鴉
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千鶴は子供たちに持っていた金平糖をやった。先ほど診てきたご隠居に、貰い物だと少しいただいたのだ。初めて食べる金平糖に興奮した子供たちが去った後、埃っぽい地面の上に残されたのは、黒い塊のような、烏の子だった。 親鳥のような獰猛さはなく、羽根もはえそろわない烏の子は、よたよたと地面を歩いている。子供たちには格好の暇つぶしだったろう。親鳥を探しているのだろうか、あっちこっちへ歩きながら、時折空を見上げる。つられて、千鶴も空を見た。 そばの松の上のほうに、巣のようなものが見える。そこから落ちたのか。親鳥の姿は見えない。子烏に目を戻すと、千鶴の足元からほど遠くないところまでやってきていて、力尽きたのか、ぶるぶる震えながら、佇んでいる。 その様子が憐れで滑稽で、今の自分を見てるみたい、と自虐的に苦笑して、千鶴は子烏のそばにひざまずくと、そっと子烏を両手ですくい上げた。千鶴の手の暖かさに安心したのか、子烏は目を閉じてじっとしている。意外と重いんだな、と思いながら、千鶴は子烏を落とさぬよう胸元に抱きなおすと、屯所への道を歩き始めた。
「…先生、それなに?」
平助が千鶴の後ろからいぶかしんだ声で尋ねてくる。
「烏ですね」
ころあいの大きさの箱にぼろ布を敷き、そこに子烏を入れた。大きな口を開ける子烏に、千鶴は下女からもらった残飯を少しずつ箸で食べさせてやっていた。
「烏だけどさ…。いやそうじゃなくて、なんで烏を飼ってんの?」
「飼ってるわけじゃないですよ、地面に落ちていたので、拾ってきたんです」
「だからそれを飼ってるっていうんだって」
そんなやり取りをしていると、廊下から声がかかった。
「よう先生、なんかまた面白いもの見つけてきたって?」
振り返ると、そこには背の高い男が一人、太陽光を背に立っている。短い髪を立たせ、そこに手拭いをまいた姿は相変わらずだ。上着から出る両腕は、無駄な肉はまったくなく、鋼のような筋肉を見せつけている。
「またってなんですか。子烏を拾ってきたんです」
むっとしたふりをしながら、千鶴は自分の心が浮つくのがわかった。永倉はちょっと入るぜ、と断ると、部屋の中に入ってきて、箱の中を覗き込んだ。
「へぇ、小せぇなぁ。考えてみりゃ、子烏なんて初めて見たな。いつもみる烏っていやぁ、憎らしげな馬鹿でかい奴らばっかりだもんな」
いいながら、永倉は千鶴の隣に腰を下ろした。ふっと、薄く良い香りがして、千鶴は浮ついた心が急激に冷えるのが自分でもわかった。洒落者の土方と違い、香などに気の回る男ではない。 千鶴は箸で小さな魚の身をつまむと、子烏の嘴へもっていってやった。最近、永倉のことが隊士たちのうわさになっている。どうやら島原に決まった太夫ができたと。島原で永倉が飲むときは、必ずその太夫が永倉につくそうだ。太夫が自ら客を選んで出てくるわけではない。永倉がその太夫を呼び、太夫が応えているのだから、永倉の贔屓の太夫なのだろう。
「で、これが大きくなったらどうすんだ?」
ぼんやりしていたところに急に永倉の声がして、千鶴は思わず箸を取り落した。
「千鶴ちゃん?」
「あ、もちろん、自然に戻しますよ。飛べるようになれば、自分から出ていくかもしれませんし」
そうだな、と笑う永倉の笑顔を、見ることができない。そのままうつむいた千鶴を、平助がじっと見ていた。
夜、部屋の隅に置いた箱の中の子烏を確認すると、ひょい、と頭をもたげてみかえしてきた。そっと人差し指で頭をかいてやると、気持ちよさげに目を閉じる。行燈の明かりの中では、黒い子烏は、そこだけ一層暗いような錯覚にさせる。千鶴は自分の胸の中にある気持ちも、こんなふうに暗いのだろうか、と胸に手を当てた。永倉に相手にされていないのに、永倉はまったく自分の気持ちに気付いていないのに、自分は勝手に胸の中に、この暗い子烏を飼っている。 飼い馴らすしか、ないだろう。あばれないように、あばれて永倉にこの気持ちを知られることのないように、飼い馴らして。
