛が一人もいないというのは、いささか気になるが……」
「……どうして?」
不満げに問う白雪。まさか身内から反論されるとは思わなかったのか、その表情は動揺と困惑が入り混じっている。心にいって聞かせても、騒ぐ波は静まらない。
主人が困惑しているその隙に、刀剣男士たちは白雪へ、甘い蜜のような言葉と声で説き伏せた。
「主君は女人です。無茶をすれば、障りに異常が来てしまう可能性もございます」
「僕たち刀剣男士は人間よりある程度頑丈ですし、多少のサバイバルなら問題ありませんよ。ね、兼さん!」
「まあな。人間ってのは存外儚いもんだぜ? 少しの休暇と思ってのんびり過ごしゃ良い」
「捨て駒には捨て駒の矜持があります。とはいえ、極論を言えば、我々にどれだけ被害が出ようが、主殿が生き残れば勝利です」
「せめて弟たちには、心から笑っていて欲しい……。もちろん、それは主殿も同じです」
「俺たちの幸せは、目をかけてくれる主が健在でいてくれることなんだ」
「何度だって挑戦する機会はある。だから元気で、うまくいかなくても次こそは、と思えるようにしておきたいよね」
刀剣男士たちの甘言に屈しそうになる白雪は、ぐぬぅ、と可愛らしい唸り声を零した。
ああ、私はいつも、刀剣男士の優しい言葉には参ってしまうのだ。
白雪の頭の中では、ゆっくりと天秤が揺れ動いている。
そして。改めて真っ直ぐ時の政府の役人へ向き直ると、彼の提案を受諾した。
「……かしこまりました。そちらの条件を呑みましょう」
「お、恐れ入ります!」
このじゃじゃ馬娘が、こちらの言い分を飲むとは。まさに猛獣使いにでもなれた気分だ。このまま行けば、刀剣男士を盾にすれば! このピットブルの如き娘も容易く操れる!
役人の男の自尊心が満ちていく。内心憎悪の隠った嘲笑すら浮かべていた。
「ただし、こちらにも条件があります。まず、出陣や遠征、演練などのノルマを課さないこと。食うに困る、寝ようにも雨風凌ぐ建物すらないこの状況で、如何にして戦えば良いのでしょうか。まさかインパール作戦のような愚行を、時の政府は繰り返すのでしょうか?」
「いえ! そのような真似は……‼」
「では、まずは本丸の復興を最優先事項にするため、充分な食料の供給と復興資金もお願いしたい」
「もちろんそれはお約束いたしますぅ‼」
「そして二つ目。避難先の現世について、決定権をこちら側に頂戴したく存じます」
「そ、それは……なぜでしょうか。理由をお伺いしても?」
「えぇ。最近浄霊部隊大隊長として、たびたび赴任している米花町ですが……あそこは怨霊が多すぎる。そして厄介な霊が取り憑き、性格を変貌させたり、死者を増やしたりしています。その原因を探り、時間の歪みの関連性を調査せよと命令が出ています。この機会に、長期間潜入すべきかと」
「そうでしたか。そのような理由でしたら、特に我々が異議を唱える理由はございませんよ」
この条件は、時の政府にとっても、大変好都合だった。
本丸に金を渡せば勝手に運営して復興するだろうし、赴任先の件も、浄霊部隊大隊長としての仕事だ。彼女にほぼ丸投げ状態でも問題ないはず。
役人の男の眼の中には、人を莫迦 にしたところがある。我が物顔で提案する少女の姿が、チンドン屋みたいに写っているのかもしれない。
ところが、その男の心を見透かすように。白雪の深紅の双眸が、面布で隠している男の両目を射貫いた。
「では最後に。……小官の刀剣男士と、宮野志保の保護。こちらを、確実に、お約束していただきたい」
「確実、ですか……。そ、れは……少々、難しいかと……」
「少なくとも刀剣男士は、己の身を守れましょう。小官は彼らの実力を、よく知っています。彼らは強い。数多くの戦でも、容易く勝利に導くほどに。しかし強力な呪具の前には無力であると、小官は何度も何度も何度も、忠告しております。……残念ながら、その忠告は不思議と届かないようですが」
「そ、れは……大変、申し訳なく思っており……」
「思うだけでは、全く意味を成しませんよ。政府は、何度、小官を裏切り、罪のない刀剣男士を折れば気が済むのですか?」
「……こ、こちらとしても……大変遺憾に———」
「そして、宮野志保の保護。実際に彼女は、短期間で既に多数の実績を残しています。そんな彼女から政府の保護プログラムから外す行為は、時の政府としても、かなりの損失と成り得るはずです」
「そ、その……仰る通りで……」
「お約束、していただけますね? 簡単です。彼らが健やかに暮らせるよう、ほんの少し金子を積み、悪意の手を出さぬように、悪意の手から守るようにすれば良いだけの、とっても簡単なお話ですもの」
怒濤の如きオーバーキルラッシュに、役人の男は震え上がる。
白雪の顔は天使の如き微笑を浮かべている。しかし役人の男にとっては、悪魔にしか思えなかった。
