★Short Dream
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久しぶりの休暇。オレは軽い倦怠感を覚えながらも、ベッドから上体を起こした。
外は昨夜から続くうざってえ雨音が、耳について離れねえ。
隣ではオレの同居人、名無しさんが背中を丸めて規則正しい寝息を立てている。
「……昨日は手加減したんだがな」
普段ならオレが起きればすぐ目を覚ます名無しさんだが、身体を重ねた翌日はいつもこうだ。
なるべく音を立てねえようにベッドを降りて、床に脱ぎ捨ててあった黒の革パンと、同色のシャツを羽織った。これは名無しさんから貰った服だ。
オフだからと言って、着替えるのが面倒で構わず戦闘服を着ていたオレだったが。
名無しさん曰く、休みまで戦闘服を見るのは嫌だそうだ。
正直着るもんなんざ、何だっていいと思うんだがな。
まあ、嫌がる気持ちは分からなくもねえけどよ……。
リビングへ足を運ぶと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、その中身を渇いた喉に流し込んだ。
喉を潤したオレはそれをガラステーブルに置いて、窓外に目をやる。
雨は止むどころか、更に激しさを増していた。
「止みそうにねえな。今日は家でゆっくりするか」
ソファーへ身を沈めたオレはガラステーブルの上にある煙草の箱を掴み、中から一本抜き取ると口に咥え、火を点けて煙をゆっくり吸い込んだ。煙草の煙が、寝惚けたオレの頭を目覚めさせてくれる。
オレは再度、雨が叩きつける窓に視線を向けた。
雨の日は、あの時の記憶が蘇る。名無しさんがずぶ濡れでオレの家に来た日を……。
名無しさんはオレと同じ下級兵士だ。いや、正確には過去形だがな。
初めて逢ったのは半年程前。オレが酒場で独り酒を呷っていた時、名無しさんから声をかけて来た。
『貴方も独りなの? よかったら、独り者同士一緒に飲もうよ』
確か、そんなことを言われた気がする。
特に断る理由もなく、二人で酒を酌み交わした。
名無しさんはオレに色目を使ってくるそこらの女と違い、美味そうに酒を飲み干して無邪気に笑う女だった。
その場限りと思っていただけに、名無しさんみてえなタイプが新鮮に思えたオレは、次第に興味を持つようになっていった。
その後も幾度となく酒場で逢い、時には互いの家で飲み明かしたこともある。
とはいえ、あの頃は純粋な飲み仲間で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
無論、オレも男だ。名無しさんの身体にも興味はあったが、実際手出しはしちゃいねえ。酔った勢いで女を襲う程、落ちぶれちゃいねえしな。
そんな時、名無しさんにとって悲惨なニュースが飛び込んでくる。事件は今から三ヶ月前に起こった。
名無しさんの兄貴が任務中、不幸にも敵に撃たれて戦死。
ガキの頃に親を亡くし、唯一の肉親だった兄貴をも失った名無しさんは、一晩中泣き明かしたらしい。
サイヤ人が戦死するのは珍しくねえが、名無しさんにとっては残酷な事実だっただろう。
翌日、雨に濡れて泣き腫らした名無しさんがオレの家に現れた。
変わり果てた名無しさんを目前にして、驚愕したのを覚えている。
『バーダックしか頼れる人がいないの……お願い、しばらく貴方の傍にいさせて』
弱々しい声で呟く名無しさんに、オレは好きなだけいていいと言った。
それから今に至るまで、名無しさんはオレと同居を続けている。
トーマ達はほっとけばいいと言っていたが、オレは名無しさんを独りにするのが嫌だった。
何せほっとけば自害しちまうんじゃねえかってぐらい、弱り切っていたからな。
最近は笑うようになったが、兄貴の戦死が原因で、戦闘に対してすっかりトラウマになっちまってる。故に、兵士としての働きは満足に出来ていねえ状態だ。
普通なら兵士が戦線離脱した場合、代わりの人員が補充されるわけだが。
今回は直接上層部に申し入れ、名無しさんの代わりにオレが任務をこなしている。
仲間からは物好きだの何だの散々厭味を言われたが、そんなのどうだっていい。
