依頼人
六助は、煮売り居酒屋の店先で、升酒をきゅっと煽った。
「ふぅぅ、生き返るねえ」
もうひとくち、と思ったところで「旦那、ご注文の品、お持ちしやした」と、屋台の親父が床几の上につまみを並べる。酒屋に来る途中で、届けてくれるように注文しておいたのだ。
「おう。ありがとよ」
うまそうな酒の肴を前にして、六助は拝むように手をこすり合わせた。
煮物を箸でつまみ、口の中へと放り込む。醤油の味と香りが口の中へと広がり、そこへまた、酒を一口含む。
午後からの仕事のない時は、酒を飲みながら一刻《いっとき》程をかけて、ゆっくりと昼飯を食う。
別に今日が特別な日というわけではなく、これが六助の日常なのだった。
「おや」
六助は通りの向こうからやってくる、やけに身体の大きな男を見つけた。
「旦那! 化けもの屋の旦那じゃあ、ねえですか!」
手を振ると、化けもの屋と呼ばれた男は、真っ直ぐに六助の前まで歩いて来た。
「やあ、六助さん」
「昼飯はこれからですかい? よかったら一緒にやりませんか? なに、旦那にはお世話になったんで、ここはあっしがおごりますよ。おうい! 酒もってきてくれ!」
「いいんですか? なんだか、すごく豪華ですね。屋台の出前まで頼んだんですか?」
大男は頭を掻きながらそう言ったが、ちゃっかりともう、床几の上に腰を下ろしている。
男は名を、山瀬有吾といった。
地方から江戸へと出てきた浪人で「化けもの退治屋」などという、けったいな商売をしている。「化けもの退治屋」という名前は長くて呼びにくいからと、同じ長屋に住む連中からは「化けもの屋」と呼ばれていた。
「いやなに、知り合いのお屋敷の手伝いをちょいと頼まれましてね、礼を弾んでいただけたんで……山瀬の旦那、背中になにかしょってなさるんで?」
有吾は背中に筵のようなものをぶら下げていた。
六助がのぞきこんでみると、筵には墨でくろぐろと『よろず ばけものたいじ いたし〼』と書かれている。
「なんてえもん、ぶら下げて歩いてなさるんで!」
六助に言われて、有吾は少し困ったように笑うと、背中に背負っていた筵を下ろした。
「いや、実は今日化けもの退治の依頼者が、長屋を訪れてきたんですけどねえ……」
「え! そりゃあ良かったじゃねえですか! なかなか仕事がないとぼやいてなさったんだから!」
「ああ、なんですがね、部屋で座っている私をみるなり、間違えましたって帰ってしまいましてねえ」
「はあ……」
六助はまじまじと有吾の頭の先から足の先までを眺めた。
大きな体に、丸太のような手足。太い眉とその下の厳しく光る瞳。そして、浪人然とした着流し姿と腰に指した大小二本。話してみれば、武士とは思えないほど丁寧で優しげであるのに、見た目はなかなかに威圧感がある。
「まあ、確かに化けものを退治してくれそうな風体には見えないかもしれませんねえ」
「それで、長屋のおかみさんたちが寄ってたかって、この筵を背負って、江戸の町の中を歩いてこい、と言われてしまったんですよ」
「はあ。それで素直に、筵を背負って歩いていなさったんで?」
たとえどんな美人におだてられようと、こんな筵を背中にぶら下げて江戸の町を歩くなんてことは、粋と鯔背をを信条とする鳶の六助はお断りである。
六助は有吾の住んでいる長屋のおかみさん連中の顔を思い浮かべた。
お多福のようにふくよかな輪郭だとか、お歯黒どころか歯茎までよく見える大きな口が頭の中にぼわわんと浮かぶ。お歯黒をした女というのは色っぽいと思うが、どうしたものか、あの長屋のおかみさんたちはみんな色だの艶とは無縁に見える。
六助は頭をぶるぶると振るって、おかみさんたちの幻を払い除けた。
「で? 成果はあったんで?」
「それがまったく……」
「でしょうとも。そんなもんで、客が集まりゃしませんて。旦那の腕はあっしが保証しやす。なんたって、あっしに取り付いてた動物霊とやらを、すっぱり切り捨ててくださったんですからね。そんな野暮ったい筵なんて、捨てちまうのがいいですよ」
