梅雨
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「発見」の続きです
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毎日じとじとと嫌な雨が降るようになった。新撰組も、賄い方が気を付けても食あたりで苦しむ隊士たちが出始め、新撰組お抱え医師として務める千鶴の仕事は急に忙しくなった。病人の世話に、雨に濡られて風邪を引いた者、ケガ・・・。いそがしさに、しばらくは永倉のことも原田のことも、頭から離れていたほどだ。
山崎に交代してもらって束の間の休息に食事をとっていると、土方がやってきた。
「先生、忙しくしてるみたいで、すまねぇな」
「いえ、私の仕事ですし・・・でも、この長雨では、病人の数も減りませんね。皆さんの隊務はどうなんですか?」
土方は千鶴への労いのつもりなのだろう、町で求めた饅頭の入った包みを渡しながら言った。
「こっちも目もまわる忙しさで、猫の手も借りてぇくらいだ。病人続出で、見回りに健康な奴らが駆り出されて、奴らもクタクタだ」
千鶴は包みを受け取りながら、考えた。そういえば、最近幹部の方たちを見ないな・・・。
「近頃組長の方々を見ませんが、それで?」
「そうだな。毎日出ずっぱりだ。足りない隊士を補い合うから、自分の組下じゃねぇ隊士を使うし、骨が折れるだろうよ」
その夜、千鶴は夜道場へ行ってみたが、永倉の姿はない。確か今日は二番組は日中の勤務のはずだったが、組長たちの中にも病で隊務を離れているものがいる。そんな組長たちの代わりにほかの隊を率いて夜も務めているのであれば、体も心も休まる暇はないだろう。 千鶴は自分に何もできない歯がゆさを感じながら、誰もいない暗い道場を見つめた。
それからしばらくして、いつものように患者たちの世話をしていたとき、隊士の一人がふと思い出したように、ほかの隊士に言った。
「永倉先生が、休息所を持たれたらしい」
ケガをした隊士に包帯を巻いていた千鶴の手がぴたりと止まる。だがそれは一瞬のことで、何事もなかったようにまた千鶴は包帯を巻き始めた。
「へぇ、ついに永倉先生もか」
「先生はそう言ったお相手のうわさはとんと聞かなかったがな」
「いや、永倉先生はあれで意外と女たちから頼りにされてるからな。それに新撰組の組長だ。休息所くらい持ってないと様にならんよ」
隊士たちのうわさ話を聞き流しながら、千鶴は黙々と働いた。 夜更け、千鶴は縁側に座り、一人夜空を見ていた。永倉が休息所を持った噂はおそらく本当だろう。ここのところ姿を見ないのは隊務が忙しいこともあったろうが、休息所で休んでいるのなら納得がいく。空を見上げていた千鶴の顔に、ぽつんと雨が落ちてきた。ああ、もう梅雨の時期だな、と思うと同時に、さぁっと小雨が降りかかってきた。
考えてみれば、診療所での永倉の会話も、たわいのないじゃれあいであって、永倉の嫁に来いという発言も冗談であって、何も永倉が自分を好きだと言っているわけではない。わかっているけど。 ぽろり、と千鶴の目から涙が落ちた。
次の日、布団で思い切り泣いた千鶴の目は赤く腫れていて、会う人みんなにいろいろ聞かれた。
まさか「永倉先生が好きなことに気付いたんですが、ご本人は休息所を持たれてどなたかとお幸せにされているようなので、実質失恋したようなので泣き明かしました」と言えるわけもなく、資料を朝まで読みふけっていた、ということにした。
