Reunion2 決意
そこは一般教室の半分程度しかない広さの部屋で、入り口には靴脱場があり、その奥はなんと和室になっていた。畳の上には古い茶箪笥やら、屏風やら、巻物、小箱……そんな物たちが所狭しと置かれている。
つないでいた手がそっと離れて、くるりと信乃が振り返った。
ギュッと引き結ばれた小さな口。ほんのりと赤くなった鼻の頭。こちらを見上げる瞳は、うるうると涙の膜ができている。
なのに。そんな、今にも泣き出しそうな顔をしながら、信乃は睨むようにして秀一を見上げていた。
泣くな!
そう言おうとしたのだが、かあっと顔が火照りだすし、どうして信乃がそんな顔をしているのかもわからないしで、秀一は気ばかり焦ってしまう。
おもわず手を伸ばして信乃の頬に触れた。途端に、それまで堪えていたらしい雫がつうっと一筋二筋こぼれだし、秀一をますます慌てさせた。
「すいません」
何が何やらわからなかったのだが、秀一にできる事と言ったら、謝ることしかなかった。
冷や汗を流しながら、伸ばした両手で信乃の頭を抱え込む。
「ごめん。……いや、すいません。頼むから、泣かないで……」
そう必死で謝ったのに、腕の中でひくっとしゃくりあげた信乃が、どんっと突き放すように秀一の胸を押した。
そのまま一歩下がって秀一から距離を取る。
流れた涙をセーラー服の袖でゴシゴシと拭うと、ますます厳しい顔で秀一を睨んできた。
「なんでそんなに謝るんだよ。秀一は……私のことが……面倒になったんじゃ……ないのか? もう、守護者なんかやめたいんじゃないのか?」
「めん……どう……?」
「守護者になってくれるって、その言葉を信じようとしたけど……でも……。私といたら、またいつ襲われるのかもわからない。異界に渡るかも知れない。きっと、嫌なものをたくさん見なくちゃいけなくなるんだ。だから距離を起きたかったのかもしれないって……そんな考えが、何度も浮かんでくるんだ……」
涙につかえながら、そんな事を言う。
秀一が信乃の側を離れたのは、自分の無力さを痛いほどに感じたからだ。自分は強いと自惚れていた気持ちが、木っ端微塵になったからだ。信乃を護りたい。だけど、それまでの自分ではそれがかなわないと悟ったからだ。
だから、力を蓄える時間が欲しかったのだ。
本当に、それだけのことだ。信乃のことを面倒だなどとは、微塵も思ったことがなかった。
あまりに想像外の言葉に、はじめは信乃が何を言っているのかわからなかったが、次第にその意味を理解する。
「俺を……俺を誰だと思ってるんですか……!」
怒りに似た感情がふつふつと湧いてきて、信乃の瞳を覗き込み、睨み返した。
秀一の勢いにたじろいだ信乃が、一歩後ろに下がろうとしたが、靴脱場のフローリングと畳との境目の段差につっかかり、そのままよろけて後ろに倒れそうになる。
「……っぶない!」
秀一は後ろ向きに倒れていこうとする信乃に手を伸ばした。
引き寄せて、両手いっぱいで信乃を抱きしめると、ふわりと懐かしい香りが鼻腔の奥に広がった。
少年時代の、あの夏の日の出会い。友人として過ごした日々。そして信乃を奪われ、己の小ささを知った日。
次々に信乃との思い出が浮かんでは消えていく。
「しゅ……いち」
秀一の胸に顔を埋めた信乃から、くぐもった声が聞こえた。
「この二年間、俺が何もしてなかったとでも思いますか? あんたとの約束を果たすために、あんたの側にいて、あんたを守り抜く力を手に入れたくて……俺がどれだけ努力したと……」
そこまで言って、秀一は口をつぐんだ。
努力したなんて、意味がないと知っている。
どれだけ努力しても追いつかない。それはわかっている。
それでも、ただ傲慢だった自分から抜け出したくて、自分を律し続ける日々だった。力だけではなく、あらゆる面において自分を高めようと努力した。
もちろん、その努力をひけらかすような恥ずかしいことをしたことはない。ない、はずなのに……信乃に会った途端このていたらくだ。
――何なんだ、今のセリフは!
