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Reunion2 旅立ち

 もったいない……。そんなふうに思ったりもするのだが、その感覚を目の前の友人に押し付けることはできない。

「だから、信乃を頼む」

 思いがけない言葉に、秀一は翔を振り返った。

「お前、守護をおりるつもりなのか?」
「おりはしないさ。この身に変えても……その気持はある。だが俺は、常に側にはいてやれない」

 すでに二年間も、信乃は一人であの学園にいる。
 まだ半人前だった秀一にとって、自分自身を磨くためにそれは必要な時間だったし、後悔するつもりはない。
 だが、本来守護者としてはあってはならないことだ。

「わかった。俺はもう、信乃から離れるつもりはない」

 決意を込めて、そう言うと、大きな手が差し出された。。

 信乃を襲った学園建設反対派の動きは、その後沈静化している。
 小さな小競り合いはあっても、大きな事件に発展したケースは報告されていない。
 それでも、あの八尋弓弦という男が、この先全くアクションを起こさないとは考えられない。彼が何を考えているのかはわからなかったが、信乃の力を欲していたことだけは、間違いないだろう。時間の流れのゆったりとした妖であるから、のんびりと周囲を固めているのかも知れない。
    
 それに……弓弦の力は未知数だ。信乃と同等の力を秘めている可能性もある。そして、あの男の傍らには、御先真澄がついている。その先には父親である尊がいる。
 差し出された大きな手に、秀一は己の手を重ねた。

「俺一人の手に余るような事態になった時には、よろしく頼むぜ」

 重ね合わせた手に、ぎゅっと力がこもり、立ち上がった翔にぐいっと引き寄せられた。

「その時は、翔んで行く。それまで頼んだぜ、相棒」

 思った以上に耳元近くで声がした。

「じゃあな」

 ポンポン、と背中が数度軽やかに叩かれて、やってきた時と同じ唐突さで、翔は部屋を出ていった。

「ななななななな!」

 秀一は、思わずささやきかけられた耳を両手で覆った。

「何しやがるんだ、ばかやろう! ゾッとしたじゃないか!」

 こそばゆさにかっとなり、ドアを開けて翔を追ったが、部屋の先の廊下に、もう翔の姿はない。ただ、翔の笑い声が、秀一には聞こえたような気がした。
 気配すら残らぬ廊下をしばらく見つめ「全く、なんなんだよ……」と、独りつぶやく。
    
 そのまま部屋に戻ろうとした秀一の耳に、廊下の向こうからこちらに近づいてくる、パタパタという足音が聞こえた。廊下の先を眺めていると、視界に現れたのは露だった。
 露はいつもの和服に割烹着姿ではなく、今日は淡いピンク色のスーツ姿だ。腕時計を気にしながら、少し走るようにしてこちらへ向かってくる。
 腕時計から顔を上げた露が、秀一の姿を見つけ、ニコリと笑いかけてきた。

「秀一さん、そろそろ……準備はできていますか?」

 落ち着いていて、そつなく何でもこなす印象の露だが、今日はどことなくそわそわとした様子を漂わせていた。
 いつも無造作に後ろに一つに束ねている髪をアップにしており、洋装であることと相まって、全体的にいつもと違う雰囲気だ。

「そういう髪型も、似合いますね」

 秀一が言うと、目に見えて露の顔は赤くなった。

「洋服なんていつも着ないから、なんだか足元がすうすうする感じなんです……変じゃありませんか?」

 露は自分自身の服装を確かめるようにうつむいた。

「いいえ、とても似合ってます」
「嫌だわ……今日の主役は私じゃないんですから……からかわないで下さい」

 そう言って、顔の前で手を振った。
 いつも落ち着いている露の慌てた仕草が面白くて、秀一は笑った。

「少し待っていて下さい」

 秀一は露を廊下に残したまま一度自室に戻ると、用意してあった九十九学園指定のスクールバックを手に取る。
 詰め襟学生服に、学校指定のバックを肩から下げた自分の姿が、部屋の姿見に映っていた。数秒間、鏡の中自分自身と見つめ合う。普段と違う衣装を身に着けただけで、ちょっとばかり大人びたように見えた。

「ま、形だけだけどな……」

 ふいに沸き起こった微妙な違和感を隅へ追いやり、自分の格好を最後にざっと確認すると部屋を後にした。

「いつでも出発できます」

 準備を整え、部屋を出てきた秀一を見上げると、露は眩しそうに目を細めた。

「なんだか、いつもの秀一さんじゃないみたい……。あ、ハンカチは持ちましたか? ええっと……あとは……」

 ためらいなく近づいてきた露は、学生服のポケットをパンパンとは叩きながら確認している。

「大丈夫です」

 ハンカチの心配をされるほど子どもではないつもりなのだが、露にとってはいつまでも……もしかしたらこれからもずっと……秀一は『こども』のままなのかも知れない。
 仕方ないと、秀一は露にされるままになっていた。
    
 いつの間にか、露は秀一よりもずいぶんと小さくなってしまっていた。今ではもう見下ろせるほどだ。いや、もちろん露が小さくなったわけではなくて、秀一の身長が、それだけ伸びたのだ。
 持ち物の確認をして、顔を上げた露の目と鼻の頭がほんのりと赤くなっている。

「今から泣いていたんじゃあ、入学式にはタオルを持っていかないといけないんじゃないですか?」

 指摘されて、露は「いやだわ!」と言いながら、目頭を指先で拭った。

「父さんが待ってます。行きましょう」

 秀一は露の背中を押して、歩き出した。
 大神家の玄関では、スーツを着込んだ秀就が待っていた。
 秀就のシャツは、ほとんど白と言っていい色合いなのだが、よく見るとほんのりとピンクがかっている。露のスーツと色味を揃えたのかも知れない。

「忘れ物はないか?」

 秀就にも忘れ物のチェックをされて、秀一は嗤う。
 必要なものはすべて宅配で学校の寮へ先についているはずだ。今日持っていくものは、中身が空っぽの、学校指定のスクールバックくらいなもなのだ。忘れ物をするほうが難しいのではないかと思うのだが、秀就や露は、それでも心配なのだろう。

「さっき、露にも確認してもらいましたよ」

 秀就はうなずき、裏の駐車場へと歩き出した。露を秀一がその後に続く。

 学園へ行くには、公共の交通機関ではかなり不便である。
 乗り換えが多い上に、学園のある山の上まではバスが一日に数本しか走っていないのだ。今日は秀就の運転で学園に向かう予定になっている。
 三人が駐車場につくと、そこには数名の使用人たちの姿があった。秀一を、見送りに来てくれたのだろう。

「兄さん!」

 見送りのなかには、犬神新太と史郎、それにサラの姿もあった。

「新太……見送りに来てくれたんだ……」
「もっちろんだよ! 兄さんがこの家を出ていっちゃうなんて、信じられないよ!」

 異父弟である新太が、秀一の前に飛び出してきた。

「俺も! 俺も高校生になったら、学校ってところに行く! ね? いいよね?」

 そう言って新太が振り返った先には、新太の父の犬神史郎と、母のサラがいた。

「何をしに行くところなのか、ちゃんとわかっているのか?」
「遊びに行く場所じゃないのよ」
「わかってるよ! 勉強とかっていうのをやるんだろう? ちゃんとできるよ!」
「……できるのか……?」

 疑わしいとでも言った目つきで、史郎が新太を見下ろしていた。

「当然だよ! 俺だってちゃんとわかってるんだからな!」

 新太はえっへんとばかりに腰に手を当てて胸を張った。
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