期待
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
冬が来た、と思わせる寒い日々が続いていたが、この日はまるで、太陽が忘れ物を取りに戻って来たかのように暖かさが戻ってきた日だった。 人々も急にやってきた暖かい日に、右往左往しながら、忙しそうに動き回っている。新撰組で医師として働く千鶴も、足りなくなってきた薬を買いに足を伸ばした。買い物についてきてくれたのは、永倉である。 ここのところ、千鶴の買い物によくついてきてくれるのは、永倉だ。それが永倉の意図してのことなのか、偶然なのかわかりかね、千鶴は直接聞きたいような気もするが、「いや、偶然だぜ?」とさらっと言われるのが怖くて、黙っている。 千鶴は、気持ち良さそうに空を見上げる永倉を横目で見た。すっきりした鼻筋に、優しそうな目。花街ではいつも芸妓たちに振られるそうだが、それは見た目じゃなくて・・・
「うん?千鶴ちゃん、どうした?腹でも減ったか?」
・・・にぶいせいなんだろうな。
「そうでもないですけど、そこにおいしそうな甘味処がありますよ。せっかくですし、休みますか?」
そうすれば、もう少し長く一緒にいられるし、という思いはすぐ打ち消した。へんな期待はしないほうがいい。 二人そろって縁台に腰掛けて、一息つける。普段ならこんなふうに外で座ることなど出来ないが、今日は本当に暖かい。 永倉とは隊務のことや、医療のこと、他の幹部達の噂話(誰それが今はまっている芸妓の話とか・・・)でもりあがり、そろそろ屯所へ向かおうと腰を上げたとき。
「千鶴先生ではないですか?」
振り向くと、男が立っていた。
「お忘れですか?一月ほど前、武田様のお屋敷で」
ああ、と千鶴は慌てて頭を下げた。一月まえ、とある藩の要人の妻女が体調を崩したと急な知らせが入り、駆けつけたことがあったが、そこで見た人だった。
「確か・・・」
「三上新三郎です」
にこりと笑い、三上は視線を永倉へ向けた。 千鶴の後ろで様子を見守っていた永倉は、目が合ったときに挨拶をしようとしたが、三上は無表情な瞳で永倉をしばらく見つめた後、千鶴へ顔を向けなおし、しばらく話した後、去って行った。 千鶴はなんとなくぎこちなさを感じ、そっと永倉を見上げると、いつになく厳しい顔つきで、三上の去って行った方角を見ていた。
おずおずと声を掛けた千鶴の声に我に返ったように見下ろすと、いつものようにニカッと笑い、「そんじゃ、俺たちも行くか!」と、前を歩き始めた。
「あ~、そりゃぁ新八っつあんもいらつくわ」
「い、いらつく・・・?」
次の日からはまた寒い日が戻ってきた。暇だったらしく、平助が千鶴の部屋に暖を取りにやってきたので、昨日の話をしてみたのだ。
「だって、新八っつあんに名乗りもしなかったんでしょ?新撰組ごときに名乗る必要なしってことなんじゃないの?」
「で、でも永倉先生は幹部で・・・」
「関係ないっしょ、向こうには。こちらは幕府お抱えのれっきとした侍でござい、浪人ごときはひかえおろう、な気分だったんじゃない、そいつ」
「・・・」
千鶴は永倉の厳しい表情を思い出していた。イラついて・・・いたのだろうか?永倉の性格からいくと、どちらかというとそういうことにはあまり頓着しない感じだ。だが実際、あの表情をしたのだから、挨拶をしなかったことが気にさわったのだろうか・・・? 千鶴は話し続ける平助に相槌を打ちながら、心は他ごとを考えていた。
数日後。
「お見合いですか」
「そうだ」
私にですか、と重ねて聞く千鶴を、土方は「くどい」とにらみつけた。まぁまぁ、ととりなす近藤は、幾分困った表情をしている。
「昨日、使いのものが来て・・・いや、使いと言っても、小者ではない。きちんとした・・・まぁそれはいいのだが、ともかく、先生を気に入ったという御仁が、ぜひにとおっしゃっているそうだ。この話、先生は受けられるか?」
いきなり はい か いいえ の選択なのか、と千鶴は焦って手を顔の前でぶんぶんと振った。
「ま、待ってください近藤局長!いきなりそういわれましても・・・」
「なんだ、先生、悩む必要あんのか?」
