護衛
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「俺は反対だぜ、土方さん」
屯所の大広間。新撰組の幹部だけの寄合で、俺は真っ向から土方さんに楯突いた。揺れるろうそくの灯りの中、俺たちは車座になって酒を飲みつつ話をしていたのだが、土方さんのある提案に、俺はせっかくの酔いが覚める気がした。
土方さんはじろりと俺をにらむと、「理由は何だ。言ってみろ。」とすごんだ。平隊士ならビビッちまうところだろうが、こっちは日野の試衛館時代からの付き合いだ。これくらいで怯えるわけもねぇ。
「あの女医さんを新撰組専属にするってのは、どうかと思うぜ。確かに腕はいい。隊士たちも何人も助けられてる。だが素性が分からないってのは、どういうことだ?記憶がないってのも眉唾もんだと俺は思うぜ」
そういって、俺はぐいっと酒を飲んだ。
「間諜かも知れん」
幹部たちの何人かは曖昧に頷く。みんな思うことは同じだ。大きくなってきた新撰組。その分敵もごまんといる。実際新入隊士の中に、数人の間者を見つけて処刑したのはごく最近の話だ。今だその記憶も鮮やかなまま、なぜ土方さんはそんなことを考えたんだ。
「永倉の言うこともわかる。だが、あの女医さんの医術が敵にわたるのも問題だろうが」
俺は言葉に詰まった。そんなことを考えていなかった自分に驚いたのもある。
「お前、なんか私情を挟んでねぇか?」
横目で俺をにらんだまま、土方さんが呟いた。
私情? 部屋に戻ってから、また一人で晩酌しながら考えた。私情。ケガ人の治療のために屯所にやってきた姿を見たのは、おそらく3回ほど。すれ違いざま目礼したくらいで、言葉も交わしていない。私情など持ちようもない。だが、土方さんの案は、はっきりはしないが、なんだかとてもまずいことに思えたのだ。それがなぜなのか自分でもわからず、その夜は思わず深酒をしてしまった。
結局、その女医さんも治療中の患者を抱えていることもあり、専属というより、頻繁に屯所へ来る程度に納まった。つまり、自分の診療所と屯所を行き来するのだが、新撰組はいつもけが人や病人を抱えていたから、自然と屯所へ来る回数も増えていった。当然俺と顔を合わせる機会も増える。だが俺は例の「まずいことになる」という勘のようなものがいまだくすぶっていて、女医と話をすることはなかった。
ある日、その女医と土方さんが廊下で話していた。俺は横を通るとき、いつものとおり目だけであいさつをし、さっさと通り過ぎた。土方さんがおい、と声をかけてきたが、立ち止まるつもりもない。廊下の角まで来て、ふと振り返った。 女医がこちらを見ていた。あの表情はなんだろう?女医はふっと目をそらすと、また土方さんとの会話に戻った。
そのあとの見回り中、あの表情がずっと頭から離れなかった。
それから数日して、俺はへまをした。もとはといえば、へっぴり腰の部下が浪士捕縛中にやられそうになったのを助けたのだが、結果手傷を負ってしまった。ほかにも重傷を負ったものがいたので、例の女医が呼ばれた。
俺は山崎にみてもらおうと思ったんだが、生憎山崎は隊務につき不在、しょうがなく女医に手当てをしてもらうことになった。 傷のひどいものから診てもらったので、軽傷の俺は一番最後だった。お互い何を話すでもなく、女医は治療を続けていく。手際よく傷を消毒し、細く切ったさらしを腕の傷に巻いていく。 俺はうつむき加減の女医の顔を見ながら、そういえばこの医者が屯所に来るようになって、どれぐらいだったか、とぼんやり考えた。土方さんから発案を聞かされたとき、少し肌寒かったのを覚えているから、もう三月はたっているだろう。その間、まったく一言も話していないわけだ。われながら自分の依怙地さがばかばかしくなって、思わず苦笑した。
