雨
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ある夜。千鶴は部屋の隅に身を縮め、布団で身を守ろうとするように頭から被っていた。今夜は雨が降っているが、蒸し暑さから少しでも風を入れようと、八木邸の雨戸は全て開け放たれている。
千鶴は知っている。これが風のためだけではないことを。
新選組屯所として使われている八木邸に住むようになり、千鶴は必死に新選組に関する記憶を呼び起こした。記憶と日常を重ね合わせ、情報を得て、修正し、新選組の年表を頭の中で作り上げた。
そうしてここに来て半年ほど経とうとした今日
ーーー。
あれがおこる。
布団の中は蒸し風呂のようになり、溢れる汗が浴衣を濡らす。それでも千鶴は布団をかぶり続けた。
高校の修学旅行で京都へ行ったことを思い出す。班別行動はテーマを作れ、という指示により、千鶴の班はベタではあるが、新選組を選んだ。事前に新選組に関して調べ、もちろんここ壬生の屯所あとも訪れたのだ。その時に受けた説明を思い出す。
これは、今のこの状況はーーー。
「お珍しいですね、皆さんご一緒に島原とは」
千鶴は夕餉を手早くかきこみながら下女に尋ねた。まだそれほど隊士の数は多くはないが、なにせ稽古が実戦レベルで激しいため、怪我人は常に千鶴のもとを訪れる。ゆっくり食事を摂ることなどできはしなかった。
いつもはがやがや賑やかな八木邸が、今夜は静かである。
「へえ、芹沢せんせたちも近藤せんせたちも、みなはんご一緒に」
下女の横顔がせいせいする、と伝えている。常に酔っている芹沢に給仕するのは猛犬に餌をやるようなものだ。そして運が悪ければ、自分が餌になる。戦々恐々と毎日を過ごす八木邸の使用人たちからすれば、芹沢派、近藤派双方が不在の今夜はやっと気が休まるのだろう。
千鶴は箸を止めた。これってーーー。
千鶴は縁側から中庭を見た。灯籠が暗闇の中、老人のようにのそりと立っている。
外はしとしとと体にまとわりつく霧雨が降り続けていた。
浴衣が汗に濡れて体に張り付き、もう動くことは難しい。千鶴は下唇をギュッと噛み締める。
芹沢暗殺。
雨の日だった、とあの日のツアーガイドは言った。だがそれは必ずしも今夜とは限らない、と千鶴は願ったが、数時間前に芹沢たちが戻ってきた。女たちの嬌声と共に。大声には慣れているのだろう、八木邸の住人たちは寝静まったままだ。下手に起きて絡まれるのを避けているのかもしれない。千鶴は体を起こし、耳を澄ます。いびきの合間に、閨事の気配がする。芹沢か、他の男達か。いや、芹沢は酔って前後不覚だったはずだ。とすれば、一人逃げ延びたという男だろうか。一度、女が大きく鳴いて、あとは少しの衣擦れの音と、新たないびきが追加された。
千鶴はそっと床を抜け出し、男たちの部屋から一番離れた部屋の隅へ身を寄せる。そして布団をかぶった。これから何が起こるかを考えれば、いざとなった時布団は何の役にも立たない。だが今は少しでも身を隠したかった。
しばらくすると、雷が激しくなり、夜空を稲光が切り裂くたびに、灯籠や井戸の滑車が光に浮かぶ。まるでこれから起こることに天が興奮しているようだ。
千鶴はまさに今、ここへ忍び寄っている男たちのことを考えた。一人一人の男たちの顔が頭に浮かぶ。親しげに声をかけてくれる永倉、気遣いを見せてくれる原田、そっけない土方、皮肉げな沖田に生真面目な斎藤、山南はいろいろと教えてくれて、藤堂は弟のようなものだ。そして近藤の行為でここにおいてもらっている。京雀たちにみぶろと揶揄される男たちは、普段はどこにでもいる青年たちだった。
その彼らが、今夜芹沢たちを殺す。彼らは今まで一度として人を斬ったことなどないだろう。命を奪ったことなどないだろう。今夜を境に、彼らは後戻りできないところへと足を踏み出す。これから彼らが数年の間に歩む道を、修羅の道へと決定づけるものだ。