…そして、自分の胸の中に納まらないほど育ったら、どうなるのだろう? 千鶴はしばらくの間、烏の頭をなで続けた。
********************
「ねぇ、新八っつあん、ちょっといい?」
「なんだ?平助。もしかして、俺に酒をおごる気にでもなったか?」
なんでそんないつも金欠なんだよ、と苦笑いしながら、平助は永倉の隣に立った。今まで一緒に道場で剣術の稽古を隊士達につけていたのだ。暖かい陽気の中、庭の井戸端で汗を拭いている最中だった。
「お前はもう少し年長者を敬えよ。俺が酒好きってのは・・・」
言いながらいつもの着物に腕を通す永倉にちらっと眼をやると、平助はぼそりといった。
「・・・新八っつあんさ、最近いい匂いすんね。それ何?」
「・・・あ?」
ぴたっと永倉の着物を着る手が止まる。 「前から思ってたんだけどさ。香をたくような人じゃないよね、新八っつあん。なのに、なんでそんないい匂いすんの?」
永倉は無言で着物を着ると、それじゃ、と手を振って立ち去ろうとする。
「まてって!答えろよ!その匂い、あの太夫の移り香か!?」
永倉は平助の手を振りほどくと、そんなんじゃねぇよ、とつぶやいた。 「じゃ、なんでそんないい匂いがすんのか、言ってみろよ!女がいるとしか、思えねーじゃん!」
と畳みかけた。
「平助」
いつのまにか、近くに原田が立っていた。
「お前、声がでかいよ」
馬鹿だなぁ、といった表情で、平助の背中をぐいぐい押した。
「いいから、お子様はあっちで剣でもふってな」
「あっなんだよそれ!ちょーっと自分がじじいだからって、年上ぶんなよな!」
「だれがじじいだ!」
憤りながら去っていく平助を見ながら、原田は苦笑して永倉に話しかけた。
「まったく、お子様にも困ったもんだな。大人の男の気持ちがわからねぇらしい」
「・・・なんのことだよ」
原田は親友の首に腕を回し、ふふんと笑いながらささやいた。
「あの太夫、どことなく面影がだれかさんに似てるなぁ?」
にらみつける永倉に、原田は少し真面目な顔をして言った。
「人の恋路に口を出す無粋なまねはしたくねぇがよ、そろそろ本物がやきもきしすぎて落ち込んでる気がするぜ。ここらで男らしく声かけてみちゃどうだ?」
その言葉に、永倉は一瞬ぽかんとする。
「やきもきって・・・え?なんでだ?」
原田は腕を組んだまま、驚いたように永倉を見ると、はぁぁ、とため息をついた。
「ああ、そうかよ・・・。まったく気づいてないわけだ。あっちはあっちでわかりやすい態度とってると思ったんだが・・・。まぁ、鈍い者同士、お前らお似合いだよ」
なんだよ、はっきりいえよ、と叫ぶ永倉を背に、原田は疲れたように背を丸めて部屋へ戻っていった。
*******************
幹部の永倉は、自分ひとりの部屋を与えられている。台所から勝手に拝借してきた酒を手酌で飲みながら、原田の言った言葉を反芻していた。
本物が、やきもき。
ふぅっと、息を吐き出す。そのまま後ろへごろんと転がって、くしゃりと自分の髪をつかんだ。 数か月前に島原の店である太夫を見て、千鶴に似てると一目で思った。だがそれだけだった。むしろ、その太夫に「知っている女に似てる」とも言った。そのあと、島原に行くたびに、同じ太夫を呼んだ。そのたびに、女からの移り香が永倉から立ち上る。
「あ~、もう・・・」
永倉はごろんと寝返りを打つ。 千鶴ちゃんがやきもき?俺が太夫と遊ぶことが、千鶴ちゃんにとって問題であるかのような言いぶりだった。言葉どおりに受け取るなら、ちゃんは俺のことが好きってことになるが。 ははは、と永倉は笑い声をあげた。ここ新撰組は、まさに男所帯だ。今や200人近い大所帯、皆勇猛な男たちばかりだし、局長の近藤をはじめ、土方、沖田など、立場も見栄えも一級品の男たちがごまんといる。そんな中、あえて俺を選ぶ必要があるか?斎藤のように洒落者でもない、原田のように女に優しくできるわけでもない。 永倉は、また ふぅ、とため息をついた。