女医が顔をあげた。自分が笑われたと思ったのだろうか、眉をひそめて、俺を見ている。町娘のように怯えるでもなく、女郎のように媚びるのでもない。俺は体を引いて、しげしげと女医を見た。向こうもこちらを見返してくる。別にそれで何が起きたわけでもないが、その日から俺たちは顔を合わせると、一言二言は言葉を交わすようになった。
だからといって、例の「まずい」感覚は消えるわけではなかった。女医が一瞬見せた例の表情も胸に引っかかる。話しているときはいいが、一人になってから、複雑な、俺には消化しきれないよくわからない感情が残るのだった。
しばらくして、沖田が自分の組の隊士を一人連れてやってきた。隊士が非番の日に飲み屋で飲んでいると、浪士たちの会話が聞こえてきたそうだ。そいつらはどうやら新撰組と関係の深い例の女医を、誘拐しようという相談事をぶっていたらしい。あわよくば、女医の腕と、新撰組に関する情報の両方を手に入れようという魂胆らしい。 その話を聞いて、ふん、と皮肉った笑いをこぼしたのは土方さんだった。
「女子供に手を出そうたぁ、武士の風上にも置けねぇな。まてよ・・・ああ、おもしろくなりやがった」
そういうと土方さんは、さっさと立ち上がって、部屋を出ていった。いったいどうするつもりなのかと思ったが、一刻ほどして例の女医を連れてきて言ったことには心底驚かされた。
「先生に協力してもらって、奴らをとらえようと思う」
左之や平助たちが口々にどうやるんだ、と尋ねるが、俺は押し黙っちまった。策士の土方さんの考えは読めた。協力ってのはつまり、囮だろ。 案の定、土方さんの説明は、女医を囮にし、不逞浪士どもよおびき出す計画だった。さすがに危険が伴うことで、その場にいた皆は顔を見合わせたが、その時女医が口を開いた。
「私は大丈夫です。ぜひその計画、実行してください」
凛とした声だった。だがその時俺の胸に渦巻いた気持ちは、なぜか怒りのようなものだった。
「くだらねぇ。新撰組はいつから女の助けが必要になった?そんな面倒なことしねぇで、とっとと斬っちまえばいいじゃねぇか」
土方さんは俺を睨んだ。その目つきが、以前俺に「私情」といった時のそれと同じで、俺は思わず頭にきて、「勝手にしろ!」と言い捨てると、広間をでちまった。
次の日、土方さんの計画を聞かされた。不逞浪士たちの話ぶりから、おそらく誘拐は間もなく行われる。先生にはわざと屯所に足しげく通ってもらい、隠れて護衛をつけるということだった。 俺はそっぽを向いていた。勝手にすればいい。俺の知ったこっちゃねぇ。だが、あにはからんや、なぜか俺がご指名を受けた。
「なんでだよ!」
「何か不都合でもあんのか」
土方さんはぎろっと俺をにらんでいう。
「当分二番組は隊務につかなくていい。先生には暗くなってから屯所を出てもらうから、二番組は闇に身を隠して、先生の警護、浪士が襲ってきたら、生きたまま捕獲、そしてアジトをたたく。いいな」
有無を言わせぬいい方だった。俺のほうはといえば、妙な苛立ちがたまる一方だった。イライラと広間を出ようとした俺に、土方さんは俺にだけ聞こえるよう、小声で言った。
「先生のご指名だ」
その夜、隊士たちの治療を終えた女医が屯所を出る際、声をかけた。
「なんで俺を指名した」
相変わらずイライラを抱えていたので、我ながらぶっきらぼうだったと思う。女医は少し動揺したように、瞳を伏せて答えた。
「永倉先生はとても腕が立つとお聞きしたので・・・」
「新選組幹部は誰だって腕が立つぜ」
女医はしばらくうつむいた後、ぱっと顔をあげて、「ご迷惑でしたか」と問うてきた。ああ、またあの表情だ。怒っているのでもないし、何なんだ。怒ってるわけじゃねぇけどな、と俺はつぶいて、女医を置いて、隊士たちの待つ玄関口に回った。