名無しさんが完全に立ち直るまでの間、代わりをやってやりてえと思うオレの独断なんだからよ。
煙草を吹かしていると、ベッドルームのドアが開く音が聞こえて、そっちへ視線を向ける。
「バーダック……」
寝間着姿の名無しさんが眠そうに目を擦りながら、頼りない足取りでオレの前まで歩いて来た。
「もう起きても平気なのか?」
無言で頷く、名無しさん。
オレは灰皿に煙草を押しつけると、名無しさんの手首を掴んで引き寄せた。
「来いよ、名無しさん」
向かい合わせで膝の上に座らせ、名無しさんの細腰に左腕を回して支えてやる。
「また泣いたのか」
名無しさんの僅かに潤んで赤く腫れている目元を、親指の腹で撫でながら話しかけた。
「兄さんが夢で優しく笑いながら手を振ってた。目が覚めたら、我慢出来なくなっちゃって……」
「そうか」
曇り顔の名無しさんの頭に手を伸ばして、何度か髪を撫でてやる。
「……私、サイヤ人失格ね。戦闘で使い物にならないんじゃ、生きてる価値がないよ」
自嘲の笑みを浮かべ、伏し目がちに呟く名無しさんが、オレには儚く見えた。
少しでも楽にしてやりてえところだが、オレが名無しさんにしてやれることには限度がある。
肝心肝要は名無しさん自身が立ち直らなきゃならねえ。
分かっていながらオレの胸は焦燥感に駆られ、息苦しくなる一方だ。
オレがついていながら、とマイナス思考に陥ったオレはそいつを振り払うように、顔を傾けて多少強引に名無しさんの唇を奪った。
「んっ……」
名無しさんの頭を片手で抱えながら、全てを拭い去るように激しく唇を重ねる。
「ん……はぁ……」
一旦唇を離して更に角度を変えて重ねると、薄く開いた唇の隙間に舌を滑り込ませた。
「んぅ……」
名無しさんの舌を強く吸い上げれば、オレの胸に両手を置いて、もっと欲しいとねだるようにオレの口腔へ舌を入れてくる。
唇の端から粘性の水音が立ち上る。熱い舌同士を擦り付け合うと、ぞくりとするほどの愉悦を呼び起こし、快楽の渦へと呑み込まれていく。
やがて唇を離すと、オレと名無しさんを繋いでいた銀糸がぷつりと切れた。
オレは自分の唇を舐めて、名無しさんの頬に手を添える。
「目の前でお前が苦しんでるのに、殆ど何もしてやれねえ。自分がこんなに役立たずなんてな……ったく、反吐が出るぜ」
最後の言葉を吐き捨てるように言うと、名無しさんは驚いた表情を見せた後、不安そうに視線を彷徨わせた。
「バーダックは充分私を助けてくれてるじゃない。なのに、私なんか貴方の優しさにつけ込んでる狡い女なんだから……そんな風に思われる資格なんてないよ」
既に潤んでいた名無しさんの目から一筋の涙が零れ落ちる。
「お前が狡い女だとは更々思ってねえよ。それに資格なんざ、端っから要らねえだろ。オレはオレの思った通りに動いてるだけだしな」
オレは顔を近づけると、名無しさんの頬に唇を這わせて涙を軽く吸い取った。
「……ごめんなさい」
途端、耳まで真っ赤に染めた名無しさんが目を伏せる。
「好きな女には、これ以上辛い思いをして欲しくねえんだよ」
名無しさんは息を呑んで「っ……私も、バーダックが好きだよ……大好き」と、目に涙を湛えながら消え入るような声を発した。
オレは口元に薄く笑みを浮かべ、「名無しさん、いいもんやるよ」と彼女の胸元に顔を埋めて強く吸いつく。
「痛っ……何……?」
何が起きたか分かっちゃいねえ名無しさんは、恐る恐るその部分に指先で触れた。
「キスマークだ。名無しさんは色白だから紅がよく映える」
名無しさんの手を退かすと、白く透き通る柔肌に鬱血した花弁のような吸い痕がくっきり残っている。
「これって、すぐに消えちゃうんでしょ?」
「何日かは消えねえが、消えたら何度でもつけてやるよ」
紅い痕を指でなぞりながら言えば、「どうして? キスマークなんて、今まで一度もつけなかったのに?」と首を捻る名無しさん。
「お前、さっきは生きてる価値がねえとか言ったよな?」
「う、うん」
「生きてる価値なんざ、自分で生み出すもんだ。だから、希望がなけりゃ自分でつくればいい。何せ心は自由自在だからな。少なくともオレはそう思うぜ」
オレはそれに、と口元に笑みを浮かべる。