昨晩から降り始めた雨は、本格的な梅雨に入ったからだろう、しとしとと降り止む様子もなく地面を濡らしている。永倉は今朝屯所にやってきて、そのまま隊士たちを引き連れて巡察へ出かけて行った。声だけが聞こえて、顔を見たわけではなかったが、千鶴はそれにほっとした。今顔を見たら、どうふるまっていいのかわからないし、休息所から帰ってきた永倉に会うのは相当つらい。千鶴は重い瞼を時折こすりながら、つらい気持ちを振り払うように診察を続けた。
昼過ぎになりひと段落がついて診療所を片付けていると、ひょっこりと原田がやってきた。
「よう先生、いまちょっといいか?」
返事も待たずにさっさと中に入ってくると、千鶴の横にすとんと座り、じっと顔を見つめてくる。
「な、なんでしょうか・・・?」
かつて好きだった人の顔が目の前にあるが、千鶴の心は平静だった。その理由に気付いて、また目が潤みそうになり、千鶴は片づけに戻り、目をそらした。
「瞼、もうだいぶひいたな」
原田はそういうと、くすりと苦笑いをした。 「まったく、しょうもない先生だな」
千鶴が振り向くと、原田は一緒に持ってきた風呂敷包みをずいっと押してよこした。
「すまねぇが、こいつを新八に持ってってやってくれねぇか」
「はぁ!?」
思わず大声がでて、慌てて口を両手で覆う。
「中身はまぁ酒の肴だな。あとは昼飯に出たものの残り。新八の休息所の場所は知ってるか?午後は非番だからいるはずなんだ。で・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
千鶴は話し続ける原田を押しとめた。
「なぜ私がこれを永倉先生へもっていかなきゃならないんです?それに酒の肴って、休息所で用意してもらえばいいじゃないですか。それに私は午後も忙しいし・・・」
千鶴に最後まで言わせず、原田はぽん、と千鶴の頭に手を置いた。
「答えその一。午後は山崎が代わりに診る。答えその二。生憎休息所ではこういったもんは出してもらえねぇ。ついでに言うと、隊士たちはまったく数が足りねぇ。なので、先生、よろしくな」
そういって、さらさらと永倉の休息所の住所を書きつけると、千鶴に渡して出ていった。 部屋の真ん中に置かれた風呂敷包み。その隣でそれをじっと見つめる千鶴。こうしていても時間の無駄だと考え、ふっとため息をつくと、千鶴は風呂敷包みを持ち上げ、のろのろと玄関へ向かった。
小雨はまだ続いている。千鶴は左手で風呂敷包みを抱きかかえるように持つと、右手で傘を持ち、雨の中へ踏み出した。幸い風もなく小雨なので、まっすぐ傘をさしていればそれほど濡れることもない。休息所までの道すがら、千鶴は原田の言ったことを反芻していた。 休息所ではこういったものが食べられない? 料理のへたな女性と一緒にいるのだろうか?だがそれなら料亭からでも仕出し料理を取ればいい。よくわからないまま歩くうちに、休息所が近づいてきた。段々千鶴の心が重くなっていく。 永倉先生が誰かと居るところは見たくないな・・・。 休息所を訪れれば、まず対応するのはそこに住む女性だろう。原田先生、恨みます、とつぶやいていると、 「千鶴先生?」 背後から声がかかった。
振り返ると、そこには着流しで傘を差した永倉が立っている。右手には小さな桶を持っており、中には白い豆腐が水に浮いていた。
「なんでここにいるんだ?何やってんだ、先生?」
またいつものように、少し首をかしげながら訪ねてくる。まさか休息所への道で会うことになるとは思わず、まったく心の準備ができていなかった千鶴はドギマギして、
「こ、これ、原田先生からです!それでは!」
と叫ぶなり風呂敷包みを押し付けて、走り去ろうとする。
「お、おいおい、先生、なんだよ!?」
ぱっと傘を離すと、空いた左手で千鶴の手首を握る。 ぱさん、と傘が水にぬれた道に落ちた。さあさあと降る雨が永倉の髪を濡らしていく。
「・・・原田先生から、永倉先生へお酒の肴にと・・・」
永倉はそっと手を離した。
