雪
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「だから、あんたは口を出すな!」
「あんた呼ばわりはされたくないですし、隊士の健康管理には口を出させてもらいます!」
またやってるなぁ、と新撰組の幹部達が目配せをして、苦笑いをしている。新撰組屯所での、日常の光景であった。 仲が悪いわけではないのだろうが、この二人、とにかく毎日言い合いをしている。
新撰組副長の土方と、医師の千鶴は、とにかくウマが合わないのだろう、右といえば左、白といえば黒、意識的に反対のことを言っているのではないかと、幹部達は思っていた。 だがここのところ、言い合いの数が減ってきていた。土方が、非常に忙しいのである。千鶴が医師として心配するほどに。隊士たちが増え、管理することも増えてきた。偉い方々との渡りを付けるために、飲めもしないのに島原で飲み明かすこともある。眉間にしわをよせ、時折苦しげにため息をついている土方を見ると、千鶴も最近は本当に心配になってきていた。
そしてもうひとつ。土方が、孤立し始めていた。 忙しいため、他の幹部や隊士たちと話し合う機会がない。時には土方から幹部への指示が「命令」と取られることもあり、幹部達との間に見えない溝が開きつつあるのを、千鶴は敏感に感じていた。
そんなときである。 隊士の一人が、不逞浪士の捕縛中、恐れをなして逃げ出した。 原田率いる十番組の隊士であった。もともと線の細い、剣もそれほど得意でもない男で、そもそも何故新撰組に入隊したのか、なぜ入隊が許されたのかも不明な男であった。小さい体に合わせて気も小さく、よく他の隊士たちにもからかわれていた。十番組組長の原田としては、非常に気になる隊士である。斬りあいのたびに、ガタガタ震えるこの隊士を背に庇ってきた。非番の日も、時折剣術の稽古を付けてやった。なんとか様になってきたと思い始めたころ、夜勤で大捕り物となったときに、怖気づいて、敵に背を向けて逃げ出そうとした。そこを、背後から切られたのだ。
「先生、診てやってくれ!」
血だらけの隊士を原田が背負って戻ってきた。あわてて身支度を整え、治療室へ向かう途中、沖田とすれ違った。沖田はいつもの軽口と同じ感じで、つぶやいた。
「治療したって、無駄だと思うけどね。後ろ傷でしょ?」
沖田を見ると、暗い瞳で見返してきた。千鶴も、新撰組の五箇条は知っている。敵前逃亡を図ったとすれば、治療したところで、切腹である。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、治療に専念するべきだ、と千鶴は治療室へ向かったのだ。
隊士の傷は思ったほどひどくはなく、命に別状はなかった。本人は自分の立場を理解しているのかどうか、ぼんやりと床に伏していた。 それから数日後、千鶴は、隊士に切腹の命がおりたことを知った。介錯は、原田であった。 これには、皆が眉をひそめた。原田が隊士を気にかけ、色々と世話を焼いていたのを知っていたからだ。隊士のしでかした失敗を、組長が尻拭いをするのだ。最悪の形で。これには原田も色を失った。
当日、隊士は二人掛かりで庭へ引き出された。哀れなほど、真っ青になってブルブル震える隊士を見て、同じ平隊士達は眼を背けた。明日はわが身である。 跪く隊士の後ろに、原田が立った。千鶴は隊士ではないので、様子を「見なければならない」ことはない。平隊士達には、見届けるよう命令がおりているが、千鶴は隊士ではないのだから、見なくてもよいのだ。だが、千鶴はそっと廊下の曲がり角から、様子を見ていた。自分の隊士を斬らねばならない原田も気がかりだが、その人選をした土方も、気になったのである。
近藤と並び座る土方は、無表情だった。原田と、隊士の様子をじっと見つめている。 隊士が刀を握った。原田が刀を抜き、構える。ふと、原田が首を回し、土方を見た。その冷たい目つきに、千鶴は背中にひやりとした汗が流れるのを感じた。 そして、原田の刀が振り下ろされた。
その日の夜のことだった。この夜は非常に寒く、雨戸を閉める前に、ちらほらと雪が降っていた。もしかしたら、今頃積もり始めているかもしれない。足から這い登ってくる冷気を感じながら、千鶴はふと、土方はどうしているだろう、と思った。まだ寝るには少し早い時間である。千鶴は台所で温かいお茶を入れると、土方の部屋へ向かった。 部屋のそばまで来ると、さっと土方の部屋の障子が開いた。そこから出てきたのは、原田である。原田は黙って部屋を出ると、一度部屋の中を振り返り、中にいるのだろう土方をにらみつけてから、千鶴のほうへ歩いてきた。千鶴と目が合っても、原田は何も言わず、通り過ぎて言った。
