第26話

 チョロネコの先導に付いて行くサトシたちは、険しい岩山の道を進んでいた。その傾斜は最早崖に近い。
 身軽なアイリスはぴょんぴょんと僅かな足場を飛び越えていくが、身体が小さなミジュマルは相当きついだろう。後ろで登るサトシに支えられながらも、何とか険しい山道を登る。
 

「チョロネコ! 洞窟ってまだなのか?」
「ちょーろ、ちょろちょろ! ちょーろー!」
「もう少しだから頑張ってと仰ってるニャ」
「ちょーろー、ちょろちょろ、ちょーろ!」
「リュックは重くて邪魔になるから置いていった方が良いと心配してくれているニャ」
「ありがとう! でもへっちゃらさ」


 チョロネコが見せる優しさにうっとりと見惚れるニャースとミジュマル。しかしチョロネコの狙いは、サトシが背負うリュックに仕舞われているきのみだ。狙いが外れたチョロネコは顔を顰めるが、それを見破るものは誰もいない。


「あぁ〜……。また思い出しちゃったよ、あの忌まわしい過去を……」
「……そこまで酷い、だった?」
「ごめん、それだけは聞かないでくれ。思い出したくもないんだ」
「ん……わかった」


 背筋を凍らせるデントの背を、サニワが再び優しくさする。
 サニワは優しさや正義感、責任感に関しては人一倍強いのだ。育った環境の都合上、倫理観がゼロなだけで。まずはどこから教えようか。
 デントがひとり考えあぐねていると、左腕を包帯で固定した女性に声をかけられる。

 彼女はミーシャと名乗り、とあるポケモンを探しているのだと告げ、二人へ写真を見せた。そこに映っていたのは、愛くるしい尻尾に大きな切れ長の目、紫色の艶やかな体毛。サトシたちと一緒の、あのチョロネコだった。
 トレーナーがいるポケモンが、まるで野生のように振る舞うなんておかしい。ミーシャへ事情を訊いた直後、こんのすけが駆け寄ってきた。


「主さま! デントさまー!」

 
 デントが心配していた通り、サトシたちはチョロネコに騙されていた。
 鉱山跡地の洞窟に誘い込み、巧みにリュックサックを奪い取った。咄嗟にニャースが追いかけようとしたが、元々ぼろぼろで不安定だった足場が崩れ、掘削し尽くした大穴の中へ吸い込まれてしまったのだ。
 大きな音を立てて崩落し、踵を返して様子を見るチョロネコ。遠くから見た限り、大した怪我はしていないようで、ほっと安堵の吐息を零した直後。
 こんのすけの案内で廃棄された坑道の洞窟に、デントたちが到着した。その中には、チョロネコのトレーナーであるミーシャの姿もある。


「サトシさま! アイリスさま!」
「大丈夫か⁉」
「こんのすけ! 皆を連れてきてくれたのね!」


 チョロネコはミーシャの姿を一瞥すると、爪を立てて威嚇する。慟哭するような、憎悪に塗(まみ)れた鳴き声だった。


「どうして自分を棄てたのかって訊いてるニャ」
「私は……貴方を棄てたりなんかしていないわ!」
「ちょろ……ちょろちょろ! ちょーろぉ‼」
「来る日も来る日も待ち続けて、おミャーに棄てられた気持ちがわかるもんか!」
「それは誤解よ! 確かに貴方を置いて出かけたわ……。でも、途中で事故に遭ってしまって……。退院して帰ってきたら、貴方はいなくなっていた……」


 ミーシャの弁解に、初めて彼女の腕の状態に気がつくチョロネコ。しかしそんなもので積年の恨みが簡単に氷解するわけもなく、憎しみの視線でミーシャを睨み続ける。


「ミーシャさんはね、この辺りで騒ぎを起こしているチョロネコがいると聞いて、ずっときみのことを探していたんだよ!」
「……怪我しても、ここまで……貴方を、探した。……ミーシャさん、信じて、あげて」
「ちょろちょろ、ちょーろー!」
「そんな話信じられないと言っているニャ……」
「信じて! チョロネコ‼」 
「チョロネコ、よく考えるんだ! こんなところまで来てくれた、ミーシャさんの気持ちを!」
「そうよ、良く考えて!」


 説得にサトシたちも加勢し、ミーシャの心からの謝罪でチョロネコの心の蟠(わだかま)りが解けかけた、その時。ニャースの悲鳴が洞窟中に木霊した。
 近づこうとしたサトシたちも流砂に脚を取られ、まともに身動きすら取れずに、だんだん沈んでいく。
 サニワが近くに古びたロープを発見すると、それを拾って穴場の中の足場まで駆け降りる。慌てて投げ入れたロープに全員が手に取ると、力の限り引っ張り上げた。