「へぇ・・・?気が利いてんな、あいつにしちゃぁ」
傘を拾い上げると、先生も来いよ、と言って、歩き出した。一瞬躊躇したが、千鶴は永倉の後を追った。 角を曲がってすぐのところに、永倉の休息所はあった。永倉がカギを開け、扉を開く。
「はいよ。断っとくけど、もてなしはなんもできねぇから」
千鶴はそっと中へ足を運ぶ。中はがらんとしていて、必要最低限の家具しかなさそうだった。永倉と一緒に台所へ行くと、質素だが、鍋や食器など一応必要な物はそろっていた。かまどの上では、鍋から湯気が上がっている。永倉が豆腐の入った桶を台へ置く。
「どうしても、冷奴が食いたくなってさ」
そういって千鶴から風呂敷包みを受け取る。
「永倉先生・・・もしかして、ここでお一人ですか?」
台所にあるものも、部屋の様子も、とても女性と(しかも妻なり愛人なりの)二人暮らしとは思えない。
「んー、まぁな」
そういって料理を続けようとするので、千鶴が代わりに作ると買って出た。
「そっか、じゃわりぃけど頼むわ。絶対先生が作ったほうがうまいからな」
そういって、部屋へ行く。千鶴は混乱する自分をなだめながら、とにかく料理を終わらせ、盆にのせて永倉のいる部屋へ運んだ。 永倉は庭に向いた縁側に近い場所で、ごろんと横になってまだ降る雨を眺めている。
「先生、お料理ができましたけど・・・」
永倉はうまそうだ、と嬉しそうによってきて、早速食べ始めた。
「あの・・・それで、ここにはどなたもいらっしゃらないんですか?先生がお料理されてるんですか?」
永倉はへへ、と笑って、困ったように頭をかいた。
「ああ、誰もいねぇよ。近藤さんや土方さんには、女を囲うってことにしといたけどな。時々近所のばあさんに掃除にだけ来てもらってる。飯は俺も少しはできるから」
新撰組が発足した当初は、みんなで持ち回りで食事の準備をしていたそうだから、料理はできるんだろうけど・・・。
「うかがっても・・・よろしいですか?お一人なのに、どうして休息所を?」
「最近忙しいだろ。だから、屯所にいても全然気が休まらねぇんだよ。考えてみりゃぁほかの奴らは休息所でゆっくり英気を養ってくるってのにだな。俺は屯所で寂しく一人寝だ」
この冷奴うまいな、とつぶやいて、永倉は千鶴が持ってきた酒の肴をつまみ始めた。
「別に屯所にいて、急に呼び出されるのが嫌なわけじゃないぜ。でもよ、他の組の奴らの話とかが聞こえてくると、まぁ落ち着かねぇよ。で、俺もついに休息所を持って、休まろうと決めたわけだ」
でもそこに住むべき女がいねぇ、と永倉は自分で吹き出しながら笑った。 その後、あらかた食べ終えた永倉は、冷酒をゆっり飲みながら縁側から庭を見ている。洗い物を終えた千鶴は暇を告げようと部屋へ戻った。
「永倉先生?私、そろそろ失礼いたします」
「あ?ああ、もうそんな時間か?」
永倉が振り向いて言う。その時の表情がすごく柔らかくて、千鶴も思わず微笑み返す。
「空が明るくなってきたから、この雨ももうすぐ止むぜ。それまでいたらどうだ、先生?」
「でも・・・」
「俺は夜勤だからどのみち屯所に帰るから、一緒に戻ろうぜ」
そういって、永倉はごろんと横たわった。丁度、永倉の頭が千鶴の横に来る。そのまま二人で何も話さず、雨が止んでいくのを眺めていた。ふっと雲が切れて、さぁっと夕刻の太陽の光が差し込んできた。庭の木や草に落ちた雨粒がキラキラと光る。
「永倉先生?」
何も考えず、千鶴の口から言葉が出た。
「よければ、私が時折来てお食事を作りましょうか?」
永倉が千鶴の顔を見上げる。ふっと微笑むと、右手のこぶしでこん、と千鶴の膝を叩いた。 「おう。頼むわ。」 もう雨は止んでも、しばらく二人はそのまま外を眺め続けていた。