千鶴はどうすべきか迷っていたが、障子を閉めるために立ち上がってきた土方と目が合った。土方は黙って千鶴を見つめている。
千鶴はゆっくりと土方に近づいた。
「お茶を・・お持ちしました。」
土方は千鶴の持つ盆に載った湯飲みに目をやると、無言で受け取った。そのまま、土方は障子を閉めて、千鶴だけが廊下に取り残された。
部屋に戻った千鶴が夜具にはいって、どれほど時間がたったのだろう。
予感はあった。
千鶴は夜具の上に身を起こした。小さな小さな、気配を感じたのだ。誰かの、逡巡する気配。千鶴はそっと立ち上がると、障子を開けた。
少し離れた場所に、男が立っていた。
千鶴は男に会釈をすると、どうぞ、と囁いた。男は少し迷ってから、静かに千鶴の部屋へ入った。 土方は、灯りのそばに座っていた。その向かいに、千鶴が同じく座っている。うつむき加減の土方の瞳は見えないが、千鶴は、障子を閉めたときの土方の瞳を思い出していた。 悲しげだった。新撰組のために、非道な命を下した己を憎んでいるようだった。その瞳を見たときに、予感があったのだ。土方が、自分に会いに来ると。
千鶴は立ち上がると、土方の後ろに回り、腕を回して抱きしめた。土方は千鶴の腕をつかんだが、引き離すためではなく、それが千鶴の腕で、自分が必要としているものだと認識するためであった。
「原田には、悪いことをした。」
土方が囁いた。千鶴は頷いた。 「皆・・・離れていくな。しょうがねぇけどな。」
千鶴はただ、涙を堪えて首を振った。 「あんたは・・・あんたも、離れていくか?」
千鶴は激しく首を振ると、土方の前へ回り、土方の頭を胸に抱きしめた。土方の腕が、千鶴の体に回され、きつく抱きしめた。土方の体が震えていた。 千鶴は窓の外が、ふんわりと明るいことに気づいた。雪が積もったのだろう。この雪は、明日まで残るだろうか。 土方は、明日も冷酷な副長の仮面をかぶり、傷ついた心を隠す。残った雪が、その傷を隠す手伝いをしてくれればいいと、千鶴は切に思った。
続きは裏の「雪」です
「あんた呼ばわりはされたくないですし、隊士の健康管理には口を出させてもらいます!」
またやってるなぁ、と新撰組の幹部達が目配せをして、苦笑いをしている。新撰組屯所での、日常の光景であった。 仲が悪いわけではないのだろうが、この二人、とにかく毎日言い合いをしている。
新撰組副長の土方と、医師の千鶴は、とにかくウマが合わないのだろう、右といえば左、白といえば黒、意識的に反対のことを言っているのではないかと、幹部達は思っていた。 だがここのところ、言い合いの数が減ってきていた。土方が、非常に忙しいのである。千鶴が医師として心配するほどに。隊士たちが増え、管理することも増えてきた。偉い方々との渡りを付けるために、飲めもしないのに島原で飲み明かすこともある。眉間にしわをよせ、時折苦しげにため息をついている土方を見ると、千鶴も最近は本当に心配になってきていた。
そしてもうひとつ。土方が、孤立し始めていた。 忙しいため、他の幹部や隊士たちと話し合う機会がない。時には土方から幹部への指示が「命令」と取られることもあり、幹部達との間に見えない溝が開きつつあるのを、千鶴は敏感に感じていた。
そんなときである。 隊士の一人が、不逞浪士の捕縛中、恐れをなして逃げ出した。 原田率いる十番組の隊士であった。もともと線の細い、剣もそれほど得意でもない男で、そもそも何故新撰組に入隊したのか、なぜ入隊が許されたのかも不明な男であった。小さい体に合わせて気も小さく、よく他の隊士たちにもからかわれていた。十番組組長の原田としては、非常に気になる隊士である。斬りあいのたびに、ガタガタ震えるこの隊士を背に庇ってきた。非番の日も、時折剣術の稽古を付けてやった。なんとか様になってきたと思い始めたころ、夜勤で大捕り物となったときに、怖気づいて、敵に背を向けて逃げ出そうとした。そこを、背後から切られたのだ。
「先生、診てやってくれ!」
血だらけの隊士を原田が背負って戻ってきた。あわてて身支度を整え、治療室へ向かう途中、沖田とすれ違った。沖田はいつもの軽口と同じ感じで、つぶやいた。
「治療したって、無駄だと思うけどね。後ろ傷でしょ?」
