鬼哭啾啾

 しばらく進む。幸い現在遭遇しているのは、白雪が歩いて吹き飛ばせる程度の雑魚霊だ。近づいては祓われ、近づいては浄化されの繰り返しで、白雪の歩いた跡が、神々しく輝く轍のようになっている。
 順調に浄化が行われ、徐々に本丸が元の姿へ戻っていく。それはオカルト初心者である諸伏も肌で感じ取っていた。


「このままいけば———」
「しっ」


 白雪は諸伏の腕を引き、すぐ近くの部屋へ入ると障子を閉めた。白雪の霊圧も上がっているのか、人差し指と中指の指先からバチバチと乾いた音が鳴る。
 そして諸伏に部屋の奥で待機を命じ、障子に人差し指で穴を空ける。普段ならこんな真似は絶対にしないが、緊急事態なのでやむを得ない。
 破いた穴から覗くと、そこには、十歳前後の大きさの何かが、四つん這いの状態で、芋虫の如く這い蹲っていた。手足は五本。……恐らく元々六本ある手足が一本斬り落とされたのだろう。

 黒い影が蠢くたび、ぴちゃぴちゃ、と水音が鳴る。よく見ると、斬り落とされた部分から血腥い液体が溢れ出している。
 幸い黒い影がこちらに気付く様子はなく、そのまま部屋を通りすぎていく。気配がなくなり、ひとまず危機は去ったと判断した白雪は、制止させていた手を下ろした。


「……もういいか?」
「えぇ。もう大丈夫です。ひとまず危機は去ったかと」
「……その、勝手な真似をしてごめん。奥からこれ、見つけたんだ」


 諸伏が差し出したのは、本丸の見取り図と刀帳。これは事前に調べていても出てこなかったデータだ。
 予想外の収穫に、白雪は血に濡れた刀帳を捲っていく。


「……何か分かったか?」
「はい。この異界(本丸)から脱出するには、時空間転送装置(ゲート)が必要なのですが……その場所が分かりました」
「なるほど。つまりそこへ向かえば……」
「現世へ帰還できます。ただ、まだ情報が足りなさすぎる……。少しでも勝率を上げたいので、もう少しお付き合い頂いても宜しいでしょうか」
「わかった。プロのキミに従うよ」
「恐縮です」


 装飾のつもりだろうか、桃色の岩塩が飾り棚に鎮座していた。そっと触れて浄化すると、袂(たもと)へそっと仕舞い込む。
 そして安全確認すると、再び探索するため、部屋の外へこっそりと忍び出た。

 呪われた本丸を探索する度、怪奇現象に見舞われるものの、大抵のことは白雪が吹き飛ばすので、諸伏はただ彼女の後を付いて行くだけだ。
 それでも蠢く黒い影に対しては、白雪も手も足も出ないのか、遭遇すれば近くの部屋に籠城し、結界を張り巡らせて、ただ脅威が過ぎ去るのを待つ。その間に諸伏が重要そうな書類を探す。

 そこで新たなる発見や情報が見つかることもあれば、そうでもないただの落書きであることも多かった。何せ数百年前の筆で書かれた筆記体。時代が違えば表現方法も、字体も変わっていく。楷書体、その上現代文しか読み慣れない諸伏は、到底解読できなかった。

 そして三つ目の部屋に突入した頃、事態が急展開を起こした。
 這い蹲る黒い人影から挟み撃ちにされ、逃げ込んだ先の部屋に、襖が開かないような結界を貼る。その刹那。部屋の隅に置かれていた姿見が、音を立てて割れた。


「諸伏さん! お怪我はありませんか⁉」
「あぁ、オレは大丈夫……」


 白雪は咄嗟に諸伏を自分の小さな背に庇い、人差し指と中指を突きつけて警戒心を顕にする。指先からは霊力が溢れ出し、パチパチと霊力が迸っていた。

 指し示す先には、何とか気力で人の身を保つ刀剣男士———三日月(みかづき)宗近(むねちか)———が、壁に凭れた状態で二人を見詰めていた。まるで見定めるような獣の視線に、白雪の放つ霊圧も強くなる。


「落ち着け。そなたらに危害を加える気はない。……そもそも、危害を与えようにも、身体が錆びて動かぬ。誰かに害を与えるなぞできようものか」


 三日月宗近らしい尊大な口調に、白雪は危険性はないと判断して霊圧を弱めた。狩衣で分かりづらいが、本来なら手足が伸びているであろう部位に膨らみがない。つまり油断させて斬り付けようにも、依り代を握る腕がないのだ。
 それに気付いた諸伏は吐き気を辛うじて抑え、白雪は彼の背中をさする。
 見苦しい姿を見せてすまなんだ。本来ならば、もっともっと……。謝罪する三日月は、どこまでも気品があって、優雅で、美しかった。


「俺は三日月宗近。天下五剣の一つにして、一番美しいともいうな。……だが、今はこの御霊も穢れ、朽ちゆくのを待つだけの、ただの付喪神だ」


 手を下ろして完全に警戒心を解いた白雪と、状況が掴めずわたわたと困惑する諸伏。彼女の態度から彼は危険ではないと分かっていても、恐ろしいものは恐ろしいのだ。


「そう警戒するでない、人の子よ。俺は外の墜ちて怪異と成った刀と違い、錆びて、襲うことも、動くこともできぬ。ただ己が朽ちゆくのを、指を咥えて眺めるばかりの壊れ物だ。だが、俺にも付喪神の矜持がある……。外の刀はあのように理性を失い、獣のように彷徨うほどに堕ち切ったものなぞ、最早神格のある付喪神とは呼べぬ」
「……三日月さま、お聞きしたいことがございます。本丸を統治する役目の審神者は、一体どこへ?」
「相すまぬ、審神者の行方はもう分からぬのだ……。俺がこの本丸に顕現したときには、既に空気が穢れ切っていてな。審神者は……主は、顕現直後に会話したきり、会うことすら叶わぬのだ……」


 正直なところ諸伏には、二人が何を言っているのか全く分からない。しかも白雪は三日月の返答から、自ら組み立てた推理に正解を導き出しているようで、その表情が段々と険しくなっていく。


「……俺は、もうここまでのようだな。俺が持ちうるのは、この小さな絡繰式神のイヅナのみ」
「三日月さまは、これをどこで?」
「主と会えぬか試行錯誤しておったところ、動かぬところを俺が隠した。……見たところ、小娘も審神者……それも相当な階級だろう。お主なら、このイヅナを再起動させるにも容易いであろうよ」


 三日月から手渡されたのは、動かなくなったこんのすけ。白雪の持つこんのすけと型番が異なるのか、若干配色が異なっている。
 もしこの本丸のこんのすけのデータが残っているのであれば、確実に真相に一歩近づけるはず。
 死体のように眠るこんのすけを受け取った次の瞬間、三日月の身体がどんどん透けていってしまう。


「……これで、俺は役目を負えた。まぁ、形あるものはいつか壊れる、それが今日だっただけの話だ」
「え……? 三日月さん、それって……」
「俺はイヅナを審神者へ渡すために待っていた。その役目を終えたのならば、俺は自我があるうちに本霊へ帰りたい。あのような、邪神へ……まがつびの神へ堕ちたくないのだ。分かってくれるな、小童よ」
「……かしこまりました。刀解処分、執り行います」


 白雪の目前に、三日月が己の依り代である刀を台の上へ乗せる。そして白雪が手印を素早く手堅く結ぶと、彼の姿は跡形もなくなった。
 消える間際に、三日月のお礼のことばが、諸伏の耳を微かに擽った。
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