#####→ 続きは「紫陽花」で。
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毎日じとじとと嫌な雨が降るようになった。新撰組も、賄い方が気を付けても食あたりで苦しむ隊士たちが出始め、新撰組お抱え医師として務める千鶴の仕事は急に忙しくなった。病人の世話に、雨に濡られて風邪を引いた者、ケガ・・・。いそがしさに、しばらくは永倉のことも原田のことも、頭から離れていたほどだ。
山崎に交代してもらって束の間の休息に食事をとっていると、土方がやってきた。
「先生、忙しくしてるみたいで、すまねぇな」
「いえ、私の仕事ですし・・・でも、この長雨では、病人の数も減りませんね。皆さんの隊務はどうなんですか?」
土方は千鶴への労いのつもりなのだろう、町で求めた饅頭の入った包みを渡しながら言った。
「こっちも目もまわる忙しさで、猫の手も借りてぇくらいだ。病人続出で、見回りに健康な奴らが駆り出されて、奴らもクタクタだ」
千鶴は包みを受け取りながら、考えた。そういえば、最近幹部の方たちを見ないな・・・。
「近頃組長の方々を見ませんが、それで?」
「そうだな。毎日出ずっぱりだ。足りない隊士を補い合うから、自分の組下じゃねぇ隊士を使うし、骨が折れるだろうよ」
その夜、千鶴は夜道場へ行ってみたが、永倉の姿はない。確か今日は二番組は日中の勤務のはずだったが、組長たちの中にも病で隊務を離れているものがいる。そんな組長たちの代わりにほかの隊を率いて夜も務めているのであれば、体も心も休まる暇はないだろう。 千鶴は自分に何もできない歯がゆさを感じながら、誰もいない暗い道場を見つめた。
それからしばらくして、いつものように患者たちの世話をしていたとき、隊士の一人がふと思い出したように、ほかの隊士に言った。
「永倉先生が、休息所を持たれたらしい」
ケガをした隊士に包帯を巻いていた千鶴の手がぴたりと止まる。だがそれは一瞬のことで、何事もなかったようにまた千鶴は包帯を巻き始めた。
「へぇ、ついに永倉先生もか」
「先生はそう言ったお相手のうわさはとんと聞かなかったがな」
「いや、永倉先生はあれで意外と女たちから頼りにされてるからな。それに新撰組の組長だ。休息所くらい持ってないと様にならんよ」
隊士たちのうわさ話を聞き流しながら、千鶴は黙々と働いた。 夜更け、千鶴は縁側に座り、一人夜空を見ていた。永倉が休息所を持った噂はおそらく本当だろう。ここのところ姿を見ないのは隊務が忙しいこともあったろうが、休息所で休んでいるのなら納得がいく。空を見上げていた千鶴の顔に、ぽつんと雨が落ちてきた。ああ、もう梅雨の時期だな、と思うと同時に、さぁっと小雨が降りかかってきた。
考えてみれば、診療所での永倉の会話も、たわいのないじゃれあいであって、永倉の嫁に来いという発言も冗談であって、何も永倉が自分を好きだと言っているわけではない。わかっているけど。 ぽろり、と千鶴の目から涙が落ちた。
次の日、布団で思い切り泣いた千鶴の目は赤く腫れていて、会う人みんなにいろいろ聞かれた。
まさか「永倉先生が好きなことに気付いたんですが、ご本人は休息所を持たれてどなたかとお幸せにされているようなので、実質失恋したようなので泣き明かしました」と言えるわけもなく、資料を朝まで読みふけっていた、ということにした。
昨晩から降り始めた雨は、本格的な梅雨に入ったからだろう、しとしとと降り止む様子もなく地面を濡らしている。永倉は今朝屯所にやってきて、そのまま隊士たちを引き連れて巡察へ出かけて行った。声だけが聞こえて、顔を見たわけではなかったが、千鶴はそれにほっとした。今顔を見たら、どうふるまっていいのかわからないし、休息所から帰ってきた永倉に会うのは相当つらい。千鶴は重い瞼を時折こすりながら、つらい気持ちを振り払うように診察を続けた。