ま、一杯やってくださいと六助が勧めると、有吾はそれではと酒に口をつけた。
「で、さっきの話なんですが……」
一口飲んだところで、有吾が六助を振り返る。
「へ? さっき? どの話で?」
「うん。私の風体についてですよ」
「ああ」
「化けもの退治をしてくれそうな風体というものがあるんでしょうか?」
有吾は自分の着ている古びた着物の袖を持ち上げて眺めている。
「そうですねえ。墨衣でも着てみちゃどうです?」
「墨衣……坊主ですか」
「へえ、化けもの退治といやあ、坊主じゃありませんか? 御札なんか使ってさ。御幣なんかも持ってたらいいかもしれやせんね」
「六助さん。御幣は神社じゃありませんか? 墨衣を着た坊主が御幣を持っているのはどうでしょうかね。しかし……」
有吾は腰に下げた刀の柄をぽんと叩く。
「しかし、私が使うのはこの刀なんだがな」
困り顔の有吾を、六助は慰めた。
「あっしの方でも、それとなく旦那の噂を広めておきますよ。腕は確かなんだから、そのうち人づてに噂が広がりますって」
酒をすすりながら、通行人を眺めていたときだった。六助はふと違和感を覚え、辺りを見回した。すると、向こうの路地から建物にかくれるようにしてこちらを伺っている者がいる。
ずいぶんと小さな人影で、六助と目が合うと、あわてたように引っ込んでしまった。どうやら子ども。それも、女の子のようだ。
じいっとそちらを見ていると、女の子はまたそろそろと顔を出す。
確かにあの子の視線の先にいるのは、自分たちのようだが、六助の知っている子どもではない。
「旦那、あの子、旦那の知り合いで?」
六助が物陰から出たり入ったりしている小さな子どもから目を離さずに有吾に尋ねると、有吾はそちらを見もせずに「ええ、少し前からつけられているんですけど、特にどうということはないので、放ってあるんです……」と言った。
どうやら有吾は、後をつけてくる子どもがいることには、とっくに気づいていたらしい。
「旦那、そういうことだから客を逃すんですよ。その筵を背負っているあんたの後ろをつけてきたんでしょう!? ちょいと待ってなさいよ」
そう言うと六助は笑顔を作り、物陰からこちらを伺う子どもに向かって手招きをした。
六助の手招きに引き寄せられるように路地の中から出てきた女の子は、泥のついた着物を着ていた。
「お嬢ちゃん? この旦那に用事なんだろ? ささ、もっと近くに来なくちゃあ、話ができないよ」
二人から少し離れたところで立ち止まった女の子に、六助はとっておきの笑顔を向けた。
六助がこの笑顔を向けると、暇を持て余しているおかみさん連中などはいちころなのだ。
『ちょいと、家の棚を直してくれないかい?』
なんて、色気たっぷりに誘われて、多すぎるほどのお代をくれる。六助自身も、自分の笑顔の魅力を十二分に承知している。
女の子はほんの少し頬を赤く染めながら、じりじりと二人に近づいてきた。そうして、二人の前でぴたりと動きを止めると、大きなまあるい瞳で、二人をじいっと見定めているようだった。
しばらくして有吾に顔を向けると「おじちゃんが、化けもの屋かい?」と問いかける。
有吾は手にしていた酒を置き「うん、化けもの退治屋を営んでいる山瀬有吾という。嬢ちゃんはなんて名前なんだ?」と背筋を伸ばした。
「とよ!」
はっきりとした声音でそう名乗ったとよへ、六助はわずかに身を乗り出した。
「とよか。おじちゃんは六助。で? とよは山瀬の旦那にどんな用事があるんだい?」
「お姉ちゃんに聞いたんだ。化けもの退治屋に頼めばなんとかなるって」
「お姉ちゃん? とよのお姉さんがそう言ったのか? とよは姉さんにお使いを頼まれたのかい? なんでお姉ちゃんは自分で来ないんだい?」
矢継ぎ早に有吾が問うと、とよはきつく口を引き結び、黙ってしまった。
見かねた六助が話に割って入る。
「まあまあ旦那、話はおいおい聞くとして……とよ、腹減ってないか? そら、田楽、うまいぞ?」
田楽が差し出されると、とよの腹がぎゅるるるると鳴った。