**********************
2週間もすると、烏の子の羽根も生えそろい、様子もしっかりしてきた。千鶴はそろそろ野生に戻すころだろうか、と少し寂しく感じられた。夜寝る前に、この子烏に話しかけるのが日課になっていたのだ。 だが、いつまでも飼っておくわけにもいかない。
千鶴はある日、子烏を抱いて、裏山のほうへ歩いて行った。自分で飛んでいくならよし、飛べないようなら、今しばらく飼ってあげればいい。そう思いながら歩いていると、遠くから自分を呼ぶ声がする。 振り向くと、永倉がこちらへ歩いてくる。どきんと跳ねる心臓を持て余しながら待っていると、永倉はにっこりと笑いながら、どこへ行くのか尋ねてきた。
「裏山です。この子烏がそろそろ飛べるんじゃないかと思って」
「一人じゃあぶねぇぜ。一緒に行ってやるよ」
小烏は千鶴の腕の中から、いぶかしげに永倉を見つめている。
「なんだよ、ご主人様に手は出さねぇよ」
ふざける永倉と一緒に、千鶴は歩き出した。涼しい風が、時折永倉から良い香りを運んでくる。きゅぅ、と胸がきつくなるような痛みをこらえる。
山に少し入ったところで、千鶴は子烏を大きな岩の上に置いた。子烏は時折首を傾げたり、ちょんちょんと跳んだりして、様子を見ているようだ。 その様子を、二人でぼんやり眺めていると、永倉が口を開いた。
「えーっと・・・千鶴ちゃん、最近左之としゃべったかい?」
「原田先生ですか?ええ、いろいろ気にかけてくださって、お菓子なんかをくださるときに、お話を・・・」
「・・・なんだ、あいつ、菓子で千鶴ちゃんをつろうとしてんのか?」
ぷっと吹き出しながら子供じゃないんですから、お菓子なんかでつられません、と話す千鶴を眺めながら、永倉が思わずといった様子で、口を滑らした。
「やきもき、ねぇ・・・」
「はい?」
はっと気づいた永倉がうろたえながら、なんでもねぇとそっぽを向いた。千鶴が再び尋ねようとしたとき、ばさっと音がして、黒い塊が飛び上がった。 二人が見上げると、そばにあった木の枝に、子烏がとまって、二人を見下ろしている。飛んだ、と永倉がつぶやいたとき、ひと声鋭くなくと、子烏は羽根を広げ、再び舞い上がると、そのまま飛んで行ってしまった。
「いっちまったなぁ」
永倉がつぶやいて千鶴に目をやると、千鶴は地面にしゃがみ込んでいた。慌てて永倉も千鶴の横にしゃがみ込み、顔を覗く。
「ど、どうしたんだよ、千鶴ちゃん!」 「いえ、なんだか・・・ここのところずっと一緒にいたので、寂しくなりました」
泣き笑いで答えて、千鶴は指で涙を拭いた。
「ちょっと最近、落ち込んでいたので・・・。大丈夫です、気になさらないでください」
永倉の頭に、原田の言った言葉が浮かんだ。
「左之がさ、千鶴ちゃんがやきもきしてるっていうんだよな」
「え?」
「俺が島原で太夫と遊んでることに、千鶴ちゃんが嫉妬してるんだってよ」
そういって、永倉は千鶴の目をじっと見つめた。いつもなら、馬鹿なことを言って、とごまかしたと思う。けれど、自分の胸の中にある暗い気落ちを形にしたような子烏が飛んで行って、千鶴は自分の心にぽっかりとした空間があることに気付いていた。その気持ちは、寂しさではなかった。長い間胸の中にあった、重苦しい塊がとれて、急にさわやかな風が吹き込んできたような、そんな気持ちだった。
「・・・本当です、それは」
千鶴は少し笑みを浮かべて、まっすぐ永倉を見つめて答えた。
「その太夫の方に、嫉妬してしまってるんです、私」
はあぁ、とため息をつくと、千鶴はぱっと立ち上がった。
「言えてよかったです!気にしないでくださいね、永倉先生は、その太夫の方と、仲良くしてください」
そういって、千鶴は歩き出したが、その後ろから、永倉の声がかかった。
