千鶴の行き場所を用意したのは原田である。知り合いに頼み、街中の空いているしもたやを借りたのだ。千鶴はここで暮らそう、と決めていた。ここで患者を診て診療代をもらい、それで家賃を払って、かかった費用を原田に返そう。ここのほうが、心は休まるだろう。何より・・・。 千鶴は、片付けをする手を止めた。 永倉の、あの目を見なくて済む。お鹿が、永倉のそばにいるのを見なくて済む。 千鶴はただ、片付けに専念した。
夕刻、原田が入用なものを持ってきてくれた。忙しい中ここまで自分のために気を使ってくれるのが、申し訳ないと同時に、とても嬉しかった。早速ありあわせのものだが食事を作り、一緒に食べた。縁側から小さいが手入れの届いた庭を眺めながら、千鶴はぼんやりと今までのことを考えた。 どうして、こうなったんだろう・・・。 ぐるぐると考えはまとまらず、ふと気がついて顔を上げると、原田が自分を見ていた。
「す、すみません、原田先生！私ついぼんやり・・・」
原田はくすりと笑った。
「その反応、かわんねぇなぁ。すぐ真っ赤になってさ」
くすくすと笑うと、原田は真剣な顔をした。
「先生からその表情を奪ったのは、お鹿だな」
原田は、庭先を見た。夕暮れで、咲いている花の姿は見えない。
「新八もな」
ぴくん、と千鶴の肩が跳ねた。その肩を、原田がつかんだ。
「先生、もう、永倉は忘れろよ」
身近で自分を見つめる原田を見て、千鶴は今まで原田がしてくれたことを思った。いつも優しくしてくれた。今回も、家も用意してくれて・・・。こんな人と一緒にいれば、自分は幸せになれるだろうか。自分は。
「いいえ」
考えるより先に、言葉が口から飛び出した。ぽろぽろと涙を流しながら、千鶴は首を振った。
「いいえ、いいえ・・・。すみません、私、それでも・・・忘れられ・・・」 搾り出すように話す千鶴の頭に、ぽんと原田は手を置いた。
「かまわねぇよ、先生。わかってたから」
うーん、と原田は伸びをして、立ち上がった。
「まぁなあ、惚れた弱みだな。この件、しばらく俺に任せてくれよ」
そういって、玄関へ向かう。何をする気かと不安になった千鶴が玄関へ向かったときには、すでに原田は陽の落ちた町へ消えていた。