恥ずかしさのあまり、自分の頭をかち割りたい衝動に駆られる。
「私の側に……いるか?」
秀一が恥ずかしさにのたうっていると、腕の中にいる信乃の声が聞こえた。
秀一にとって、信乃のそばで彼女を守るというのは、いちいち口に出すまでもないほどに、当たり前のことである。そのための二年間だ。
「います!」
「これからずっとか?」
「ずっとです!」
「許さないからな、こんどこそ、約束を破ったりしたら、絶対絶対……」
秀一の学生服を小さく握りしめながら、信乃はまた涙をこぼしていた。
信乃の髪に、信乃の頬に、信乃の唇に、秀一はそうっと触れた。
信乃の濡れたまつげが、瞬きを繰り返し、真っ黒で大きな瞳が秀一を真っすぐに見上げる。
「信乃」
「……なんだ」
「俺は、死ぬまでそばにいる。護る。二度と離れるつもりはない」
「秀一……君を、私の第一守護者に……。その代り……私は、私の全部を君にあげる。全部だ、私は君のものだ」
「俺は、信乃のものだ」
吐息が触れる。そしてそれは、お互いの唇の感触へと変わっていった。
「ほうほうほう、若いとはいいことだねえ」
「ちょいと爺さん、のぞき見なんかするんじゃないよ」
「だって、この人たちが僕らの部屋に入ってきたんじゃないか」
「そっとしといてあげなさいよ!」
「そんなこと言って、お前さんが一番興味深げに眺めとったではないか……」
部屋の奥から、複数の声が聞こえてきて、秀一は飛び上がった。
信乃を背中にかばうようにして、一歩踏み出す。
すると、部屋の奥、所狭しと並べられた品々の間から、ひょこひょこと、妙ちくりんな者たちが姿を現した。
「な……なんだ?」
興味津々といった様子で、物陰からのぞいていた者たちは、わらわらとこちらへ近づいてくる。
敵意は感じられなかったが、結構な人(?)数でこちらに押し寄せてきたから、秀一は幾分腰を落とし、威嚇のために構えてみせた。
そんな秀一の肩に、信乃の手が乗った。
「秀一、大丈夫だよ。やあ、皆……。起こしちゃった? ごめんね」
少しかがみこむようにして、信乃はこの奇妙な者たちに向かって語りかけた。
「え……知り合いなのか?」
つないでいた手がそっと離れて、くるりと信乃が振り返った。
ギュッと引き結ばれた小さな口。ほんのりと赤くなった鼻の頭。こちらを見上げる瞳は、うるうると涙の膜ができている。
なのに。そんな、今にも泣き出しそうな顔をしながら、信乃は睨むようにして秀一を見上げていた。
泣くな!
そう言おうとしたのだが、かあっと顔が火照りだすし、どうして信乃がそんな顔をしているのかもわからないしで、秀一は気ばかり焦ってしまう。
おもわず手を伸ばして信乃の頬に触れた。途端に、それまで堪えていたらしい雫がつうっと一筋二筋こぼれだし、秀一をますます慌てさせた。
「すいません」
何が何やらわからなかったのだが、秀一にできる事と言ったら、謝ることしかなかった。
冷や汗を流しながら、伸ばした両手で信乃の頭を抱え込む。
「ごめん。……いや、すいません。頼むから、泣かないで……」
そう必死で謝ったのに、腕の中でひくっとしゃくりあげた信乃が、どんっと突き放すように秀一の胸を押した。
そのまま一歩下がって秀一から距離を取る。
流れた涙をセーラー服の袖でゴシゴシと拭うと、ますます厳しい顔で秀一を睨んできた。
「なんでそんなに謝るんだよ。秀一は……私のことが……面倒になったんじゃ……ないのか? もう、守護者なんかやめたいんじゃないのか?」
「めん……どう……?」
「守護者になってくれるって、その言葉を信じようとしたけど……でも……。私といたら、またいつ襲われるのかもわからない。異界に渡るかも知れない。きっと、嫌なものをたくさん見なくちゃいけなくなるんだ。だから距離を起きたかったのかもしれないって……そんな考えが、何度も浮かんでくるんだ……」
涙につかえながら、そんな事を言う。
秀一が信乃の側を離れたのは、自分の無力さを痛いほどに感じたからだ。自分は強いと自惚れていた気持ちが、木っ端微塵になったからだ。信乃を護りたい。だけど、それまでの自分ではそれがかなわないと悟ったからだ。