沖田を見ると、暗い瞳で見返してきた。千鶴も、新撰組の五箇条は知っている。敵前逃亡を図ったとすれば、治療したところで、切腹である。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、治療に専念するべきだ、と千鶴は治療室へ向かったのだ。
隊士の傷は思ったほどひどくはなく、命に別状はなかった。本人は自分の立場を理解しているのかどうか、ぼんやりと床に伏していた。 それから数日後、千鶴は、隊士に切腹の命がおりたことを知った。介錯は、原田であった。 これには、皆が眉をひそめた。原田が隊士を気にかけ、色々と世話を焼いていたのを知っていたからだ。隊士のしでかした失敗を、組長が尻拭いをするのだ。最悪の形で。これには原田も色を失った。
当日、隊士は二人掛かりで庭へ引き出された。哀れなほど、真っ青になってブルブル震える隊士を見て、同じ平隊士達は眼を背けた。明日はわが身である。 跪く隊士の後ろに、原田が立った。千鶴は隊士ではないので、様子を「見なければならない」ことはない。平隊士達には、見届けるよう命令がおりているが、千鶴は隊士ではないのだから、見なくてもよいのだ。だが、千鶴はそっと廊下の曲がり角から、様子を見ていた。自分の隊士を斬らねばならない原田も気がかりだが、その人選をした土方も、気になったのである。
近藤と並び座る土方は、無表情だった。原田と、隊士の様子をじっと見つめている。 隊士が刀を握った。原田が刀を抜き、構える。ふと、原田が首を回し、土方を見た。その冷たい目つきに、千鶴は背中にひやりとした汗が流れるのを感じた。 そして、原田の刀が振り下ろされた。
その日の夜のことだった。この夜は非常に寒く、雨戸を閉める前に、ちらほらと雪が降っていた。もしかしたら、今頃積もり始めているかもしれない。足から這い登ってくる冷気を感じながら、千鶴はふと、土方はどうしているだろう、と思った。まだ寝るには少し早い時間である。千鶴は台所で温かいお茶を入れると、土方の部屋へ向かった。 部屋のそばまで来ると、さっと土方の部屋の障子が開いた。そこから出てきたのは、原田である。原田は黙って部屋を出ると、一度部屋の中を振り返り、中にいるのだろう土方をにらみつけてから、千鶴のほうへ歩いてきた。千鶴と目が合っても、原田は何も言わず、通り過ぎて言った。
千鶴はどうすべきか迷っていたが、障子を閉めるために立ち上がってきた土方と目が合った。土方は黙って千鶴を見つめている。
千鶴はゆっくりと土方に近づいた。
「お茶を・・お持ちしました。」
土方は千鶴の持つ盆に載った湯飲みに目をやると、無言で受け取った。そのまま、土方は障子を閉めて、千鶴だけが廊下に取り残された。
部屋に戻った千鶴が夜具にはいって、どれほど時間がたったのだろう。
予感はあった。
千鶴は夜具の上に身を起こした。小さな小さな、気配を感じたのだ。誰かの、逡巡する気配。千鶴はそっと立ち上がると、障子を開けた。
少し離れた場所に、男が立っていた。
千鶴は男に会釈をすると、どうぞ、と囁いた。男は少し迷ってから、静かに千鶴の部屋へ入った。 土方は、灯りのそばに座っていた。その向かいに、千鶴が同じく座っている。うつむき加減の土方の瞳は見えないが、千鶴は、障子を閉めたときの土方の瞳を思い出していた。 悲しげだった。新撰組のために、非道な命を下した己を憎んでいるようだった。その瞳を見たときに、予感があったのだ。土方が、自分に会いに来ると。
千鶴は立ち上がると、土方の後ろに回り、腕を回して抱きしめた。土方は千鶴の腕をつかんだが、引き離すためではなく、それが千鶴の腕で、自分が必要としているものだと認識するためであった。
「原田には、悪いことをした。」
土方が囁いた。千鶴は頷いた。 「皆・・・離れていくな。しょうがねぇけどな。」
千鶴はただ、涙を堪えて首を振った。 「あんたは・・・あんたも、離れていくか?」
千鶴は激しく首を振ると、土方の前へ回り、土方の頭を胸に抱きしめた。土方の腕が、千鶴の体に回され、きつく抱きしめた。土方の体が震えていた。 千鶴は窓の外が、ふんわりと明るいことに気づいた。雪が積もったのだろう。この雪は、明日まで残るだろうか。 土方は、明日も冷酷な副長の仮面をかぶり、傷ついた心を隠す。残った雪が、その傷を隠す手伝いをしてくれればいいと、千鶴は切に思った。
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