★バーダックLong Dream【Changes-ふたりの変化-】
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私は考えるよりも先に、彼の腕を掴んでいた。
「待って、バーダック。まだもう少し、ここにいて?」
バーダックの瞳に私が映っている。その表情は、ただ驚きに満ちていた。
きっと、どういうつもりなのかと思っているんだろう。
私自身も絶対おかしいって思うのに……彼が立ち上がろうとした瞬間、離れてって欲しくないと思う、もう独りの自分がいた。
逞しい腕を見つめながら思う。
バーダックは何でも強引に進めるような俺様男で、オマケに乱暴な言葉遣いをする。
だけどその反面、ドラゴンボール集めも買って出てくれたり、奥さんの昔話を優しい眼差しで聞かせてくれたり、息子想い(度が過ぎる部分はあるけど)で、たまに私にかけてくれる頼もしい言葉で励まされることもあった。
そんな意外な一面を知る度、あんなに嫌だったボディタッチでさえ、いつの間にか変に意識するようになって……。
それに昨夜、後ろから強く抱き締められて『名無しさんを失いたくねえ』と耳元で囁かれた言葉が、ずっと耳朶に残っている。
彼氏からあんなに感情剥き出しで求められたことはなくて、ただ二人で逢って食事して、お互いの部屋に行って……それでも私は楽しかった。
でも、バーダックは根本的に生き方が違っている。
本能剥き出しの荒っぽい性格に加えて、内面から滲み出る揺るぎない力強さ、戦闘に対するひたむきな姿勢。
バーダックの態度が、誰と接するにしても変わらない所も凄い。立場とか状況とか無頓着っていうか、ただ自分の信念のまま動いている。
私はといえば……バーダックから助けてもらってばっかりで、何の恩返しも出来ていない。それでこのまま帰ってしまったら、悔いが残らないだろうか。
「お前……何で、涙なんか流してんだよ」
「えっ……涙?」
言われるまで、泣いてるなんて気づかなかった。
空いている手を伸ばした彼が、私の頬を濡らす雫を、逞しい節くれ立った指で拭ってくれる。
その温もりが、ひどく優しくて胸が締め付けられるような気持ちになる。
「何のつもりか知らねえが、あんまりオレを惑わすな」
短く溜め息を吐くバーダック。
そんな彼を見つめながら、私はある決意をした。
「私も、バーダックの役に立ちたい」
「はあ? ……お前、いきなり何言ってんだ?」
「バーダックには色々と助けてもらったから、今度は私がアンタを助けたいって言ってんの!」
仰天しているバーダックに向け、私ははっきりと言い切った。
「女のお前が、どうやってオレを助ける気だ」
バーダックの目つきが鋭くなる。
「女だからこそ出来ることよ。つまり、バーダック達の命の源は、私が補うってわけ」
「……つまり飯のことか?」
「当たり! どうせ男連中だけでまともな料理なんて作れないでしょ?」
問題は食料に限りがあるってこと。ラディッツもきっと大食いだろうし……サイヤ人の大食漢が三人もいるんじゃ、食料がなくなるのは時間の問題だ。
かと言って、こっちで使えるお金はないわけだし……こうなったら、ブルマさんに相談してみるほかないか。彼女なら事情を話せば、何かいいアイデアを出してくれる筈だ。
今の私は情けないけど、ブルマさんだけが頼みの綱だった。
「お前って女は、本当に……」
不意にバーダックの呟きが聞こえて――
「へっ、何!?」
突然片腕を引っ張られ、彼の吐息を感じるくらいまで、お互いの距離が一気に縮まる。
気づけば、彼の腕の中にいた。
「なあ、名無しさん……」
私を呼ぶバーダックの声が、どこか苦しげに聞こえる。
「オレがどれほどの決意でお前を帰そうとしたか、全然分かってねえだろ。それに、早く彼氏に逢いたかったんじゃねえのか?」
彼氏――私の元の世界での彼なのに、いつの間にか逢いたいと想う気持ちが弱まっている。
今の私が求めてるのは、ただ楽しいだけのひとときじゃない。もっと、心の奥底から生きてるって実感出来る環境だ。
「そうだとしても、もう決めたことだから」
「万一ベジータにドラゴンボールを奪われたら、どうする」
彼らしくない、弱気な発言だ。
「そんな心配は最初からしてないよ」
「何故だ?」
「だって、バーダックが勝つって信じてるから」
「!?」
バーダックは息を呑んだ。
この言葉に嘘はない。不思議にも私自身、彼なら負けないって信頼が置ける。それほどバーダックには、とてつもない力が具わってる気がした。
「いつから、んな殊勝になった?」
彼が少し身体を離して、まじまじと私を見つめる。その瞳は真剣だ。
「さあ、いつからでしょう?」
私は小さく笑って答える。
「ふん、喰えねえ女だな」
「お互い様でしょ?」
バーダックも微かに笑う。
「そりゃそうだ」
「それとも、勝つ自信ないとか?」
途端、彼の瞳に闘志が宿った。
「冗談言うな。死んでも勝つぜ」
「死んだら意味ないでしょ」
私が冷静に突っ込むと、バーダックはふっと目を細める。
彼を見つめ返すと、意志の強さを宿す瞳が真っ直ぐ私を捕らえていて、その表情に引き込まれ、思わず息を呑んだ。
その様子を見たバーダックは、私の耳孔に唇を寄せて「お前の心意気はよく分かった。だがな」と言葉を続ける。
「名無しさんがまだこの世界に留まるってんなら、オレはもうお前を手放す気にはなれねえぜ。万が一オレから離れることがあれば、どんな手を使ってでも捕まえてやる」
低く甘さを含んだ声音に鼓膜を刺激されて、肌がゾクッと粟立つ。
途端、私から離れた彼の面持ちが険しくなった。
「オレの言ったことが少しでも嫌だと思うなら、大人しく自分の世界に帰れ。飯の件はお前が気にしなくても、何とかするしな」
さっきの甘さから一変して、きっぱりと言い放たれた。
その言葉にズキッと胸が痛くなる。帰れと言われて、思いの外ショックを受けている自分がいた。
この感情は……ううん、今は余計なことを考えたくない。とにかく、私がやるべきことをバーダックに伝えなくちゃ!
「それでも私はベジータってヤツらが襲って来るまでの間、ここに残って皆をサポートする。先のことよりも、今自分が出来ることを精一杯やるだけよ」
彼から目線を逸らさず、はっきりと意志を告げた。
「お前がそういうつもりなら、しょうがねえか」
バーダックは困ったような切なげな面差しを浮かべた。それが酷く悩ましげで、間近で見てしまった私の胸がザワザワして落ち着かない……。
「名無しさん……」
名前を呼ばれ、私を見つめていた彼と視線が絡み合う。これまで向けられていた眼差しとは違い、熱を帯びた色香の漂う瞳で。
「一応断っとくが、後悔しても遅いからな。ただでさえ破裂寸前だったオレの理性のタガを外したのは、お前自身なんだからよ」
バーダックから惜し気もなく放たれる妖艶な空気が次第に私を包み込んで、雰囲気に呑まれていく。
「私は、何もしてないよ……」
「気づいてねえのか。名無しさんの存在が、オレを狂わせるんだぜ?」
その台詞を耳にして、頬が一気に熱くなる。
「もっと触らせろよ、名無しさん……」
ハスキーな声で名前を呼ばれた。
それだけなのに、心臓が嘘みたいに跳ね上がる。
片腕を私の首筋へと伸ばしたバーダックが、肌の感触を楽しむように掌でゆっくりと撫でていく。その仕草は擽ったいけど、嫌な感じはしなかった。
バーダックの掌が首筋から移動して、ゆったりと喉元を撫で上げ、輪郭を確かめるように指を滑らせていく。その動きを何度か繰り返される。
堪らなくなって小さく洩れた私の声に、ふっと笑う気配がした。それが妙に恥ずかしくて目を伏せる。
「声、出したいならもっと出せよ」
「っ……駄目、悟空達に聞こえちゃう」
「聞かせてやれよ。そしたら、お前の喘ぎ声を聞きつけて、ここに入って来たりしてな」
あろうことか、ホントにとんでもないことを言い出した。
「冗談止めてよ……」
どこまでも意地悪で俺様男なんだから……二人には絶対に聞かれるわけにはいかない。
そんな私の心境を知ってか知らずか、バーダックの手は止まることもなく。
耳朶からこめかみ、目元、そして頬へと指先で緩やかに撫でられる。
擽ったいだけじゃなくて、バーダックの指が触れたところから熱を帯びてくみたい。
これ、気持ちいいかも……もっと、触って欲しい。
って、ヤバいよ……今までにないぐらい甘美な刺激に抗えない、抗いたくないって思う。
「名無しさん、こういうの好きか?」
指の腹で下唇をなぞりながら、私の瞳を覗き込んでくるバーダック。まるで私の心を全部見透かしてるような眼差しで。
「こういうのって……?」
「こうやってオレに触られんのが好きかって聞いてんだよ。以前のお前なら、かなり嫌がって抵抗してたよな。だが、今の名無しさんはオレの愛撫に浸ってるじゃねえか」
確かに以前の私なら、必死に抵抗してたのに、それが全然気にならなくて……あまつさえ、彼に触られて身体が悦んでる。
「あっ……愛撫って……何か、やらしいよ」
「何言ってんだよ、実際やらしいことしてるだろ。まあ、この程度は序の口だがな」
くくっと喉元で笑うバーダックは、私の耳朶に唇を押し当てた。
「で、どうなんだよ? オレに触られんのは好きか?」
耳元で囁かれる低音ボイスが、さらに私の心を惑わせる。
「……じゃない」
喉が渇いて、上手く声が出ない。
「なんて言ってんのか、ちゃんと聞こえねえよ。ほら、もう一度言ってみろ」
「……嫌い、じゃない」
そう答えるのが精一杯。
「ってことは……好きだっつーのと同じ意味だよな」
へえ、と呟いたバーダックの口角が上がる。
「だっ……だったら、な……!」
私の台詞は柔らかいもので塞がれ、掻き消されてしまう。
バーダックとのキスは、これで二回目。でも、今度はすぐに解放してもらえなかった。
重ね合わせた唇がより深くなる。
「!?」
突然のことで混乱してると、不意に大きな掌が後頭部に回されて、宥めるように髪を撫でられた。
普段は俺様なバーダックが、こんな時だけ優しいなんて……反則だよ。
バーダックは髪の毛の間に指を差し込み、ゆったりとした動作で梳く。そうされる内に、だんだん心が落ち着いてくる。
知らぬ間に、彼の濃厚なキスに応えている自分がいた。
結局、リビングに悟空達がいることもすっかり忘れて、バーダックから与えられる程好い快感に夢中になってしまっていた。
「おーい、父ちゃん。名無しさん、でえじょうぶなんか?」
ドアをノックする音と悟空の声が聞こえて、我に返った。
不味い! 悟空が部屋に入って来たらホントに不味いって!
