第18話
ど う し て こ う な っ た。
サニワは内心溜め息を吐いて、独り言ちた。こんのすけはパニックになって主さまと叫びながら駆け回り、デントはガックリと落ち込み、サトシとアイリスはしょんぼりと項垂れ、自分たちのポケモンは心配そうに周りを取り囲んでいる。
事の発端は、数十分前まで遡る。
昼餉にシチューを拵えていたデントの近くで、サトシたちがターザンごっこをして遊んでいた。その際に散った木の葉が一枚、鍋の中へ。それに怒ったデントが、勢いのあまり完成間近だった鍋をひっくり返してしまう。ちょうどその先には、サニワが食器を配膳していた。
見事に熱々のホワイトシチューを左手に被ったサニワは何が起こったかわからずパチクリとしていたが、すぐにじくじくとした痛みと、周囲の反応によって、やっと己の身に降りかかった災難を理解した。
ちょうど彼女のポケモンたちが外に出ており、彼女らの迅速な対応によって、基本的には軽度の火傷で済みそうではある。しかし、梢のような腕には水脹れができていた。
サニワはいつの間に着替えたのか、服装が寝巻き代わりの白い浴衣に変わっていた。まるで亡霊かのように、静かにサトシたちに近づいていく。
彼女は無表情で、あまり感情が読めない。完全なる無表情だ。だがこれだけはわかる。相当怒っているのだと。だが、彼らの想像とは異なり、彼女から発される声はとても優しいそれで、まるで諭すように叱ったのだった。
「……料理、危険、いっぱい。……近い、遊ぶ、だめ」
「う、うん……」
「わかったわ……」
「サトシさまとアイリスさまは遠くに離れていてください。準備が完了次第、呼びに参ります」
途端に駆け出していくサトシとアイリス。彼らの背を見て、デントは溜め息を吐いた。それを見たサニワは心配そうに見詰める。
「……だいじょぶ? お休み、する?」
「大丈夫だよ。料理は僕が作るから、サニワはポケモンたちの面倒を見ていてくれるかい?」
「……わかった」
「ごめんね、女の子なのに……。傷痕が残るかもしれないね……」
「えぇと……」
困ったような声を上げるサニワは、今にも泣き出してしまいそうな表情のサーナイトへ目配せした。
がっくりとうな垂れて落ち込むデントの脳内に、あどけなさが残る、それでいて穏やかな子どもの声が響き渡る。サーナイトのテレパシー能力を利用して、サニワの言葉をこちらの世界の言語に翻訳しているようだ。
『デント、気にしないで欲しい。今のは偶然起きた不幸な事故だ。こうなることも十二分に予見できた。事前にサトシたちへ忠告しなかった自分にも非がある。つまりデントに責任の所在はない。判断を見誤った自分の責任だ』
「でも……」
軍人らしい、堅苦しい言葉で慰められるものの、再度料理に取り掛かるデントの顔には雲がかかったままだ。パートナーであるヤナップも表情が暗い。
そんなデントの脳内には、彼女の世界の言葉だろうか。聞いたことのない、それでいてすんなりと耳馴染の良い不思議な調子の音韻が響いた。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。……自分の世界にある、有名な古典作品の冒頭部分だ』
「そうなんだ……。これって、一体どういう意味なんだい?」
『泡沫夢幻。大雑把に言ってしまえば、どんな地位や権力を持った人間も、いつかは死んで滅亡する。どれだけ栄華を極めても、いつかは枯れ葉のように朽ちていく。人間はいつか死ぬ。平民も貴族も、どんな身分の人間であろうと、平等に死神は訪れる。……この表現は西洋のメメント=モリに近いけれど。避けることのできない死という未来があるからこそ、今この瞬間を大切に生きることができるというもの』
「……へぇ」
珍しく饒舌なサニワの言葉。幼いながらも博識な彼女の言葉は、好奇心旺盛なデントの興味をそそるには十分だった。
『その……まあ要するに、全ての事象には終わりというものは必ず訪れる。別に自分が死んだとしても、それはそのタイミングだったというだけの話だ。デントが罪を感じ、自らを呵責する必要はない』
「……う、うん」
先ほどの説明は、サニワなりの励ましの言葉だった。ところが彼女は異世界出身だからか、やはり価値観の相違はある。
複雑な表情を浮かべているデントに、サニワは更に言葉を続けた。それがデントの傷に塩を塗り込む行為だとは思わずに。
『こんちゃん……こんのすけは通信手段を有しているといえど、異世界だからか本丸と連絡取れていない。通信が断絶してからかなり長い時間が経過していることだろう。……もしかしたら、二階級特進しているかもしれない。この世界に自分の戸籍は存在しない、元の世界でも殉職扱いとなれば……自分の存在すべき場所は、どこにもない。身分も分からない孤児のひとりが死んだところで、誰も悲しまない。困りはしない』
「どうしてそんな事言うんだ⁉ 僕もサトシもアイリスも、サニワが死んでしまったらとても悲しいんだよ!」
