白日
ぎいっと古びた悲鳴を上げるドアを開けて、どうぞと言えば多少のためらいを見せながらおずおずと足を踏み入れる優
何もないけどと口に出した通り、家には本当に何もなくてとりあえず水だけを二人分テーブルに置く
ちゃぷと音を立てた水は氷も入っていないから汗なんてかくことも無く
しんとすぐに静まった水面が私たちを反射した
好きな人を家に呼ぶなんて高校の時は想像もできなかったような状況なのに今は喜んでいる暇もない
「…あの、フラワーってわかったのはさ」
ぎゅっと服を握った優が緊張した面持ちでぽつぽつと話し出す
部屋のすべてが優の声に聞き入るように、優の声以外はしんと何の音もたたない
「最近なの。だから、オーナーの知り合いもいなくて、その、どんどん、枯れてて」
優の目線に合わせて私も優の指に目を落とす
まだ第一関節までは到達していないものの、確実に枯れていることがわかる指先
ここまで枯れるのにどのくらいかかるのかはわからないけれど、こんなにも気づかないものなのだろうか
「あ、でもさ、なんか紋章?みたいなの、出るんじゃないの」
さっき調べたときに書いてあった。フラワーの一番ともいえる特徴
身体に発現する花をかたどる紋様は今のところ優には見当たらない
ふふ、っと笑う優は美羽ちゃんだから見せてあげる、と着ていたワイシャツのボタンをプチプチと外し始める
体育の時に何度も見たから大丈夫、と思うのに、見え隠れする素肌の白さにぐっと息をのむ
「背中だから私は写真でしか見たことないけど」
はだけたワイシャツから覗く薄い肩
左の肩甲骨の上あたりに刺青のような紫の花が浮かび上がっていて、それはまるでずっとそこにあったかのような
「…きれい」
呟く私にはにかむ優は菫の花なんだってと言った
「触ってもいい?」
うんと言う言葉に手を伸ばして指先でその紋をなぞる
当たった指にぴくっとした優はそれでも何も言わずに身を任せていて、自分はそんなに信用に足る人間じゃないのにと少しの罪悪感がチクリと胸を刺した
触れてみてもその印に凹凸はなくて、ただ肌を撫でている感触だけが指先を刺激する
完全に肌になじむようなそれは確かに優の一部なのだと、そう感じたんだ
このきれいな花が優を蝕む原因だなんてとても信じられない
それでも儚く消えてしまいそうなほど華奢になった優の背中が現実だというようでなんだかわからないけれどとても苦しくなって
思わずその背中を抱きしめた
「、美羽?」
少しの戸惑いの声にごめんと言うことしかできない
今はただその背中から感じる体温を離したくなくて、もう少し、と力を込めた
「やっぱりさ、いい匂いする。…香水?」
またふわ、と香ったその香りを求めるように首筋に顔をうずめてすんすんと嗅ぐと鼻をかすめる甘い香り
くすぐったそうに身をよじる優に何か止められなくなりそうで慌てて離れた
「、っ美羽、やっぱりさ、オーナー、なんじゃない?私、あの、甘い匂いするなんて言われたことないし」
縋るような優の目にそうであったらいいと思う
さっき調べたときに出てきたオーナーが自覚できる唯一のことは甘い匂いがすることと、体液が甘く感じることらしい
そうである期待と同時にそうでなかった時の落胆を想像して怖くて
そうかもなんて優にとっての希望を口に出してあげることはできない
「じゃあ…試してみる?」
キスを、という意図はどうやら優に伝わってくれたらしい
振り返った優は目をそらして顔がわずかに紅潮した
優のこういう反応に期待するのはとっくの昔に卒業しているから
本当は許してあげられないほどあざとくて思わせぶりなその反応に、でもそんな優が好きだから許してあげる、と
頷く優に顔を寄せて、頬に手を添える
きれいな肌、長いまつげ、濡れた大きな瞳
こんな距離で見たことのないそれらが私の体温を上げていく
わずかな下心と、期待、そして緊張
でも、これだけは。キスをする前にこれだけは言っておかないと
下心でいっぱいなくせに誠実でありたいと願うずるい私は、ゆっくりと息を吸った
「優、私、優のこと、好きだから。もし私がオーナーじゃなかったら今日のことは全部忘れる。だから優も忘れて。…もしそうだったら、優のパートナーが見つかるまでは私に頼って。キス以外は何もしないって約束する」
初めて伝えるこの感情になんでかもわからないのに涙があふれて、声が震える
きっと一般的には告白ともいえないほどのものだけれど、私にとっては人生で一度きりの告白たるものであった
優のためならどれだけ傷ついてもいいしこの無茶にも思える誓いを守り通せるから
大きく目を見開いた優はしばらく黙った後、大きな目にいっぱい涙をためて
ふわっと笑った
それはまるで花そのもののような
ぼーっと見とれる私に一粒涙をこぼした優は
私も好き、と零してぎゅっと唇を押し付けた
柔らかい感触がじわ、と体温を伝えて
涙と混ざった初めてのキスは何よりも甘かった