だから、力を蓄える時間が欲しかったのだ。
本当に、それだけのことだ。信乃のことを面倒だなどとは、微塵も思ったことがなかった。
あまりに想像外の言葉に、はじめは信乃が何を言っているのかわからなかったが、次第にその意味を理解する。
「俺を……俺を誰だと思ってるんですか……!」
怒りに似た感情がふつふつと湧いてきて、信乃の瞳を覗き込み、睨み返した。
秀一の勢いにたじろいだ信乃が、一歩後ろに下がろうとしたが、靴脱場のフローリングと畳との境目の段差につっかかり、そのままよろけて後ろに倒れそうになる。
「……っぶない!」
秀一は後ろ向きに倒れていこうとする信乃に手を伸ばした。
引き寄せて、両手いっぱいで信乃を抱きしめると、ふわりと懐かしい香りが鼻腔の奥に広がった。
少年時代の、あの夏の日の出会い。友人として過ごした日々。そして信乃を奪われ、己の小ささを知った日。
次々に信乃との思い出が浮かんでは消えていく。
「しゅ……いち」
秀一の胸に顔を埋めた信乃から、くぐもった声が聞こえた。
「この二年間、俺が何もしてなかったとでも思いますか? あんたとの約束を果たすために、あんたの側にいて、あんたを守り抜く力を手に入れたくて……俺がどれだけ努力したと……」
そこまで言って、秀一は口をつぐんだ。
努力したなんて、意味がないと知っている。
どれだけ努力しても追いつかない。それはわかっている。
それでも、ただ傲慢だった自分から抜け出したくて、自分を律し続ける日々だった。力だけではなく、あらゆる面において自分を高めようと努力した。
もちろん、その努力をひけらかすような恥ずかしいことをしたことはない。ない、はずなのに……信乃に会った途端このていたらくだ。
――何なんだ、今のセリフは!
恥ずかしさのあまり、自分の頭をかち割りたい衝動に駆られる。
「私の側に……いるか?」
秀一が恥ずかしさにのたうっていると、腕の中にいる信乃の声が聞こえた。
秀一にとって、信乃のそばで彼女を守るというのは、いちいち口に出すまでもないほどに、当たり前のことである。そのための二年間だ。
「います!」
「これからずっとか?」
「ずっとです!」
「許さないからな、こんどこそ、約束を破ったりしたら、絶対絶対……」
秀一の学生服を小さく握りしめながら、信乃はまた涙をこぼしていた。
信乃の髪に、信乃の頬に、信乃の唇に、秀一はそうっと触れた。
信乃の濡れたまつげが、瞬きを繰り返し、真っ黒で大きな瞳が秀一を真っすぐに見上げる。
「信乃」
「……なんだ」
「俺は、死ぬまでそばにいる。護る。二度と離れるつもりはない」
「秀一……君を、私の第一守護者に……。その代り……私は、私の全部を君にあげる。全部だ、私は君のものだ」
「俺は、信乃のものだ」
吐息が触れる。そしてそれは、お互いの唇の感触へと変わっていった。
「ほうほうほう、若いとはいいことだねえ」
「ちょいと爺さん、のぞき見なんかするんじゃないよ」
「だって、この人たちが僕らの部屋に入ってきたんじゃないか」
「そっとしといてあげなさいよ!」
「そんなこと言って、お前さんが一番興味深げに眺めとったではないか……」
部屋の奥から、複数の声が聞こえてきて、秀一は飛び上がった。
信乃を背中にかばうようにして、一歩踏み出す。
すると、部屋の奥、所狭しと並べられた品々の間から、ひょこひょこと、妙ちくりんな者たちが姿を現した。
「な……なんだ?」
興味津々といった様子で、物陰からのぞいていた者たちは、わらわらとこちらへ近づいてくる。
敵意は感じられなかったが、結構な人(?)数でこちらに押し寄せてきたから、秀一は幾分腰を落とし、威嚇のために構えてみせた。
そんな秀一の肩に、信乃の手が乗った。
「秀一、大丈夫だよ。やあ、皆……。起こしちゃった? ごめんね」
少しかがみこむようにして、信乃はこの奇妙な者たちに向かって語りかけた。
「え……知り合いなのか?」