どこか遠くを見詰めながら、淡々と喋るサニワ。まるで、自分には存在する意義も、価値もないとでも言いたげで。心はとうの昔に死んでしまった彼女は、ただの人形 だと言いたげで。思わずデントは彼女の手を掴んでしまう。
デントの表情はとても険しく、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
いつも穏やかで紳士的なデントが感情を顕にするのは珍しい。時々はっちゃけるときはあるものの、まさかそんな感情的になるとは想定外だったサニワはとても驚いていた。表情は相変わらずの氷の如き仏頂面だったが。
『……その、すまなかった。……その、今回はデントは何も悪くないと言いたかった』
「こっちこそ、ごめんね。別に謝って欲しいわけじゃなかったんだよ。それに、謝るのは僕の方だ。痛かったよね、本当にごめん」
『いや、そう思ってくれて嬉しい。ありがとう。……しかしこれは、病院で治療を受けた方がいいかもしれないね……いや、デントの責任ではないし、落ち込まないで欲しい』
先ほどデントが感情的にサニワの手を掴んだ衝撃で、水脹れが弾けてしまった。痛みは軽度のようだが、相当腫れ上がっている。あまりにも痛々しいその症状にデントは思わず失神しそうになっていた。当の本人は平然としていたが。
『……こんちゃんはどう思う? 病院で治療を受けるべきだろうか』
「火傷の深さは自己判断が難しいので、医療機関を受診すべきだと思います。というか今すぐにでも行ってください! 主さまの年齢ですと、Ⅱ度で十パーセントを超えた場合には入院治療が望ましいんですよ‼」
『しかし、サトシとアイリスを置いて行くわけにも……』
「僕があの考え足らずのガキ……いえ、サトシさまたちへ伝令いたしますので、今・す・ぐ‼ 向かってください‼」
『憤るのも理解できるが、少し落ち着こうな。……位置情報は後で転送するから、後ほど病院で合流しよう。くしなちゃんを同行させるから、言伝は頼んだ。……喉笛に噛みつくなよ。フラグじゃないからな、これ』
「……わかりました!」
『今の間は何?』
指示を横で聞いていたビリジオンは、こんのすけを背中に乗せ、一目散にサトシたちの元へ駆け出していく。
それを見届けたサニワはトゲキッス以外のポケモンをボールへ戻すと、ひらりとトゲキッスへ騎乗する。後ろにはデントが乗っており、この場所から最も近くの医療施設まで、あっという間に飛んで行った。
サニワは内心溜め息を吐いて、独り言ちた。こんのすけはパニックになって主さまと叫びながら駆け回り、デントはガックリと落ち込み、サトシとアイリスはしょんぼりと項垂れ、自分たちのポケモンは心配そうに周りを取り囲んでいる。
事の発端は、数十分前まで遡る。
昼餉にシチューを拵えていたデントの近くで、サトシたちがターザンごっこをして遊んでいた。その際に散った木の葉が一枚、鍋の中へ。それに怒ったデントが、勢いのあまり完成間近だった鍋をひっくり返してしまう。ちょうどその先には、サニワが食器を配膳していた。
見事に熱々のホワイトシチューを左手に被ったサニワは何が起こったかわからずパチクリとしていたが、すぐにじくじくとした痛みと、周囲の反応によって、やっと己の身に降りかかった災難を理解した。
ちょうど彼女のポケモンたちが外に出ており、彼女らの迅速な対応によって、基本的には軽度の火傷で済みそうではある。しかし、梢のような腕には水脹れができていた。
サニワはいつの間に着替えたのか、服装が寝巻き代わりの白い浴衣に変わっていた。まるで亡霊かのように、静かにサトシたちに近づいていく。
彼女は無表情で、あまり感情が読めない。完全なる無表情だ。だがこれだけはわかる。相当怒っているのだと。だが、彼らの想像とは異なり、彼女から発される声はとても優しいそれで、まるで諭すように叱ったのだった。
「……料理、危険、いっぱい。……近い、遊ぶ、だめ」
「う、うん……」
「わかったわ……」
「サトシさまとアイリスさまは遠くに離れていてください。準備が完了次第、呼びに参ります」
途端に駆け出していくサトシとアイリス。彼らの背を見て、デントは溜め息を吐いた。それを見たサニワは心配そうに見詰める。
「……だいじょぶ? お休み、する?」
「大丈夫だよ。料理は僕が作るから、サニワはポケモンたちの面倒を見ていてくれるかい?」
「……わかった」
「ごめんね、女の子なのに……。傷痕が残るかもしれないね……」
「えぇと……」
困ったような声を上げるサニワは、今にも泣き出してしまいそうな表情のサーナイトへ目配せした。
がっくりとうな垂れて落ち込むデントの脳内に、あどけなさが残る、それでいて穏やかな子どもの声が響き渡る。サーナイトのテレパシー能力を利用して、サニワの言葉をこちらの世界の言語に翻訳しているようだ。
