遺簪墜屨

 白雪が目を覚ました。ぼんやりする意識の中、声のする方向へ首を動かし視線を移せば、今にも泣き出しそうな景光の姿が目に入る。


「白雪ちゃん……! 目が覚めたんだね‼」
「諸伏さ、ここ……ど、こ……」
「長野にある病院です。人事不省……貴女は一週間も目が覚めなかったんですよ」
「そ、なんですか……」
「人生死あり、終短は命なり。快犢(かいとく)破車(はしゃ)とは言いますが、死屍に鞭打つ真似をしてほしいわけではありません」
「……ごめ、なさい」
「でも無事で本当に良かったよ。一時はどうなることかと思ったんだから」


 辛うじて涙を堪えつつ語りかける景光に、高明が軽く説教した後ナースコールを連打する。二人とも相当堪えていたようで、その目には涙が滲んでいた。
 あれから一週間が経った……となれば、今日は平日のはず。警官はシフト制とは言えど、捜査一課に所属する彼らは、事件があれば急行せねばならない立場のはずだ。
 恐る恐る白雪が状況を尋ねてみると、想像以上に諸伏兄弟が大暴走していた事実が発覚する。


「……あの、お仕事は」
「有給休暇を捥ぎ取りました。事件が起きても連絡するなと伝えてあります」
「事件は」
「大和警部と上原刑事に任せてる。大丈夫だよ、二人とも優秀だから」
「……私、仕事、溜まってます」
「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや……つまらない人物には大人物の遠大な志はわからない。ですが、轅下(えんか)之駒(のこま)……能力が足りないために、仕事を片付けられないわけではないはずです。これ以上無茶をされては、いくらお若いといえどお身体に障りますよ」
「しばらくオレと一緒にお休みしよう。仕事はこんのすけと刀剣男士たち? が回してくれるって言っていたよ」
「えぇ。これを機にじっくり休暇を取りなさい」
「ひぇ……。命令形になっちゃった……」


 それでいいのか長野県警。
 内心頭を抱えつつ、実際身体を動かせない白雪は療養に励むことにした。
 とはいえ、目が覚めてからは魂と身体の細部を接続するだけ。後は霊能力の調整をすれば万全の体調に戻るので、大事を取って三日で退院となった。
 このスピード退院には医者も驚かれていたが、病床が逼迫(ひっぱく)する中、ベッドに空きが出るのは病院側としても非常にありがたいので大歓迎だ。
 退院の手続きは時の政府の役人が、迎えは山姥切(やまんばきり)国広(くにひろ)が来た。


「お世話になりました。上原刑事や大和警部にも宜しくお伝えください」
「ええ。きちんとお伝えしておきます」
「もしもまたお会いすることがあったなら、潜入捜査のときかと思います。その際は秘密裏にお力になってくださると、とっても心強いです」
「任せておいて。オレたち長野県警捜査一課、もしこの時代のきみに何か問題があれば、全力で助力する」
「アンタが昏睡状態の間に、宮内庁より命令が下りていた。安心しろ、これはこの時代でアンタが関わったヤツしか知らない」
「ひぇ……。大事になっちゃった……」


 想像以上に事が大きく動いていて恐れ戦く白雪。ただでさえ白いその顔から血の気が引き、真っ青になっていた。しかし山姥切国広は慣れっこなのか、主の具合が悪いと判断して、軽々と担ぎ上げる。


「アンタ、また体重減っただろ。帰還したら燭台切(しょくだいきり)や北谷(ちゃんたん)菜切(なきり)辺りに何か作ってもらえ」
「まんばちゃん本当そういうところ〜‼ 人前でそういうこと言わないでって何度も言ってるでしょ⁉」
「すまん」
「本当に反省してる⁉ 次言ったらお迎え別の子に来てもらうからね‼」


 白雪が山姥切の背中をポカポカ殴りながら責め立てるものの、人間離れした肉体を持つ刀剣男士にとっては、痛くも痒くもない。それよりもお迎えチェンジの方が余程堪えるようで、それだけは勘弁してくれと山姥切は必死に懇願する。
 その様子を傍から眺めていた諸伏兄弟は、「何処か抜けている兄としっかり者の妹みたいだな」と和んでいた。