内心かなり焦っていると、私から唇を離したバーダックはドアを睨みつけて舌打ちする。
「……カカロットのヤツまで邪魔しやがって。おい、名無しさん」
「わっ……!?」
いきなり上から布団を被せられて、目の前は真っ暗。
訳が分からずにいると、バーダックが布団越しに声を潜めて言った。
「お前はそうやって布団被ったまま寝たふりでもしてろ。つーか、そのまま寝てろ。後はオレに任せとけ」
後は任せろって、一体何をするつもりよ?
バーダックの動向が気になって耳を澄ましていると、ドアの開閉音がした。
「カカロット! オレについて来い!」
「ちょっ、父ちゃん! どこに連れてくつもりだよ!?」
「ぐだぐだ言わずについて来やがれ!」
「たっ、助けてくれ~!」
バーダックの怒鳴り声と悟空の叫び声が響き、やがて静寂に包まれる。
「……一体、何が起きたんだろう?」
唖然としていると、ドアが開く音がして、誰かがこっちに歩いて来る気配がした。
「おい、起きてるんだろ?」
この声は……ラディッツ!?
布団を剥いで見上げると、予想通りラディッツが私を見下ろしている。
「さっき、何があったの?」
「オレはよせ、と言ったんだがな。カカロットが忠告を無視したんで、親父がキレたってわけだ」
バーダックが不機嫌になったのは分かる。
でも、ラディッツの言い方に違和感を覚えた。まるで、この部屋で起きてたことが分かってたような……。
「何で悟空を止めたの?」
私の問いかけに、彼は意味深な笑みを浮かべて口を開いた。
「親父と、ヤッてたんだろ?」
「ええっ!? 違うっ、キスだけ……」
ラディッツがニヤリと笑う。
「あっ……!」
そっか。この人、鎌をかけたんだ!
彼が面白い物を見るような目で、私を眺めている。
「どっちにしろ、似たようなことはしてたんだな。だが、あり得ないことじゃない」
「……どういう意味?」
私が聞き返すのを待っていたかのように、ラディッツは口元を歪めた。
「ふん、親父の様子を見てりゃ嫌でも分かる。アンタに特別な感情を持ってることぐらいな。まあ、カカロットはそっち方面に関しては相当疎いようだが」
「特別な、感情……」
確かにバーダックの気持ちはよく分かってる。さっきだって……思い出したら恥ずかしくなってきちゃった……。
「分かりやすいな。顔が真っ赤だぜ」
「えっ!?」
ラディッツに指摘されて、思わず両手で頬を隠した。
「アンタはどうなんだ? 親父が好きなのか?」
バーダックが、好き……どうなんだろう。
ずっと彼氏に逢いたいって想ってたのに、あまりにもいろんなことが起きてからは、その気持ちがだんだん薄れてきてる。
だからと言って、それがバーダックに対しての特別な感情なのか、自分でもよく分かってない。
ちゃっかりキスまで受け入れといて、言える立場じゃないけど……。
黙ったままでいると、ラディッツの目がギラリと光る。
「答えられないのか?」
「私は……恋人がいるから、バーダックに特別な感情なんて持ってないよ」
ラディッツと顔を合わせづらくて俯くと、彼はふんと鼻を鳴らした。
「嘘だな。本当にそうなら、親父とキスするのも嫌なんじゃないのか? アンタ自身も少なからず、親父に好意を持ってるんだよ」
「っ!?」
ラディッツの台詞にハッと胸を突かれて、声が出なかった。
「親父の息子として一つ忠告しておく。アンタがこの先も中途半端な態度で、親父の気持ちを弄ぶような真似をしたら、オレが許さんぞ」
凄みを利かせた声で言い放った彼は、そのまま寝室から出て行った。
私は取り残されて、ドアをぼんやりと眺めながら思う。
ラディッツに指摘された通りで、ホントに嫌なら拒んでた筈だ。このままどっちつかずでこの世界に留まったら、バーダックを苦しめるだけになる。
でも、彼を手助けしたいと思う気持ちに嘘はない。この世界に滞在している間、自分の気持ちと真正面から向き合おう。
「なっ……何、それ?」
しばらくすると、バーダックと悟空が見たこともない巨大魚を一匹ずつ、肩に担いで帰宅した。
「近くの川で魚を獲って来た。たまには、お前を楽させてやろうと思ってな」
「え? ありがと……」
あんなに怒鳴ってたバーダックが、今は機嫌が良さそう。狩りに行って気分が晴れたのかな。
「見てくれよ! 果物とか茸、山菜も持てるだけ採って来たぞ!」
懐からいろんな食材を取り出して、得意気に見せる悟空。妙にお腹の辺りが膨らんでると思ったら、なるほどね。
「今夜はバーベキューにしようぜ!」
悟空の鶴の一声で、皆でバーベキューをすることになった。
幸い、カプセルハウスの中にバーベキューセットが備えられていた。その準備を悟空に任せた私は、冷蔵庫から肉や野菜を持ち出す。
これで、バーベキューを開く準備はOK。
「カンパーイッ!」
私はお酒を遠慮して、烏龍茶を一気に飲み干した。
美味しそうにビールを飲んでいたバーダックは、私が持つ烏龍茶を見て。
「昨夜から思ってたが、アルコールは駄目なのか?」
「だって、ビールって苦いんだもん。酎ハイだったら飲めるよ」
「オラもビールは苦手だ。どこがうめえんか分かんねえんだよな」
物凄い勢いで焼き魚にかじりついていた悟空が口を挟んだ。
すると、ラディッツが私達を交互に眺めて、皮肉たっぷりにニヤッと笑う。
「お前らガキだな」
ぐっ、厭味な男……コイツ、絶対バーダック似だわ。
「ヘタレのお前が言える立場じゃねえだろ」
「っ……ヘタレって言うなよ!」
赤面してバーダックに言い返すラディッツ。こういう所は、やっぱり子供みたいね。
この親子といると忙しないなあ。何が起こるか予想出来ないことなんて、今まで何回あったんだろう。それこそ、怒涛のごとくいろんなことが……。
「おい、名無しさん」
「へっ? んぐぅっ!?」
バーダックに呼ばれて振り向くと、いきなり口内に何かを詰め込まれる。
この食感は、肉!?
