新選組史実年表
文久3年(1863年)
文久3年2月8日 浪士組が江戸を出発
文久3年2月23日 京都に到着
文久3年3月12日 会津藩お預かりになり、壬生浪士組と名乗る
文久3年3月25日 殿内義雄刺殺
文久3年6月3日 大坂相撲の力士と乱闘
文久3年8月18日 八月十八日の政変 御所の警備に出動
文久3年9月13日 新見錦切腹(異説あり)
文久3年9月18日 芹沢鴨、平山五郎が内部抗争で粛清され、平間重助脱走(異説あり)
文久3年9月25日 隊名を新選組と改める
文久3年9月26日 御倉伊勢武、荒木田左馬之助、楠小十郎が長州藩の間者として粛清される
文久3年12月27日 野口健司切腹
文久4年、元治元年(1864年)
元治元年5月20日 大坂西町奉行所与力・内山彦次郎刺殺
元治元年6月5日 池田屋事件 奥沢栄助戦死、安藤早太郎、新田革左衛門ら負傷し、1ヶ月後死亡
元治元年6月10日 明保野亭事件 池田屋事件の残党を捕縛
元治元年7月19日 禁門の変 反乱を起こした長州藩士の鎮圧に出動
元治元年8月頃 近藤勇の態度に遺憾を感じた永倉新八、原田左之助、斎藤一、島田魁、尾関政一郎らが会津藩主松平容保に非行五ヶ条を提出
元治元年10月27日 伊東甲子太郎ら新選組に入隊
元治2年、慶応元年(1865年)
元治2年1月8日 ぜんざい屋事件 土佐勤王党の残党による大坂城乗っ取り計画を阻止
元治2年2月23日 山南敬助切腹
元治2年3月10日 西本願寺へ屯所を移す
慶応元年9月1日 松原忠司死亡
慶応2年(1866年)
慶応2年2月15日 河合耆三郎切腹
慶応2年4月1日 谷三十郎死亡
慶応2年9月12日 三条大橋の制札を引き抜いた土佐藩士を捕縛
慶応3年(1867年)
慶応3年3月20日 伊東甲子太郎、藤堂平助、斎藤一ら13人が御陵衛士を結成して離隊(斎藤は 後に新選組に復帰)
慶応3年6月10日 幕臣取り立てが決まる
慶応3年6月15日 不動堂村へ屯所を移す
慶応3年6月22日 武田観柳斎刺殺
慶応3年11月18日 油小路事件 御陵衛士との抗争。伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄ら刺殺
慶応3年12月7日 天満屋事件 海援隊士・陸援隊士との戦闘。宮川信吉と舟津釜太郎戦死、梅戸勝之進重傷
慶応3年12月18日 近藤勇が墨染で御陵衛士の残党に狙撃され重傷
慶応4年、明治元年(1868年)
慶応4年1月3日 鳥羽・伏見の戦い 隊士2名戦死
慶応4年1月5日 淀千両松の戦い 井上源三郎ら隊士14名戦死
慶応4年1月6日 橋本の戦い 隊士4名戦死
慶応4年1月10日 軍艦富士山丸と順動丸で江戸へ向かう途中、山崎烝死亡(異説あり)
慶応4年3月6日 甲州勝沼の戦い 隊士2名戦死
慶応4年3月12日 永倉新八、原田左之助らが靖兵隊を結成して離隊
慶応4年3月13日 五兵衛新田(現・東京都足立区綾瀬4丁目)の金子家を中心に屯所を設営して滞在(4月1日まで)
慶応4年4月2日 下総流山に陣を敷く
慶応4年4月3日 近藤勇、新政府軍に包囲され投降する
慶応4年4月12日 土方歳三、旧幕府陸軍に加わる
慶応4年4月19日 宇都宮城の戦い
慶応4年4月25日 近藤勇、板橋刑場で処刑される
慶応4年閏4月25日 白河口の戦い
慶応4年5月17日 原田左之助死亡(異説あり)
慶応4年5月30日 沖田総司、肺結核により江戸で死亡
慶応4年8月21日 母成峠の戦い
慶応4年8月24日 山口二郎(斎藤一)、池田七三郎ら13人会津に残留
明治元年10月26日 旧幕府軍、箱館・五稜郭へ入城する
明治2年(1869年)
明治2年4月13日 第一次二股口の戦い
明治2年4月24日 第二次二股口の戦い
明治2年5月5日 市村鉄之助箱館脱出
明治2年5月11日 一本木関門(現・函館市若松 町)付近で土方歳三戦死
明治2年5月14日 相馬主計新選組局長に就任、弁天台場の新選組、降伏する
明治2年5月18日 旧幕府軍降伏、戊辰戦争終結