じろりと睨みつけながら、土方が言う。
「あんたみたいな男勝りの女をもらってくれるって奇特な男はそういねぇぞ。しかも相手は家柄もいいし、あんたにゃもったいねぇ男だぜ」
「その家柄どころか、どなたかも存じ上げないんです、私は!」
言い合う二人を静めて、近藤が困ったように言った。
「そうなんだな、先生だって急に言われても困るだろう。だが相手は是非にもとのことだし、どうだ、会ってみては?」
千鶴は俯いて、自分の指先を見た。会えば、断ることは不可能だろう。かといって、新撰組の局長を通して持ってこられた話を、どうやって断ればよいのだろうか。
「それで、相手なんだが、三上新三郎殿といって・・・」
「げぇ」
土方がさっと立ち上がって、障子を開けた。廊下には平助が障子に耳を当てた姿勢で固まっている。
「あっ・・・」
「平助!」
土方に怒鳴られて逃げる平助を眺めながら、千鶴は男の名前を頭の中で繰り返した。 三上・・・新三郎。
「まずいって、新八っつあん、左之さん!千鶴先生が見合いしちまうって!」
新八と原田が酒を飲んでいた部屋に転がり込んで、平助が喚き散らした。
「落ち着けよ、平助。そりゃ先生が決めることだろ」
原田はちびりと酒を飲んで、平助の背中をぽんぽんと叩いた。
「のんきなこと言ってんじゃねーよ!新八っつあん、三上新三郎って、あの男だろ!?挨拶しないっていう!」
「なんのことだ、新八?」
永倉は返事をせず、酒の入った猪口を眺めている。揺れる水面に、あの時会った男の顔が浮かんだ。きちんと月代を剃り、上等の着物を着ていた。歳の割には落ち着いた風情で・・・。
「おい。新八?」
声を掛けられて、永倉は顔を上げた。上げた視線の先、中庭を挟んだ向かい側の廊下に、千鶴の姿があった。目が合うと、困ったような顔をして、軽く頭を下げて、自分の部屋のほうへ戻っていった。 ゆっくりと猪口に口をつけてまた酒を飲み始めた永倉を、原田と平助が黙って見つめていた。
どうしようか・・・。 千鶴の心は決まっている。三上新三郎はいい人かもしれないが(というより、見合い相手としていい相手、ということだろうか)、自分の好きな相手は決まっている。だが、この話を永倉はどう思っているのか・・・。 廊下を挟んで姿を見たとき、永倉の表情には何の変化もなかった。平助が慌てた様子で居たのだから、きっと見合いの話は伝わっていたのだろうが。 その程度、なのかな・・・。
永倉は優しいから、買い物に付き合ってくれただけだろうか。優しいから、お菓子を買ってきてくれたり、話し相手になってくれただけだろうか。私は寂しいから、優しい永倉を好きになっただけなんだろうか。
千鶴は鏡を取り出すと、自分の顔をじっと見た。三上が見合い話をよこすくらいだから、けして不細工ではないのだろうが、美人というわけでもない。永倉の好みの女性など知らないから、自分が永倉から見てどう思われているのかわからない。 千鶴は鏡を膝の上に置くと、ふっとため息をついた。
「で、どうするんだ、新八?」
永倉の部屋に立ち寄った原田が、声を掛けた。
「どうするって?」
文机に向かって日記を書いていた永倉が、顔を上げずに問い返した。
「とぼけんなよ。千鶴先生のことだ。見合い、させんのか?」
はは、と笑うと、永倉は手を止めずに書き続ける。
「おい、こっち見ろよ」
いらついた原田の声に、永倉はやっと顔を上げる。
「なんだよ、何怒ってんだ?」
「お前こそなんだってんだよ。千鶴先生が見合いしても、お前は構わねえのかよ!」
永倉はぱたりと筆を置くと、原田のほうへ座りなおした。
「それは千鶴先生が決めることだ。おれが見合いさせるとか、させないとかって話じゃねぇだろう」
「お前がするなって言やぁ、先生はしないと思うけどな」
再び永倉は笑うと、文机に向かった。
「なんで先生がおれの言うことを聞くんだよ。人の言いなりになる人じゃないだろ。先生が決めることに、俺が口を挟むことじゃねぇ」