「お、腹が減ってるんじゃないか! さあさ、ここはおじちゃんのおごりだ、一緒に食べてきな!」
六助にそう言われて、とよは机上に腰掛けると、差し出された田楽を頬張り、飯に手を伸ばした。
よほど腹が減っていたのか、はじめのうちはそろそろと手を出していたのだが、その内搔き込むように食べはじめる。
有吾と六助はその様子を眺めながら、自分たちも再び酒を飲みはじめた。
とよが動きを止め「ふぅ」とため息を吐き出したのを見定めて、六助がまた声をかけた。
「この山瀬の旦那はさ、厳つい顔をしちゃあいるが、優しいんだぜ? それに、おじちゃんも化けもの退治をしてもらったことがあるんだが、たいした腕前なんだ!」
「ほんと?」
「ああ、ほんとのほんとさ。困ったことがあるんだろう?」
とよは手にしていた飯碗を置くと、少し遠い目をした。
「姉ちゃんが、帰って来なかったんだ……」
「姉ちゃん? さっき言ってた姉ちゃんか?」
「ちがうよ。さっき言ったのはせん姉ちゃん。最近知り合って、化けもの屋のことを教えてくれたんだ」
「うんうん」
「おれの本当の姉ちゃんはみつねえちゃん。みつねえちゃんは江戸に奉公に出てるんだけど」
「奉公? ってえと、帰ってこなかったっていうのは、藪入りのことか……」
「そうだよ。ねえちゃんは去年も奉公に出てたんだ。そこでお屋敷の手伝いをしてたんだけど、気に入ってっもらって、今年も同じお家に奉公に行ったんだよ。去年はちゃんとお盆の藪入(十六日)には休みをもらって家に帰ってきたんだ。もちろん正月だってさ。なのに今年は帰ってこなかった」
「とよの家ってのはどのあたりなんだ?」
六助は巧みにとよの言葉を引き出していく。
有吾はもう自分で聞くことはあきらめ、聞き取りの方は六助にすっかり任せることにしたらしい。ちびちびと酒をすすりながら、とよの話に耳を傾けていた。
「中山道の途中から西に入ったあたりに、井沢村っていう村があるんだ」
「え! 井沢村! そっからお前さん、一人で来たのかい!?」
声を上げた六助にとよはこくりと頷いた。井沢村は江戸近郊の農村だ。江戸から肥料を買い、新鮮な野菜などを作っている。できた野菜は、江戸に出荷される。こういった農村部の次男坊や三男坊や娘たちが、口入れ屋の紹介で江戸で奉公をすることもめずらしいことではない。
「昨日ちゃんと妹のひさに姉ちゃんの様子を見に行ってくるってことづけたから大丈夫だよ」
「ちょっとまってくれよ」
六助は混乱を落ち着けようとこめかみを揉み込んだ。
「お前さん、いくつだい? え? 十? いやまあ、無理な距離じゃねえか。でも遠かったろ? えっと藪入が十六日で、今日は十八だったかな?」
「ようするに、とよは昨日のうちに江戸に出てきたんだな。藪入に帰ってこない姉を訪ねて来た。そういうことだな?」
それまで黙っていた有吾が口を開いた。とよは数回ぱちぱちとまばたきをすると、有吾の方へ体の向きを変えた。
「うんそうだよ」
「昨夜はどうしたんだ? 姉ちゃんの奉公している家にでも世話になったのか?」
「……」
とよはもじもじとほつれた着物の裾を揉んだ。
「おれのことはいいんだ。どこだって寝れるもの。それより、姉ちゃんだよ。姉ちゃんは病気だったんだ。だから病気が治ったら、暇をもらえるらしいんだ」
「そうか。よかったじゃねえか!」
混乱から立ち直った六助が言うと「よくないよ!」とよが大きな声をあげた。
「よくないよ! だからおれ、化けもの屋を探してたんだ。なあ、化けもの屋って、化けものをやっつけてくれるんだろう? やっつけてくれよ! あいつ、おれの村へ行く途中に巣を作ってるんだ! もしも姉ちゃんがあの道を通ったら、あいつに……あの化けものに、食われちまう!」
とよの大声に、酒屋の中にいた人たちや、通りすがりの町人たちまでが、ぎょっとしたように振り返った。
「あわわわわ! すいやせん、いや、たいしたこたぁねえんで!」
あわてた六助の手が、とよの口をふさいだ。
飯を食いながら、とよは化け物退治の依頼について、ぽつぽつと語りはじめた。
◆