昼過ぎになりひと段落がついて診療所を片付けていると、ひょっこりと原田がやってきた。
「よう先生、いまちょっといいか?」
返事も待たずにさっさと中に入ってくると、千鶴の横にすとんと座り、じっと顔を見つめてくる。
「な、なんでしょうか・・・?」
かつて好きだった人の顔が目の前にあるが、千鶴の心は平静だった。その理由に気付いて、また目が潤みそうになり、千鶴は片づけに戻り、目をそらした。
「瞼、もうだいぶひいたな」
原田はそういうと、くすりと苦笑いをした。 「まったく、しょうもない先生だな」
千鶴が振り向くと、原田は一緒に持ってきた風呂敷包みをずいっと押してよこした。
「すまねぇが、こいつを新八に持ってってやってくれねぇか」
「はぁ!?」
思わず大声がでて、慌てて口を両手で覆う。
「中身はまぁ酒の肴だな。あとは昼飯に出たものの残り。新八の休息所の場所は知ってるか?午後は非番だからいるはずなんだ。で・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
千鶴は話し続ける原田を押しとめた。
「なぜ私がこれを永倉先生へもっていかなきゃならないんです?それに酒の肴って、休息所で用意してもらえばいいじゃないですか。それに私は午後も忙しいし・・・」
千鶴に最後まで言わせず、原田はぽん、と千鶴の頭に手を置いた。
「答えその一。午後は山崎が代わりに診る。答えその二。生憎休息所ではこういったもんは出してもらえねぇ。ついでに言うと、隊士たちはまったく数が足りねぇ。なので、先生、よろしくな」
そういって、さらさらと永倉の休息所の住所を書きつけると、千鶴に渡して出ていった。 部屋の真ん中に置かれた風呂敷包み。その隣でそれをじっと見つめる千鶴。こうしていても時間の無駄だと考え、ふっとため息をつくと、千鶴は風呂敷包みを持ち上げ、のろのろと玄関へ向かった。
小雨はまだ続いている。千鶴は左手で風呂敷包みを抱きかかえるように持つと、右手で傘を持ち、雨の中へ踏み出した。幸い風もなく小雨なので、まっすぐ傘をさしていればそれほど濡れることもない。休息所までの道すがら、千鶴は原田の言ったことを反芻していた。 休息所ではこういったものが食べられない? 料理のへたな女性と一緒にいるのだろうか?だがそれなら料亭からでも仕出し料理を取ればいい。よくわからないまま歩くうちに、休息所が近づいてきた。段々千鶴の心が重くなっていく。 永倉先生が誰かと居るところは見たくないな・・・。 休息所を訪れれば、まず対応するのはそこに住む女性だろう。原田先生、恨みます、とつぶやいていると、 「千鶴先生?」 背後から声がかかった。
振り返ると、そこには着流しで傘を差した永倉が立っている。右手には小さな桶を持っており、中には白い豆腐が水に浮いていた。
「なんでここにいるんだ?何やってんだ、先生?」
またいつものように、少し首をかしげながら訪ねてくる。まさか休息所への道で会うことになるとは思わず、まったく心の準備ができていなかった千鶴はドギマギして、
「こ、これ、原田先生からです!それでは!」
と叫ぶなり風呂敷包みを押し付けて、走り去ろうとする。
「お、おいおい、先生、なんだよ!?」
ぱっと傘を離すと、空いた左手で千鶴の手首を握る。 ぱさん、と傘が水にぬれた道に落ちた。さあさあと降る雨が永倉の髪を濡らしていく。
「・・・原田先生から、永倉先生へお酒の肴にと・・・」
永倉はそっと手を離した。
「へぇ・・・?気が利いてんな、あいつにしちゃぁ」
