椿陰
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千鶴は糸を止めると、歯を使ってぷつんと切った。出来栄えを確かめるため、男物の羽織を太陽に向けて持ち上げた。 うん、上手にかがれた。 襟元が少しほつれていたのを、春の暖かい日差しの中、庭に面した縁側に座って直していたのだ。羽織を下すと、その向こう、庭の端のほうにある大きな椿の木が目に入った。遠目には黒いような濃い緑の葉がこんもりとしていて、そこに無数の赤い花が咲いている。そしてその下には、男が木を見上げて立っていた。
千鶴は羽織を丁寧に畳むと、膝の上に乗せ、そっと撫ぜた。赤い花が何の前触れもなく、ぽとりと男の足元に落ちる。 椿の花はああして落ちる姿が縁起が悪いと、武士たちから嫌われていたと聞いたけど・・・。 男は微動だにせず、椿を見上げている。その姿は、花に見惚れているのか、それとも憎々しく思っているのかは判断できなかった。
「何をぼんやりされているんです?」
「わっ」
見上げると、山南が背後に立って、不思議そうに千鶴を見下ろしていた。
「い、いえ、繕いものをしていたので・・・」
「そうですか、おや、あれは永倉君ですか、椿の下にいるのは?」
どきん、と千鶴の心臓がはねた。
「ああ、やっぱりそうですね。しょうがないですね、もう皆さん準備できているというのに」
ここのところ新撰組の働きが良いので、特別に会津藩主よりお言葉を賜る、とのことだ。初めてのことではないにせよ、やはり晴れがましさと緊張で、みなどこかソワソワしているのだ。
「永倉先生の羽織にほつれがあったので、直していたんです。ですからもう永倉先生も皆さんのところへ行かれますよ」
千鶴は膝に乗せた羽織をポンとたたいた。 山南は頷くと、視線を永倉のほうへ向けた。
「千鶴先生は永倉君と仲が良いですね。何か最近気になることはありませんか?」
「気になること・・・。永倉先生のことで、ですか?」
山南はまた頷いた。千鶴は無言で羽織をそっと撫でた。気になることは、ある。いつも明るい永倉だが、最近ああして一人でいることがある。勇敢な二番組組長は、不逞浪士の捕獲数も多いが、失う隊士の数も多いのだ。そのことが永倉に影を落としていてもおかしくなかった。
「時折・・・お寂しそうですね」
「そうですね・・・。ですが、彼はあの性格だから、なかなか人に頼ることはないですし、無理をしなければいいですが」
そういって皆のいる広間へ去る山南の背中を見送ると、千鶴は永倉のいる椿の木へ向かって歩き出した。 剣術の稽古をつけるときは、全く手を抜かないため隊士たちに恐れられている。あまりに厳しくて、中には陰で不満を言うものがいることも知っている。だがそれは、一人でも多く死なせないためなのだと、思う。
「先生」
振り向いた永倉の顔に浮かんだ微笑みが優しげで、思わず千鶴はうつむいた。
「おっ。もうできたのか、さっすが、千鶴ちゃんは素早いなぁ」
いつもの大きな微笑みを見せると、羽織に手を伸ばした。
「どうぞ」
千鶴は羽織を広げ、永倉の背に回ったが、何分永倉のほうがよほど背が高いため、千鶴は背伸びをして、永倉は背をそらしたまま膝を曲げて羽織ることになり、思わず二人とも噴出した。
「椿を見てらっしゃったんですか」
「おう。きれいだなーと思ってよ」
「先生は、椿はお好きですか。武家の方は嫌われるかと思いました」
ああ、と永倉は呟くと、再度木を見上げた。
「ぽとっと落ちるさまが首を切られたようだからってな。でもよ、俺には潔く見えて、好きだぜ」
千鶴は永倉の少し後ろに立ち、共に椿の木を見上げていた。ぼそりと、永倉のつぶやきが耳に入る。
「こんな風に死ねりゃありがたいが」
斬りあいの末、苦しみぬいて死んだ隊士たちを看取った千鶴には、それを怯懦とは思えなかった。己がそう死ねるように、というのではなく、隊士たちが苦しむことに心を痛めているのだと思った。 地面を見ると、永倉と自分の影が並んでいる。千鶴が腕を横にそっと伸ばすと、己の手の影が、永倉の手の影に重なった。そのままの姿勢で、静かに時をやり過ごす。 自分の中で大きくなっていく感情を、もう無視することはできなくなっていた。
********************************
永倉は静かに立ち尽くしていた。もう集合時間だが、もうしばらくこうしていたかった。 偶然だろう、地面に映る自分の手の影に、千鶴の手の影が重なっていた。振り返って、いつものようにふざけた調子で影のことを言うこともできたが、永倉は黙ってもう少しそこにいることにした。