とよの姉のみつは、とある薬問屋のご隠居が住む屋敷に奉公人として雇われていたらしい。料理の腕前を買われてとのことだった。
「姉ちゃんは千六本だって切れるんだぞ」
と、とよは得意げに言った。
「そいつはすげえ」
六助の相槌も、心からのものだ。
残念なことに江戸に住む女たちは、たいがい料理ができない。
長屋には竈なんてついてないし、包丁のある家もめったにない。
料理といえば朝に七輪でご飯を炊いて、おみおつけを作るくらいのものだ。そのおみおつけだって、湧いた湯の中に味噌玉をぽんと入れてやりゃあ出来上がりという、至極簡単なもので、手で崩した豆腐が入ってたり、ちぎった菜っ葉などが入っていれば、上等だった。だから、千六本ができるというのは、かなりの技能なのだ。
それはさておき、奉公人は年に二回、在に帰ることを許される。一つは正月。もう一つは文月の十六日だ。帰る在のないものも、その日は暇と小遣いをもらって、見世物小屋見物などを楽しむことができる。年に二回の特別に楽しみな日なのだ。
「だけど姉ちゃんは帰ってこなかった」
「ああ、その話はさっきも聞いたよ。それでとよは妹に様子を見てくると言い置いて、江戸に一人で出て来たんだろ?」
六助の問に、とよはこっくりと頷いた。
「その途中で、あいつを見たんだ。あいつは綺麗な女の顔をしてたけど、だけどあいつは化け物だったんだよ。それで、それで……」
言葉の途切れたとよをみると、顔色が真っ青になっている。箸を持ったままの手が、小刻みに震えだしていた。
六助が有吾に視線を送ると、有吾もその視線気づき、小さくうなずき返した。そして「さて」と明るい声を出す。
「とよ、今日これからでかけても、とよが化け物と出会ったという場所につく前に、夜中になってしまう。明日、朝一番で出かけようと思う」
有吾の声に、とよは青ざめていた顔をあげた。
「ほんとうか!? あいつを退治してくれるのか!?」
まだ顔色は悪かったが、笑顔が浮かんでいた。
「ああ」
「よかったな! とよ」
六助も手を叩いて喜んでみせた。
「ふぅぅ、生き返るねえ」
もうひとくち、と思ったところで「旦那、ご注文の品、お持ちしやした」と、屋台の親父が床几の上につまみを並べる。酒屋に来る途中で、届けてくれるように注文しておいたのだ。
「おう。ありがとよ」
うまそうな酒の肴を前にして、六助は拝むように手をこすり合わせた。
煮物を箸でつまみ、口の中へと放り込む。醤油の味と香りが口の中へと広がり、そこへまた、酒を一口含む。
午後からの仕事のない時は、酒を飲みながら一刻《いっとき》程をかけて、ゆっくりと昼飯を食う。
別に今日が特別な日というわけではなく、これが六助の日常なのだった。
「おや」
六助は通りの向こうからやってくる、やけに身体の大きな男を見つけた。
「旦那! 化けもの屋の旦那じゃあ、ねえですか!」
手を振ると、化けもの屋と呼ばれた男は、真っ直ぐに六助の前まで歩いて来た。
「やあ、六助さん」
「昼飯はこれからですかい? よかったら一緒にやりませんか? なに、旦那にはお世話になったんで、ここはあっしがおごりますよ。おうい! 酒もってきてくれ!」
「いいんですか? なんだか、すごく豪華ですね。屋台の出前まで頼んだんですか?」
大男は頭を掻きながらそう言ったが、ちゃっかりともう、床几の上に腰を下ろしている。
男は名を、山瀬有吾といった。
地方から江戸へと出てきた浪人で「化けもの退治屋」などという、けったいな商売をしている。「化けもの退治屋」という名前は長くて呼びにくいからと、同じ長屋に住む連中からは「化けもの屋」と呼ばれていた。
「いやなに、知り合いのお屋敷の手伝いをちょいと頼まれましてね、礼を弾んでいただけたんで……山瀬の旦那、背中になにかしょってなさるんで?」
有吾は背中に筵のようなものをぶら下げていた。
六助がのぞきこんでみると、筵には墨でくろぐろと『よろず ばけものたいじ いたし〼』と書かれている。
「なんてえもん、ぶら下げて歩いてなさるんで!」
