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Reunion2 旅立ち

 楽しげに遣り取りをする史郎たちの家族に、心が波立たないといえば嘘になる。
 何処かに、史郎とサラと新太という、三人の有り様を、羨ましく思う気持ちもある。
 けれどその気持は、今となっては、ほんの小さなさざなみ程度のもので、それに飲み込まれたり、振り回されることはもうない。
 だから、素直に笑うことができる。

「頑張れよ。まあ、新太が入学する前の年に僕は卒業するけどな……」

 秀一が指摘してやると、案の定新太は

「え! うそ! どうして! 詐欺だ!」

 と騒ぎ始めた。そんな新太の様子に、周囲の者たちの顔も笑顔になる。

「秀一さんお気をつけて」
「休みには帰ってきてくださいね」

 いよいよ車に乗り込むと、見送りの者たちが口々に声をかけてきた。

「秀一! ガンバってね!」

 ちょっと訛りのある日本語が聞こえた。

「今度、信乃ちゃんにも会わせてね! それから、寮に入っても、毎日鍛錬するよ!」
「もちろんです、師匠」

 不思議なもので、秀一はサラを『母である』と感じたことはなかった。それよりも、武芸の腕の立つサラは、この二年間秀一の『師匠』であった。
 
「みなさん、お世話になりました」

 窓を開け、そこに集まってくれた人たちに思いを込めて礼を言う。

「行ってらっしゃい」

「頑張って!」
    
「お気をつけて!」

 車が走り出す。手を降ってくれる人たちの笑顔が、遠くなっていく。
 駐車場を出た車は、鳥居までの一本道を走った。
 右手に、今まで暮らしてきた、大神の屋敷や、美しく整えられた日本庭園が見える。それから、幼い日に異界渡りを体験した畑と、そこに佇つ赤樫の巨木。

 ――さようなら。

 誰にも聞かれないように、心の奥で、自分を育んでくれたすべてのものたちへの別れを告げた。

「父さん、母さん」

 秀一が呼びかけると、車内に緊張感のある空気が流れた。

「あの……いま……秀一さん……」

 助手席に座っていた露が、恐る恐るといったふうに後ろを振り返った。

「今、母さんって……」
「はい、母さん……」

 露は、口を数度開けたり閉めたりしたが、言葉を発することはできないようだった。
 あの内覧会の事件の後、秀就と露は婚姻を結んだ。
 けれど、秀一はその後も露を母とは呼ばなかった。わだかまりがあったわけではない。父の妻になったのであって、自分との関係に変わりはないと思ったからだし、いまさら母などと呼ぶのが恥ずかしかったからでもある。
 でも何故だろうか。ふいにこの人を「母」と呼びたくなったのだ。

    
「なんと言うか……独り立ちというわけではないのでしょうが、この家を出ることになったので一応言っておきたくて……これまで、ありがとうございました」

 露の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
 露は慌ててバックから取り出したハンカチで目頭を拭う。

「いつでも、帰ってきていいんだぞ」

 と秀就が言い

「今日家を出たばかりなのに……」

 と、秀一は笑った。

(自分はもう、大神の家には戻らないのではないか)

 そんな感傷が、不意に沸き上がって、秀一は小さくなっていく大鳥居を、最後に振り返り、しっかりと目に焼き付けるのだった。。

 ◇

 九十九学園では、一日のうちに初等科から高等科までの入学式が、一気に執り行われる。
 高等科は最後と決まっていたから、秀一たちはその分ゆっくりと学校へ向かうことができた。
 この学園の門をくぐるのは、今回で三回目である。
 一度目は内覧会。二度目は入学試験。そして今日の入学式。
 初めてこの学園を訪れた内覧会の日を、秀一は一生忘れることはできないだろう。自分自身の小ささ、無力さを、嫌というほど味わった。いい思い出ではないが、だからこそ今の自分がある。
 あの日までの秀一は、根拠のないプライドの塊だった。テレビで見たアニメのヒーローのように、どんなピンチに陥ったとしても自分は切り抜けることができるのだと、絶対誰にも負けたりしないのだと、無邪気に信じていた。
    
 けれど結局、自分ひとりの力で信乃を助けることなんてできなかった。それどころか、助けようとした信乃や、翔、史郎、新太たちがいなければ、生きて戻ることはなかっただろう。
 だからこの学園は、今の自分自身を生み出してくれた場所だ。

 秀一は大きく深呼吸をして、学園の門をくぐった。 

「秀一さん、それじゃあまた後で」

 露の……母の声が聞こえた。

「はい。では後ほど」

 秀一は両親に一礼すると、昇降口に張り出された指示に従って、自分のクラスとなる一年壱組へと向かう。
 組分け表と一緒に張り出されていた高等科校舎の見取り図によると、一年生は三階、二年は一階、三年は二階の教室が割り当てられているらしい。それと、各階にはそれぞれに特別教室があり、また、校舎の一番西側には、学生の立ち入りを禁止するエリアまである。
 まだ新しい建物には木材がふんだんに使われていて、森の香りがした。木材の色味は濃く、そのせいだろうか、新しいのにどこか薄暗い懐かしさを感じる。
 内覧会のときに秀一をたじろがせた、真新しい建材の強烈な匂いも、今はもうこなれて感じることはない。
 制服は男子生徒は詰め襟、女子は三本のラインの正統派セーラーであり、木造の校舎と相まって、一昔前にタイムスリップしたような雰囲気が醸し出されていた。
    
 立ち話をする生徒たちをすり抜け、階段を登り、少し歩くと、目的のクラスを見つける。
 一年壱組と書かれたプレートを確かめる。。
 秀一はガラガラとドアを開け、教室の中へと入った。
 中等科からの持ち上がりの生徒が多いからなのだろう。もうすでに仲の良いグループというものがあるらしく、生徒たちはあちこちに小さな塊を作っている。
 九十九学園の出席番号は五十音順になっているらしい。秀一は椅子の背と机に貼られた名前のプレートを確認しながら、自分の席を探した。
 と、その時前方でひゅっと息を飲む音がした。
 顔をあげると、一人の男子生徒があっけにとられたような顔つきで、こちらを見ている。秀一の知っている顔ではない。周囲を見回したが、どうやらその男子生徒が見つめているのは、やはり自分自身で間違いないようだ。
 こんな知り合いいたか?
 秀一が怪訝に思っていると、視線の先のその男子生徒が呟いた。

「外……人?」

 その言葉に秀一は思わず吹き出したい衝動を覚えたが、なんとかこらえた。
 自分の外見が日本人離れしていることは、秀一も知っている。けれども、今まで大神家から外に出ることがなかったせいか、見た目について指摘されたり、騒ぎ立てられたりするようなことはなかったので、この男子生徒の反応は、なかなかに新鮮だった。
 それに、目の前の男子からは外見を揶揄するような悪意は感じられない。
 驚いて、ぽかんと口を開けている様子が、逆になんとも滑稽だった。
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