「絶対離さないで!」
「デントさん、サニワさん! 私も手伝います!」
「でもミーシャさん……!」
「傷……後で治す! 今は……こっち、先!」


 三人とこんのすけでロープを引っぱり上げるものの、全員がこれ以上沈まないようにするのが精一杯だ。
 このままでは脆い足場が耐えきれず、自分たちも巻き込まれてしまうかもしれない。
 サーナイトのサイコキネシスで救出する方向に考えたサニワがプレミアボールを手に取った途端、サニワたちの足場すらも崩落し、その勢いで手からボールが零れ落ちてしまった。


「サニワ! 動いちゃ駄目だ!」
「でも……! ボール……!」


 プレミアボールを拾おうと動くサニワの腕を、デントが掴んで引き留める。無茶に行動すれば、いくら軽い彼女だといえど真っ先に沈むのが明白だ。


「ちょろぉー!」
「チョロネコ来ては駄目! 貴方一人の力じゃ無理よ! 無理なの‼」


 このままでは唯一無事だったチョロネコまで流砂に巻き込まれてしまう。それだけは止めてくれ、とミーシャは必死に懇願した。
 ミーシャが最後に見せた微笑み。その表情は、吾子を愛する慈愛のそれと一緒だ。

 そしてチョロネコの脳裏に思い浮かぶのは、ミーシャと一緒に過ごした日々だった。野原で共に遊び、看病してもらい、一緒のベッドで眠る。
 ミーシャの願いが通じたのか、踵を返したチョロネコは一目散に廃鉱山を後にする。

 サトシたちはツタージャ、ドリュウズ、ヤナップ、キュウコンを辛うじてボールから出すと、蔓の鞭でロープを牽引するように指示を出す。
 ポケモンたちが力を結集させ、徐々にサトシたちの身体が持ち上がっていくものの、ついにロープが千切れてしまった。

 呆然と沈み行くトレーナーを見詰める中、たくさんの鳥ポケモンの群れがツタージャたちの横を過ぎ去っていく。
 冒頭に襲撃してきたハトーボーの群れが、サトシたちを助けてくれたのだ。


「ハトーボー……!」
「どうして……⁉」


 傷だらけになったチョロネコが洞窟の中に入ってくる。その顔は安堵で満たされており、その様子を見たサニワは状況を察した。
 チョロネコはハトーボーたちを呼んできてくれたのだ。その身を呈してまで。


「ありがとうチョロネコ、ハトーボー!」
「ぴかぴーか!」
「やっぱり本当は心の優しいお嬢さんなのニャ……!」


 自らの身体を張ってまでサトシたちの救出を選んだチョロネコに、ニャースは感激の涙を浮かべる。
 ハトーボーは丁寧にも、サニワが落としたボールも拾ってくれていた。今度は絶対に手放すものか。ハトーボーたちへ礼を述べると、サニワはプレミアボールをしっかりと握りしめた。

 彼女の誤解を解いたチョロネコはミーシャの事情を理解し、元のように良好な関係に戻る。その記念にと、サニワは神通力を使って怪我したミーシャの腕、そしてチョロネコまでも傷痕もなく治療する。
 神秘的な力にミーシャとチョロネコは目を見開き驚愕するものの、サニワが人差し指を口に当てる。この超常現象は他言無用だと暗に告げていた。


「ちょろ、ちょろちょーろぉ……」
「棄てられたと思って自暴自棄になってしまった。ごめんなさいと仰っているのニャ」
「誤解が解けて本当に良かったな!」
「ミーシャさん、これからもチョロネコと仲良くね!」
「ありがとう……本当に皆さんありがとう! それに私たちの怪我まで治してくださって、何とお礼をすればいいのか……‼」
「いえいえ、お礼には及びませんのニャ。当然のことをしたまでです、お義母(かあ)様」
「お義母様……?」


 感謝の言葉を口にするミーシャの目には涙が浮かぶ。しかしニャースの「お義母様」という言葉に疑問が浮かび、その涙はすっ込んでしまった。
 ニャースとミジュマルは頬を真っ赤に染めながら、どこからともなく取り出した真っ赤な薔薇の花束をほぼ同時にチョロネコへ差し出す。


「チョロネコお嬢さん! 改めてニャーとお付き合いお願いしますのニャ‼」
「みじゅみっじゅ‼」


 チョロネコは二匹の花束を受け取ることなく、苦笑いで答える。このチョロネコは雄だったのだ。
 数秒間の沈黙が支配した後、失恋した二匹の絶叫は、夕日に消えていった。
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