「お前、さっきから野菜しか食ってねえじゃねえか。ちゃんと肉も食えよ」
口内のお肉を咀嚼して飲み込むと、バーダックを睨みつける。
「いきなり口に詰め込まないでよ!」
「美味くねえのか?」
「えっ、美味しいけどさ……」
バーダックが満足そうに、ふっと目を細める。その柔らかい面差しに、とくんと鼓動が脈打った。
参った……バーダックの笑顔一つで、こんなに意識しちゃうなんてどうかしてるかも。
「なら、いいだろ。こっちの焼き魚も食えよ」
「うっ、うん。でも、どうやって?」
巨大魚の丸焼きを前にして、途方に暮れる。こんなの、食べたことないし。いや、普通に生きてればないか。
「カカロットみてえに食えばいいじゃねえか」
「悟空みたいにって――まさか丸かじりしろっての!?」
悟空を見ると、もう少しで丸ごと一匹完食するところだった。
さすが、底なしの胃袋を持つ男。
正直言ってあんまり食べたくないけど、もしかしたら美味しいかもしれないし……。
もう一匹の焼き魚に視線を戻した私はゴクッと息を呑んで、恐る恐るお腹の部分にかじりつく。
「……あれ?」
大きい魚って何となく大味でイマイチだと思ってたけど、想像してたよりも川魚独特の臭みはないし、味は白身魚みたい。
「これ、意外と美味しい」
私がそう言った途端、バーダックが眉をひそめ、不満げな表情をするのが分かった。
「意外ってなんだよ。オレが獲って来たんだから、美味いに決まってんだろ」
バーダックがそう言って、焼き魚にかじりついた。
「あ……」
しかも、わざわざ私がかじった部分を食べるなんて……魚で間接キスって、微妙なんだけど……。
複雑な気分でいると、バーダックが振り向き様に手の甲で口元を拭いながら。
「かなり美味いじゃねえか。オレが故郷で食ってたもんより、新鮮で遥かに美味いぜ」
「あ、そう……」
惑星ベジータで、一体何を食べてたんだろう……。
そんなことを考えていると、バーダックが私の傍に歩み寄った。
「どうしたの?」
彼は徐に私の耳朶へ顔を近づけて「名無しさんが食った後だから尚更にな」と言い添えた。
「っ……バ、バッカじゃないの!?」
そう怒鳴りつつ、頬が熱くなるのを感じた。
この男は何を言い出すのかと思えば……!
「くくくっ、そんな怖い顔するなよ。まあ、オレはお前の怒った面も嫌いじゃねえがな」
「からかわないでよ!」
含み笑いするバーダックが憎たらしくて、思いっきり睨んでやる。
ちょうど、その時。
「なあ、その丸焼きもう食わねえなら、オラが食ってもいいか?」
悟空がのんびりと尋ねた。
「ちょっと待て、カカロット。ラディッツは食ったのか? ほっとくと、カカロットに全部食われちまうぞ」
「あ、ああ……」
ラディッツのヤツ、ずっと私とバーダックのやり取りを見てたのかな?
バーダックからの誘惑に加えて、ラディッツが私の動向に目を光らせている。これじゃ自分の気持ちと向き合うどころか、全然休まる暇もないじゃない。
私は誰にも気づかれないように、そっと溜め息を吐いた。
翌日。彼らにお昼を出した後、ジェット機でブルマさんちに来ていた。これまでの出来事を話す為と、食糧問題の相談をする為に。
一年後、ドラゴンボールを目当てに二人組のサイヤ人が地球に襲来すること。
その間、サイヤ人親子が修業を積んで迎撃すること。
私は三人のサポートをすると決めたこと。
最後に食料不足について順番に話すと、ブルマさんの顔は驚きに満ちていた。確かにこんな話をされたら、誰だってビックリするよ。
「ラディッツの件が解決したと思ったら、今度は別のサイヤ人が襲って来るなんて最悪な状況ね……」
彼女は少し考える仕草をして、こう言った。
「そういう事情なら、私もできるだけ協力するわ。実は今、多忙で家事をやる暇がないのよ。母さんに任せるのも難だし、名無しさんさんには空いた時間に家事を引き受けてもらえると助かるのよ。特別に給金も弾んじゃうわよ?」
「ホントに!? ありがとう、ブルマさん! 喜んで引き受けるよ!」
やっぱりブルマさんに相談して良かった。これで当面お金の心配はない。
一安心していると、彼女が口を開いた。
「それにしても、名無しさんさんって意外と逞しい人だったのねえ。あんなサイヤ人親子と、共同生活してたなんて。寝る時はどうしてるの?」
就寝時は私が寝室を使わせて貰っていて、三人はリビングで寝ていると言ったら、ブルマさんは「なるほどね」と頷いた。
「でも、ブルマさん。あんなサイヤ人親子って言うけど、結構皆いい人だよ」
約一名を除いてはね……。
「やけに肩を持つわね。ひょっとして、気になる人がいるの? でも、孫くんは結婚してるから叶わない恋よね」
「悟空は世話の焼ける弟って感じかな」
いつも天真爛漫な悟空の笑顔が思い浮かぶ。そういえば、ずっと家を空けて奥さん怒らないのかな?
「じゃあ、ラディッツ? アイツも問題ありよねえ。自分の甥っ子を誘拐してるんだもの」
「あの男を好きだなんて絶対にあり得ない! 私と相性悪すぎだしっ!」
私が(異世界の)地球人だからってナメてんのよね、アイツ……自分より弱い人間には態度がでかいって最低!
「残りは、バーダックか。あの人、孫くんの父親ってだけあってソックリよね。雰囲気はまるで違うけど」
バーダックの姿がありありと思い浮かぶ。初対面の時と印象が変わったな。意地悪なのに変わりはないけど、悪意があるわけじゃないし、何をされても結局許しちゃってるんだよね。あの深いキスの時も……。
「なるほど……名無しさんさんの想い人って、バーダックだったのねえ」
彼女がニヤニヤしながら、こっちを見てる。
「へっ!? ぜ、全然そんなんじゃないってば! ブルマさんってば冗談きついなあ! 私はただ連中が可哀想だからで、別にバーダックが好きとか全くそんなつもりじゃ……!」
「ふふっ、必死に言い訳しなくてもいいじゃない。バーダックの話をしただけで赤くなるなんて、名無しさんさんはよっぽど分かりやすいのね」
楽しそうに笑うブルマさんを見て、私はただ俯くしかなかった。
私って、そんなに顔に出やすいのかな……っていうか、いつの間にか彼女の中で、私がバーダックを好きってことになってるし……。
自分でもまだよく分かってないのに……そりゃあ、ほんの少しだけ気になってるのは事実だけど、私には恋人がいるんだから……。
そういえば、ブルマさんに彼氏の話をしてなかったっけ。彼女には言っておこう。
私は意を決して、顔を上げる。
「今まで黙ってたけど、実は向こうに恋人がいるの。だから、仮に私がバーダックを好きだとしても、アイツとどうにかなるなんて万に一つもないよ」
ブルマさんは瞠目したけど、すぐ笑顔に戻った。
「自分で可能性を否定しちゃ駄目よ、名無しさんさん。本来、恋は自由で青春を謳歌できる素敵な行為なんだから。そうして、愛はお互いの心を結び合うものよ。恋愛の形は人それぞれだしね。少なくとも、私はそう思うわ」
「……」
「それに恋人がいても、あんまり関係ないのよ? 重要なのは、名無しさんさんがずっと傍にいたいのは誰かってこと。そうすれば、自ずと答えが出るものよ」
「ハァ……」
ブルマさんの台詞が、頭の中をグルグルと回っていた。
私がずっと傍にいたい人か……。
「もう、しょうがないわね」
「え?」
突然のブルマさんの発言に首を傾げる。
「恋に悩める乙女には、このブルマさんが特別にいいことを教えてあげるわ!」
「何々?」
「それはねえ……」
ブルマさんは一拍置いて口を開く。
「ドラゴンボールは願いを叶えると石に戻るんだけど、一年経てば復活するのよ」
「え、そうなの?」
「名無しさんさんなら、この意味分かるわよね?」
得意げに人差し指を立て、ウインクするブルマさん。
「う~ん……」
意味がよく分からず、首を捻る私。
「もう、案外鈍いのねえ。つまり、名無しさんさんが自分の気持ちに決着をつけるには、バーダックの協力が必要不可欠ってことよ」
「え? バーダックの……?」
「とにかく、自分の想いを大事にするのがカギよ?」
「うん……アドバイスありがとう、ブルマさん」
一応お礼は言ったものの、彼女の言いたいことが、まだよく分かってない私は悶々としていた。
――帰宅途中。
あれからずっと、ブルマさんに言われた台詞がリフレインしていた。
『ドラゴンボールは願いを叶えると石に戻るんだけど、一年経てば復活するのよ』
「あ! もしかして……」
最初は意味が分からなくて首を捻ったけど、思い巡らせて、やっとブルマさんの意図が分かったような気がする。
でも、かなり強引な気がするけど……。
何にせよ、せめて自分の気持ちがはっきりするまで、バーダックとは一線を引かなきゃね。
私は自分を叱咤して、カプセルハウスに帰宅する。
すると、そこには運悪くバーダックがソファーに身を沈めて、静かな寝息を立てていた。
どうしよう、今はあんまり顔を合わせたくないのに……いいや、夕飯の支度までまだ時間があるし、大人しく寝室に籠ってよう。
私はバーダックに気づかれないよう、抜き足差し足でリビングを通り抜けようとした。
「待て、名無しさん」
「!?」
何で気づかれたの!? 私の完璧な隠密行動が!