勝手にしろ、と原田が去った後、永倉はぼんやりと半紙を前に、座っていた。 俺が見合いをするなといえば、先生は見合いをしない?永倉は墨を手に取ると、ゆっくりと磨り始めた。三上新三郎の顔が浮かんだ。見合い相手として、普通の女なら喜ぶだろう。家柄のいい、金回りのいい男。一方、自分は明日死ぬかもしれない、かつて壬生狼と呼ばれた集団の幹部。最近は給金もいいが、自分の命を削り、誰かの命を削った結果の給金だ。金に綺麗も汚ないもないとは思うが、女共にどちらがいいかと聞けば、皆三上を選ぶだろう。硯の中の墨は、段々と暗さを濃くしていく。永倉はその墨の色が、自分の胸の中を現しているように思えた。
「うん?千鶴ちゃん、どうした?腹でも減ったか?」
・・・にぶいせいなんだろうな。
「そうでもないですけど、そこにおいしそうな甘味処がありますよ。せっかくですし、休みますか?」
そうすれば、もう少し長く一緒にいられるし、という思いはすぐ打ち消した。へんな期待はしないほうがいい。 二人そろって縁台に腰掛けて、一息つける。普段ならこんなふうに外で座ることなど出来ないが、今日は本当に暖かい。 永倉とは隊務のことや、医療のこと、他の幹部達の噂話(誰それが今はまっている芸妓の話とか・・・)でもりあがり、そろそろ屯所へ向かおうと腰を上げたとき。
「千鶴先生ではないですか?」
振り向くと、男が立っていた。
「お忘れですか?一月ほど前、武田様のお屋敷で」
ああ、と千鶴は慌てて頭を下げた。一月まえ、とある藩の要人の妻女が体調を崩したと急な知らせが入り、駆けつけたことがあったが、そこで見た人だった。
「確か・・・」
「三上新三郎です」
にこりと笑い、三上は視線を永倉へ向けた。 千鶴の後ろで様子を見守っていた永倉は、目が合ったときに挨拶をしようとしたが、三上は無表情な瞳で永倉をしばらく見つめた後、千鶴へ顔を向けなおし、しばらく話した後、去って行った。 千鶴はなんとなくぎこちなさを感じ、そっと永倉を見上げると、いつになく厳しい顔つきで、三上の去って行った方角を見ていた。
おずおずと声を掛けた千鶴の声に我に返ったように見下ろすと、いつものようにニカッと笑い、「そんじゃ、俺たちも行くか!」と、前を歩き始めた。
「あ~、そりゃぁ新八っつあんもいらつくわ」
「い、いらつく・・・?」
次の日からはまた寒い日が戻ってきた。暇だったらしく、平助が千鶴の部屋に暖を取りにやってきたので、昨日の話をしてみたのだ。
「だって、新八っつあんに名乗りもしなかったんでしょ?新撰組ごときに名乗る必要なしってことなんじゃないの?」
「で、でも永倉先生は幹部で・・・」
「関係ないっしょ、向こうには。こちらは幕府お抱えのれっきとした侍でござい、浪人ごときはひかえおろう、な気分だったんじゃない、そいつ」
「・・・」
千鶴は永倉の厳しい表情を思い出していた。イラついて・・・いたのだろうか?永倉の性格からいくと、どちらかというとそういうことにはあまり頓着しない感じだ。だが実際、あの表情をしたのだから、挨拶をしなかったことが気にさわったのだろうか・・・? 千鶴は話し続ける平助に相槌を打ちながら、心は他ごとを考えていた。
数日後。
「お見合いですか」
「そうだ」
私にですか、と重ねて聞く千鶴を、土方は「くどい」とにらみつけた。まぁまぁ、ととりなす近藤は、幾分困った表情をしている。
「昨日、使いのものが来て・・・いや、使いと言っても、小者ではない。きちんとした・・・まぁそれはいいのだが、ともかく、先生を気に入ったという御仁が、ぜひにとおっしゃっているそうだ。この話、先生は受けられるか?」
いきなり はい か いいえ の選択なのか、と千鶴は焦って手を顔の前でぶんぶんと振った。
「ま、待ってください近藤局長!いきなりそういわれましても・・・」
「なんだ、先生、悩む必要あんのか?」
じろりと睨みつけながら、土方が言う。
「あんたみたいな男勝りの女をもらってくれるって奇特な男はそういねぇぞ。しかも相手は家柄もいいし、あんたにゃもったいねぇ男だぜ」
「その家柄どころか、どなたかも存じ上げないんです、私は!」
言い合う二人を静めて、近藤が困ったように言った。
「そうなんだな、先生だって急に言われても困るだろう。だが相手は是非にもとのことだし、どうだ、会ってみては?」