その夜は何もなかった。次の日も。誘拐計画はお流れか、と思ったが、こういうときが油断して危ない。俺は隊士たちにはっぱをかけ、気を引き締めてから、三日目の警護についた。この夜の月は嫌味な女の微笑んだ目のように細く、明かりはないに等しかった。小者の持つ提灯がゆらゆら揺れている。隊士は数人ずつ、各所に配置してある。俺は腕自慢の隊士たち4人ほどを連れて、暗闇に紛れて女医から少し離れたところを歩いていた。
それは一瞬だった。 闇から男たちが数人躍り出たと見た途端、隊士の一人が呼子を吹いた。あちこちから呼子が応える。俺は刀を引き抜くと、男たちに向かって走り出した。提灯が揺れて、地面に落ちた。動揺した浪士たちも、形勢を立て直して応戦してくる。だが多勢に無勢、こちらは地面に落ちた提灯が燃え尽きる前に、浪士たちを取り押さえた。
ふっと、女医を振り返った。女医の足元に転がる提灯が、燃え尽きる寸前、最後の力を振り絞るように燃え上がった。その炎は暗闇の中で女医の顔を照らし出した。 あの表情をしていた。俺がまっすぐに見返すと、女医はゆっくりと、泣き笑いのような顔になり、小声でありがとうございます、とささやいた。
その時俺は気づいちまった。ああ、これが「まずい」気持ちの正体なんだな、と。本気になるのが分かってたから、無意識に自分自身に警告を発してたんだな。でもなぁ。もう、気づいちまったもんは、しょうがねぇよな。
俺はそばまで行くと、手を取った。隊士たちの掲げる提灯の灯に、涙でぬれた女医の顔があった。俺ががんばったな、と声をかけると、弱弱しいが、確かに笑みを浮かべて、手を握り返してきた。一人の家に帰るより、屯所のほうが落ち着くだろう。俺は女医の手を引いて、屯所への道を歩き始めた。 ふと思いついて、俺に手を引かれる女医を振り返って尋ねた。
「そういや先生、名前は?」
「千鶴です」
屯所までの道すがら、俺は惚れた女の名前を胸の中で繰り返した。しっかり手をつなぎながら。
屯所の大広間。新撰組の幹部だけの寄合で、俺は真っ向から土方さんに楯突いた。揺れるろうそくの灯りの中、俺たちは車座になって酒を飲みつつ話をしていたのだが、土方さんのある提案に、俺はせっかくの酔いが覚める気がした。
土方さんはじろりと俺をにらむと、「理由は何だ。言ってみろ。」とすごんだ。平隊士ならビビッちまうところだろうが、こっちは日野の試衛館時代からの付き合いだ。これくらいで怯えるわけもねぇ。
「あの女医さんを新撰組専属にするってのは、どうかと思うぜ。確かに腕はいい。隊士たちも何人も助けられてる。だが素性が分からないってのは、どういうことだ?記憶がないってのも眉唾もんだと俺は思うぜ」
そういって、俺はぐいっと酒を飲んだ。
「間諜かも知れん」
幹部たちの何人かは曖昧に頷く。みんな思うことは同じだ。大きくなってきた新撰組。その分敵もごまんといる。実際新入隊士の中に、数人の間者を見つけて処刑したのはごく最近の話だ。今だその記憶も鮮やかなまま、なぜ土方さんはそんなことを考えたんだ。
「永倉の言うこともわかる。だが、あの女医さんの医術が敵にわたるのも問題だろうが」
俺は言葉に詰まった。そんなことを考えていなかった自分に驚いたのもある。
「お前、なんか私情を挟んでねぇか?」
横目で俺をにらんだまま、土方さんが呟いた。
私情? 部屋に戻ってから、また一人で晩酌しながら考えた。私情。ケガ人の治療のために屯所にやってきた姿を見たのは、おそらく3回ほど。すれ違いざま目礼したくらいで、言葉も交わしていない。私情など持ちようもない。だが、土方さんの案は、はっきりはしないが、なんだかとてもまずいことに思えたのだ。それがなぜなのか自分でもわからず、その夜は思わず深酒をしてしまった。