私はぎこちない動作で振り向く。
すると視線が絡み合い、バーダックは真顔で私を見据えていた。
「あ……起きてたの? 寝てると思ったから、ちっとも気づかなかったなあ!」
「……」
バーダックが無言で睨んでる。
ちょっと、わざとらしかったかも。
「お前が中に入って来た時から気づいてたぜ。どう反応するか、動向を探っていた」
悪趣味! 俺様な上に人の行動を干渉するなんて……。
「んなことより、今までどこに行っていた?」
「西の都のブルマさんのとこよ。例のサイヤ人の件と食糧不足について、相談しに行ってたの」
「そうか」
「バーダックこそ、修業はどうしたの?」
そういえば、悟空やラディッツの姿が見当たらない。まだ修業続けてるのかな?
「小腹が減って食い物目当てに戻って来たが、お前の姿が見当たらねえから一寝入りしていた所だ」
「小腹って……」
ああ、3時だもんね。おやつタイムか……って、アンタは女子か!
「つーわけだ。何か食い物寄越せ」
この威張りんぼめ……ハァ、しょうがない。これもサイヤ人撃退の為だ。
「私が焼いたスコーンがあるけど、それでいいなら食べる?」
「食えるなら何でもいい」
「……はいはい」
これで根っこは不器用だけど優しいって知ってるから、俺様でもまだ我慢できるのよね。
出会って間もなくなら、有無を言わせずビンタだわ。
――数分後。
早速、スコーンに特製イチゴジャム、クロテッドクリームを添えて、さらに紅茶を用意すれば、いわゆるクリーム・ティーっていうの?
相手がバーダックだから、英国の上流貴族みたいにはならないだろうけどね。
「お待たせ」
テーブルの上にトレーを置くと、バーダックは物珍しげにスコーンをいろんな角度から眺めてる。
「これは何だ?」
「だから、お手製のスコーンよ。ストレートティーと一緒に召し上がれ?」
「……」
バーダックは無言でスコーンを鷲掴みすると、一口でかぶりついた。
「あ!」
あれは絶対、味気ないな。
「っ……!」
思った通り、彼の表情が渋くなる。
「何だ、こりゃあ……全然味がねえ。不味いにも程があるぜ」
「当然でしょ。イチゴジャムとクリームをつけて食べなくちゃ、全然美味しくないもの」
「……それを先に言え」
バーダックが不満をたれる。
「はいはい、説明しなかった私が悪うございました!」
「本当に悪いと思ってんのか?」
「思ってるわよ」
……ちょっとは。
「今余計なこと言わなかったか?」
「い、言ってないってば」
……妙に察しがいいんだから。
「ったく、今度はお前が手本見せろよ」
「何で私が!?」
「オレはスコーンなんざ、生まれてこの方見たことすらねえんだよ。お前に手本を見せろってのは、真っ当な意見だろうが」
「……分かったよ。つけてあげればいいんでしょ」
私は手慣れた手つきで、スコーンにジャムとクリームをつけて、彼の前に差し出した。
「どうぞ」
「ついでに食べさせろよ」
俺様本領発揮。
「はあ? 何のついでなわけ!? 図に乗るのも大概にしてよね!」
「へえ、オレに口答えするのか?」
バーダックが不敵な笑みで、ずいと迫ってくる。
逃れようとするものの、背後はソファーに阻まれて逃げ場がない。それなら……。
「……脅そうってわけ? もうそんな手には引っ掛からないからね?」
どうせまたからかって遊んでるんだろうと思い、下手に出るのを止めた。
「ふーん? 抵抗しねえのか?」
「……」
無言でいると、バーダックは物騒な笑みを湛えたまま、私の身体を挟み込むように手をついて、どんどん目の前に迫ってくる。
何だか、いつもと様子が違う。
これは、もしかして本気で怒らせたかも……。
ヤバい、早く逃げなきゃ!
そう思った時には既に遅かった。バーダックの唇が、無遠慮に私のそれを覆ってくる。
「んんっ……!」
唇を舌でこじ開け、強引に口腔へ捩じ込まれる。
やっぱり怒ってる。こんな乱暴なキスするなんて……!
私は首を振って逃れようとするけど、いつの間にか後頭部を押さえつけられて微動だにできない。
駄目だ、大の男相手じゃ力で敵う筈がない。一線を引こうと注意してたのに、なんて情けない……。
「ふ……う……」
「……名無しさん」
不意にバーダックが私を呼ぶ。何故か、その声音は硬い。
「え……?」
「お前、泣くほど嫌なのか?」
バーダックに指摘されて、頬を拭った指先はしっとり濡れていた。
「これは……」
「……」
バーダックは私の上から退いて立ち上がる。それが、スローモーションに見えた。
私を見下ろす彼の瞳は、ただ悲哀に満ちていた。
その瞬間、私は心臓を抉られた気分になる。
「バーダック……」
「お前がそんなにオレを嫌っていたとはな。今まで悪かったな、名無しさん」
「待っ……」
彼は二言言い残して、足早にハウスを出て行った。
その日から、バーダックは私との接触を極端に避けるようになり、当然二人きりになることもなく。
ただでさえ微妙だった私達の関係は、とても無機質な冷たいものに変わり果ててしまった。
それほど、彼の心を傷つけてしまったことになる。
どうして、こんなことになったのか。私はただ自分の気持ちと向き合おうと思っただけなのに……。
そう思うと、とても辛く息苦しい……。
どうしようもなく切なくて、やりきれない気持ちのまま、なす術もなくただ時間だけが過ぎていくのだった。
自分の本心さえ分からずに……。
明日を迎えれば、いよいよ一年が経とうとしていた。
私にとって、この一年はとても長く重苦しかった。楽しい共同生活になる筈が、バーダックへの思い悩み、苦しむ時を強いられる日々だったからだ。
夜中、ふとお手洗いに行きたくなって目が覚めた。なるべく静かに寝室を出て、彼らを起こさないように忍び足で歩き、速やかに済ませる。
部屋に戻る途中、目が暗闇に慣れて、玄関のドアが少し開いてるのに気がついた。辺りを素早く見回すと、親子三人寝ているうちの独りが見当たらない。
もしかして、と思った私は意を決して外に出ていく。
周囲を見渡すと、そこには手近な岩に座って、星を眺めながら缶ビールを飲んでいる、バーダックの姿があった。
無視されるかもしれない、と緊張しながらも、勇気を振り絞って声をかける。
「バーダック!」
チラリと私を見るバーダック。
「お前か」
意外にも、バーダックの反応は普通だった。
それに安堵しながらも、私は言葉を続ける。彼と話をしたい一心で。
「いよいよ、明日決着がつくね」
「……ああ」
「体調は万全なの?」
「……ああ」
「勝つ自信は、あるよね?」
「……ああ」
バーダックは「ああ」しか言ってくれない。とても寂しく思うものの、この一年彼の無反応に堪え忍んできたことを思えば、答えてくれるだけでも大きな進歩だ。
「……じゃあ、私は先に休むね」
「待て、名無しさん」
私がハウスに戻ろうとした時、バーダックから呼び止められ、彼に振り返る。
「何?」
「お前のことは必ず元の世界に帰してやる。だから、何も心配するな」
抑揚のない声が、グサリと胸に突き刺さる。
「……うん、ありがと」
ちゃんと笑えてるだろうか?