千鶴は俯いて、自分の指先を見た。会えば、断ることは不可能だろう。かといって、新撰組の局長を通して持ってこられた話を、どうやって断ればよいのだろうか。
「それで、相手なんだが、三上新三郎殿といって・・・」
「げぇ」
土方がさっと立ち上がって、障子を開けた。廊下には平助が障子に耳を当てた姿勢で固まっている。
「あっ・・・」
「平助!」
土方に怒鳴られて逃げる平助を眺めながら、千鶴は男の名前を頭の中で繰り返した。 三上・・・新三郎。
「まずいって、新八っつあん、左之さん!千鶴先生が見合いしちまうって!」
新八と原田が酒を飲んでいた部屋に転がり込んで、平助が喚き散らした。
「落ち着けよ、平助。そりゃ先生が決めることだろ」
原田はちびりと酒を飲んで、平助の背中をぽんぽんと叩いた。
「のんきなこと言ってんじゃねーよ!新八っつあん、三上新三郎って、あの男だろ!?挨拶しないっていう!」
「なんのことだ、新八?」
永倉は返事をせず、酒の入った猪口を眺めている。揺れる水面に、あの時会った男の顔が浮かんだ。きちんと月代を剃り、上等の着物を着ていた。歳の割には落ち着いた風情で・・・。
「おい。新八?」
声を掛けられて、永倉は顔を上げた。上げた視線の先、中庭を挟んだ向かい側の廊下に、千鶴の姿があった。目が合うと、困ったような顔をして、軽く頭を下げて、自分の部屋のほうへ戻っていった。 ゆっくりと猪口に口をつけてまた酒を飲み始めた永倉を、原田と平助が黙って見つめていた。
どうしようか・・・。 千鶴の心は決まっている。三上新三郎はいい人かもしれないが(というより、見合い相手としていい相手、ということだろうか)、自分の好きな相手は決まっている。だが、この話を永倉はどう思っているのか・・・。 廊下を挟んで姿を見たとき、永倉の表情には何の変化もなかった。平助が慌てた様子で居たのだから、きっと見合いの話は伝わっていたのだろうが。 その程度、なのかな・・・。
永倉は優しいから、買い物に付き合ってくれただけだろうか。優しいから、お菓子を買ってきてくれたり、話し相手になってくれただけだろうか。私は寂しいから、優しい永倉を好きになっただけなんだろうか。
千鶴は鏡を取り出すと、自分の顔をじっと見た。三上が見合い話をよこすくらいだから、けして不細工ではないのだろうが、美人というわけでもない。永倉の好みの女性など知らないから、自分が永倉から見てどう思われているのかわからない。 千鶴は鏡を膝の上に置くと、ふっとため息をついた。
「で、どうするんだ、新八?」
永倉の部屋に立ち寄った原田が、声を掛けた。
「どうするって?」
文机に向かって日記を書いていた永倉が、顔を上げずに問い返した。
「とぼけんなよ。千鶴先生のことだ。見合い、させんのか?」
はは、と笑うと、永倉は手を止めずに書き続ける。
「おい、こっち見ろよ」
いらついた原田の声に、永倉はやっと顔を上げる。
「なんだよ、何怒ってんだ?」
「お前こそなんだってんだよ。千鶴先生が見合いしても、お前は構わねえのかよ!」
永倉はぱたりと筆を置くと、原田のほうへ座りなおした。
「それは千鶴先生が決めることだ。おれが見合いさせるとか、させないとかって話じゃねぇだろう」
「お前がするなって言やぁ、先生はしないと思うけどな」
再び永倉は笑うと、文机に向かった。
「なんで先生がおれの言うことを聞くんだよ。人の言いなりになる人じゃないだろ。先生が決めることに、俺が口を挟むことじゃねぇ」
勝手にしろ、と原田が去った後、永倉はぼんやりと半紙を前に、座っていた。 俺が見合いをするなといえば、先生は見合いをしない?永倉は墨を手に取ると、ゆっくりと磨り始めた。三上新三郎の顔が浮かんだ。見合い相手として、普通の女なら喜ぶだろう。家柄のいい、金回りのいい男。一方、自分は明日死ぬかもしれない、かつて壬生狼と呼ばれた集団の幹部。最近は給金もいいが、自分の命を削り、誰かの命を削った結果の給金だ。金に綺麗も汚ないもないとは思うが、女共にどちらがいいかと聞けば、皆三上を選ぶだろう。硯の中の墨は、段々と暗さを濃くしていく。永倉はその墨の色が、自分の胸の中を現しているように思えた。
1/2ページ