「千鶴ちゃんによく似た、太夫と仲良くか?」
千鶴が振り返ると、永倉が満面の笑みを浮かべている。 永倉はやおら千鶴の手を取ると、帰り道を歩き始めた。
「なんだかなぁ、左之の野郎はやっぱりこういうことは鋭いんだなぁ」
「あ、あの、永倉先生・・・」
永倉は肩越しに千鶴を見返すと、にかっと笑った。その笑顔につられるように千鶴も思わず微笑んだ。
「俺の島原通いも、これでおしまいだな」
という永倉の言葉に、千鶴は大きく頷いた。
「…先生、それなに?」
平助が千鶴の後ろからいぶかしんだ声で尋ねてくる。
「烏ですね」
ころあいの大きさの箱にぼろ布を敷き、そこに子烏を入れた。大きな口を開ける子烏に、千鶴は下女からもらった残飯を少しずつ箸で食べさせてやっていた。
「烏だけどさ…。いやそうじゃなくて、なんで烏を飼ってんの?」
「飼ってるわけじゃないですよ、地面に落ちていたので、拾ってきたんです」
「だからそれを飼ってるっていうんだって」
そんなやり取りをしていると、廊下から声がかかった。
「よう先生、なんかまた面白いもの見つけてきたって?」
振り返ると、そこには背の高い男が一人、太陽光を背に立っている。短い髪を立たせ、そこに手拭いをまいた姿は相変わらずだ。上着から出る両腕は、無駄な肉はまったくなく、鋼のような筋肉を見せつけている。
「またってなんですか。子烏を拾ってきたんです」
むっとしたふりをしながら、千鶴は自分の心が浮つくのがわかった。永倉はちょっと入るぜ、と断ると、部屋の中に入ってきて、箱の中を覗き込んだ。
「へぇ、小せぇなぁ。考えてみりゃ、子烏なんて初めて見たな。いつもみる烏っていやぁ、憎らしげな馬鹿でかい奴らばっかりだもんな」
いいながら、永倉は千鶴の隣に腰を下ろした。ふっと、薄く良い香りがして、千鶴は浮ついた心が急激に冷えるのが自分でもわかった。洒落者の土方と違い、香などに気の回る男ではない。 千鶴は箸で小さな魚の身をつまむと、子烏の嘴へもっていってやった。最近、永倉のことが隊士たちのうわさになっている。どうやら島原に決まった太夫ができたと。島原で永倉が飲むときは、必ずその太夫が永倉につくそうだ。太夫が自ら客を選んで出てくるわけではない。永倉がその太夫を呼び、太夫が応えているのだから、永倉の贔屓の太夫なのだろう。
「で、これが大きくなったらどうすんだ?」
ぼんやりしていたところに急に永倉の声がして、千鶴は思わず箸を取り落した。
「千鶴ちゃん?」
「あ、もちろん、自然に戻しますよ。飛べるようになれば、自分から出ていくかもしれませんし」
そうだな、と笑う永倉の笑顔を、見ることができない。そのままうつむいた千鶴を、平助がじっと見ていた。
夜、部屋の隅に置いた箱の中の子烏を確認すると、ひょい、と頭をもたげてみかえしてきた。そっと人差し指で頭をかいてやると、気持ちよさげに目を閉じる。行燈の明かりの中では、黒い子烏は、そこだけ一層暗いような錯覚にさせる。千鶴は自分の胸の中にある気持ちも、こんなふうに暗いのだろうか、と胸に手を当てた。永倉に相手にされていないのに、永倉はまったく自分の気持ちに気付いていないのに、自分は勝手に胸の中に、この暗い子烏を飼っている。 飼い馴らすしか、ないだろう。あばれないように、あばれて永倉にこの気持ちを知られることのないように、飼い馴らして。
…そして、自分の胸の中に納まらないほど育ったら、どうなるのだろう? 千鶴はしばらくの間、烏の頭をなで続けた。
********************
「ねぇ、新八っつあん、ちょっといい?」
「なんだ?平助。もしかして、俺に酒をおごる気にでもなったか?」
なんでそんないつも金欠なんだよ、と苦笑いしながら、平助は永倉の隣に立った。今まで一緒に道場で剣術の稽古を隊士達につけていたのだ。暖かい陽気の中、庭の井戸端で汗を拭いている最中だった。
「お前はもう少し年長者を敬えよ。俺が酒好きってのは・・・」