結局、その女医さんも治療中の患者を抱えていることもあり、専属というより、頻繁に屯所へ来る程度に納まった。つまり、自分の診療所と屯所を行き来するのだが、新撰組はいつもけが人や病人を抱えていたから、自然と屯所へ来る回数も増えていった。当然俺と顔を合わせる機会も増える。だが俺は例の「まずいことになる」という勘のようなものがいまだくすぶっていて、女医と話をすることはなかった。
ある日、その女医と土方さんが廊下で話していた。俺は横を通るとき、いつものとおり目だけであいさつをし、さっさと通り過ぎた。土方さんがおい、と声をかけてきたが、立ち止まるつもりもない。廊下の角まで来て、ふと振り返った。 女医がこちらを見ていた。あの表情はなんだろう?女医はふっと目をそらすと、また土方さんとの会話に戻った。
そのあとの見回り中、あの表情がずっと頭から離れなかった。
それから数日して、俺はへまをした。もとはといえば、へっぴり腰の部下が浪士捕縛中にやられそうになったのを助けたのだが、結果手傷を負ってしまった。ほかにも重傷を負ったものがいたので、例の女医が呼ばれた。
俺は山崎にみてもらおうと思ったんだが、生憎山崎は隊務につき不在、しょうがなく女医に手当てをしてもらうことになった。 傷のひどいものから診てもらったので、軽傷の俺は一番最後だった。お互い何を話すでもなく、女医は治療を続けていく。手際よく傷を消毒し、細く切ったさらしを腕の傷に巻いていく。 俺はうつむき加減の女医の顔を見ながら、そういえばこの医者が屯所に来るようになって、どれぐらいだったか、とぼんやり考えた。土方さんから発案を聞かされたとき、少し肌寒かったのを覚えているから、もう三月はたっているだろう。その間、まったく一言も話していないわけだ。われながら自分の依怙地さがばかばかしくなって、思わず苦笑した。
女医が顔をあげた。自分が笑われたと思ったのだろうか、眉をひそめて、俺を見ている。町娘のように怯えるでもなく、女郎のように媚びるのでもない。俺は体を引いて、しげしげと女医を見た。向こうもこちらを見返してくる。別にそれで何が起きたわけでもないが、その日から俺たちは顔を合わせると、一言二言は言葉を交わすようになった。
だからといって、例の「まずい」感覚は消えるわけではなかった。女医が一瞬見せた例の表情も胸に引っかかる。話しているときはいいが、一人になってから、複雑な、俺には消化しきれないよくわからない感情が残るのだった。
しばらくして、沖田が自分の組の隊士を一人連れてやってきた。隊士が非番の日に飲み屋で飲んでいると、浪士たちの会話が聞こえてきたそうだ。そいつらはどうやら新撰組と関係の深い例の女医を、誘拐しようという相談事をぶっていたらしい。あわよくば、女医の腕と、新撰組に関する情報の両方を手に入れようという魂胆らしい。 その話を聞いて、ふん、と皮肉った笑いをこぼしたのは土方さんだった。
「女子供に手を出そうたぁ、武士の風上にも置けねぇな。まてよ・・・ああ、おもしろくなりやがった」
そういうと土方さんは、さっさと立ち上がって、部屋を出ていった。いったいどうするつもりなのかと思ったが、一刻ほどして例の女医を連れてきて言ったことには心底驚かされた。
「先生に協力してもらって、奴らをとらえようと思う」
左之や平助たちが口々にどうやるんだ、と尋ねるが、俺は押し黙っちまった。策士の土方さんの考えは読めた。協力ってのはつまり、囮だろ。 案の定、土方さんの説明は、女医を囮にし、不逞浪士どもよおびき出す計画だった。さすがに危険が伴うことで、その場にいた皆は顔を見合わせたが、その時女医が口を開いた。
「私は大丈夫です。ぜひその計画、実行してください」
凛とした声だった。だがその時俺の胸に渦巻いた気持ちは、なぜか怒りのようなものだった。
「くだらねぇ。新撰組はいつから女の助けが必要になった?そんな面倒なことしねぇで、とっとと斬っちまえばいいじゃねぇか」