これ以上この場にいたくなくて、ハウスに逃げ帰る。
すれ違ってしまった彼と私の心。以前の関係がとても懐かしく、遠い記憶に思えた。
泣きたい気持ちをぐっと堪えて部屋に戻ると、ベッドに潜り込み、声を押し殺して止めどなく溢れ出る涙を流した。
私は結局、自分のことしか考えてなかったことになる。自業自得だけど、ただ悲哀の感情だけが私を支配していた。
それが自分の想いを物語っている。彼に突き放されて、やっと気づけた……。
けれど、バーダックだって、私が振った後も普通に接してくれていた。その想いを無下にしたくない。
今後、彼がどんな反応だろうと、私は普段通り接しよう。
夜の帳 に包まれるなか、涙を手の甲で拭い、密かに決意するのだった。
「待って、バーダック。まだもう少し、ここにいて?」
バーダックの瞳に私が映っている。その表情は、ただ驚きに満ちていた。
きっと、どういうつもりなのかと思っているんだろう。
私自身も絶対おかしいって思うのに……彼が立ち上がろうとした瞬間、離れてって欲しくないと思う、もう独りの自分がいた。
逞しい腕を見つめながら思う。
バーダックは何でも強引に進めるような俺様男で、オマケに乱暴な言葉遣いをする。
だけどその反面、ドラゴンボール集めも買って出てくれたり、奥さんの昔話を優しい眼差しで聞かせてくれたり、息子想い(度が過ぎる部分はあるけど)で、たまに私にかけてくれる頼もしい言葉で励まされることもあった。
そんな意外な一面を知る度、あんなに嫌だったボディタッチでさえ、いつの間にか変に意識するようになって……。
それに昨夜、後ろから強く抱き締められて『名無しさんを失いたくねえ』と耳元で囁かれた言葉が、ずっと耳朶に残っている。
彼氏からあんなに感情剥き出しで求められたことはなくて、ただ二人で逢って食事して、お互いの部屋に行って……それでも私は楽しかった。
でも、バーダックは根本的に生き方が違っている。
本能剥き出しの荒っぽい性格に加えて、内面から滲み出る揺るぎない力強さ、戦闘に対するひたむきな姿勢。
バーダックの態度が、誰と接するにしても変わらない所も凄い。立場とか状況とか無頓着っていうか、ただ自分の信念のまま動いている。
私はといえば……バーダックから助けてもらってばっかりで、何の恩返しも出来ていない。それでこのまま帰ってしまったら、悔いが残らないだろうか。
「お前……何で、涙なんか流してんだよ」
「えっ……涙?」
言われるまで、泣いてるなんて気づかなかった。
空いている手を伸ばした彼が、私の頬を濡らす雫を、逞しい節くれ立った指で拭ってくれる。
その温もりが、ひどく優しくて胸が締め付けられるような気持ちになる。
「何のつもりか知らねえが、あんまりオレを惑わすな」
短く溜め息を吐くバーダック。
そんな彼を見つめながら、私はある決意をした。
「私も、バーダックの役に立ちたい」
「はあ? ……お前、いきなり何言ってんだ?」
「バーダックには色々と助けてもらったから、今度は私がアンタを助けたいって言ってんの!」
仰天しているバーダックに向け、私ははっきりと言い切った。
「女のお前が、どうやってオレを助ける気だ」
バーダックの目つきが鋭くなる。
「女だからこそ出来ることよ。つまり、バーダック達の命の源は、私が補うってわけ」
「……つまり飯のことか?」
「当たり! どうせ男連中だけでまともな料理なんて作れないでしょ?」
問題は食料に限りがあるってこと。ラディッツもきっと大食いだろうし……サイヤ人の大食漢が三人もいるんじゃ、食料がなくなるのは時間の問題だ。
かと言って、こっちで使えるお金はないわけだし……こうなったら、ブルマさんに相談してみるほかないか。彼女なら事情を話せば、何かいいアイデアを出してくれる筈だ。
今の私は情けないけど、ブルマさんだけが頼みの綱だった。
「お前って女は、本当に……」
不意にバーダックの呟きが聞こえて――
「へっ、何!?」
突然片腕を引っ張られ、彼の吐息を感じるくらいまで、お互いの距離が一気に縮まる。
気づけば、彼の腕の中にいた。
「なあ、名無しさん……」
私を呼ぶバーダックの声が、どこか苦しげに聞こえる。
「オレがどれほどの決意でお前を帰そうとしたか、全然分かってねえだろ。それに、早く彼氏に逢いたかったんじゃねえのか?」
彼氏――私の元の世界での彼なのに、いつの間にか逢いたいと想う気持ちが弱まっている。
今の私が求めてるのは、ただ楽しいだけのひとときじゃない。もっと、心の奥底から生きてるって実感出来る環境だ。
「そうだとしても、もう決めたことだから」
「万一ベジータにドラゴンボールを奪われたら、どうする」
彼らしくない、弱気な発言だ。
「そんな心配は最初からしてないよ」
「何故だ?」
「だって、バーダックが勝つって信じてるから」
「!?」
バーダックは息を呑んだ。
この言葉に嘘はない。不思議にも私自身、彼なら負けないって信頼が置ける。それほどバーダックには、とてつもない力が具わってる気がした。
「いつから、んな殊勝になった?」
彼が少し身体を離して、まじまじと私を見つめる。その瞳は真剣だ。
「さあ、いつからでしょう?」
私は小さく笑って答える。
「ふん、喰えねえ女だな」
「お互い様でしょ?」
バーダックも微かに笑う。
「そりゃそうだ」
「それとも、勝つ自信ないとか?」
途端、彼の瞳に闘志が宿った。
「冗談言うな。死んでも勝つぜ」
「死んだら意味ないでしょ」
私が冷静に突っ込むと、バーダックはふっと目を細める。
彼を見つめ返すと、意志の強さを宿す瞳が真っ直ぐ私を捕らえていて、その表情に引き込まれ、思わず息を呑んだ。
その様子を見たバーダックは、私の耳孔に唇を寄せて「お前の心意気はよく分かった。だがな」と言葉を続ける。
「名無しさんがまだこの世界に留まるってんなら、オレはもうお前を手放す気にはなれねえぜ。万が一オレから離れることがあれば、どんな手を使ってでも捕まえてやる」
低く甘さを含んだ声音に鼓膜を刺激されて、肌がゾクッと粟立つ。
途端、私から離れた彼の面持ちが険しくなった。
「オレの言ったことが少しでも嫌だと思うなら、大人しく自分の世界に帰れ。飯の件はお前が気にしなくても、何とかするしな」
さっきの甘さから一変して、きっぱりと言い放たれた。
その言葉にズキッと胸が痛くなる。帰れと言われて、思いの外ショックを受けている自分がいた。
この感情は……ううん、今は余計なことを考えたくない。とにかく、私がやるべきことをバーダックに伝えなくちゃ!
「それでも私はベジータってヤツらが襲って来るまでの間、ここに残って皆をサポートする。先のことよりも、今自分が出来ることを精一杯やるだけよ」
彼から目線を逸らさず、はっきりと意志を告げた。
「お前がそういうつもりなら、しょうがねえか」
バーダックは困ったような切なげな面差しを浮かべた。それが酷く悩ましげで、間近で見てしまった私の胸がザワザワして落ち着かない……。
「名無しさん……」
名前を呼ばれ、私を見つめていた彼と視線が絡み合う。これまで向けられていた眼差しとは違い、熱を帯びた色香の漂う瞳で。
「一応断っとくが、後悔しても遅いからな。ただでさえ破裂寸前だったオレの理性のタガを外したのは、お前自身なんだからよ」
バーダックから惜し気もなく放たれる妖艶な空気が次第に私を包み込んで、雰囲気に呑まれていく。
「私は、何もしてないよ……」
「気づいてねえのか。名無しさんの存在が、オレを狂わせるんだぜ?」
その台詞を耳にして、頬が一気に熱くなる。
「もっと触らせろよ、名無しさん……」
ハスキーな声で名前を呼ばれた。
それだけなのに、心臓が嘘みたいに跳ね上がる。
片腕を私の首筋へと伸ばしたバーダックが、肌の感触を楽しむように掌でゆっくりと撫でていく。その仕草は擽ったいけど、嫌な感じはしなかった。
バーダックの掌が首筋から移動して、ゆったりと喉元を撫で上げ、輪郭を確かめるように指を滑らせていく。その動きを何度か繰り返される。
堪らなくなって小さく洩れた私の声に、ふっと笑う気配がした。それが妙に恥ずかしくて目を伏せる。
「声、出したいならもっと出せよ」
「っ……駄目、悟空達に聞こえちゃう」
「聞かせてやれよ。そしたら、お前の喘ぎ声を聞きつけて、ここに入って来たりしてな」
あろうことか、ホントにとんでもないことを言い出した。
「冗談止めてよ……」
どこまでも意地悪で俺様男なんだから……二人には絶対に聞かれるわけにはいかない。
そんな私の心境を知ってか知らずか、バーダックの手は止まることもなく。
耳朶からこめかみ、目元、そして頬へと指先で緩やかに撫でられる。
擽ったいだけじゃなくて、バーダックの指が触れたところから熱を帯びてくみたい。
これ、気持ちいいかも……もっと、触って欲しい。
って、ヤバいよ……今までにないぐらい甘美な刺激に抗えない、抗いたくないって思う。
「名無しさん、こういうの好きか?」
指の腹で下唇をなぞりながら、私の瞳を覗き込んでくるバーダック。まるで私の心を全部見透かしてるような眼差しで。
「こういうのって……?」
「こうやってオレに触られんのが好きかって聞いてんだよ。以前のお前なら、かなり嫌がって抵抗してたよな。だが、今の名無しさんはオレの愛撫に浸ってるじゃねえか」
確かに以前の私なら、必死に抵抗してたのに、それが全然気にならなくて……あまつさえ、彼に触られて身体が悦んでる。
「あっ……愛撫って……何か、やらしいよ」
「何言ってんだよ、実際やらしいことしてるだろ。まあ、この程度は序の口だがな」
くくっと喉元で笑うバーダックは、私の耳朶に唇を押し当てた。
「で、どうなんだよ? オレに触られんのは好きか?」
耳元で囁かれる低音ボイスが、さらに私の心を惑わせる。
「……じゃない」
喉が渇いて、上手く声が出ない。
「なんて言ってんのか、ちゃんと聞こえねえよ。ほら、もう一度言ってみろ」
「……嫌い、じゃない」
そう答えるのが精一杯。
「ってことは……好きだっつーのと同じ意味だよな」
へえ、と呟いたバーダックの口角が上がる。
「だっ……だったら、な……!」
私の台詞は柔らかいもので塞がれ、掻き消されてしまう。
バーダックとのキスは、これで二回目。でも、今度はすぐに解放してもらえなかった。
重ね合わせた唇がより深くなる。
「!?」
突然のことで混乱してると、不意に大きな掌が後頭部に回されて、宥めるように髪を撫でられた。
普段は俺様なバーダックが、こんな時だけ優しいなんて……反則だよ。
バーダックは髪の毛の間に指を差し込み、ゆったりとした動作で梳く。そうされる内に、だんだん心が落ち着いてくる。
知らぬ間に、彼の濃厚なキスに応えている自分がいた。
結局、リビングに悟空達がいることもすっかり忘れて、バーダックから与えられる程好い快感に夢中になってしまっていた。
「おーい、父ちゃん。名無しさん、でえじょうぶなんか?」
ドアをノックする音と悟空の声が聞こえて、我に返った。
不味い! 悟空が部屋に入って来たらホントに不味いって!
