第16話

 得体の知れない恐怖に襲われるのは、かなり体力を消耗するものだ。職業上怪奇現象に慣れっこなサニワ以外の三人は、ヘロヘロになって食堂の椅子に腰掛けていた。
 大丈夫かとサニワが心配し声をかけた途端、ひとりでにベルの音が食堂に響き渡る。彼らの座る椅子が宙に浮かび上がり、まるでジェットコースターのように飛び回った。
 立っていたサニワだけが無事だったが、そんな彼女にセッティングされていた食器が投擲された。サニワは俊敏な動きで避けていくものの、陶器の皿が頭に直撃。赤い液体がたらりと流れ出る。

 そのままサトシたちの身体は宙に浮かび、衣装室に放り投げられた。内心負傷したサニワの身体を心配していたが、彼らは口にする余裕もない。
 倒れ込んだサトシたちの前に差し出されたのは、真っ白な手。サニワの肌も磁器のように白いのだが、それは彼女のものではなく、衣装だけで動く不気味なものだった。
 逃げる間もなくサトシたちはダンスパーティに強制参加。ピカチュウたちは邪魔だと言わんばかりに衣装ラックへ放り投げられる。


「……えい」


 後から追いかけてきたサニワが、食堂から持ってきていたナイフを衣装に向かって投げつける。途端に洋服の動きは止まり、目を回したサトシたちは床へ伏せた。
 すると服の一つがもぞもぞと蠢く。そこから出てきたのは、紫色の蝋燭を灯した四体のポケモン———ヒトモシ———だった。
 慌ててヒトモシたちは逃げようと駆け出すものの、そのうちの一匹だけが転んでしまい、サニワに首根っこを掴まれる。
 頭頂部から流血していることも相まってか、サニワの背後には阿修羅像が佇んでいるかのような錯覚を覚えた。あまりの彼女の迫力に、ヒトモシの涙腺は堤防が決壊寸前だ。


「主さま。お気持ちはわかりますが、まずは手当てを先に行いましょう!」


 こんのすけの鶴の一声に、否、狐の一声に渋々ヒトモシを地面へ下ろすサニワ。だがヒトモシの周りはサトシたちが取り囲んでおり、逃すつもりは全くない。

 デントがサニワに手際よく応急処置を施す間、サトシはヒトモシにポケモン図鑑を翳す。しかし、流れ出した説明が途中で終わってしまった。ただの不具合かと思ったサトシは、気にせず図鑑を鞄の中へ仕舞い込む。
 トレーナーはどこにいるのか、そもそもヒトモシのトレーナーはこの屋敷の主人なのか。色々問いかけても、ヒトモシはただ「もしもし」と返すだけだ。あまりにやるせない反応に、温厚な管狐もついに沸点に到達した。


「ええ加減にしろやこの蝋燭めがあぁ! 喉笛噛み砕きますよ⁉」
「……だめ。警戒、してる。無理やり、お話、聞く、逆。……捕虜、いじめる……後で、面倒」
「捕虜って」


 捕虜って、軍人じゃないんだから。いや違う、彼女は軍人だった。ぴしゃりとこんのすけを叱るサニワは、異世界出身だからかどこか感覚や価値観がずれている。
 そんな彼女はヒトモシをスッと抱き上げた。一同がギョッとした目で見るも、「まずは警戒を解いてもらうのが先」と返した。別の世界の言葉で。
 サニワはポケモンの言葉が通じると言えど、さすがにヒトモシの言葉は理解できなかった。意味のない言葉を繰り返すだけで、聞こえるのはただの感嘆符だ。
 だが警戒心を解いてもらえば、きっと意思疎通ができるだろう。サニワはそう信じていた。

 サニワがヒトモシを抱き上げたまま洋館の内部を探索するサトシたち。こんのすけだけがチベットスナギツネのような顔でヒトモシを見ていたが、やはり返ってくるのは「もしもし」という返事のみ。

 ふわりと先頭を歩いていたサトシの目の前に、見覚えのある仮面が現れる。デスマスのマスクだ。デスマスは一声鳴くと、すぐに姿を消した。
 まるで入れ違いになるかのように、奥から声が聞こえてくる。その声の主は、ロケット団に所属する、人の言葉を話すニャースであった。


「おいお前たち、何をしてるんだ!」
「マズいのにゃ!」
「待て!」


 サトシが追いかけるも、彼らの逃げ足が早く、すぐに見失ってしまう。この広い洋館の内部を虱潰しに捜索するのは、さぞ大変なことだろう。
 ただ、サニワはロケット団の存在を知らなかった。サトシたちの知り合いかなと思うだけで、特に気に留める素振りを見せなかった。
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