「オレにとっちゃ、名無しさんは二人とねえ存在だからな。オレの希望はお前を守ることになる。元来、女は黙って男に守られるもんだ。つまり、キスマークはお前がオレの特別だって印だな」
オレが本音を告げれば。
「っ……ごめんね、バーダックの気持ちも考えないで。でも、そう言ってもらえて嬉しい」
名無しさんの瞳から再び一筋の雫が零れ落ち、彼女は泣き笑いしながらオレに応えた。
「辛くても苦しくても、たとえ時間がかかったとしても、耐え忍べば必ず立ち直れる時が来る。それにな、大した役に立っちゃいねえが……命の限りお前の傍にいて、オレの持てる全てで名無しさんを守ってやるよ。だから、何も心配するな」
まるでガキにでも言い聞かせるように、名無しさんの耳元で囁いてやる。
すると、泣き止んだ名無しさんはオレの首に腕を回して、柔らかい笑みを浮かべる。
「そうだよね。ありがとう、バーダック。お蔭で少し心が軽くなったよ」
柄にもねえ話だが、オレの言葉を素直に聞き入れる名無しさんがこの上なく愛らしい。
名無しさんを包み込むように抱き締め、情愛を籠めて労るように華奢な背を撫で摩った。
「……ねえ、バーダック」
オレの胸に寄りかかる名無しさん。
「どうした?」
「私……決めた。今のままじゃ前に進めないから、もっと強くなる努力してみるよ。いつまでも守られるだけじゃなくて、バーダックの隣にふさわしい女になる」
オレは笑みを浮かべ、名無しさんの手をやんわりと握る。
彼女なりに、過去にけじめを付けたんだ。
それなら、オレもそれ相応の態度を示さねえとな。
「名無しさんがそう望むなら、自分の思った通りにやってみろよ。オレはいつでもお前の味方だからな」
そう答えてやれば、名無しさんははにかんでオレの頬に口づけた。
「ありがとう、バーダック。心から愛してるよ」
オレは軽い笑みを湛える。
「お前より、オレの方が何倍も深く愛してるぜ」
オレ達は指を絡ませ合ったまま、どちらからともなく互いを求めて唇を重ねた。
名無しさんが自分の足で立とうと決めた今、こいつの未来は希望に満ちているに違いねえ。
何せ、勇気を出して心の扉を開いた名無しさんには、オレという守護者がついているんだからな。
そう確信したオレの心は、窓外から見える雨上がりの空のように晴れ渡っていた。
END
外は昨夜から続くうざってえ雨音が、耳について離れねえ。
隣ではオレの同居人、名無しさんが背中を丸めて規則正しい寝息を立てている。
「……昨日は手加減したんだがな」
普段ならオレが起きればすぐ目を覚ます名無しさんだが、身体を重ねた翌日はいつもこうだ。
なるべく音を立てねえようにベッドを降りて、床に脱ぎ捨ててあった黒の革パンと、同色のシャツを羽織った。これは名無しさんから貰った服だ。
オフだからと言って、着替えるのが面倒で構わず戦闘服を着ていたオレだったが。
名無しさん曰く、休みまで戦闘服を見るのは嫌だそうだ。
正直着るもんなんざ、何だっていいと思うんだがな。
まあ、嫌がる気持ちは分からなくもねえけどよ……。
リビングへ足を運ぶと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、その中身を渇いた喉に流し込んだ。
喉を潤したオレはそれをガラステーブルに置いて、窓外に目をやる。
雨は止むどころか、更に激しさを増していた。
「止みそうにねえな。今日は家でゆっくりするか」
ソファーへ身を沈めたオレはガラステーブルの上にある煙草の箱を掴み、中から一本抜き取ると口に咥え、火を点けて煙をゆっくり吸い込んだ。煙草の煙が、寝惚けたオレの頭を目覚めさせてくれる。
オレは再度、雨が叩きつける窓に視線を向けた。
雨の日は、あの時の記憶が蘇る。名無しさんがずぶ濡れでオレの家に来た日を……。
名無しさんはオレと同じ下級兵士だ。いや、正確には過去形だがな。
初めて逢ったのは半年程前。オレが酒場で独り酒を呷っていた時、名無しさんから声をかけて来た。
『貴方も独りなの? よかったら、独り者同士一緒に飲もうよ』
確か、そんなことを言われた気がする。
特に断る理由もなく、二人で酒を酌み交わした。
名無しさんはオレに色目を使ってくるそこらの女と違い、美味そうに酒を飲み干して無邪気に笑う女だった。