言いながらいつもの着物に腕を通す永倉にちらっと眼をやると、平助はぼそりといった。
「・・・新八っつあんさ、最近いい匂いすんね。それ何?」
「・・・あ?」
ぴたっと永倉の着物を着る手が止まる。 「前から思ってたんだけどさ。香をたくような人じゃないよね、新八っつあん。なのに、なんでそんないい匂いすんの?」
永倉は無言で着物を着ると、それじゃ、と手を振って立ち去ろうとする。
「まてって!答えろよ!その匂い、あの太夫の移り香か!?」
永倉は平助の手を振りほどくと、そんなんじゃねぇよ、とつぶやいた。 「じゃ、なんでそんないい匂いがすんのか、言ってみろよ!女がいるとしか、思えねーじゃん!」
と畳みかけた。
「平助」
いつのまにか、近くに原田が立っていた。
「お前、声がでかいよ」
馬鹿だなぁ、といった表情で、平助の背中をぐいぐい押した。
「いいから、お子様はあっちで剣でもふってな」
「あっなんだよそれ!ちょーっと自分がじじいだからって、年上ぶんなよな!」
「だれがじじいだ!」
憤りながら去っていく平助を見ながら、原田は苦笑して永倉に話しかけた。
「まったく、お子様にも困ったもんだな。大人の男の気持ちがわからねぇらしい」
「・・・なんのことだよ」
原田は親友の首に腕を回し、ふふんと笑いながらささやいた。
「あの太夫、どことなく面影がだれかさんに似てるなぁ?」
にらみつける永倉に、原田は少し真面目な顔をして言った。
「人の恋路に口を出す無粋なまねはしたくねぇがよ、そろそろ本物がやきもきしすぎて落ち込んでる気がするぜ。ここらで男らしく声かけてみちゃどうだ?」
その言葉に、永倉は一瞬ぽかんとする。
「やきもきって・・・え?なんでだ?」
原田は腕を組んだまま、驚いたように永倉を見ると、はぁぁ、とため息をついた。
「ああ、そうかよ・・・。まったく気づいてないわけだ。あっちはあっちでわかりやすい態度とってると思ったんだが・・・。まぁ、鈍い者同士、お前らお似合いだよ」
なんだよ、はっきりいえよ、と叫ぶ永倉を背に、原田は疲れたように背を丸めて部屋へ戻っていった。
*******************
幹部の永倉は、自分ひとりの部屋を与えられている。台所から勝手に拝借してきた酒を手酌で飲みながら、原田の言った言葉を反芻していた。
本物が、やきもき。
ふぅっと、息を吐き出す。そのまま後ろへごろんと転がって、くしゃりと自分の髪をつかんだ。 数か月前に島原の店である太夫を見て、千鶴に似てると一目で思った。だがそれだけだった。むしろ、その太夫に「知っている女に似てる」とも言った。そのあと、島原に行くたびに、同じ太夫を呼んだ。そのたびに、女からの移り香が永倉から立ち上る。
「あ~、もう・・・」
永倉はごろんと寝返りを打つ。 千鶴ちゃんがやきもき?俺が太夫と遊ぶことが、千鶴ちゃんにとって問題であるかのような言いぶりだった。言葉どおりに受け取るなら、ちゃんは俺のことが好きってことになるが。 ははは、と永倉は笑い声をあげた。ここ新撰組は、まさに男所帯だ。今や200人近い大所帯、皆勇猛な男たちばかりだし、局長の近藤をはじめ、土方、沖田など、立場も見栄えも一級品の男たちがごまんといる。そんな中、あえて俺を選ぶ必要があるか?斎藤のように洒落者でもない、原田のように女に優しくできるわけでもない。 永倉は、また ふぅ、とため息をついた。
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2週間もすると、烏の子の羽根も生えそろい、様子もしっかりしてきた。千鶴はそろそろ野生に戻すころだろうか、と少し寂しく感じられた。夜寝る前に、この子烏に話しかけるのが日課になっていたのだ。 だが、いつまでも飼っておくわけにもいかない。