土方さんは俺を睨んだ。その目つきが、以前俺に「私情」といった時のそれと同じで、俺は思わず頭にきて、「勝手にしろ!」と言い捨てると、広間をでちまった。
次の日、土方さんの計画を聞かされた。不逞浪士たちの話ぶりから、おそらく誘拐は間もなく行われる。先生にはわざと屯所に足しげく通ってもらい、隠れて護衛をつけるということだった。 俺はそっぽを向いていた。勝手にすればいい。俺の知ったこっちゃねぇ。だが、あにはからんや、なぜか俺がご指名を受けた。
「なんでだよ!」
「何か不都合でもあんのか」
土方さんはぎろっと俺をにらんでいう。
「当分二番組は隊務につかなくていい。先生には暗くなってから屯所を出てもらうから、二番組は闇に身を隠して、先生の警護、浪士が襲ってきたら、生きたまま捕獲、そしてアジトをたたく。いいな」
有無を言わせぬいい方だった。俺のほうはといえば、妙な苛立ちがたまる一方だった。イライラと広間を出ようとした俺に、土方さんは俺にだけ聞こえるよう、小声で言った。
「先生のご指名だ」
その夜、隊士たちの治療を終えた女医が屯所を出る際、声をかけた。
「なんで俺を指名した」
相変わらずイライラを抱えていたので、我ながらぶっきらぼうだったと思う。女医は少し動揺したように、瞳を伏せて答えた。
「永倉先生はとても腕が立つとお聞きしたので・・・」
「新選組幹部は誰だって腕が立つぜ」
女医はしばらくうつむいた後、ぱっと顔をあげて、「ご迷惑でしたか」と問うてきた。ああ、またあの表情だ。怒っているのでもないし、何なんだ。怒ってるわけじゃねぇけどな、と俺はつぶいて、女医を置いて、隊士たちの待つ玄関口に回った。
その夜は何もなかった。次の日も。誘拐計画はお流れか、と思ったが、こういうときが油断して危ない。俺は隊士たちにはっぱをかけ、気を引き締めてから、三日目の警護についた。この夜の月は嫌味な女の微笑んだ目のように細く、明かりはないに等しかった。小者の持つ提灯がゆらゆら揺れている。隊士は数人ずつ、各所に配置してある。俺は腕自慢の隊士たち4人ほどを連れて、暗闇に紛れて女医から少し離れたところを歩いていた。
それは一瞬だった。 闇から男たちが数人躍り出たと見た途端、隊士の一人が呼子を吹いた。あちこちから呼子が応える。俺は刀を引き抜くと、男たちに向かって走り出した。提灯が揺れて、地面に落ちた。動揺した浪士たちも、形勢を立て直して応戦してくる。だが多勢に無勢、こちらは地面に落ちた提灯が燃え尽きる前に、浪士たちを取り押さえた。
ふっと、女医を振り返った。女医の足元に転がる提灯が、燃え尽きる寸前、最後の力を振り絞るように燃え上がった。その炎は暗闇の中で女医の顔を照らし出した。 あの表情をしていた。俺がまっすぐに見返すと、女医はゆっくりと、泣き笑いのような顔になり、小声でありがとうございます、とささやいた。
その時俺は気づいちまった。ああ、これが「まずい」気持ちの正体なんだな、と。本気になるのが分かってたから、無意識に自分自身に警告を発してたんだな。でもなぁ。もう、気づいちまったもんは、しょうがねぇよな。
俺はそばまで行くと、手を取った。隊士たちの掲げる提灯の灯に、涙でぬれた女医の顔があった。俺ががんばったな、と声をかけると、弱弱しいが、確かに笑みを浮かべて、手を握り返してきた。一人の家に帰るより、屯所のほうが落ち着くだろう。俺は女医の手を引いて、屯所への道を歩き始めた。 ふと思いついて、俺に手を引かれる女医を振り返って尋ねた。
「そういや先生、名前は?」
「千鶴です」
屯所までの道すがら、俺は惚れた女の名前を胸の中で繰り返した。しっかり手をつなぎながら。
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