傘を拾い上げると、先生も来いよ、と言って、歩き出した。一瞬躊躇したが、千鶴は永倉の後を追った。 角を曲がってすぐのところに、永倉の休息所はあった。永倉がカギを開け、扉を開く。
「はいよ。断っとくけど、もてなしはなんもできねぇから」
千鶴はそっと中へ足を運ぶ。中はがらんとしていて、必要最低限の家具しかなさそうだった。永倉と一緒に台所へ行くと、質素だが、鍋や食器など一応必要な物はそろっていた。かまどの上では、鍋から湯気が上がっている。永倉が豆腐の入った桶を台へ置く。
「どうしても、冷奴が食いたくなってさ」
そういって千鶴から風呂敷包みを受け取る。
「永倉先生・・・もしかして、ここでお一人ですか?」
台所にあるものも、部屋の様子も、とても女性と(しかも妻なり愛人なりの)二人暮らしとは思えない。
「んー、まぁな」
そういって料理を続けようとするので、千鶴が代わりに作ると買って出た。
「そっか、じゃわりぃけど頼むわ。絶対先生が作ったほうがうまいからな」
そういって、部屋へ行く。千鶴は混乱する自分をなだめながら、とにかく料理を終わらせ、盆にのせて永倉のいる部屋へ運んだ。 永倉は庭に向いた縁側に近い場所で、ごろんと横になってまだ降る雨を眺めている。
「先生、お料理ができましたけど・・・」
永倉はうまそうだ、と嬉しそうによってきて、早速食べ始めた。
「あの・・・それで、ここにはどなたもいらっしゃらないんですか?先生がお料理されてるんですか?」
永倉はへへ、と笑って、困ったように頭をかいた。
「ああ、誰もいねぇよ。近藤さんや土方さんには、女を囲うってことにしといたけどな。時々近所のばあさんに掃除にだけ来てもらってる。飯は俺も少しはできるから」
新撰組が発足した当初は、みんなで持ち回りで食事の準備をしていたそうだから、料理はできるんだろうけど・・・。
「うかがっても・・・よろしいですか?お一人なのに、どうして休息所を?」
「最近忙しいだろ。だから、屯所にいても全然気が休まらねぇんだよ。考えてみりゃぁほかの奴らは休息所でゆっくり英気を養ってくるってのにだな。俺は屯所で寂しく一人寝だ」
この冷奴うまいな、とつぶやいて、永倉は千鶴が持ってきた酒の肴をつまみ始めた。
「別に屯所にいて、急に呼び出されるのが嫌なわけじゃないぜ。でもよ、他の組の奴らの話とかが聞こえてくると、まぁ落ち着かねぇよ。で、俺もついに休息所を持って、休まろうと決めたわけだ」
でもそこに住むべき女がいねぇ、と永倉は自分で吹き出しながら笑った。 その後、あらかた食べ終えた永倉は、冷酒をゆっり飲みながら縁側から庭を見ている。洗い物を終えた千鶴は暇を告げようと部屋へ戻った。
「永倉先生?私、そろそろ失礼いたします」
「あ?ああ、もうそんな時間か?」
永倉が振り向いて言う。その時の表情がすごく柔らかくて、千鶴も思わず微笑み返す。
「空が明るくなってきたから、この雨ももうすぐ止むぜ。それまでいたらどうだ、先生?」
「でも・・・」
「俺は夜勤だからどのみち屯所に帰るから、一緒に戻ろうぜ」
そういって、永倉はごろんと横たわった。丁度、永倉の頭が千鶴の横に来る。そのまま二人で何も話さず、雨が止んでいくのを眺めていた。ふっと雲が切れて、さぁっと夕刻の太陽の光が差し込んできた。庭の木や草に落ちた雨粒がキラキラと光る。
「永倉先生?」
何も考えず、千鶴の口から言葉が出た。
「よければ、私が時折来てお食事を作りましょうか?」
永倉が千鶴の顔を見上げる。ふっと微笑むと、右手のこぶしでこん、と千鶴の膝を叩いた。 「おう。頼むわ。」 もう雨は止んでも、しばらく二人はそのまま外を眺め続けていた。
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