『デント、気にしないで欲しい。今のは偶然起きた不幸な事故だ。こうなることも十二分に予見できた。事前にサトシたちへ忠告しなかった自分にも非がある。つまりデントに責任の所在はない。判断を見誤った自分の責任だ』
「でも……」
軍人らしい、堅苦しい言葉で慰められるものの、再度料理に取り掛かるデントの顔には雲がかかったままだ。パートナーであるヤナップも表情が暗い。
そんなデントの脳内には、彼女の世界の言葉だろうか。聞いたことのない、それでいてすんなりと耳馴染の良い不思議な調子の音韻が響いた。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。……自分の世界にある、有名な古典作品の冒頭部分だ』
「そうなんだ……。これって、一体どういう意味なんだい?」
『泡沫夢幻。大雑把に言ってしまえば、どんな地位や権力を持った人間も、いつかは死んで滅亡する。どれだけ栄華を極めても、いつかは枯れ葉のように朽ちていく。人間はいつか死ぬ。平民も貴族も、どんな身分の人間であろうと、平等に死神は訪れる。……この表現は西洋のメメント=モリに近いけれど。避けることのできない死という未来があるからこそ、今この瞬間を大切に生きることができるというもの』
「……へぇ」
珍しく饒舌なサニワの言葉。幼いながらも博識な彼女の言葉は、好奇心旺盛なデントの興味をそそるには十分だった。
『その……まあ要するに、全ての事象には終わりというものは必ず訪れる。別に自分が死んだとしても、それはそのタイミングだったというだけの話だ。デントが罪を感じ、自らを呵責する必要はない』
「……う、うん」
先ほどの説明は、サニワなりの励ましの言葉だった。ところが彼女は異世界出身だからか、やはり価値観の相違はある。
複雑な表情を浮かべているデントに、サニワは更に言葉を続けた。それがデントの傷に塩を塗り込む行為だとは思わずに。
『こんちゃん……こんのすけは通信手段を有しているといえど、異世界だからか本丸と連絡取れていない。通信が断絶してからかなり長い時間が経過していることだろう。……もしかしたら、二階級特進しているかもしれない。この世界に自分の戸籍は存在しない、元の世界でも殉職扱いとなれば……自分の存在すべき場所は、どこにもない。身分も分からない孤児のひとりが死んだところで、誰も悲しまない。困りはしない』
「どうしてそんな事言うんだ⁉ 僕もサトシもアイリスも、サニワが死んでしまったらとても悲しいんだよ!」
どこか遠くを見詰めながら、淡々と喋るサニワ。まるで、自分には存在する意義も、価値もないとでも言いたげで。心はとうの昔に死んでしまった彼女は、ただの
デントの表情はとても険しく、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
いつも穏やかで紳士的なデントが感情を顕にするのは珍しい。時々はっちゃけるときはあるものの、まさかそんな感情的になるとは想定外だったサニワはとても驚いていた。表情は相変わらずの氷の如き仏頂面だったが。
『……その、すまなかった。……その、今回はデントは何も悪くないと言いたかった』
「こっちこそ、ごめんね。別に謝って欲しいわけじゃなかったんだよ。それに、謝るのは僕の方だ。痛かったよね、本当にごめん」
『いや、そう思ってくれて嬉しい。ありがとう。……しかしこれは、病院で治療を受けた方がいいかもしれないね……いや、デントの責任ではないし、落ち込まないで欲しい』
先ほどデントが感情的にサニワの手を掴んだ衝撃で、水脹れが弾けてしまった。痛みは軽度のようだが、相当腫れ上がっている。あまりにも痛々しいその症状にデントは思わず失神しそうになっていた。当の本人は平然としていたが。
『……こんちゃんはどう思う? 病院で治療を受けるべきだろうか』
「火傷の深さは自己判断が難しいので、医療機関を受診すべきだと思います。というか今すぐにでも行ってください! 主さまの年齢ですと、Ⅱ度で十パーセントを超えた場合には入院治療が望ましいんですよ‼」
『しかし、サトシとアイリスを置いて行くわけにも……』
「僕があの考え足らずのガキ……いえ、サトシさまたちへ伝令いたしますので、今・す・ぐ‼ 向かってください‼」
『憤るのも理解できるが、少し落ち着こうな。……位置情報は後で転送するから、後ほど病院で合流しよう。くしなちゃんを同行させるから、言伝は頼んだ。……喉笛に噛みつくなよ。フラグじゃないからな、これ』
「……わかりました!」
『今の間は何?』
指示を横で聞いていたビリジオンは、こんのすけを背中に乗せ、一目散にサトシたちの元へ駆け出していく。
それを見届けたサニワはトゲキッス以外のポケモンをボールへ戻すと、ひらりとトゲキッスへ騎乗する。後ろにはデントが乗っており、この場所から最も近くの医療施設まで、あっという間に飛んで行った。