★旧Request Dream

夢小説設定

この小説の夢小説設定
ヒロイン

 サタンシティに密集する住宅街の一角に、大きな邸が建っている。

 その昔この邸に、幼き頃父母を亡くした少女名無しさんが、父方の妹夫婦に預けられた。
 その夫婦は大変意地が悪く、名無しさんは満足に食事を与えられていなかった。
 何かにつけて叔母に頬を打たれ、名無しさんの色白で綺麗な顔が、痛々しい痣で霞んでしまっていた。
 それは名無しさん一人前の女性になっても変わらず、馬車馬のごとくこき使われる、悪夢のような日々が続いていた。

「アンタの面倒見てやってんだから、その分しっかり働くんだよ!」

(この場所から逃げ出したい……)

 それだけを切実に願っている名無しさん

(自由になりたい……どこか遠くへ行こう)

 ところが、現実はそう甘くなかった。
 名無しさんは、逃げる当ても金もない。しかし、心身ともに限界だった。

(今の地獄のような生活から抜け出せるなら、どんな事でも辛抱出来る)

 名無しさんは決して希望を捨てず、ひたすら好機を待った。

 そんなある日、名無しさんにまたとないチャンスが巡って来た。
 夫婦が一週間の旅行に行くことになり、名無しさんは留守役を任されたのだ。

(逃げ出すなら今しかない!)

 少なくとも一週間監視する者がいないので、その間は逃げても気づかれる心配はないのだから。

「お前はしっかり家事をやっておくんだよ! 私達が帰って来て塵一つ落ちてたら、一ヶ月ご飯抜きだからね!」

 叔母に厳しい口調で言い渡され、名無しさんは無言で頷く。
 今を乗り越えれば、もうすぐ自由の身になれる。叔母に頬を打たれても、もう痛みは感じなかった。
 夫婦は文句一つ言わない名無しさんに満足して、意気揚々と旅行に出かけていった。

(邸から逃げ出すのは、今夜の方が誰にも見つからずに済む)

 そう思った名無しさんは何か乗り物がないか、邸中を丹念に探索して、奇跡的にも夫婦の寝室にあったカプセルケースを見つけ出し、夜になるのを待った。

 深夜。誰もが寝静まる頃、名無しさんは僅かな食料と衣服を鞄に詰め込んで邸を飛び出す。
 手にしていたペンライトで手元を照らし、カプセルケースを開けると、数種類のカプセルが入っており、迷わずバイクのカプセルを手に取る。

(とにかく、この街を抜け出さないと……)

 早速バイクを出して荷物を積むと、エンジンを掛けてアクセル全開、一心不乱に運転しつつ、サタンシティから脱出した。

「ハァ……ハァ……もっと遠くに逃げなきゃ!」

 数時間後。
 名無しさんは辺りに民家が見当たらなくなるまで、ひたすらバイクを走らせる。
 どこまで走って来たのか辺りは真っ暗で、バイクのヘッドライトだけが頼りだが、見知らぬ道を爆速する名無しさんには全く把握出来ていない状態だ。
 だが、ようやく邸から離れた安堵から徐々に緊張が解れていくのを感じていた。

「もう……ここまで来れば……だい、じょうぶ……だよね」

 名無しさんは空腹と疲労が限界に達し、バイクを停車させた途端、意識を失ってしまう。
 その反動で、名無しさんはバイクからずり落ちてしまった。

 翌朝、パオズ山の森林。

「ん? ……大変だっ! 人が倒れてるぞ!」

 朝の鍛練をする為に森にやって来た青年孫悟飯は、俯せになっている名無しさんを見つけて走り寄った。
 悟飯は名無しさんの身体を仰向けにして、上半身を優しく抱き起こす。