何もないけどと口に出した通り、家には本当に何もなくてとりあえず水だけを二人分テーブルに置く
ちゃぷと音を立てた水は氷も入っていないから汗なんてかくことも無く
しんとすぐに静まった水面が私たちを反射した
好きな人を家に呼ぶなんて高校の時は想像もできなかったような状況なのに今は喜んでいる暇もない
「…あの、フラワーってわかったのはさ」
ぎゅっと服を握った優が緊張した面持ちでぽつぽつと話し出す
部屋のすべてが優の声に聞き入るように、優の声以外はしんと何の音もたたない
「最近なの。だから、オーナーの知り合いもいなくて、その、どんどん、枯れてて」
優の目線に合わせて私も優の指に目を落とす
まだ第一関節までは到達していないものの、確実に枯れていることがわかる指先
ここまで枯れるのにどのくらいかかるのかはわからないけれど、こんなにも気づかないものなのだろうか
「あ、でもさ、なんか紋章?みたいなの、出るんじゃないの」
さっき調べたときに書いてあった。フラワーの一番ともいえる特徴
身体に発現する花をかたどる紋様は今のところ優には見当たらない
ふふ、っと笑う優は美羽ちゃんだから見せてあげる、と着ていたワイシャツのボタンをプチプチと外し始める
体育の時に何度も見たから大丈夫、と思うのに、見え隠れする素肌の白さにぐっと息をのむ
「背中だから私は写真でしか見たことないけど」
はだけたワイシャツから覗く薄い肩
左の肩甲骨の上あたりに刺青のような紫の花が浮かび上がっていて、それはまるでずっとそこにあったかのような
「…きれい」
呟く私にはにかむ優は菫の花なんだってと言った
「触ってもいい?」
うんと言う言葉に手を伸ばして指先でその紋をなぞる
当たった指にぴくっとした優はそれでも何も言わずに身を任せていて、自分はそんなに信用に足る人間じゃないのにと少しの罪悪感がチクリと胸を刺した
触れてみてもその印に凹凸はなくて、ただ肌を撫でている感触だけが指先を刺激する
完全に肌になじむようなそれは確かに優の一部なのだと、そう感じたんだ
このきれいな花が優を蝕む原因だなんてとても信じられない
それでも儚く消えてしまいそうなほど華奢になった優の背中が現実だというようでなんだかわからないけれどとても苦しくなって
思わずその背中を抱きしめた
「、美羽?」
少しの戸惑いの声にごめんと言うことしかできない
今はただその背中から感じる体温を離したくなくて、もう少し、と力を込めた
「やっぱりさ、いい匂いする。…香水?」
またふわ、と香ったその香りを求めるように首筋に顔をうずめてすんすんと嗅ぐと鼻をかすめる甘い香り
くすぐったそうに身をよじる優に何か止められなくなりそうで慌てて離れた
「、っ美羽、やっぱりさ、オーナー、なんじゃない?私、あの、甘い匂いするなんて言われたことないし」
縋るような優の目にそうであったらいいと思う
さっき調べたときに出てきたオーナーが自覚できる唯一のことは甘い匂いがすることと、体液が甘く感じることらしい
そうである期待と同時にそうでなかった時の落胆を想像して怖くて
そうかもなんて優にとっての希望を口に出してあげることはできない
「じゃあ…試してみる?」
キスを、という意図はどうやら優に伝わってくれたらしい
振り返った優は目をそらして顔がわずかに紅潮した
優のこういう反応に期待するのはとっくの昔に卒業しているから
本当は許してあげられないほどあざとくて思わせぶりなその反応に、でもそんな優が好きだから許してあげる、と
頷く優に顔を寄せて、頬に手を添える
きれいな肌、長いまつげ、濡れた大きな瞳
こんな距離で見たことのないそれらが私の体温を上げていく
わずかな下心と、期待、そして緊張
でも、これだけは。キスをする前にこれだけは言っておかないと
下心でいっぱいなくせに誠実でありたいと願うずるい私は、ゆっくりと息を吸った
「優、私、優のこと、好きだから。もし私がオーナーじゃなかったら今日のことは全部忘れる。だから優も忘れて。…もしそうだったら、優のパートナーが見つかるまでは私に頼って。キス以外は何もしないって約束する」
初めて伝えるこの感情になんでかもわからないのに涙があふれて、声が震える
きっと一般的には告白ともいえないほどのものだけれど、私にとっては人生で一度きりの告白たるものであった
優のためならどれだけ傷ついてもいいしこの無茶にも思える誓いを守り通せるから
大きく目を見開いた優はしばらく黙った後、大きな目にいっぱい涙をためて
ふわっと笑った
それはまるで花そのもののような
ぼーっと見とれる私に一粒涙をこぼした優は
私も好き、と零してぎゅっと唇を押し付けた
柔らかい感触がじわ、と体温を伝えて
涙と混ざった初めてのキスは何よりも甘かった
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