うたかた
金に輝く月が水面を揺蕩っていた。
周囲に島影はない。
ぽこぽこと小さな気泡が立ち上り消えた。少し間をおいて、今度はもう少し大きな気泡が浮かぶ。
ぽこ。ぽこぽこ。ぼこぼこぼこっ。
とぷり。
海面に頭が一つ現れた。
左右対称のぱっちりとした目。サファイヤの瞳を金の睫毛が縁取っている。白い肌には染み一つなく、唇はほんのり桜色に染まっていた。艶やかな長い髪が海面に広がる。
美しいが、一点を見つめたままの瞳からは生気が感じられず、まるで打ち捨てられた人形の頭部が浮かんでいるかのようだった。
だがその時、何の前触れもなく桜色の唇が開いた。
「なんてよい月夜なんでしょう」
すると凪いだ海面にひとつ、またひとつと、いくつもの頭が浮かんだ。
「まあほんとう」
「歌いたくなってくるわね」
「歌いましょうよ」
「よい月夜ですもの」
少女たちはにこりとうなずきあうと、再び水の中へ消えた。
ぱしゃん。
一人が大きく跳ねた。
なだらかな肩、形の良い乳房、小さくくぼむ臍から思いがけず豊かな腰が海面から現れる。しかしその先に二本の足はなく、かわりに現れたのは青い鱗に覆われたまろやかな魚の尾だった。
海の中では人魚たちが歌を歌いながら泳ぎ回っている。
歌声はうねり絡まり、遠くへと伸びていった。
水面の月が大きくゆがんだ。
空に雲が集まる。
星々は霞み、つい先ほどあれほど輝いていた月も、しだいに厚い雲に覆われていった。
歌声は激しさを増す。
天に光が走り、雨粒が落ち始めた。
唄の罠に絡めとられた船が、人魚たちのもとへと手繰り寄せられる。
そしてついに、船上から人間が落ちた。
ひとり。ふたり。またひとり。
まるで自ら身を投げるように。
歌が止まり、突如人魚たちの桜色の唇が捲れ上がった。耳元まで裂けた口には鋸歯状の歯が並び、かっと見開かれた目は墨色に染まる。白く滑らかだった肌は青黒く光りだし、餓鬼のように関節が浮き上がっていた。
――そして。
落ちてきた人間に一斉に襲い掛かった。
何匹もの人魚が群がり、散った後には骨一つ残らない。
食いちぎられた箇所からはおびただしい血が吹き出しているのだろうが、荒れる波に霧散した。
群れの輪の外で、リュリは姉と二人で仲間たちの狩りの様子を眺めていた。
「さあリュリ、私たちも行くわよ」
姉に声をかけられたが、リュリは首を振ることしかできなかった。
「人魚はね、若いまま長く生きられるけれど、食べなくては力が弱まってしまうのよ?」
姉はため息をついた。
「まったく、そんなだからお前はいつまでも痩せっぽっちなのよ」
そう言うと、瞬く間に恐ろしい形相に変化し、仲間たちのもとへと泳ぎ去ってしまった。
リュリは「やめて!」と叫んだが、声は嵐にかき消されてしまう。
その間にも、人間たちは船上から海面へと降り続けていた。
「……!」
突然リュリの目前を人間がかすめた。あまりの驚きにリュリは一瞬硬直したが、すぐに手を伸ばして抱き留めた。
初めて間近に見た人間は、子どもっぽさの残る青年だった。
白いシャツにビロードの上着。
なんてかわいらしい人なんだろう。
抱きしめた腕に仄かな温かさが伝わった。
しかし、ぼうっと見つめるリュリの腕の中で、青年はごぼごぼともがき始めた。
周囲に島影はない。
ぽこぽこと小さな気泡が立ち上り消えた。少し間をおいて、今度はもう少し大きな気泡が浮かぶ。
ぽこ。ぽこぽこ。ぼこぼこぼこっ。
とぷり。
海面に頭が一つ現れた。
左右対称のぱっちりとした目。サファイヤの瞳を金の睫毛が縁取っている。白い肌には染み一つなく、唇はほんのり桜色に染まっていた。艶やかな長い髪が海面に広がる。
美しいが、一点を見つめたままの瞳からは生気が感じられず、まるで打ち捨てられた人形の頭部が浮かんでいるかのようだった。
だがその時、何の前触れもなく桜色の唇が開いた。
「なんてよい月夜なんでしょう」
すると凪いだ海面にひとつ、またひとつと、いくつもの頭が浮かんだ。
「まあほんとう」
「歌いたくなってくるわね」
「歌いましょうよ」
「よい月夜ですもの」
少女たちはにこりとうなずきあうと、再び水の中へ消えた。
ぱしゃん。
一人が大きく跳ねた。
なだらかな肩、形の良い乳房、小さくくぼむ臍から思いがけず豊かな腰が海面から現れる。しかしその先に二本の足はなく、かわりに現れたのは青い鱗に覆われたまろやかな魚の尾だった。
海の中では人魚たちが歌を歌いながら泳ぎ回っている。
歌声はうねり絡まり、遠くへと伸びていった。
水面の月が大きくゆがんだ。
空に雲が集まる。
星々は霞み、つい先ほどあれほど輝いていた月も、しだいに厚い雲に覆われていった。
歌声は激しさを増す。
天に光が走り、雨粒が落ち始めた。
唄の罠に絡めとられた船が、人魚たちのもとへと手繰り寄せられる。
そしてついに、船上から人間が落ちた。
ひとり。ふたり。またひとり。
まるで自ら身を投げるように。
歌が止まり、突如人魚たちの桜色の唇が捲れ上がった。耳元まで裂けた口には鋸歯状の歯が並び、かっと見開かれた目は墨色に染まる。白く滑らかだった肌は青黒く光りだし、餓鬼のように関節が浮き上がっていた。
――そして。
落ちてきた人間に一斉に襲い掛かった。
何匹もの人魚が群がり、散った後には骨一つ残らない。
食いちぎられた箇所からはおびただしい血が吹き出しているのだろうが、荒れる波に霧散した。
群れの輪の外で、リュリは姉と二人で仲間たちの狩りの様子を眺めていた。
「さあリュリ、私たちも行くわよ」
姉に声をかけられたが、リュリは首を振ることしかできなかった。
「人魚はね、若いまま長く生きられるけれど、食べなくては力が弱まってしまうのよ?」
姉はため息をついた。
「まったく、そんなだからお前はいつまでも痩せっぽっちなのよ」
そう言うと、瞬く間に恐ろしい形相に変化し、仲間たちのもとへと泳ぎ去ってしまった。
リュリは「やめて!」と叫んだが、声は嵐にかき消されてしまう。
その間にも、人間たちは船上から海面へと降り続けていた。
「……!」
突然リュリの目前を人間がかすめた。あまりの驚きにリュリは一瞬硬直したが、すぐに手を伸ばして抱き留めた。
初めて間近に見た人間は、子どもっぽさの残る青年だった。
白いシャツにビロードの上着。
なんてかわいらしい人なんだろう。
抱きしめた腕に仄かな温かさが伝わった。
しかし、ぼうっと見つめるリュリの腕の中で、青年はごぼごぼともがき始めた。
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