「大丈夫ですか! しっかりして下さい!」

 懸命に名無しさんに呼びかける悟飯。

「悟飯、何騒いでんだ?」

 悟飯の父親である孫悟空が、悟飯の異変に気づいて歩み寄る。

「お父さん! 森の中に女の人が倒れていたんですよ!」

「いっ!? そりゃ大変だ! 悟飯、とにかく家に連れてくぞ!」

 悟空も名無しさんを見て驚き、悟飯を促した。

「はい!」

 悟飯が名無しさんを抱き上げ、それを目視した悟空は悟飯の肩に左手を置いて、自宅へ瞬間移動した。

 一方その頃。
 チチは今朝も大量の朝食を準備していた。

「まーったく! 悟空さには毎回テーブルいっぱい、ご飯作るオラの身になって欲しいだ!」

 ブツブツ文句を言いながら。

 その時、悟空の瞬間移動で帰宅した悟飯が名無しさんを抱いたまま、チチに歩み寄った。

「お母さんっ、緊急事態です! 女の人が森で倒れていて、見つけた時にはかなり衰弱していたんです!」

「ありゃまっ! そりゃ大変だべ! とにかく悟飯のベッドに運んであげるだっ!」

「はい!」

 悟飯は自室に名無しさんを運び、そっとベッドへ寝かせた。
 そして一向に目を覚まさない名無しさんの様子を心配そうに窺う。

「この人、大丈夫でしょうか?」

「なあに、ゆっくり休んでうめえモンいっぺえ食えばすぐ元気になっぞ!」

 悟空はニッと白い歯を見せ、だから安心しろと言わんばかりに悟飯の肩を叩いた。

「悟空さの言う通り、今は静かに寝かせてやればいいだ」

 悟飯は真剣な表情で、「ボク思うんですけど、この山に女の人が一人で倒れているなんて変ですよ。だから、彼女にはきっと何か事情があるのかなって。とにかく様子を見たいので、暫くボク一人で傍についていたいんです」と、両親を交互に見つめながら告げた。

「けど、悟飯。朝ご飯食べなくてもいいだか? 後から様子見に来てもいいんでねえか?」

 チチは悟飯の発言を聞いて、心配そうに問かける。

「いいじゃねえか。悟飯の言う通りにしてやれよ、チチ」

 悟空は至って冷静に悟飯を見守り「悟飯……」と、心配そうに悟飯の名前を呟くチチの肩を抱いて部屋を出て行った。

 部屋に静けさが戻った後、悟飯は名無しさんに視線を向けた。

「この痣は……一度や二度で出来たんじゃない。一体この人に何があったんだ」

 痣だらけの顔を見た悟飯は眉間に皺を寄せて、名無しさんの頬にそっと手を添える。

「う……う~ん……もう……やだ、助けて……」

 名無しさんは悪夢にうなされいるのか、苦しそうに唸った。

「助けて? 一体どうしたって言うんだろう?」

 名無しさんの唸り声を聞いて、神妙な面持ちで呟く悟飯。
 その時だった。

「いやああぁぁぁっ!」

 悲痛の叫び声を上げて勢いよく起き上がり、肩で激しく呼吸する名無しさん

「あっ……あの……大丈夫ですか?」

 悟飯は尋常ではない名無しさんの様子を見て、驚きながらも声をかけた。

「あっ……貴方、誰?」

 悟飯に気づいた途端、名無しさんは見る間に顔を強張らせる。

「ボクは孫悟飯と言います。貴女が森の中に倒れていたので、ボクの家まで連れて来たんですよ」

 悟飯は優しく微笑んで、これまでの経過を掻い摘まんで話した。

「……ありがとう。けど、もう大丈夫だから……」

 人から親切にされたことのない名無しさんは、優しい悟飯にどう接していいか分からず、無愛想に呟いてベッドから降りる。

「あっ、まだ寝てなきゃ駄目ですよ!」

「きゃっ!」

 悟飯が制止するのも聞かずにドアに向かおうとするが、足元がふらついた名無しさんはその場に倒れそうになった。

「大丈夫ですか?」

 彼は瞬時に名無しさんをしっかり抱き留めて、心配そうに見つめる。

「平気だから、離して」

 冷たく悟飯を拒む名無しさん

「お願いですから、今は無理をしないで下さい」

 悟飯は真剣な面持ちで伝え、名無しさんを優しく抱き上げて、もう一度ベッドに寝かせる。

(冷たくあしらったのに……こんなに優しい人を見るのは初めて……)