適当に口約束をするわけにもいかない。刀剣男士は分霊といえど、きちんと神格を持っている神の末席だ。そんな彼らの前で適当に約束を交わし、反故しようものなら。言葉にするのも憚られるような神罰が下るだろう。
「……では、そのような条件で宜しいですね?」
「は、はひぃ……‼ 宜しくお願いしましゅ……‼」
時の政府の役人の男の目からは、滂沱の涙が溢れ出す。面布で隠しているはずの表情が、大粒の涙で汚れて丸見えになっている。
白雪の長期間の現世出張が決まった瞬間、もとい勝鬨の音が鳴った瞬間だった。
空は黒煙でどす黒く汚れ、焦げ爛れた建築物や炭化した瓦礫が散乱し、灼けた動物の死体、炭化した花壇や畑、庭園の残骸から、焼け焦げた匂いが漂っていた。
煤で真っ黒になった更地が、そこにあった。
何もかも、燃えてしまった。畑も、馬小屋も、本丸も、想い出も、何もかも。唯一残ったのが自分の体と、刀剣男士と、資料だけ。
こちら側に死者はおらず、完全勝利した。それだけ聞けば聞こえは良いものの、その他の損害はかなりのものだ。
こんのすけを通じて時の政府と連絡を取る。歴史修正主義者を迎撃し勝利した事、折れた刀は一振も居ない事、それ以外の損傷がかなり激しい事。
時の政府も対応に追われているようで、担当の役人は白雪の無事に安堵しながらも、望んだ答えは返ってこない。
「ご覧の通り、全てが焔に包まれました。この状態でノルマをこなせというのは、僭越ながら申し上げますと、無理難題です。最低でも復旧までの仮住まいを提供していただきたい」
「申し訳ございません……! 白雪様の本丸クラスとなると、仮住まいの空間を提供するのも難しく、何より本丸の情報が内部から告発された可能性も否定できません。仮住まいの空間を提供するのは、リスクが高いかと……。ですので、刀剣男士の皆さまは復興に尽力していただく間、白雪様はこんのすけを連れ現世でお過ごし頂くのがベストかと……」
「へえ、随分と冗談がお上手ですね」
「し、しかし……白雪様は本丸を燃やす決断をされた際、自らの死体を偽装工作なさったのでしょう? 本丸の情報が外部に漏れ出た可能性が否定できない以上、白雪様だけでも現世へ亡命した方が———」
「巫山戯るな」
白雪の怒りが頂点に達した。霊圧でこんのすけによる通信は乱れ、遠くから雷鳴の音が轟く。地の利を生かし、じりじりと包囲の輪を縮め、完全包囲して一人残らず殲滅し尽くすのが白雪の戦い方だ。
冷や汗が止まらない役人は、山猫のように、暗い穴の奥の方に次第に追いつめられるような錯覚を覚えた。逃げ道だと思った手も、先んじて潰される。
彼女はその身一つで数多くの修羅場を潜り抜けてきた猛者だ。舌戦でも実戦でも、到底勝てるわけがない。
絶体絶命のどんづまりかと思ったその時、役人に救いの手が差し伸べられる。神かと思ったその人たちは、本当に刀の付喪神だった。
「主、やけになってはいけない。俺はこの役人の意見に賛成する」
「俺もだ。護衛が一人もいないというのは、いささか気になるが……」
「……どうして?」
不満げに問う白雪。まさか身内から反論されるとは思わなかったのか、その表情は動揺と困惑が入り混じっている。心にいって聞かせても、騒ぐ波は静まらない。
主人が困惑しているその隙に、刀剣男士たちは白雪へ、甘い蜜のような言葉と声で説き伏せた。
「主君は女人です。無茶をすれば、障りに異常が来てしまう可能性もございます」
「僕たち刀剣男士は人間よりある程度頑丈ですし、多少のサバイバルなら問題ありませんよ。ね、兼さん!」
「まあな。人間ってのは存外儚いもんだぜ? 少しの休暇と思ってのんびり過ごしゃ良い」
「捨て駒には捨て駒の矜持があります。とはいえ、極論を言えば、我々にどれだけ被害が出ようが、主殿が生き残れば勝利です」
「せめて弟たちには、心から笑っていて欲しい……。もちろん、それは主殿も同じです」
「俺たちの幸せは、目をかけてくれる主が健在でいてくれることなんだ」
「何度だって挑戦する機会はある。だから元気で、うまくいかなくても次こそは、と思えるようにしておきたいよね」
刀剣男士たちの甘言に屈しそうになる白雪は、ぐぬぅ、と可愛らしい唸り声を零した。
ああ、私はいつも、刀剣男士の優しい言葉には参ってしまうのだ。
白雪の頭の中では、ゆっくりと天秤が揺れ動いている。
そして。改めて真っ直ぐ時の政府の役人へ向き直ると、彼の提案を受諾した。
「……かしこまりました。そちらの条件を呑みましょう」
「お、恐れ入ります!」
このじゃじゃ馬娘が、こちらの言い分を飲むとは。まさに猛獣使いにでもなれた気分だ。このまま行けば、刀剣男士を盾にすれば! このピットブルの如き娘も容易く操れる!
