第10話

 皆が深い眠りに落ちているなか、サニワはひとり、目が覚めた。
 ざわざわと梢枝が触れ合う音が彼女の耳へ入る。大樹の上ということもあってか、吹き付ける風が一段と強い。
 スマホの時刻表示を一瞥すると、時刻は草木も眠る丑三つ時。スマホに入っているロトムも、起きている気配はない。
 妙に目が冴えてしまったが、もう一度眠り直そうと寝袋の中へ再度潜り込んだ。———その時だった。突如、風の音とは違う聲が、森の中で轟いたのは。


「ききゅぁあああーっ!」


 いったい何事だと跳ね起きる。周囲には何もいないが、サニワは確かに気配を感じていた。警戒をあらわにするサニワの目前で強烈な旋風(つむじかぜ)が巻き起こり、咄嗟に目を閉じて顔を庇う。
 しばらくすると何も聞こえなくなったので、恐る恐る瞼を開ける。
 いつの間にか開けた場所に立っており、目の前には若草色の体躯をした、見たことのないポケモンが凛と佇んでいた。そのポケモンからは敵意や攻撃する意思はあまり感じられないが、警戒するに越したことはない。

 すると、悠然と、かつ静かに、一歩ずつ踏み締めるかのように、ポケモンはこちらへ歩み寄る。相対するかのように、サニワも一歩ずつ後退していったが、すぐに背中に木が当たってしまう。
 ポケモンは目の前まで迫っていた。サニワが固唾を吞むと、ポケモンはまるで甘えるヨーテリーの如く、頭をすりすりと擦り付けた。少なくとも敵意は全く感じない。

 しばらくの間、サニワは若草色のポケモンのされるがままとなっていた。心ゆくまで甘えたポケモンは満足したのか、彼女の傍で座り込み瞳を閉じる。
 全く敵意を感じられないポケモンに、完全に警戒心の解けたサニワの瞼は、だんだんと重くなっていく。そして、遂に彼女の視界は真っ暗となった。

 それから数時間後、木漏れ日が周囲を優しく照らす頃。
 サニワが目を覚ますと、草ポケモンや虫ポケモンが彼女の周りで眠っている。その様はまるで絵画のようで。とても神秘的な風景であった。
 しかし、内心サニワは焦っていた。もしかしたら、この広大な森の中をサトシたちが探し回っているのかもしれない。
 一気に意識を覚醒したサニワは、彼女の傍で眠っていたポケモンを慌てて揺さぶり起こし、サトシたちの元まで土下座する勢いで案内を頼み込む。彼(彼女かもしれないが)は少々困惑していたが、あまりの勢いに切羽詰まった状態だと察し、快く背中へ乗せた。

 ポケモンが連れて行った先は、昨日アイリスが森の声が聞こえてきたと言って、誤魔化していたあの断崖絶壁の下。
 実はサニワが拉致された後、クルミルもミネズミたちによって連れ去られていた。ミネズミはクルミルの身に付けている葉の洋服を薬にする習性があるからだ。
 その後ミネズミの巣から何とか脱出できたクルミルは、その場から離れようと糸を吐く。だがシキジカの首にまとわりつき、崖下へ落ちてしまったのだ。
 それを何とか助けようと、サトシはクルミルの後を追い、共に崖下へ自ら落下していく。その現場に、サニワは対峙していた。


「……今、助ける! 動く、だめ‼︎」
「サニワ!?」
「うわあああぁぁぁぁ!?」


 吠えるように指示を出したサニワ。彼女を背に乗せたポケモンは、断崖絶壁を駆け上がっていく。崖を登るその動きはしなやかで、空を飛んでいるかのようだった。
 その最中、落ちていくサトシがポケモンの身体を掴んだ。そして火事場の馬鹿力を発揮し、片腕でクルミルと自分の身体を引き寄せ、慣れたように跨がる。
 サトシはあまり生きた心地がしなかったのだろう、顔面蒼白ではあるが特に怪我はないようだ。