 名無しさんが他人から優しくされたのは初めてで、ただ呆然としていた。

「何か辛い出来事があったんですね。でも、ここは安全な場所ですから心配しないでください。それと、貴女のお名前を教えていただけませんか?」

 悟飯は名無しさんを怖がらせないように、穏やかな声音で話しかけた。

「……私は、名無しさん

 誠意を尽す悟飯に、名無しさんは少しずつ警戒心を解いていく。

名無しさんさんですか。とても可愛らしい名前ですね」

 穏やかな微笑みを浮かべて話す悟飯。

(この人なら、信じても大丈夫かも)

「ありがとう、悟飯くん」

 そんな悟飯を見て、心を許した名無しさんは柔らかく微笑んで応える。
 悟飯は名無しさんが初めて笑った顔を見て思わず見とれてしまうが。

「あの、名無しさんさんは笑っている方が美しいですよ」

 照れ隠しに目を伏せて呟いた。

「えっ……」

 名無しさんも恥ずかしそうに顔を赤く染める。

「……名無しさんさん、ちょっと待っててくださいね」

 悟飯はドアの前まで歩いて行き、何故か途中で足を止めた。

「……お母さん。そこにいますよね?」

 悟飯はチチの気配を感じたらしく、ドア越しに呼びかける。

「あはは……よく分かっただな、悟飯」

 静かにドアが開き、笑って誤魔化すチチが立っていた。

「分かるに決まってるじゃないですか」

 悟飯は溜め息を吐き、部屋を出てドアを閉めた。

「話し声が聞こえたからよ、どうしても気になっちまって……悟飯、あの子のこと何か分かっただか?」

「ボクの予想ですけど……ボクを見た時の警戒した様子と頬の痣からして、名無しさんさんは恐らくどこかから逃げて来たと思うんですよ」

 悟飯は名無しさんに聞こえないようにチチに耳打ちした。

「それ本当けっ!?」

 チチは目を丸くして悟飯の顔を凝視した。

「ちょっ……お母さん、声が大きいですって!」

「あ、すまねえ。そんで、あの子のことどうするつもりだ?」

 チチも囁き声で悟飯に問かけると。

名無しさんさんがもう少し落ち着いたら、事情を聞いてみようと思ってます」

 ドアを隔てた名無しさんに視線を向ける悟飯。

「そうけ……じゃあ、悟飯に任せるだよ」

 チチは頷いてキッチンに戻って行った。

名無しさんさん、お待たせしてすみません……」

 悟飯が部屋に戻ると、名無しさんは息苦しそうに肩で息をしていた。

名無しさんさんっ!」

 悟飯が走り寄って名無しさんの額に手を当てると、高熱を持っている。

 数分後、名無しさんの周りには悟飯の他に、悟空とチチが浮かない表情で佇んでいた。
 どうやら名無しさんは過労で体調を崩して、風邪をひいてしまったようだ。
 薬草があれば熱が下がるらしいのだが。

「困っただな……今解熱に効く薬草が切れてるだよ」

「それなら、ボクが薬草を取って来ます。何としても名無しさんさんを助けたいですから」

 悟飯が自分の胸に手を当てて志願した。

 悟飯の申し出に悟空が首を振り、「待て、悟飯。おめえはここで看病してやれ。薬草はオラが取って来る」と自分を指す。

「ありがとう、お父さん。それじゃあ、お任せします」

「おう、任しとけ」

 悟空は片手を上げて言い、薬草を探しに家を出て行った。
 名無しさんは悟飯を見つめて、息苦しそうに言葉を紡ぐ。

「ご……悟飯……くん…私の……為に…ごめんね」

 悟飯は名無しさんの手を取り、「名無しさんさん、無理に喋らないで下さい。今父が熱を下げる薬草を探しに行ってくれたので、もう少しの辛抱ですよ」と、両手でしっかり握り締めながら励ました。
 名無しさんは精一杯の笑みを浮かべた後、気を失ってしまう。

