第11話

 イッシュ地方の中でも、ヒウンシティは屈指の大都市だ。空をも貫く摩天楼が幾重にも立ち並び、スーツや制服を身に付けた人たちが時間を気にしながら、縦横無尽に走る路地を忙しなく行き交っている。
 しかしながらヒウンジムの内装は、大都会にいても虫ポケモンたちが過ごしやすいように木々に囲まれていて、時々外からマメパトの囀りも聞こえてくる。
 そんな都会の中のオアシスで、サニワはただ無表情で、ビリジオンに身を預けていた。その傍には、サニワのポケモンのうちの一体であるモスノウが静かに佇んでいた。
 旅仲間のアイリスがレベルの低いキバゴを常に連れ歩いているため、寒さに弱いドラゴンタイプに配慮してボールの中で静かにしていたようだ。
 その瞬間を、ヒウンジムリーダーであるアーティは、一心不乱にキャンバスへぶつけていた。

 シャッ。シャッ。筆の走る音。
 くるっぽー、くるっぽー。マメパトの囀る声。

 それらを耳に入れながら、サニワは自身の身を預けている心優しいポケモンの頭を、ゆっくりとした手つきで撫ぜた。
 天窓から入る光が、彼女の艶やかな白銀の髪を、そして雪のようなモスノウの羽を、キラキラと宝石のように輝かせる。
 ガーネットの瞳は、確とポケモンたちの目を見詰める。ビリジオンも、そしてモスノウもまた、彼女の宝石のような目を見詰めていた。
 その様子は、神々しさすら感じさせるほど清らかで、さながら宗教画のようだった。


「……うん! サニワちゃん、協力ありがとう! おかげさまで素晴らしい作品が完成したよん!」
「……良かった」


 キラキラと太陽のような満面の笑みを浮かべるアーティに対し、サニワは能面をつけているかのように、顔が変わらない。
 表情の変わらない、感情の読めないサニワ。いくら他地方のチャンピオンに君臨しているといえど、彼女の見た目は幼女に変わりない。
 共に行動していたサトシやアイリスのように、キマワリのような輝く笑顔を、ポジフォルムのチェリムのような愛らしい笑顔を、なぜ彼女は見せないのだろうか。
 人形のように綺麗なばかりで、表情は変わることがないサニワ。そんな彼女に何とかして感情を与えたいと、アーティは優しい声色で提案した。


「そうだ! サニワちゃんさえ良ければ、お願い事を聞いても良いかい? あの時、流れ星に託した願い事さ」
「……難しい。無理」
「そんな断言しなくても……」


 スッと流れるような動作で、アーティは小さなサニワの手を取る。アーティは柔っこい彼女の肌の感触が気に入ったのか、よく頬や手に触れていた。
 だがサニワは視線を下へ落とす。それはとても儚げで、寂しげだった。このまま触れ続けていなければ、目を離した隙に、淡雪のようにどこかへ消えてしまいそうなほどだった。

 サニワが意を決して告げた内容。それは既にアーティは妖狐から耳に届いていた。ヤグルマの森で彼の肩に乗った、あの時に。
 咎めるような視線を妖狐へ向けると、彼は悪びれもなく、ひらりと主人の肩へ跳び乗って弁解した。


「大丈夫です、主さま。彼は相当な切れ者です。上手くダンデさまへ説得してくださるでしょう。後は転送装置を復元するだけです」
「任せてくれ。サニワちゃんが元の世界へ帰れるように、僕もそれなりに頑張るよん」


 だから、僕に愛らしい笑顔を見せてくれ。
 アーティの骨張った手がするり、とサニワの陶器のような頬に触れる。彼女はくすぐったそうに小さく身じろぐ。その表情は凍てついた無のままだ。

 サニワは、怪訝に思っていた。
 自分はただ、モデルをして欲しいという、至極簡単なアーティの望みに付き合っただけ。それなのに彼はなぜ、こんなに自分に尽くしてくれるのだろう。
 草木を空想させるような、生き生きと輝く若草色の瞳。それをじっと見つめると、サニワは自身が抱く疑問をぶつけた。


「……どうして、優しい?」
「んぬん……そうだねぇ。やっぱりサニワちゃんに僕の純情ハートを奪わゔぇッ⁉︎」


 突如、アーティの急所に衝撃が迸る。何事かと思って彼の前に躍り出て、出入り口の方向へ顔を向けると。


「サニワちゃん! そこの変態が蹲ってるうちに早くこっちに来なさい!」


 殺気立てているマスタードと、その妻のミツバ、そしてサニワの兄姉弟子にあたるクララとセイボリーの姿が。
 一体彼らは何をするつもりなのだろうか。というか、ヨロイ島にいるはずの彼らがどうしてこの場所にいるのだろうか。混乱しているサニワをセイボリーの念動力で自身の側へ引き寄せると、ミツバは彼女を背に庇い威嚇する。


「アンタ、うちの娘に何手ぇ出してんのよ‼︎ ケツの穴に手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろかゴルァ‼︎」
「……ミツバさん。……親、ちがう。……親、家族、いない。……この世界には、どこにも、いない」
「そう言わないの。うちの道場で修行した子は、皆家族みたいなものだからね〜。……でも今は静かにしてた方が得策かな?」


 まるで別人のように捲し立てる愛妻に、マスタードは苦笑いを浮かべる。
 ミツバの激昂ぶりに、大声で叫ばれたアーティとサニワは全く訳がわからず、きょとんと惚けていた。
 だがオクタンのように顔を赤く染めて怒号を飛ばしているミツバの態度を見る限り、マスタードの言う通り何か言うと拳が飛んできそうなので静かに黙っているしかなかった。
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