六助に言われて、有吾は少し困ったように笑うと、背中に背負っていた筵を下ろした。
「いや、実は今日化けもの退治の依頼者が、長屋を訪れてきたんですけどねえ……」
「え! そりゃあ良かったじゃねえですか! なかなか仕事がないとぼやいてなさったんだから!」
「ああ、なんですがね、部屋で座っている私をみるなり、間違えましたって帰ってしまいましてねえ」
「はあ……」
六助はまじまじと有吾の頭の先から足の先までを眺めた。
大きな体に、丸太のような手足。太い眉とその下の厳しく光る瞳。そして、浪人然とした着流し姿と腰に指した大小二本。話してみれば、武士とは思えないほど丁寧で優しげであるのに、見た目はなかなかに威圧感がある。
「まあ、確かに化けものを退治してくれそうな風体には見えないかもしれませんねえ」
「それで、長屋のおかみさんたちが寄ってたかって、この筵を背負って、江戸の町の中を歩いてこい、と言われてしまったんですよ」
「はあ。それで素直に、筵を背負って歩いていなさったんで?」
たとえどんな美人におだてられようと、こんな筵を背中にぶら下げて江戸の町を歩くなんてことは、粋と鯔背をを信条とする鳶の六助はお断りである。
六助は有吾の住んでいる長屋のおかみさん連中の顔を思い浮かべた。
お多福のようにふくよかな輪郭だとか、お歯黒どころか歯茎までよく見える大きな口が頭の中にぼわわんと浮かぶ。お歯黒をした女というのは色っぽいと思うが、どうしたものか、あの長屋のおかみさんたちはみんな色だの艶とは無縁に見える。
六助は頭をぶるぶると振るって、おかみさんたちの幻を払い除けた。
「で? 成果はあったんで?」
「それがまったく……」
「でしょうとも。そんなもんで、客が集まりゃしませんて。旦那の腕はあっしが保証しやす。なんたって、あっしに取り付いてた動物霊とやらを、すっぱり切り捨ててくださったんですからね。そんな野暮ったい筵なんて、捨てちまうのがいいですよ」
ま、一杯やってくださいと六助が勧めると、有吾はそれではと酒に口をつけた。
「で、さっきの話なんですが……」
一口飲んだところで、有吾が六助を振り返る。
「へ? さっき? どの話で?」
「うん。私の風体についてですよ」
「ああ」
「化けもの退治をしてくれそうな風体というものがあるんでしょうか?」
有吾は自分の着ている古びた着物の袖を持ち上げて眺めている。
「そうですねえ。墨衣でも着てみちゃどうです?」
「墨衣……坊主ですか」
「へえ、化けもの退治といやあ、坊主じゃありませんか? 御札なんか使ってさ。御幣なんかも持ってたらいいかもしれやせんね」
「六助さん。御幣は神社じゃありませんか? 墨衣を着た坊主が御幣を持っているのはどうでしょうかね。しかし……」
有吾は腰に下げた刀の柄をぽんと叩く。
「しかし、私が使うのはこの刀なんだがな」
困り顔の有吾を、六助は慰めた。
「あっしの方でも、それとなく旦那の噂を広めておきますよ。腕は確かなんだから、そのうち人づてに噂が広がりますって」
酒をすすりながら、通行人を眺めていたときだった。六助はふと違和感を覚え、辺りを見回した。すると、向こうの路地から建物にかくれるようにしてこちらを伺っている者がいる。
ずいぶんと小さな人影で、六助と目が合うと、あわてたように引っ込んでしまった。どうやら子ども。それも、女の子のようだ。
じいっとそちらを見ていると、女の子はまたそろそろと顔を出す。
確かにあの子の視線の先にいるのは、自分たちのようだが、六助の知っている子どもではない。
「旦那、あの子、旦那の知り合いで?」
六助が物陰から出たり入ったりしている小さな子どもから目を離さずに有吾に尋ねると、有吾はそちらを見もせずに「ええ、少し前からつけられているんですけど、特にどうということはないので、放ってあるんです……」と言った。
どうやら有吾は、後をつけてくる子どもがいることには、とっくに気づいていたらしい。
「旦那、そういうことだから客を逃すんですよ。その筵を背負っているあんたの後ろをつけてきたんでしょう!? ちょいと待ってなさいよ」