内心かなり焦っていると、私から唇を離したバーダックはドアを睨みつけて舌打ちする。
「……カカロットのヤツまで邪魔しやがって。おい、名無しさん」
「わっ……!?」
いきなり上から布団を被せられて、目の前は真っ暗。
訳が分からずにいると、バーダックが布団越しに声を潜めて言った。
「お前はそうやって布団被ったまま寝たふりでもしてろ。つーか、そのまま寝てろ。後はオレに任せとけ」
後は任せろって、一体何をするつもりよ?
バーダックの動向が気になって耳を澄ましていると、ドアの開閉音がした。
「カカロット! オレについて来い!」
「ちょっ、父ちゃん! どこに連れてくつもりだよ!?」
「ぐだぐだ言わずについて来やがれ!」
「たっ、助けてくれ~!」
バーダックの怒鳴り声と悟空の叫び声が響き、やがて静寂に包まれる。
「……一体、何が起きたんだろう?」
唖然としていると、ドアが開く音がして、誰かがこっちに歩いて来る気配がした。
「おい、起きてるんだろ?」
この声は……ラディッツ!?
布団を剥いで見上げると、予想通りラディッツが私を見下ろしている。
「さっき、何があったの?」
「オレはよせ、と言ったんだがな。カカロットが忠告を無視したんで、親父がキレたってわけだ」
バーダックが不機嫌になったのは分かる。
でも、ラディッツの言い方に違和感を覚えた。まるで、この部屋で起きてたことが分かってたような……。
「何で悟空を止めたの?」
私の問いかけに、彼は意味深な笑みを浮かべて口を開いた。
「親父と、ヤッてたんだろ?」
「ええっ!? 違うっ、キスだけ……」
ラディッツがニヤリと笑う。
「あっ……!」
そっか。この人、鎌をかけたんだ!
彼が面白い物を見るような目で、私を眺めている。
「どっちにしろ、似たようなことはしてたんだな。だが、あり得ないことじゃない」
「……どういう意味?」
私が聞き返すのを待っていたかのように、ラディッツは口元を歪めた。
「ふん、親父の様子を見てりゃ嫌でも分かる。アンタに特別な感情を持ってることぐらいな。まあ、カカロットはそっち方面に関しては相当疎いようだが」
「特別な、感情……」
確かにバーダックの気持ちはよく分かってる。さっきだって……思い出したら恥ずかしくなってきちゃった……。
「分かりやすいな。顔が真っ赤だぜ」
「えっ!?」
ラディッツに指摘されて、思わず両手で頬を隠した。
「アンタはどうなんだ? 親父が好きなのか?」
バーダックが、好き……どうなんだろう。
ずっと彼氏に逢いたいって想ってたのに、あまりにもいろんなことが起きてからは、その気持ちがだんだん薄れてきてる。
だからと言って、それがバーダックに対しての特別な感情なのか、自分でもよく分かってない。
ちゃっかりキスまで受け入れといて、言える立場じゃないけど……。
黙ったままでいると、ラディッツの目がギラリと光る。
「答えられないのか?」
「私は……恋人がいるから、バーダックに特別な感情なんて持ってないよ」
ラディッツと顔を合わせづらくて俯くと、彼はふんと鼻を鳴らした。
「嘘だな。本当にそうなら、親父とキスするのも嫌なんじゃないのか? アンタ自身も少なからず、親父に好意を持ってるんだよ」
「っ!?」
ラディッツの台詞にハッと胸を突かれて、声が出なかった。
「親父の息子として一つ忠告しておく。アンタがこの先も中途半端な態度で、親父の気持ちを弄ぶような真似をしたら、オレが許さんぞ」
凄みを利かせた声で言い放った彼は、そのまま寝室から出て行った。
私は取り残されて、ドアをぼんやりと眺めながら思う。
ラディッツに指摘された通りで、ホントに嫌なら拒んでた筈だ。このままどっちつかずでこの世界に留まったら、バーダックを苦しめるだけになる。
でも、彼を手助けしたいと思う気持ちに嘘はない。この世界に滞在している間、自分の気持ちと真正面から向き合おう。
「なっ……何、それ?」
しばらくすると、バーダックと悟空が見たこともない巨大魚を一匹ずつ、肩に担いで帰宅した。
「近くの川で魚を獲って来た。たまには、お前を楽させてやろうと思ってな」
「え? ありがと……」
あんなに怒鳴ってたバーダックが、今は機嫌が良さそう。狩りに行って気分が晴れたのかな。
「見てくれよ! 果物とか茸、山菜も持てるだけ採って来たぞ!」
懐からいろんな食材を取り出して、得意気に見せる悟空。妙にお腹の辺りが膨らんでると思ったら、なるほどね。
「今夜はバーベキューにしようぜ!」
悟空の鶴の一声で、皆でバーベキューをすることになった。
幸い、カプセルハウスの中にバーベキューセットが備えられていた。その準備を悟空に任せた私は、冷蔵庫から肉や野菜を持ち出す。
これで、バーベキューを開く準備はOK。
「カンパーイッ!」
私はお酒を遠慮して、烏龍茶を一気に飲み干した。
美味しそうにビールを飲んでいたバーダックは、私が持つ烏龍茶を見て。
「昨夜から思ってたが、アルコールは駄目なのか?」
「だって、ビールって苦いんだもん。酎ハイだったら飲めるよ」
「オラもビールは苦手だ。どこがうめえんか分かんねえんだよな」
物凄い勢いで焼き魚にかじりついていた悟空が口を挟んだ。
すると、ラディッツが私達を交互に眺めて、皮肉たっぷりにニヤッと笑う。
「お前らガキだな」
ぐっ、厭味な男……コイツ、絶対バーダック似だわ。
「ヘタレのお前が言える立場じゃねえだろ」
「っ……ヘタレって言うなよ!」
赤面してバーダックに言い返すラディッツ。こういう所は、やっぱり子供みたいね。
この親子といると忙しないなあ。何が起こるか予想出来ないことなんて、今まで何回あったんだろう。それこそ、怒涛のごとくいろんなことが……。
「おい、名無しさん」
「へっ? んぐぅっ!?」
バーダックに呼ばれて振り向くと、いきなり口内に何かを詰め込まれる。
この食感は、肉!?