役人の男の自尊心が満ちていく。内心憎悪の隠った嘲笑すら浮かべていた。
「ただし、こちらにも条件があります。まず、出陣や遠征、演練などのノルマを課さないこと。食うに困る、寝ようにも雨風凌ぐ建物すらないこの状況で、如何にして戦えば良いのでしょうか。まさかインパール作戦のような愚行を、時の政府は繰り返すのでしょうか?」
「いえ! そのような真似は……‼」
「では、まずは本丸の復興を最優先事項にするため、充分な食料の供給と復興資金もお願いしたい」
「もちろんそれはお約束いたしますぅ‼」
「そして二つ目。避難先の現世について、決定権をこちら側に頂戴したく存じます」
「そ、それは……なぜでしょうか。理由をお伺いしても?」
「えぇ。最近浄霊部隊大隊長として、たびたび赴任している米花町ですが……あそこは怨霊が多すぎる。そして厄介な霊が取り憑き、性格を変貌させたり、死者を増やしたりしています。その原因を探り、時間の歪みの関連性を調査せよと命令が出ています。この機会に、長期間潜入すべきかと」
「そうでしたか。そのような理由でしたら、特に我々が異議を唱える理由はございませんよ」
この条件は、時の政府にとっても、大変好都合だった。
本丸に金を渡せば勝手に運営して復興するだろうし、赴任先の件も、浄霊部隊大隊長としての仕事だ。彼女にほぼ丸投げ状態でも問題ないはず。
役人の男の眼の中には、人を
ところが、その男の心を見透かすように。白雪の深紅の双眸が、面布で隠している男の両目を射貫いた。
「では最後に。……小官の刀剣男士と、宮野志保の保護。こちらを、確実に、お約束していただきたい」
「確実、ですか……。そ、れは……少々、難しいかと……」
「少なくとも刀剣男士は、己の身を守れましょう。小官は彼らの実力を、よく知っています。彼らは強い。数多くの戦でも、容易く勝利に導くほどに。しかし強力な呪具の前には無力であると、小官は何度も何度も何度も、忠告しております。……残念ながら、その忠告は不思議と届かないようですが」
「そ、れは……大変、申し訳なく思っており……」
「思うだけでは、全く意味を成しませんよ。政府は、何度、小官を裏切り、罪のない刀剣男士を折れば気が済むのですか?」
「……こ、こちらとしても……大変遺憾に———」
「そして、宮野志保の保護。実際に彼女は、短期間で既に多数の実績を残しています。そんな彼女から政府の保護プログラムから外す行為は、時の政府としても、かなりの損失と成り得るはずです」
「そ、その……仰る通りで……」
「お約束、していただけますね? 簡単です。彼らが健やかに暮らせるよう、ほんの少し金子を積み、悪意の手を出さぬように、悪意の手から守るようにすれば良いだけの、とっても簡単なお話ですもの」
怒濤の如きオーバーキルラッシュに、役人の男は震え上がる。
白雪の顔は天使の如き微笑を浮かべている。しかし役人の男にとっては、悪魔にしか思えなかった。
適当に口約束をするわけにもいかない。刀剣男士は分霊といえど、きちんと神格を持っている神の末席だ。そんな彼らの前で適当に約束を交わし、反故しようものなら。言葉にするのも憚られるような神罰が下るだろう。
「……では、そのような条件で宜しいですね?」
「は、はひぃ……‼ 宜しくお願いしましゅ……‼」
時の政府の役人の男の目からは、滂沱の涙が溢れ出す。面布で隠しているはずの表情が、大粒の涙で汚れて丸見えになっている。
白雪の長期間の現世出張が決まった瞬間、もとい勝鬨の音が鳴った瞬間だった。