そう言うと六助は笑顔を作り、物陰からこちらを伺う子どもに向かって手招きをした。
六助の手招きに引き寄せられるように路地の中から出てきた女の子は、泥のついた着物を着ていた。
「お嬢ちゃん? この旦那に用事なんだろ? ささ、もっと近くに来なくちゃあ、話ができないよ」
二人から少し離れたところで立ち止まった女の子に、六助はとっておきの笑顔を向けた。
六助がこの笑顔を向けると、暇を持て余しているおかみさん連中などはいちころなのだ。
『ちょいと、家の棚を直してくれないかい?』
なんて、色気たっぷりに誘われて、多すぎるほどのお代をくれる。六助自身も、自分の笑顔の魅力を十二分に承知している。
女の子はほんの少し頬を赤く染めながら、じりじりと二人に近づいてきた。そうして、二人の前でぴたりと動きを止めると、大きなまあるい瞳で、二人をじいっと見定めているようだった。
しばらくして有吾に顔を向けると「おじちゃんが、化けもの屋かい?」と問いかける。
有吾は手にしていた酒を置き「うん、化けもの退治屋を営んでいる山瀬有吾という。嬢ちゃんはなんて名前なんだ?」と背筋を伸ばした。
「とよ!」
はっきりとした声音でそう名乗ったとよへ、六助はわずかに身を乗り出した。
「とよか。おじちゃんは六助。で? とよは山瀬の旦那にどんな用事があるんだい?」
「お姉ちゃんに聞いたんだ。化けもの退治屋に頼めばなんとかなるって」
「お姉ちゃん? とよのお姉さんがそう言ったのか? とよは姉さんにお使いを頼まれたのかい? なんでお姉ちゃんは自分で来ないんだい?」
矢継ぎ早に有吾が問うと、とよはきつく口を引き結び、黙ってしまった。
見かねた六助が話に割って入る。
「まあまあ旦那、話はおいおい聞くとして……とよ、腹減ってないか? そら、田楽、うまいぞ?」
田楽が差し出されると、とよの腹がぎゅるるるると鳴った。
「お、腹が減ってるんじゃないか! さあさ、ここはおじちゃんのおごりだ、一緒に食べてきな!」
六助にそう言われて、とよは机上に腰掛けると、差し出された田楽を頬張り、飯に手を伸ばした。
よほど腹が減っていたのか、はじめのうちはそろそろと手を出していたのだが、その内搔き込むように食べはじめる。
有吾と六助はその様子を眺めながら、自分たちも再び酒を飲みはじめた。
とよが動きを止め「ふぅ」とため息を吐き出したのを見定めて、六助がまた声をかけた。
「この山瀬の旦那はさ、厳つい顔をしちゃあいるが、優しいんだぜ? それに、おじちゃんも化けもの退治をしてもらったことがあるんだが、たいした腕前なんだ!」
「ほんと?」
「ああ、ほんとのほんとさ。困ったことがあるんだろう?」
とよは手にしていた飯碗を置くと、少し遠い目をした。
「姉ちゃんが、帰って来なかったんだ……」
「姉ちゃん? さっき言ってた姉ちゃんか?」
「ちがうよ。さっき言ったのはせん姉ちゃん。最近知り合って、化けもの屋のことを教えてくれたんだ」
「うんうん」
「おれの本当の姉ちゃんはみつねえちゃん。みつねえちゃんは江戸に奉公に出てるんだけど」
「奉公? ってえと、帰ってこなかったっていうのは、藪入りのことか……」
「そうだよ。ねえちゃんは去年も奉公に出てたんだ。そこでお屋敷の手伝いをしてたんだけど、気に入ってっもらって、今年も同じお家に奉公に行ったんだよ。去年はちゃんとお盆の藪入(十六日)には休みをもらって家に帰ってきたんだ。もちろん正月だってさ。なのに今年は帰ってこなかった」
「とよの家ってのはどのあたりなんだ?」
六助は巧みにとよの言葉を引き出していく。
有吾はもう自分で聞くことはあきらめ、聞き取りの方は六助にすっかり任せることにしたらしい。ちびちびと酒をすすりながら、とよの話に耳を傾けていた。
「中山道の途中から西に入ったあたりに、井沢村っていう村があるんだ」
「え! 井沢村! そっからお前さん、一人で来たのかい!?」