その場限りと思っていただけに、名無しさんみてえなタイプが新鮮に思えたオレは、次第に興味を持つようになっていった。
その後も幾度となく酒場で逢い、時には互いの家で飲み明かしたこともある。
とはいえ、あの頃は純粋な飲み仲間で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
無論、オレも男だ。名無しさんの身体にも興味はあったが、実際手出しはしちゃいねえ。酔った勢いで女を襲う程、落ちぶれちゃいねえしな。
そんな時、名無しさんにとって悲惨なニュースが飛び込んでくる。事件は今から三ヶ月前に起こった。
名無しさんの兄貴が任務中、不幸にも敵に撃たれて戦死。
ガキの頃に親を亡くし、唯一の肉親だった兄貴をも失った名無しさんは、一晩中泣き明かしたらしい。
サイヤ人が戦死するのは珍しくねえが、名無しさんにとっては残酷な事実だっただろう。
翌日、雨に濡れて泣き腫らした名無しさんがオレの家に現れた。
変わり果てた名無しさんを目前にして、驚愕したのを覚えている。
『バーダックしか頼れる人がいないの……お願い、しばらく貴方の傍にいさせて』
弱々しい声で呟く名無しさんに、オレは好きなだけいていいと言った。
それから今に至るまで、名無しさんはオレと同居を続けている。
トーマ達はほっとけばいいと言っていたが、オレは名無しさんを独りにするのが嫌だった。
何せほっとけば自害しちまうんじゃねえかってぐらい、弱り切っていたからな。
最近は笑うようになったが、兄貴の戦死が原因で、戦闘に対してすっかりトラウマになっちまってる。故に、兵士としての働きは満足に出来ていねえ状態だ。
普通なら兵士が戦線離脱した場合、代わりの人員が補充されるわけだが。
今回は直接上層部に申し入れ、名無しさんの代わりにオレが任務をこなしている。
仲間からは物好きだの何だの散々厭味を言われたが、そんなのどうだっていい。
名無しさんが完全に立ち直るまでの間、代わりをやってやりてえと思うオレの独断なんだからよ。
煙草を吹かしていると、ベッドルームのドアが開く音が聞こえて、そっちへ視線を向ける。
「バーダック……」
寝間着姿の名無しさんが眠そうに目を擦りながら、頼りない足取りでオレの前まで歩いて来た。
「もう起きても平気なのか?」
無言で頷く、名無しさん。
オレは灰皿に煙草を押しつけると、名無しさんの手首を掴んで引き寄せた。
「来いよ、名無しさん」
向かい合わせで膝の上に座らせ、名無しさんの細腰に左腕を回して支えてやる。
「また泣いたのか」
名無しさんの僅かに潤んで赤く腫れている目元を、親指の腹で撫でながら話しかけた。
「兄さんが夢で優しく笑いながら手を振ってた。目が覚めたら、我慢出来なくなっちゃって……」
「そうか」
曇り顔の名無しさんの頭に手を伸ばして、何度か髪を撫でてやる。
「……私、サイヤ人失格ね。戦闘で使い物にならないんじゃ、生きてる価値がないよ」
自嘲の笑みを浮かべ、伏し目がちに呟く名無しさんが、オレには儚く見えた。
少しでも楽にしてやりてえところだが、オレが名無しさんにしてやれることには限度がある。
肝心肝要は名無しさん自身が立ち直らなきゃならねえ。
分かっていながらオレの胸は焦燥感に駆られ、息苦しくなる一方だ。
オレがついていながら、とマイナス思考に陥ったオレはそいつを振り払うように、顔を傾けて多少強引に名無しさんの唇を奪った。
「んっ……」
名無しさんの頭を片手で抱えながら、全てを拭い去るように激しく唇を重ねる。
「ん……はぁ……」
一旦唇を離して更に角度を変えて重ねると、薄く開いた唇の隙間に舌を滑り込ませた。
「んぅ……」
名無しさんの舌を強く吸い上げれば、オレの胸に両手を置いて、もっと欲しいとねだるようにオレの口腔へ舌を入れてくる。
唇の端から粘性の水音が立ち上る。熱い舌同士を擦り付け合うと、ぞくりとするほどの愉悦を呼び起こし、快楽の渦へと呑み込まれていく。
やがて唇を離すと、オレと名無しさんを繋いでいた銀糸がぷつりと切れた。
オレは自分の唇を舐めて、名無しさんの頬に手を添える。
「目の前でお前が苦しんでるのに、殆ど何もしてやれねえ。自分がこんなに役立たずなんてな……ったく、反吐が出るぜ」