「お前、さっきから野菜しか食ってねえじゃねえか。ちゃんと肉も食えよ」
口内のお肉を咀嚼して飲み込むと、バーダックを睨みつける。
「いきなり口に詰め込まないでよ!」
「美味くねえのか?」
「えっ、美味しいけどさ……」
バーダックが満足そうに、ふっと目を細める。その柔らかい面差しに、とくんと鼓動が脈打った。
参った……バーダックの笑顔一つで、こんなに意識しちゃうなんてどうかしてるかも。
「なら、いいだろ。こっちの焼き魚も食えよ」
「うっ、うん。でも、どうやって?」
巨大魚の丸焼きを前にして、途方に暮れる。こんなの、食べたことないし。いや、普通に生きてればないか。
「カカロットみてえに食えばいいじゃねえか」
「悟空みたいにって――まさか丸かじりしろっての!?」
悟空を見ると、もう少しで丸ごと一匹完食するところだった。
さすが、底なしの胃袋を持つ男。
正直言ってあんまり食べたくないけど、もしかしたら美味しいかもしれないし……。
もう一匹の焼き魚に視線を戻した私はゴクッと息を呑んで、恐る恐るお腹の部分にかじりつく。
「……あれ?」
大きい魚って何となく大味でイマイチだと思ってたけど、想像してたよりも川魚独特の臭みはないし、味は白身魚みたい。
「これ、意外と美味しい」
私がそう言った途端、バーダックが眉をひそめ、不満げな表情をするのが分かった。
「意外ってなんだよ。オレが獲って来たんだから、美味いに決まってんだろ」
バーダックがそう言って、焼き魚にかじりついた。
「あ……」
しかも、わざわざ私がかじった部分を食べるなんて……魚で間接キスって、微妙なんだけど……。
複雑な気分でいると、バーダックが振り向き様に手の甲で口元を拭いながら。
「かなり美味いじゃねえか。オレが故郷で食ってたもんより、新鮮で遥かに美味いぜ」
「あ、そう……」
惑星ベジータで、一体何を食べてたんだろう……。
そんなことを考えていると、バーダックが私の傍に歩み寄った。
「どうしたの?」
彼は徐に私の耳朶へ顔を近づけて「名無しさんが食った後だから尚更にな」と言い添えた。
「っ……バ、バッカじゃないの!?」
そう怒鳴りつつ、頬が熱くなるのを感じた。
この男は何を言い出すのかと思えば……!
「くくくっ、そんな怖い顔するなよ。まあ、オレはお前の怒った面も嫌いじゃねえがな」
「からかわないでよ!」
含み笑いするバーダックが憎たらしくて、思いっきり睨んでやる。
ちょうど、その時。
「なあ、その丸焼きもう食わねえなら、オラが食ってもいいか?」
悟空がのんびりと尋ねた。
「ちょっと待て、カカロット。ラディッツは食ったのか? ほっとくと、カカロットに全部食われちまうぞ」
「あ、ああ……」
ラディッツのヤツ、ずっと私とバーダックのやり取りを見てたのかな?
バーダックからの誘惑に加えて、ラディッツが私の動向に目を光らせている。これじゃ自分の気持ちと向き合うどころか、全然休まる暇もないじゃない。
私は誰にも気づかれないように、そっと溜め息を吐いた。
翌日。彼らにお昼を出した後、ジェット機でブルマさんちに来ていた。これまでの出来事を話す為と、食糧問題の相談をする為に。
一年後、ドラゴンボールを目当てに二人組のサイヤ人が地球に襲来すること。
その間、サイヤ人親子が修業を積んで迎撃すること。
私は三人のサポートをすると決めたこと。
最後に食料不足について順番に話すと、ブルマさんの顔は驚きに満ちていた。確かにこんな話をされたら、誰だってビックリするよ。
「ラディッツの件が解決したと思ったら、今度は別のサイヤ人が襲って来るなんて最悪な状況ね……」
彼女は少し考える仕草をして、こう言った。
「そういう事情なら、私もできるだけ協力するわ。実は今、多忙で家事をやる暇がないのよ。母さんに任せるのも難だし、名無しさんさんには空いた時間に家事を引き受けてもらえると助かるのよ。特別に給金も弾んじゃうわよ?」
「ホントに!? ありがとう、ブルマさん! 喜んで引き受けるよ!」
やっぱりブルマさんに相談して良かった。これで当面お金の心配はない。
一安心していると、彼女が口を開いた。
「それにしても、名無しさんさんって意外と逞しい人だったのねえ。あんなサイヤ人親子と、共同生活してたなんて。寝る時はどうしてるの?」
就寝時は私が寝室を使わせて貰っていて、三人はリビングで寝ていると言ったら、ブルマさんは「なるほどね」と頷いた。
「でも、ブルマさん。あんなサイヤ人親子って言うけど、結構皆いい人だよ」
約一名を除いてはね……。
「やけに肩を持つわね。ひょっとして、気になる人がいるの? でも、孫くんは結婚してるから叶わない恋よね」
「悟空は世話の焼ける弟って感じかな」
いつも天真爛漫な悟空の笑顔が思い浮かぶ。そういえば、ずっと家を空けて奥さん怒らないのかな?
「じゃあ、ラディッツ? アイツも問題ありよねえ。自分の甥っ子を誘拐してるんだもの」
「あの男を好きだなんて絶対にあり得ない! 私と相性悪すぎだしっ!」
私が(異世界の)地球人だからってナメてんのよね、アイツ……自分より弱い人間には態度がでかいって最低!
「残りは、バーダックか。あの人、孫くんの父親ってだけあってソックリよね。雰囲気はまるで違うけど」
バーダックの姿がありありと思い浮かぶ。初対面の時と印象が変わったな。意地悪なのに変わりはないけど、悪意があるわけじゃないし、何をされても結局許しちゃってるんだよね。あの深いキスの時も……。
「なるほど……名無しさんさんの想い人って、バーダックだったのねえ」
彼女がニヤニヤしながら、こっちを見てる。
「へっ!? ぜ、全然そんなんじゃないってば! ブルマさんってば冗談きついなあ! 私はただ連中が可哀想だからで、別にバーダックが好きとか全くそんなつもりじゃ……!」
「ふふっ、必死に言い訳しなくてもいいじゃない。バーダックの話をしただけで赤くなるなんて、名無しさんさんはよっぽど分かりやすいのね」
楽しそうに笑うブルマさんを見て、私はただ俯くしかなかった。
私って、そんなに顔に出やすいのかな……っていうか、いつの間にか彼女の中で、私がバーダックを好きってことになってるし……。
自分でもまだよく分かってないのに……そりゃあ、ほんの少しだけ気になってるのは事実だけど、私には恋人がいるんだから……。
そういえば、ブルマさんに彼氏の話をしてなかったっけ。彼女には言っておこう。
私は意を決して、顔を上げる。
「今まで黙ってたけど、実は向こうに恋人がいるの。だから、仮に私がバーダックを好きだとしても、アイツとどうにかなるなんて万に一つもないよ」
ブルマさんは瞠目したけど、すぐ笑顔に戻った。
「自分で可能性を否定しちゃ駄目よ、名無しさんさん。本来、恋は自由で青春を謳歌できる素敵な行為なんだから。そうして、愛はお互いの心を結び合うものよ。恋愛の形は人それぞれだしね。少なくとも、私はそう思うわ」
「……」
「それに恋人がいても、あんまり関係ないのよ? 重要なのは、名無しさんさんがずっと傍にいたいのは誰かってこと。そうすれば、自ずと答えが出るものよ」
「ハァ……」
ブルマさんの台詞が、頭の中をグルグルと回っていた。
私がずっと傍にいたい人か……。
「もう、しょうがないわね」
「え?」
突然のブルマさんの発言に首を傾げる。
「恋に悩める乙女には、このブルマさんが特別にいいことを教えてあげるわ!」
「何々?」
「それはねえ……」
ブルマさんは一拍置いて口を開く。
「ドラゴンボールは願いを叶えると石に戻るんだけど、一年経てば復活するのよ」
「え、そうなの?」
「名無しさんさんなら、この意味分かるわよね?」
得意げに人差し指を立て、ウインクするブルマさん。
「う~ん……」
意味がよく分からず、首を捻る私。
「もう、案外鈍いのねえ。つまり、名無しさんさんが自分の気持ちに決着をつけるには、バーダックの協力が必要不可欠ってことよ」
「え? バーダックの……?」
「とにかく、自分の想いを大事にするのがカギよ?」
「うん……アドバイスありがとう、ブルマさん」
一応お礼は言ったものの、彼女の言いたいことが、まだよく分かってない私は悶々としていた。
――帰宅途中。
あれからずっと、ブルマさんに言われた台詞がリフレインしていた。
『ドラゴンボールは願いを叶えると石に戻るんだけど、一年経てば復活するのよ』
「あ! もしかして……」
最初は意味が分からなくて首を捻ったけど、思い巡らせて、やっとブルマさんの意図が分かったような気がする。
でも、かなり強引な気がするけど……。
何にせよ、せめて自分の気持ちがはっきりするまで、バーダックとは一線を引かなきゃね。
私は自分を叱咤して、カプセルハウスに帰宅する。
すると、そこには運悪くバーダックがソファーに身を沈めて、静かな寝息を立てていた。
どうしよう、今はあんまり顔を合わせたくないのに……いいや、夕飯の支度までまだ時間があるし、大人しく寝室に籠ってよう。
私はバーダックに気づかれないよう、抜き足差し足でリビングを通り抜けようとした。
「待て、名無しさん」
「!?」
何で気づかれたの!? 私の完璧な隠密行動が!