声を上げた六助にとよはこくりと頷いた。井沢村は江戸近郊の農村だ。江戸から肥料を買い、新鮮な野菜などを作っている。できた野菜は、江戸に出荷される。こういった農村部の次男坊や三男坊や娘たちが、口入れ屋の紹介で江戸で奉公をすることもめずらしいことではない。
「昨日ちゃんと妹のひさに姉ちゃんの様子を見に行ってくるってことづけたから大丈夫だよ」
「ちょっとまってくれよ」
六助は混乱を落ち着けようとこめかみを揉み込んだ。
「お前さん、いくつだい? え? 十? いやまあ、無理な距離じゃねえか。でも遠かったろ? えっと藪入が十六日で、今日は十八だったかな?」
「ようするに、とよは昨日のうちに江戸に出てきたんだな。藪入に帰ってこない姉を訪ねて来た。そういうことだな?」
それまで黙っていた有吾が口を開いた。とよは数回ぱちぱちとまばたきをすると、有吾の方へ体の向きを変えた。
「うんそうだよ」
「昨夜はどうしたんだ? 姉ちゃんの奉公している家にでも世話になったのか?」
「……」
とよはもじもじとほつれた着物の裾を揉んだ。
「おれのことはいいんだ。どこだって寝れるもの。それより、姉ちゃんだよ。姉ちゃんは病気だったんだ。だから病気が治ったら、暇をもらえるらしいんだ」
「そうか。よかったじゃねえか!」
混乱から立ち直った六助が言うと「よくないよ!」とよが大きな声をあげた。
「よくないよ! だからおれ、化けもの屋を探してたんだ。なあ、化けもの屋って、化けものをやっつけてくれるんだろう? やっつけてくれよ! あいつ、おれの村へ行く途中に巣を作ってるんだ! もしも姉ちゃんがあの道を通ったら、あいつに……あの化けものに、食われちまう!」
とよの大声に、酒屋の中にいた人たちや、通りすがりの町人たちまでが、ぎょっとしたように振り返った。
「あわわわわ! すいやせん、いや、たいしたこたぁねえんで!」
あわてた六助の手が、とよの口をふさいだ。
飯を食いながら、とよは化け物退治の依頼について、ぽつぽつと語りはじめた。
◆
とよの姉のみつは、とある薬問屋のご隠居が住む屋敷に奉公人として雇われていたらしい。料理の腕前を買われてとのことだった。
「姉ちゃんは千六本だって切れるんだぞ」
と、とよは得意げに言った。
「そいつはすげえ」
六助の相槌も、心からのものだ。
残念なことに江戸に住む女たちは、たいがい料理ができない。
長屋には竈なんてついてないし、包丁のある家もめったにない。
料理といえば朝に七輪でご飯を炊いて、おみおつけを作るくらいのものだ。そのおみおつけだって、湧いた湯の中に味噌玉をぽんと入れてやりゃあ出来上がりという、至極簡単なもので、手で崩した豆腐が入ってたり、ちぎった菜っ葉などが入っていれば、上等だった。だから、千六本ができるというのは、かなりの技能なのだ。
それはさておき、奉公人は年に二回、在に帰ることを許される。一つは正月。もう一つは文月の十六日だ。帰る在のないものも、その日は暇と小遣いをもらって、見世物小屋見物などを楽しむことができる。年に二回の特別に楽しみな日なのだ。
「だけど姉ちゃんは帰ってこなかった」
「ああ、その話はさっきも聞いたよ。それでとよは妹に様子を見てくると言い置いて、江戸に一人で出て来たんだろ?」
六助の問に、とよはこっくりと頷いた。
「その途中で、あいつを見たんだ。あいつは綺麗な女の顔をしてたけど、だけどあいつは化け物だったんだよ。それで、それで……」
言葉の途切れたとよをみると、顔色が真っ青になっている。箸を持ったままの手が、小刻みに震えだしていた。
六助が有吾に視線を送ると、有吾もその視線気づき、小さくうなずき返した。そして「さて」と明るい声を出す。
「とよ、今日これからでかけても、とよが化け物と出会ったという場所につく前に、夜中になってしまう。明日、朝一番で出かけようと思う」
有吾の声に、とよは青ざめていた顔をあげた。
「ほんとうか!? あいつを退治してくれるのか!?」
まだ顔色は悪かったが、笑顔が浮かんでいた。
「ああ」
「よかったな! とよ」
六助も手を叩いて喜んでみせた。