蒸し暑さに汗だくになりながら、千鶴の身体は恐ろしさに震えていた。
雨は、激しさを増した。
千鶴は知っている。これが風のためだけではないことを。
新選組屯所として使われている八木邸に住むようになり、千鶴は必死に新選組に関する記憶を呼び起こした。記憶と日常を重ね合わせ、情報を得て、修正し、新選組の年表を頭の中で作り上げた。
そうしてここに来て半年ほど経とうとした今日
ーーー。
あれがおこる。
布団の中は蒸し風呂のようになり、溢れる汗が浴衣を濡らす。それでも千鶴は布団をかぶり続けた。
高校の修学旅行で京都へ行ったことを思い出す。班別行動はテーマを作れ、という指示により、千鶴の班はベタではあるが、新選組を選んだ。事前に新選組に関して調べ、もちろんここ壬生の屯所あとも訪れたのだ。その時に受けた説明を思い出す。
これは、今のこの状況はーーー。
「お珍しいですね、皆さんご一緒に島原とは」
千鶴は夕餉を手早くかきこみながら下女に尋ねた。まだそれほど隊士の数は多くはないが、なにせ稽古が実戦レベルで激しいため、怪我人は常に千鶴のもとを訪れる。ゆっくり食事を摂ることなどできはしなかった。
いつもはがやがや賑やかな八木邸が、今夜は静かである。
「へえ、芹沢せんせたちも近藤せんせたちも、みなはんご一緒に」
下女の横顔がせいせいする、と伝えている。常に酔っている芹沢に給仕するのは猛犬に餌をやるようなものだ。そして運が悪ければ、自分が餌になる。戦々恐々と毎日を過ごす八木邸の使用人たちからすれば、芹沢派、近藤派双方が不在の今夜はやっと気が休まるのだろう。
千鶴は箸を止めた。これってーーー。
千鶴は縁側から中庭を見た。灯籠が暗闇の中、老人のようにのそりと立っている。
外はしとしとと体にまとわりつく霧雨が降り続けていた。
浴衣が汗に濡れて体に張り付き、もう動くことは難しい。千鶴は下唇をギュッと噛み締める。
芹沢暗殺。
雨の日だった、とあの日のツアーガイドは言った。だがそれは必ずしも今夜とは限らない、と千鶴は願ったが、数時間前に芹沢たちが戻ってきた。女たちの嬌声と共に。大声には慣れているのだろう、八木邸の住人たちは寝静まったままだ。下手に起きて絡まれるのを避けているのかもしれない。千鶴は体を起こし、耳を澄ます。いびきの合間に、閨事の気配がする。芹沢か、他の男達か。いや、芹沢は酔って前後不覚だったはずだ。とすれば、一人逃げ延びたという男だろうか。一度、女が大きく鳴いて、あとは少しの衣擦れの音と、新たないびきが追加された。
千鶴はそっと床を抜け出し、男たちの部屋から一番離れた部屋の隅へ身を寄せる。そして布団をかぶった。これから何が起こるかを考えれば、いざとなった時布団は何の役にも立たない。だが今は少しでも身を隠したかった。
しばらくすると、雷が激しくなり、夜空を稲光が切り裂くたびに、灯籠や井戸の滑車が光に浮かぶ。まるでこれから起こることに天が興奮しているようだ。
千鶴はまさに今、ここへ忍び寄っている男たちのことを考えた。一人一人の男たちの顔が頭に浮かぶ。親しげに声をかけてくれる永倉、気遣いを見せてくれる原田、そっけない土方、皮肉げな沖田に生真面目な斎藤、山南はいろいろと教えてくれて、藤堂は弟のようなものだ。そして近藤の行為でここにおいてもらっている。京雀たちにみぶろと揶揄される男たちは、普段はどこにでもいる青年たちだった。
その彼らが、今夜芹沢たちを殺す。彼らは今まで一度として人を斬ったことなどないだろう。命を奪ったことなどないだろう。今夜を境に、彼らは後戻りできないところへと足を踏み出す。これから彼らが数年の間に歩む道を、修羅の道へと決定づけるものだ。
蒸し暑さに汗だくになりながら、千鶴の身体は恐ろしさに震えていた。
雨は、激しさを増した。
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