何人もの人間を斬ってきて、血まみれになった自分の手で、実際に千鶴の手を握ることなど、決してないだろう。きっと千鶴はこの手に触られることを恐れるだろうから、その時の千鶴の顔を見たくないから、永倉は決して行動に移そうなどとは思わなかった。 だが、陰なら。千鶴が気づかない間なら。 椿の木の陰で、二人は黙って立ち尽くしていた。
千鶴は羽織を丁寧に畳むと、膝の上に乗せ、そっと撫ぜた。赤い花が何の前触れもなく、ぽとりと男の足元に落ちる。 椿の花はああして落ちる姿が縁起が悪いと、武士たちから嫌われていたと聞いたけど・・・。 男は微動だにせず、椿を見上げている。その姿は、花に見惚れているのか、それとも憎々しく思っているのかは判断できなかった。
「何をぼんやりされているんです?」
「わっ」
見上げると、山南が背後に立って、不思議そうに千鶴を見下ろしていた。
「い、いえ、繕いものをしていたので・・・」
「そうですか、おや、あれは永倉君ですか、椿の下にいるのは?」
どきん、と千鶴の心臓がはねた。
「ああ、やっぱりそうですね。しょうがないですね、もう皆さん準備できているというのに」
ここのところ新撰組の働きが良いので、特別に会津藩主よりお言葉を賜る、とのことだ。初めてのことではないにせよ、やはり晴れがましさと緊張で、みなどこかソワソワしているのだ。
「永倉先生の羽織にほつれがあったので、直していたんです。ですからもう永倉先生も皆さんのところへ行かれますよ」
千鶴は膝に乗せた羽織をポンとたたいた。 山南は頷くと、視線を永倉のほうへ向けた。
「千鶴先生は永倉君と仲が良いですね。何か最近気になることはありませんか?」
「気になること・・・。永倉先生のことで、ですか?」
山南はまた頷いた。千鶴は無言で羽織をそっと撫でた。気になることは、ある。いつも明るい永倉だが、最近ああして一人でいることがある。勇敢な二番組組長は、不逞浪士の捕獲数も多いが、失う隊士の数も多いのだ。そのことが永倉に影を落としていてもおかしくなかった。
「時折・・・お寂しそうですね」
「そうですね・・・。ですが、彼はあの性格だから、なかなか人に頼ることはないですし、無理をしなければいいですが」
そういって皆のいる広間へ去る山南の背中を見送ると、千鶴は永倉のいる椿の木へ向かって歩き出した。 剣術の稽古をつけるときは、全く手を抜かないため隊士たちに恐れられている。あまりに厳しくて、中には陰で不満を言うものがいることも知っている。だがそれは、一人でも多く死なせないためなのだと、思う。
「先生」
振り向いた永倉の顔に浮かんだ微笑みが優しげで、思わず千鶴はうつむいた。
「おっ。もうできたのか、さっすが、千鶴ちゃんは素早いなぁ」
いつもの大きな微笑みを見せると、羽織に手を伸ばした。
「どうぞ」
千鶴は羽織を広げ、永倉の背に回ったが、何分永倉のほうがよほど背が高いため、千鶴は背伸びをして、永倉は背をそらしたまま膝を曲げて羽織ることになり、思わず二人とも噴出した。
「椿を見てらっしゃったんですか」
「おう。きれいだなーと思ってよ」
「先生は、椿はお好きですか。武家の方は嫌われるかと思いました」
ああ、と永倉は呟くと、再度木を見上げた。
「ぽとっと落ちるさまが首を切られたようだからってな。でもよ、俺には潔く見えて、好きだぜ」
千鶴は永倉の少し後ろに立ち、共に椿の木を見上げていた。ぼそりと、永倉のつぶやきが耳に入る。
「こんな風に死ねりゃありがたいが」
斬りあいの末、苦しみぬいて死んだ隊士たちを看取った千鶴には、それを怯懦とは思えなかった。己がそう死ねるように、というのではなく、隊士たちが苦しむことに心を痛めているのだと思った。 地面を見ると、永倉と自分の影が並んでいる。千鶴が腕を横にそっと伸ばすと、己の手の影が、永倉の手の影に重なった。そのままの姿勢で、静かに時をやり過ごす。 自分の中で大きくなっていく感情を、もう無視することはできなくなっていた。
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永倉は静かに立ち尽くしていた。もう集合時間だが、もうしばらくこうしていたかった。 偶然だろう、地面に映る自分の手の影に、千鶴の手の影が重なっていた。振り返って、いつものようにふざけた調子で影のことを言うこともできたが、永倉は黙ってもう少しそこにいることにした。
何人もの人間を斬ってきて、血まみれになった自分の手で、実際に千鶴の手を握ることなど、決してないだろう。きっと千鶴はこの手に触られることを恐れるだろうから、その時の千鶴の顔を見たくないから、永倉は決して行動に移そうなどとは思わなかった。 だが、陰なら。千鶴が気づかない間なら。 椿の木の陰で、二人は黙って立ち尽くしていた。
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