最後の言葉を吐き捨てるように言うと、名無しさんは驚いた表情を見せた後、不安そうに視線を彷徨わせた。
「バーダックは充分私を助けてくれてるじゃない。なのに、私なんか貴方の優しさにつけ込んでる狡い女なんだから……そんな風に思われる資格なんてないよ」
既に潤んでいた名無しさんの目から一筋の涙が零れ落ちる。
「お前が狡い女だとは更々思ってねえよ。それに資格なんざ、端っから要らねえだろ。オレはオレの思った通りに動いてるだけだしな」
オレは顔を近づけると、名無しさんの頬に唇を這わせて涙を軽く吸い取った。
「……ごめんなさい」
途端、耳まで真っ赤に染めた名無しさんが目を伏せる。
「好きな女には、これ以上辛い思いをして欲しくねえんだよ」
名無しさんは息を呑んで「っ……私も、バーダックが好きだよ……大好き」と、目に涙を湛えながら消え入るような声を発した。
オレは口元に薄く笑みを浮かべ、「名無しさん、いいもんやるよ」と彼女の胸元に顔を埋めて強く吸いつく。
「痛っ……何……?」
何が起きたか分かっちゃいねえ名無しさんは、恐る恐るその部分に指先で触れた。
「キスマークだ。名無しさんは色白だから紅がよく映える」
名無しさんの手を退かすと、白く透き通る柔肌に鬱血した花弁のような吸い痕がくっきり残っている。
「これって、すぐに消えちゃうんでしょ?」
「何日かは消えねえが、消えたら何度でもつけてやるよ」
紅い痕を指でなぞりながら言えば、「どうして? キスマークなんて、今まで一度もつけなかったのに?」と首を捻る名無しさん。
「お前、さっきは生きてる価値がねえとか言ったよな?」
「う、うん」
「生きてる価値なんざ、自分で生み出すもんだ。だから、希望がなけりゃ自分でつくればいい。何せ心は自由自在だからな。少なくともオレはそう思うぜ」
オレはそれに、と口元に笑みを浮かべる。
「オレにとっちゃ、名無しさんは二人とねえ存在だからな。オレの希望はお前を守ることになる。元来、女は黙って男に守られるもんだ。つまり、キスマークはお前がオレの特別だって印だな」
オレが本音を告げれば。
「っ……ごめんね、バーダックの気持ちも考えないで。でも、そう言ってもらえて嬉しい」
名無しさんの瞳から再び一筋の雫が零れ落ち、彼女は泣き笑いしながらオレに応えた。
「辛くても苦しくても、たとえ時間がかかったとしても、耐え忍べば必ず立ち直れる時が来る。それにな、大した役に立っちゃいねえが……命の限りお前の傍にいて、オレの持てる全てで名無しさんを守ってやるよ。だから、何も心配するな」
まるでガキにでも言い聞かせるように、名無しさんの耳元で囁いてやる。
すると、泣き止んだ名無しさんはオレの首に腕を回して、柔らかい笑みを浮かべる。
「そうだよね。ありがとう、バーダック。お蔭で少し心が軽くなったよ」
柄にもねえ話だが、オレの言葉を素直に聞き入れる名無しさんがこの上なく愛らしい。
名無しさんを包み込むように抱き締め、情愛を籠めて労るように華奢な背を撫で摩った。
「……ねえ、バーダック」
オレの胸に寄りかかる名無しさん。
「どうした?」
「私……決めた。今のままじゃ前に進めないから、もっと強くなる努力してみるよ。いつまでも守られるだけじゃなくて、バーダックの隣にふさわしい女になる」
オレは笑みを浮かべ、名無しさんの手をやんわりと握る。
彼女なりに、過去にけじめを付けたんだ。
それなら、オレもそれ相応の態度を示さねえとな。
「名無しさんがそう望むなら、自分の思った通りにやってみろよ。オレはいつでもお前の味方だからな」
そう答えてやれば、名無しさんははにかんでオレの頬に口づけた。
「ありがとう、バーダック。心から愛してるよ」
オレは軽い笑みを湛える。
「お前より、オレの方が何倍も深く愛してるぜ」
オレ達は指を絡ませ合ったまま、どちらからともなく互いを求めて唇を重ねた。
名無しさんが自分の足で立とうと決めた今、こいつの未来は希望に満ちているに違いねえ。
何せ、勇気を出して心の扉を開いた名無しさんには、オレという守護者がついているんだからな。
そう確信したオレの心は、窓外から見える雨上がりの空のように晴れ渡っていた。
END