千鶴はある日、子烏を抱いて、裏山のほうへ歩いて行った。自分で飛んでいくならよし、飛べないようなら、今しばらく飼ってあげればいい。そう思いながら歩いていると、遠くから自分を呼ぶ声がする。 振り向くと、永倉がこちらへ歩いてくる。どきんと跳ねる心臓を持て余しながら待っていると、永倉はにっこりと笑いながら、どこへ行くのか尋ねてきた。
「裏山です。この子烏がそろそろ飛べるんじゃないかと思って」
「一人じゃあぶねぇぜ。一緒に行ってやるよ」
小烏は千鶴の腕の中から、いぶかしげに永倉を見つめている。
「なんだよ、ご主人様に手は出さねぇよ」
ふざける永倉と一緒に、千鶴は歩き出した。涼しい風が、時折永倉から良い香りを運んでくる。きゅぅ、と胸がきつくなるような痛みをこらえる。
山に少し入ったところで、千鶴は子烏を大きな岩の上に置いた。子烏は時折首を傾げたり、ちょんちょんと跳んだりして、様子を見ているようだ。 その様子を、二人でぼんやり眺めていると、永倉が口を開いた。
「えーっと・・・千鶴ちゃん、最近左之としゃべったかい?」
「原田先生ですか?ええ、いろいろ気にかけてくださって、お菓子なんかをくださるときに、お話を・・・」
「・・・なんだ、あいつ、菓子で千鶴ちゃんをつろうとしてんのか?」
ぷっと吹き出しながら子供じゃないんですから、お菓子なんかでつられません、と話す千鶴を眺めながら、永倉が思わずといった様子で、口を滑らした。
「やきもき、ねぇ・・・」
「はい?」
はっと気づいた永倉がうろたえながら、なんでもねぇとそっぽを向いた。千鶴が再び尋ねようとしたとき、ばさっと音がして、黒い塊が飛び上がった。 二人が見上げると、そばにあった木の枝に、子烏がとまって、二人を見下ろしている。飛んだ、と永倉がつぶやいたとき、ひと声鋭くなくと、子烏は羽根を広げ、再び舞い上がると、そのまま飛んで行ってしまった。
「いっちまったなぁ」
永倉がつぶやいて千鶴に目をやると、千鶴は地面にしゃがみ込んでいた。慌てて永倉も千鶴の横にしゃがみ込み、顔を覗く。
「ど、どうしたんだよ、千鶴ちゃん!」 「いえ、なんだか・・・ここのところずっと一緒にいたので、寂しくなりました」
泣き笑いで答えて、千鶴は指で涙を拭いた。
「ちょっと最近、落ち込んでいたので・・・。大丈夫です、気になさらないでください」
永倉の頭に、原田の言った言葉が浮かんだ。
「左之がさ、千鶴ちゃんがやきもきしてるっていうんだよな」
「え?」
「俺が島原で太夫と遊んでることに、千鶴ちゃんが嫉妬してるんだってよ」
そういって、永倉は千鶴の目をじっと見つめた。いつもなら、馬鹿なことを言って、とごまかしたと思う。けれど、自分の胸の中にある暗い気落ちを形にしたような子烏が飛んで行って、千鶴は自分の心にぽっかりとした空間があることに気付いていた。その気持ちは、寂しさではなかった。長い間胸の中にあった、重苦しい塊がとれて、急にさわやかな風が吹き込んできたような、そんな気持ちだった。
「・・・本当です、それは」
千鶴は少し笑みを浮かべて、まっすぐ永倉を見つめて答えた。
「その太夫の方に、嫉妬してしまってるんです、私」
はあぁ、とため息をつくと、千鶴はぱっと立ち上がった。
「言えてよかったです!気にしないでくださいね、永倉先生は、その太夫の方と、仲良くしてください」
そういって、千鶴は歩き出したが、その後ろから、永倉の声がかかった。
「千鶴ちゃんによく似た、太夫と仲良くか?」
千鶴が振り返ると、永倉が満面の笑みを浮かべている。 永倉はやおら千鶴の手を取ると、帰り道を歩き始めた。
「なんだかなぁ、左之の野郎はやっぱりこういうことは鋭いんだなぁ」
「あ、あの、永倉先生・・・」
永倉は肩越しに千鶴を見返すと、にかっと笑った。その笑顔につられるように千鶴も思わず微笑んだ。
「俺の島原通いも、これでおしまいだな」
という永倉の言葉に、千鶴は大きく頷いた。
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