【第二章】戻る日常、変わる日常ー。
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夕刻。
隊舎の庭には、柔らかな橙色の光が差し込んでいた。
まだ本格的な隊務をさせてもらえない凛香は、暇を持て余し縁側に腰掛けながら庭を眺めていた。
久しぶりの十番隊、聞こえてくる隊士たちの声。
風に揺れる木々、そのすべてが心地よかった。
『……帰ってきたんだなぁ』
あの戦場で意識を失った時。
もう二度とこの景色を見ることはできないかもしれないと、頭をよぎってしまったのは言うまでもない。
それが今、こうしてのんびりと縁側に座っている。
まだ少しだけ身体が痛むけれど、それも生きている証のように感じられた。
「あれ月影さんじゃないですか。もう休まなくて大丈夫なんですか?」
通りかかった隊士が声を掛ける。
『大丈夫だよ〜、ちょっと外の空気を吸ってるだけだから』
「そうですか。でも、無理しないでくださいね」
『ふふっ、ありがとう』
サッサッサッと静かに草履の音を立てながら、隊士が去っていく。
凛香は再び空を見上げた。
夕暮れの空は、どこまでも穏やかだった。
やがて、少しずつ瞼が重くなる。
此処で眠ってはいけないと思いつつも、病室で長く眠っていたせいか、身体はまだ疲れやすす抗うことができない。
『……ちょっとだけ』
そう呟いて、凛香は柱に背中を預けた。
そのまま、静かな寝息を立て始める。
「……月影?」
執務室から出てきた冬獅郎は、縁側に座る凛香を見つけた。
動きが見られない為近づいてみると、どうやら眠っているらしい。
「おい、月影……」
少し肩を揺らしてみるが、全く起きる気配が感じられない。
冬獅郎は呆れたように息を吐く。
まだ退院したばかりだというのに、こんなところで眠るとは...。
「……ったく」
冬獅郎は隊長羽織を脱ぐと、凛香の肩へそっと掛けた。
腰まで伸びた長い髪が、夕風に揺れている。
三週間前のあの日。
戦場で見た彼女の姿が、ふいに脳裏をよぎる。
自分の卍解を写し、限界を超えて戦った凛香。
あの時突如として現れた彼女は、何かを覚悟したような目付きをしていた。
そして身に纏う見知った氷の冷気、自らを顧みず強敵へと突き進む。
それを嫌でも鮮明に覚えている。
そして、ようやく目を覚ました時。
自分の名前を呼んだ、あの声。
力なく喋る彼女の声が、暫く耳から離れなかった。
「……やっと、帰ってきたな」
誰に聞かせるでもなく、冬獅郎は呟いた。
それはまるで、彼女がちゃんと生きていると、自分に言い聞かせるようにも聞こえるような、小さな呟きだった。
その時、凛香が小さく身じろぎする。
『……シロ、ちゃん…』
寝言だった。
冬獅郎は一瞬、目を丸くした。
そして、己の額に手を当てて深いため息をつく。
「……寝言でもそれかよ」
呆れた声。けれど、決して怒ってはいなかった。
冬獅郎は、静かに靡く凛香の髪が顔にかからないよう、そっと横へ避ける。
それから暫く、静かにその寝顔を眺めていた。
ザァッと風が吹き抜ける。
自身の羽織の裾が、凛香の肩で静かに揺れた。
日が暮れ始めた十番隊舎。
戦いの傷跡は、まだ完全には癒えていない。
失われたものも、戻らないものもある。
それでも、こうして戻ってきた日常がある。
凛香は、まだ知らない。
冬獅郎の身体に起き始めている変化のことも。
そして、その変化がこれから二人の距離にどのような影響を与えるのかも。
今はただ、穏やかな時間が流れていた。