「その子、きっと疲れが溜って倒れたに違いねえだ。オラはお粥を作って来るから、後は頼んだぞ?」

「分かってますよ、お母さん」

 悟飯が頷いたのを確認したチチは、静かに部屋を後にする。

名無しさんさん……」

 暫くの間、悟飯は名無しさんの顔を注視した。

「兄ちゃん」

 ガチャッとドアが開いて、弟の悟天が部屋に顔を出した。

「悟天、ここに来ちゃいけないって母さんに言われなかったのか?」

「そのお姉ちゃん、熱があるからタオルで冷やしてあげてって、お母さんに言われたんだよ?」

 悟天は腕にタオルをかけて、冷水の入った洗面器を手に持っている。

「そうだったのか。ありがとな、悟天」

 悟飯は労うように悟天の頭を優しく撫でた。

「うん、お姉ちゃん早く元気になるといいね」

 悟天は心配そうに名無しさんの顔を覗き込んだ。

「ああ、悟天も名無しさんさんが元気になるように祈っててくれ」

 もう一度、悟天の頭を優しく撫でる悟飯。

「うん、分かったよ」

 悟天は返事をして、音を立てないように部屋を出て行った。

「悟飯くん……?」

 意識を取り戻した名無しさんが、ぼんやりと悟飯を見つめていた。

「あ、意識が戻ったんですね」

 悟飯は名無しさんに視線を向けて安堵する。

「私……」

「気絶しちゃってたんですよ、名無しさんさん。寒くありませんか?」

 悟飯は心配そうに問かけた。

「少しだけ……でも、大丈夫。これくらい平気だよ」

 悟飯の目からも、明らかに名無しさんが震えを我慢しているのが分かった。
 辛そうな名無しさんを見ていると胸が潰れる思いの悟飯。

名無しさんさん……」

 悟飯は窓外を見ながら心中で、お父さんそろそろ薬草見つけたかな、と呟く。

 その時、タイミングよく「悟飯、待たせたな! 薬草探して来たぞ!」と薬草を手にした悟空が、瞬間移動で現れた。

「お父さん、待ってましたよ!」

 悟飯は待ちに待っていた悟空の帰宅を心から喜んだ。

「ご馳走様でした。とても美味しかったです」

「そりゃあ、そうだべ。何せオラの愛情がたっぷり篭ってるからな」

「ほれ、薬湯だ。これを飲むと楽になっぞ」

「何から何までありがとうございます」

 名無しさんはチチが作ったお粥を食べて、解熱の薬草で悟空が煎じた薬湯を服用する。
 すると、それが効き始めたらしく、間もなく安らかな寝息を立て始めた。

「呼吸が安定したんで、もう安心ですよね?」

 悟飯の問いにチチは「もう心配いらねえだ。あと二、三日安静にしてればすぐ良くなるだよ」と、笑顔で答える。

 チチの言う通り、悟飯の献身的な看病の甲斐もあり、名無しさんは三日で風邪が完治して体力も元通り回復した。
 元気になり、外の空気を吸いたいと言う名無しさんの要望に応えるため、悟飯は森へ連れ出していた。

名無しさんさんが元気になって良かった。ボクもやっと安心しましたよ」

「悟飯くんやご家族のお蔭だよ。本当に感謝してます」

 悟飯のどこまでも誠実な態度に、心を許せる相手としてすっかり打ち解けた名無しさん

名無しさんさん、ずっと疑問に思ってたんですけど、どうして森の中で倒れていたんですか?」

「私……邸から逃げ出して来たの」

 名無しさんはこれまでの出来事を、包み隠さず悟飯に話した。

「そんな……それじゃあ、ただの小間使いじゃないですか! あまりにも酷すぎますよ!」

 あまりにも酷な話に、悟飯は憤りを覚えて拳を握り締める。

「あのまま、あそこにいたらきっと……」

 名無しさんは零れそうな涙を堪えて、悟飯に背中を向けた。

「もう、辛い思いをする必要はありませんよ。ボクが名無しさんさんを守ります。貴女さえ良ければ、ずっと家にいてくれて構わないですから」

「でも、悟飯くんのご両親に迷惑がかかっちゃうよ」

 悟飯の申し出に名無しさんは困惑の表情で俯く。

「大丈夫、ボクに任せてください!」

 その日の夜。
 悟飯は名無しさんが行く当てもなく困っているので、一緒に暮らしたらどうかと悟空とチチに相談を持ちかけた。
 悟飯は悟空とチチを交互に見つめて「どうでしょう? お父さんとお母さんの意見を聞かせて頂けませんか?」と問かける。