*

 それからしばらく経過したある日。
 白雪は審神者の執務に取りかかっていた。体調を鑑みて、主に事務作業を中心的に執り行っているものの、仕事がわんこそばの如く、捌いても捌いても書類の山が積み重なっていく。
 浄霊部隊大隊長の彼女の元には、通常の審神者の報告書だけでなく、浄霊部隊の報告書が山のように届くのだ。


「んも〜〜〜〜〜‼ 何でこんなに書類が積み重なるの⁉ ちゃんとお仕事してるのに〜〜〜!」
「霊力もおつむも足りない審神者がひとりかくれんぼだの、ひとりこっくりさんだの、丑の刻参りだの、愚かな真似をして失敗する事例が後を絶たないからだね」
「その次に、祠を破壊し祟られる事例が多いですね。時間遡行軍との戦闘で油断した結果なら、まだ情状酌量の余地があるものの……」
「命を大事にしろ……」
「おや、鶯丸(うぐいすまる)の真似かな? 優をあげようね」


 疲れ切った審神者の会話など、こんなものである。
 まともに相槌を打つのは近侍の山姥切(やまんばきり)長義(ちょうぎ)、そして報告書を純粋に分析する総務番長の前田(まえだ)藤四郎(とうしろう)だ。

 このままでは、仕事に忙殺される。冗談抜きで。

 一旦休憩を取ろうとプライベート用のメールを開くと、先日現代で出会った萩原からメールが来ていた。先日迷惑をかけてしまった詫びがしたいとのことらしい。

 別に気にしなくても良いのになぁ、律義な人だ。
 白雪はスケジュール帳を捲りながら、近侍の長義へ外出許可を得る。


「ねえねえちょぎぴ〜、お外に遊びに行っても良い?」
「まったく、仕方のない主だね。俺が護衛を……」
「え〜別に良いよ、逆に相手が萎縮しちゃうから。護衛要らない」


 護衛する気満々だった長義が、石像のように固まった。しかも子どもが好き嫌いで野菜を残すが如く「要らない」と言われ、かなりのショックだったようだ。
 それを気にせず外出許可を得ようとする白雪に、慌てて前田が待ったをかけた。
 基本的に己の統治する本丸から外出する際は、護衛を付けるのが基本だ。審神者の集まる演練会場や買い物を済ませる万屋ですら、護衛する刀剣男士たちの姿がよく見られる。
 むしろ、炒飯食べたさに現世へ護衛を付けずに抜け出すような行為は、禁止こそされていないものの、基本的には言語道断だ。審神者はいつ何処で命を狙われているのか分からないのだから。


「しゅ……主君、ご一緒されるご友人はどのようなお方ですか? まさか同じ審神者の方ではありませんよね?」
「違うよ。ほら、保護対象リストに入ってた機動隊のお兄さんと刑事のお兄さん。あの人たち勘が良いからさぁ、刀剣男士を連れてったら、保護対象リストだって気付いちゃうかも」
「んぐぬぅ……ッ」
「どうしたの変な声出して」


 もちろん白雪も何の考えもなしに行動したりしない。
 忌み地と化した本丸では、刀剣男士すら呪詛の餌食になる可能性も否めなかった為、白雪が単騎であの場を訪れたのだ。
 今回も白雪にそれなりに考えがあってのことで、何も言い返せない前田が歯痒そうに顔を歪める。


「……仕方がない。君はまだ身体が本調子じゃないことは自覚してるだろうし、何かあればすぐに逃げること」
「言われなくても補助アイテムくらいは持ってくよ〜」


 暢気にのほほんと答える主人に、心配のあまり胃を痛める従者たち。もちろん人外なので、物理的に負傷しない限り、病も簡素な呪詛も跳ね返すのだが。
 絶対に無茶をするなと言い聞かせ、長義と前田は、渋々、本当に渋々、時空間転送装置(ゲート)まで見送った。
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