私はぎこちない動作で振り向く。
すると視線が絡み合い、バーダックは真顔で私を見据えていた。
「あ……起きてたの? 寝てると思ったから、ちっとも気づかなかったなあ!」
「……」
バーダックが無言で睨んでる。
ちょっと、わざとらしかったかも。
「お前が中に入って来た時から気づいてたぜ。どう反応するか、動向を探っていた」
悪趣味! 俺様な上に人の行動を干渉するなんて……。
「んなことより、今までどこに行っていた?」
「西の都のブルマさんのとこよ。例のサイヤ人の件と食糧不足について、相談しに行ってたの」
「そうか」
「バーダックこそ、修業はどうしたの?」
そういえば、悟空やラディッツの姿が見当たらない。まだ修業続けてるのかな?
「小腹が減って食い物目当てに戻って来たが、お前の姿が見当たらねえから一寝入りしていた所だ」
「小腹って……」
ああ、3時だもんね。おやつタイムか……って、アンタは女子か!
「つーわけだ。何か食い物寄越せ」
この威張りんぼめ……ハァ、しょうがない。これもサイヤ人撃退の為だ。
「私が焼いたスコーンがあるけど、それでいいなら食べる?」
「食えるなら何でもいい」
「……はいはい」
これで根っこは不器用だけど優しいって知ってるから、俺様でもまだ我慢できるのよね。
出会って間もなくなら、有無を言わせずビンタだわ。
――数分後。
早速、スコーンに特製イチゴジャム、クロテッドクリームを添えて、さらに紅茶を用意すれば、いわゆるクリーム・ティーっていうの?
相手がバーダックだから、英国の上流貴族みたいにはならないだろうけどね。
「お待たせ」
テーブルの上にトレーを置くと、バーダックは物珍しげにスコーンをいろんな角度から眺めてる。
「これは何だ?」
「だから、お手製のスコーンよ。ストレートティーと一緒に召し上がれ?」
「……」
バーダックは無言でスコーンを鷲掴みすると、一口でかぶりついた。
「あ!」
あれは絶対、味気ないな。
「っ……!」
思った通り、彼の表情が渋くなる。
「何だ、こりゃあ……全然味がねえ。不味いにも程があるぜ」
「当然でしょ。イチゴジャムとクリームをつけて食べなくちゃ、全然美味しくないもの」
「……それを先に言え」
バーダックが不満をたれる。
「はいはい、説明しなかった私が悪うございました!」
「本当に悪いと思ってんのか?」
「思ってるわよ」
……ちょっとは。
「今余計なこと言わなかったか?」
「い、言ってないってば」
……妙に察しがいいんだから。
「ったく、今度はお前が手本見せろよ」
「何で私が!?」
「オレはスコーンなんざ、生まれてこの方見たことすらねえんだよ。お前に手本を見せろってのは、真っ当な意見だろうが」
「……分かったよ。つけてあげればいいんでしょ」
私は手慣れた手つきで、スコーンにジャムとクリームをつけて、彼の前に差し出した。
「どうぞ」
「ついでに食べさせろよ」
俺様本領発揮。
「はあ? 何のついでなわけ!? 図に乗るのも大概にしてよね!」
「へえ、オレに口答えするのか?」
バーダックが不敵な笑みで、ずいと迫ってくる。
逃れようとするものの、背後はソファーに阻まれて逃げ場がない。それなら……。
「……脅そうってわけ? もうそんな手には引っ掛からないからね?」
どうせまたからかって遊んでるんだろうと思い、下手に出るのを止めた。
「ふーん? 抵抗しねえのか?」
「……」
無言でいると、バーダックは物騒な笑みを湛えたまま、私の身体を挟み込むように手をついて、どんどん目の前に迫ってくる。
何だか、いつもと様子が違う。
これは、もしかして本気で怒らせたかも……。
ヤバい、早く逃げなきゃ!
そう思った時には既に遅かった。バーダックの唇が、無遠慮に私のそれを覆ってくる。
「んんっ……!」
唇を舌でこじ開け、強引に口腔へ捩じ込まれる。
やっぱり怒ってる。こんな乱暴なキスするなんて……!
私は首を振って逃れようとするけど、いつの間にか後頭部を押さえつけられて微動だにできない。
駄目だ、大の男相手じゃ力で敵う筈がない。一線を引こうと注意してたのに、なんて情けない……。
「ふ……う……」
「……名無しさん」
不意にバーダックが私を呼ぶ。何故か、その声音は硬い。
「え……?」
「お前、泣くほど嫌なのか?」
バーダックに指摘されて、頬を拭った指先はしっとり濡れていた。
「これは……」
「……」
バーダックは私の上から退いて立ち上がる。それが、スローモーションに見えた。
私を見下ろす彼の瞳は、ただ悲哀に満ちていた。
その瞬間、私は心臓を抉られた気分になる。
「バーダック……」
「お前がそんなにオレを嫌っていたとはな。今まで悪かったな、名無しさん」
「待っ……」
彼は二言言い残して、足早にハウスを出て行った。
その日から、バーダックは私との接触を極端に避けるようになり、当然二人きりになることもなく。
ただでさえ微妙だった私達の関係は、とても無機質な冷たいものに変わり果ててしまった。
それほど、彼の心を傷つけてしまったことになる。
どうして、こんなことになったのか。私はただ自分の気持ちと向き合おうと思っただけなのに……。
そう思うと、とても辛く息苦しい……。
どうしようもなく切なくて、やりきれない気持ちのまま、なす術もなくただ時間だけが過ぎていくのだった。
自分の本心さえ分からずに……。
明日を迎えれば、いよいよ一年が経とうとしていた。
私にとって、この一年はとても長く重苦しかった。楽しい共同生活になる筈が、バーダックへの思い悩み、苦しむ時を強いられる日々だったからだ。
夜中、ふとお手洗いに行きたくなって目が覚めた。なるべく静かに寝室を出て、彼らを起こさないように忍び足で歩き、速やかに済ませる。
部屋に戻る途中、目が暗闇に慣れて、玄関のドアが少し開いてるのに気がついた。辺りを素早く見回すと、親子三人寝ているうちの独りが見当たらない。
もしかして、と思った私は意を決して外に出ていく。
周囲を見渡すと、そこには手近な岩に座って、星を眺めながら缶ビールを飲んでいる、バーダックの姿があった。
無視されるかもしれない、と緊張しながらも、勇気を振り絞って声をかける。
「バーダック!」
チラリと私を見るバーダック。
「お前か」
意外にも、バーダックの反応は普通だった。
それに安堵しながらも、私は言葉を続ける。彼と話をしたい一心で。
「いよいよ、明日決着がつくね」
「……ああ」
「体調は万全なの?」
「……ああ」
「勝つ自信は、あるよね?」
「……ああ」
バーダックは「ああ」しか言ってくれない。とても寂しく思うものの、この一年彼の無反応に堪え忍んできたことを思えば、答えてくれるだけでも大きな進歩だ。
「……じゃあ、私は先に休むね」
「待て、名無しさん」
私がハウスに戻ろうとした時、バーダックから呼び止められ、彼に振り返る。
「何?」
「お前のことは必ず元の世界に帰してやる。だから、何も心配するな」
抑揚のない声が、グサリと胸に突き刺さる。
「……うん、ありがと」
ちゃんと笑えてるだろうか?
これ以上この場にいたくなくて、ハウスに逃げ帰る。
すれ違ってしまった彼と私の心。以前の関係がとても懐かしく、遠い記憶に思えた。
泣きたい気持ちをぐっと堪えて部屋に戻ると、ベッドに潜り込み、声を押し殺して止めどなく溢れ出る涙を流した。
私は結局、自分のことしか考えてなかったことになる。自業自得だけど、ただ悲哀の感情だけが私を支配していた。
それが自分の想いを物語っている。彼に突き放されて、やっと気づけた……。
けれど、バーダックだって、私が振った後も普通に接してくれていた。その想いを無下にしたくない。
今後、彼がどんな反応だろうと、私は普段通り接しよう。
夜の