「そんな酷ぇ目に遭ったんか。悟飯と名無しさんが望むならオラは構わねえよ」

 悟空は快諾して、チチに視線を向けた。

「オラは……反対だ」

 チチの意見に悟空は眉を顰めて「何でだ? 名無しさんが嫌いなんか?」と問う。

「そうじゃないだよ。その夫婦に会わねえと、何も解決したことにはならねえだ。だから、オラと悟空さで決着つけに行かねえとな?」

「それじゃあ、お母さんも賛成してくれるんですね?」

 悟飯が身を乗り出して続きを促すと。

「ああ、全部解決したら名無しさんさんはオラ達の家族だ」

 チチは大きく頷いて答えた。

「良かったですね、名無しさんさん」

「ありがとうございます……皆さん。凄く嬉しいです」

 名無しさんは感極まったのか、涙を流して何度も頭を下げるのだった。

 そして一週間が経った頃。
 悟空とチチは名無しさんを連れてサタンシティに出向いた。
 邸を訪ねると、新たな使用人の案内でリビングへ通される。
 名無しさんを見た時の夫婦は凄まじい形相で、彼女を引き取りたいと言う孫夫妻の申し出に猛反対した。

名無しさんは私達が十年以上面倒見て来たんだ。この子にはその分しっかり働いて貰わなきゃ、割に合わないんだよ。何が何でも、赤の他人に譲るわけにはいかないね!」

 頑として首を縦に振らない夫婦。

「散々こき使ったおめえ達がそんな考えだから、名無しさんが逃げ出したくなるんじゃねえんか? 名無しさんの気持ち考えてやったことねえだろ?」

 普段は温厚な悟空が、怒りを露にして夫婦を睨みつけた。

「今の名無しさんさんに必要なのは愛情だ。おめえ達が虐待なんかしてたら、名無しさんさんは本当に駄目になっちまうだぞ!?」

「アンタ達にとやかく言われる筋合いはない! 名無しさんを置いてとっとと帰ってくれ!」

 チチの必死の説得も、夫婦は全く聞く耳を持たないようだ。

「もういい加減にして! 私はここに来てからずっと働かされっぱなしで、ご飯もちゃんと食べさせて貰ったことがないじゃない!」

 名無しさんは立ち上がって夫婦を睨みつけた。

「何だと!? お前はよくそんな口が利けるな!? 大体留守番もせず、家出なんぞしおって!」

「ちょっと待った!」

 窓の外でこっそり様子を窺っていた悟飯が、怒りのオーラを纏ってリビングに現れた。

「何だ、貴様!? 勝手に人の家に入って来おって!」

「勝手なのは貴方達だ! 名無しさんさんの心の傷を思い知れ!」

「ぐはあっ!」

 悟飯は男の顔を思い切り殴りつけて「もう二度と名無しさんさんには関わるな。名無しさんさん、ボクと一緒に来て下さい」と、男を見下して言い放ち、名無しさんに手を差し伸べる。
 名無しさんが悟空とチチを見ると彼らは笑顔で頷いたので、悟飯の手を取って邸を出ていった。