「ありがとな、サニワ……。おかげで助かったぜ……」
「……大丈夫? 痛い、ない?」
「あぁ、平気だよ。でもクルミルの服がボロボロになっちゃったな」
「それなら僕に任せてくれ」


 アーティはボールから二足歩行の虫ポケモンを出すと、クルミルの服を修繕するように頼んだ。このポケモンはハハコモリといい、クルミルの最終進化系だ。
 ハハコモリはあっという間にクルミルの服を作り上げ、以前の姿に元どおりとなった。服を繕ってもらったクルミルは満足げに身体を揺らす。


「ん〜……。それにしても、危険を承知でクルミルを助けに行ったサトシくんの純情ハートには心を打たれたよん」
「そんな……」
「……でも、死ぬ危険、いっぱい。……一度、死ぬ……元に、戻らない」


 淡々とサトシの行動を咎めるサニワのその口調は、“人間(ヒト)を命を持たぬ物体(モノ)”と定義していた。彼女の無表情も重なって、さらに歪さを際立たせている。
 しかし、自身の身の安全を放り出してまで助けようとしたサトシの行動に、クルミルは心を開いたのもまた事実で。
 クルミルはサトシの放り投げたボールに吸い込まれていく。ボールはうに、うに、うに、と三回動いた後、静かに揺れが止まった。


「クルミル、ゲットだぜ!」


 それを見た若草色のポケモンは、サニワの目の前に躍り出ると、ぺこり、と頭を下げる。その様はまるで、姫に付き従う従者のそれであった。
 そして彼女の鞄から勝手に空のプレミアボールを取り出すと、器用に開閉ボタンを脚で押す。ボールが三回揺れ動くと、カチリとゲット完了の合図を告げた。


「……げっと、した」
「「「ええええぇぇえええ!?」」」
「待って待って、さっきのポケモンって伝説のポケモンのビリジオンよね⁉︎」
「まさかあの伝説のビリジオンをゲットするなんて! なんて刺激的なテイストだろう……!」
「おおぉ、インスピレーション‼︎ サニワちゃんとビリジオンのお陰で新しい作品のアイデアが浮かんだぞぉ!」


 イッシュ地方出身の三人は口々に感嘆の言葉を紡ぐ。アーティに至ってはビシッと謎のポージングを決める始末。しかもそのポーズは、出会った当初よりも格段とキレがある。余程感激しているようだ。
 だが、先ほど姿を知ったばかりのサトシとサニワはそれほどピンときておらず、顔を見合わせた。
 アーティは人当たりの良い笑みを浮かべると、サニワの白く柔らかな紅葉の手を、そっと手に取る。そして、そのまま抱き寄せた。


「僕は一足先にヒウンシティへ戻るけれど、一緒に連れて行っても良いかい? サニワちゃんをモデルにしたいんだよねん」
「……えと」
「どうぞどうぞ! 持ってっちゃってください!」
「⁉︎」
「アーティさんの描いたサニワは、とっても綺麗なんだろうなぁ……! 楽しみね、キバゴ!」


 アーティが浮かべた笑みに勝るとも劣らない、輝くような愛らしい笑みをアイリスは浮かべると、ぐいぐいとサニワの背を押す。そしてウィンクをひとつした。

 サニワに至近距離で見詰められた、あの時。神々しさを感じさせる彼女の、あまりにも穢れなき純真な美貌に、思わずアイリスは見惚れてしまったのだ。
 それを自称とは言え天才的な芸術家によって、形作られていく。何て素晴らしいことだろう。アイリスは作品の完成を心待ちにしていた。
 一気に駆け出していくアーティに引き摺られ、サニワは転げないように慌ててついていく。彼はほっそりとした体型をしているのに、一体どこにこんな力があるのだろう。サニワは一瞬疑問に思ったが、それどころではない。
 チラリと助けを求める視線を投げかけるも、サトシたちは手を振るばかり。諦めたサニワは渋々、嬉々として橋を駆け渡るアーティのなされるがままになっていた。
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