「クソッ! 育ててやった恩を仇で返しおって!」

「おめえ……いい加減にしねえと、その腕へし折るぞ」

 反省の色が全く見えない男の態度に怒りが収まらない悟空は、その腕を掴んで本来曲がらない方へ勢いよく捻り上げる。

「痛たたっ!」

「暴力なんて卑怯じゃないか!」

 女が悟空目がけて飛びかかろうとする。

「卑怯なのはおめえ達だべ!」

 チチは一瞬で女の背後に回り、片手を掴み首に腕を回して拘束する。

「痛い痛い!」

 その後夫婦は手の裏を返す様に降参したので、悟空とチチは最後にしっかりと釘を刺してその場を後にした。
 その後、名無しさんは悟飯に掴まって空を飛んでいた。

「悟飯くん空飛べるなんて凄いね~!」

 名無しさんは信じられないといった様子で周りを見渡す。

「万が一落ちたら大変ですから、ボクにしっかり掴まっててくださいね?」

 はしゃぐ名無しさんを見て、悟飯は小さく笑みを漏らした。

「空を飛べるなんて、自由になった気分だよ!」

 名無しさんは悟飯の首に腕を回したまま、目を輝かせて眼下を覗き込んだ。

名無しさんさんは晴れて自由の身ですよ。これからは、ボクがどんな場所にでも連れて行ってあげますから!」

 悟飯は微笑んで言い、スピードを上げて目的地へ向かう。
 数分後。
 彼が向かった先はパオズ山ではなく、とある無人島だった。
 悟飯はそこに降り立ち、真っ白な砂浜に名無しさんをそっと降ろす。

「綺麗……海なんて間近で見たことないよ!」

 名無しさんは目を輝かせて、水平線の向こうを眺めた。

「本当に? じゃあ、連れて来て良かった」

 静かな海沿いを、二人並んで歩む。

「ねえ、悟飯くん」

「何ですか?」

「さっきの悟飯くん、とってもカッコ良かったよ」

 名無しさんは悟飯の顔を覗き込んで、柔らかく微笑んだ。

「あれは……あの夫婦があまりにも酷い人達だったから、絶対に許せなくて。名無しさんさんが逃げ出したのも、よく分かりましたよ」

 不意に悟飯が優しく名無しさんを抱き上げた。

「えっと……悟飯くん?」

 名無しさんは突然の出来事に戸惑いの色を隠せない。

「ボクはこの先もずっと、貴女を支えて生きたいんです。名無しさんさんを世界中の誰よりも幸せにしたいと思ってる」

 穏和で優しそうな顔立ちなのに、意志の強い眼差しで名無しさんを見つめる悟飯。

「やっぱり悟飯くんは優しいんだね。貴方が私を助けてくれてから、幸せが何かやっと分かったんだよ?」

 名無しさんは穏やかに笑って告げた。

「え?」

 きょとんとする悟飯に、そっと耳打ちする名無しさん

「今みたいに悟飯くんの傍にいるのが、私にとって一番幸せなの」

「ははは、参ったな」

「悟飯くん、顔真っ赤!」

 照れて真っ赤になった悟飯に、名無しさんは楽しそうに笑う。

「……名無しさんさん」

 悟飯は微笑みを湛えて名無しさんの名前を呼び。

「んっ……」

 名無しさんの唇の端に、軽く音を立てて口づける。

「笑ったお返しですよ」

「悟飯くん……」

 屈託ない笑顔を向ける悟飯に、名無しさんの頬は朱に染まった。
 悟飯は照れ隠しに名無しさんの耳元でそっと囁く。

「ボクが名無しさんさんを幸せにしたいと言ったのは、一人の男として名無しさんさんを愛しく思ってるからです」

 すると悟飯の照れが名無しさんにも伝わり、耳まで真っ赤になった。

「私……誰かの傍にいたいって思ったのは初めてで、いつの間にか悟飯くんを大好きになってた。ずっと貴方と生きたいよ」

 名無しさんも悟飯に頬を寄せ、秘めたる想いを伝えた。

名無しさんさん、愛してます。この先もずっと一緒に暮らしましょう」

「悟飯くん、私も。これからも一緒にいようね」

 寄せては返す波音だけが響き渡る静かな砂浜で、悟飯と名無しさんは甘いキスを交わすのだった。
 決して希望を捨てず、悟飯達との出逢いと信頼によって結ばれたえにしの糸は、天国にいる両親から名無しさんへの贈り物だったに違いない。

END
1/5ページ
スキ